雨
「なにこの大雨!!
なんにも見えないじゃん!
ワイパーがんばって! もっとがんばって! お願いだからっ。」
加藤 静香は、一昨日、ようやく、運転免許を手にしたばかりだった。
学科はスムーズに行ったが、実技は相当に苦労した。
152cmの身長だと、教習所のセダンでは、車体の大きさを確認するのに
かなりの時間が必要だったのが、苦労の一番の要因だった。
しかし、それも過去の事。家の車は軽自動車。ボンネットは短い。
朝から車を占有し、近所の大きな公園に向かい、
駐車場で、車庫入れや、縦列駐車の練習をしたところ、自己評価では、
実に見事に運転できていた。
「やるじゃん!私。 教習所の車が大き過ぎなのがいけないんだ。」
気を良くした静香は、公園を出発し、自分の町を自分の運転で、走る、走る。
助手席や、後部座席に乗っていた時とは、全然違う。
楽しい! 自由な感じがたまらない。どこまででも行ける。
そんな高揚感は、感じた事がなかった。
町から国道へ、片側二車線の国道は、車の流れが速い。
だいじょうぶ。路上教習と変わらない。少々緊張しながら、交差点を左折する。
制限速度で走る。右側の車線を走る車は、何キロだしてるんだろ?
教習では、制限速度は超えないように言われる。しかし、
それ以上の速度で走る車がいる事は誰でも知っている。
父からも、制限プラス10キロ前後で走るのが、暗黙の了解だと教えられた。
そしてなにより、周りの車の流れに合わせて走ることを心掛けろと。
実際に自分で運転してみて、その意味がよく分かる。
おそらく、今、この道路を走っている運転手の中で、一番不慣れなのは自分だ。
一番下手とは言わない。
慣れた人達の流れの方が、安全でスムーズに決まってる。
速度を上げ、右側車線へ。
「いける、いける。このままどこまで行こうかなぁ。」
国道というのは、基本まっすぐな道である。あってもゆるいカーブしかない。
30分も走ると緊張も解けてくる。慣れてくると、余裕も生まれるもので、
「音楽がない。折角の初ドライブなのに独り言しか聞いてない!」
走行中にスマホやプレーヤーを操作できる技術も勇気もない。
「よし、コンビニ寄って、休憩しよう。」
何故か自分に宣言して、コンビニを探す。
「車を運転してコンビニ行くの初めてだぁ。」
ウインカーを付け、巻き込み事故を警戒しつつ、歩道を確認。駐車場へ入る。
両側の空いているスペースを選び、後ろ向き駐車。無事成功!
「ふぅ。うっまいじゃないの、わったしぃ~。」
紅茶とサンドイッチにチョコレートを買って車内へ戻り、
車のプレーヤーにスマホを繋げ、お気に入りの音楽をかけて、再出発する。
「ふふふん♪ かぜがふいて~♪」
ご機嫌で運転し始めて、20分ほどした頃、空が暗くなる。
ぽつり、フロントガラスに水滴が落ちる。
「えぇー、折角の初ドライブに雨なんか降んないでよぉ!」
静香の声に反発するかのように雨足は更に強くなる。
ものの数分で、雨は豪雨になった。空からの雨、前を走る車の上げる水飛沫。
視界は一気に悪くなる。
「なにこの大雨!!
なんにも見えないじゃん!
ワイパーがんばって! もっとがんばって! お願いだからっ。」
さすがにこのまま走るのは怖い。しかし、路肩に車を停めるのも怖い。
一旦、国道から左折し、停められそうな場所を探す。
静香の視界に入ってきたのは、歩道を歩く、ずぶ濡れの少年の姿。
咄嗟に、少年の近くに車を停め、助手席の窓を開け、少年に叫ぶ。
「乗んなさい!」
驚きながらも、少年は助手席のドアに飛び付き、急いで飛び込んでくる。
「降られたねぇ。ビッショリだねぇ。」
「おねえさん。ありがとう。」
「どういたしまして。君のウチは近いの? 送って行こうか?」
さらりと出た言葉。
何を隠そう、静香が妄想していたシチュエーションだった。
雨で困っているイケメンを助け、その出会いから恋が…
などと教習中に考えていた。
実際に車に乗せたのは、少年だったが。
「あるいて10分くらい。駅のちかく。」
「ごめんねぇ、私、この辺の人じゃないから、よくわからないんだ。
曲がるとことか、案内してくれる?」
「うん。この道行くとこくどうにでるから、左にまがって、こくどうを…」
「タイム、タイム。一度に言われてもわかんないから。
一個ずつ言ってくれる?」
「はぁい。この道をいって、こくどうのしんごうをひだり!」
「オッケー。その調子で頼むわよぉ。ところで、君の名前は?」
「おがたりゅうのすけ。2年生です。」
免許取りたて少女が小学2年生をナビに走り出す。
「おぉ、龍之介君か。カッコいいね。私は加藤静香。よろしく。」
「しずかちゃんだ!」
「はい、その通り、しずかちゃんですよ。のびたくんは知らないけどね。」
「そっかぁ、そうだよね。」
「で、次はどこを曲がるの?」
「えきのさきをみぎ!」
「りょーかいっと、龍之介君のおうちは今、誰かいる?」
「お母さんとおばあちゃんがいるよ。」
「そっか、心配してるだろうね。
ねぇ、知らない人についていっちゃいけないって、言われてない?」
「あ! いわれてる… おこられるかな…」
「怒られるねぇ。きっと。私も一緒に怒られてあげるよ。」
「えぇー。だめだよ。おねえさんはわるくないもん。」
「私が話した方が、怒られるの早く済むかもよ?」
「それでもダメ! やさしくしたひとがおこられるのはダメだよ!」
「う~ん。君があと10年早く生まれててくれればなぁ。」
「なぁに?」
「なんでもないよ。次はどこ?」
「どうぶつびょういんのとなり!」
「そこがおうち?」
「そう、ぼくんちだよ。」
「わかった。お母さんにはウソ吐かないで、ちゃんと言うんだよ。いい?」
「うん。やくそくするよ。」
「お、アレだね。着いたよ。はい、この傘あげるから。」
「うん。おねえさん、どうもありがとう!」
「じゃあねぇ~。」
「優しくした人が怒られるのはダメか。いいこと言うじゃん。」
「出会いって言えば、出会いだけどさぁ。7歳はないわぁ。」