9話 剣を取る意味
東の空に闇が迫り始めた夕刻。小さな村の入り口に寛人とルナは並び立っていた。しかし寛人のほうは両手を膝に当て、大きく肩を動かし荒い息を吐いている。
「……」
「ちょっとヒロト、大丈夫?」
ぜいぜいと荒い息の寛人とは異なり、となりのルナはけろりとした表情。そんなルナに寛人はホワイトボードを向けた。
《歩いて三時間じゃなくて、全力疾走で三時間じゃん……!!》
「え、あれくらい走った内に入んないわよ。ヒロトは体力ないわね~」
あきれているルナの顔を、寛人もまた呆れた顔で見つめた。寛人も決して体力がないわけではない。それどころか死ぬまで毎日朝ランニング5キロを数年間こなしてきた寛人は前の世界では同年代の中では体力が多いほうだっただろう。しかしこちらの世界はプロマラソン選手並みのスピードで数時間走るのは徒歩に入ってしまうらしい。
横腹を押さえうめく寛人を差し置き、ルナは空を見た。
「東の空がもうあんなに暗い。ということはもう夕食の刻あたりの時間か。――ほらヒロト、いつまでそんなことしてるの。早く行くよ!」
ルナはまたしても強引に寛人の手を取り力強く引っ張り出した。わき腹がまだキリキリする中、寛人はおぼつかない足取りでルナに引っ張られるしかなかった。
◇
「――なるほど、この村から北に進んだ森でアーマーワイバーンを見かけたと」
「そうです。ずいぶん大きく育っていまして、体長はもう畑一枚にも相当しそうで……」
「そんなにですか。わかりました。準備ができ次第討伐に向かいます」
淡いランプの光が室内を弱弱しく、だが優しく照らしている。ここは村一番の大きさを誇る村長の家。そこに寛人とルナは通されていた。寛人とルナの対面に座るのは年若い村長と問題のアーマーワイバーンを見かけたという中年の男性二人。何でも森の奥にある沢に釣りをしに行ったら、偶然アーマーワイバーンを見つけたらしい。その男性たちから手際よく話を引き出し、情報を整理するのはしゃべることが基本出来ない寛人ではなく、もちろんルナである。寛人は隣で暇そうに話を聞くのは悪いかなと思い、村長から鉛筆といらない紙を借り、メモ係に徹していた。
「アーマーワイバーンは基本夜行性で、昼間は逆に警戒心が高まって危険です。ですから今夜のうちに早速狩りに行きます。皆さんは安心して就寝なさっていてください」
ルナの落ち着き払った対応に村長たちは顔をほころばせる。
「そうですか。まもなく種まきの時期で外に出る機会が増える時期でのこれでしたが、冒険者さんたちがこんなに早く駆けつけてきてくれるなんてありがたいですな」
「いえいえ、礼を言われることではありません。――では私たちは準備をしますのでいったん下がらせてもらいますね」
ルナはさっと立ち上がると出口に向かった。メモを取っていた寛人はルナに遅れまいと急いで残りのメモを書くと鉛筆を村長に渡し一礼してドアに向かった。
外に出ると家の壁に寄りかかってルナが待っていた。
「さ、ひとまず借りた小屋に戻りましょ」
ルナは先陣を切って歩き出す。寛人はルナの右後方についていく。先ほどのやり取りの手際の良さや手慣れた感じから察するにルナは相当数のクエストに挑み、そしてクリアしてきたことがわかる。どう見ても自分より年下、前の世界で言えば高校生になったかどうかという年齢だろう。その年齢でずいぶんいろんな経験をしてきたはずだ、いい経験も、苦い経験も。数年長く生きている自分なんかよりずっと濃い人生を送っているんだろうなと寛人はルナの後姿を眺めながら歩いた。
「――ん? なんか人が集まってるわね……?」
ルナの声に寛人も前方の小屋に視線を移す。寛人たちが村の好意で使わせてもらっている小屋の周りにはルナの言う通り10人ほどの人が集まっている。それも集まっているのはほとんどが子供だ。一番大きな女の子も顔の幼さから見るにルナより若干若いだろう。
寛人たちが小屋に近づくと、それに気づいた集まっていた子供たちが一斉に寛人たちの周りを取り囲んだ。その目は一様にキラキラしており、まるでヒーローを見る目だ。
「ねね、兄ちゃんと姉ちゃんは冒険者さんなの?」
無邪気な少年が寛人とルナの顔をきょろきょろと見ながら興味津々に聞いてくる。それに答えたのは寛人でもルナでもなく、先ほどの少年と同じくらいの年齢の別の少年。
「あったりまえだろ? こっちの兄ちゃんは剣持ってるし、こっちの姉ちゃんはでっけーナイフ持ってんじゃんか」
「なんでコウちゃんが答えるんだよ。俺は兄ちゃんたちに聞いたんだぞ」
「はいはい二人とも仲良くするの。冒険者のお兄さんたちが困っちゃうでしょ?」
二人の少年が口喧嘩を始める前に仲に入ったのは集まっていた子供たちの中では最も年齢が上の少女だ。美しい栗毛色の髪を後ろでまとめた姿が印象的で、さらに特筆すべきなのは白いシャツを押し上げる胸の丘。前の世界でこれほど立派なものを持った学生は見たことがないなと寛人はなるべくがん見しないように、ちらちらと視線を向けた。一方のルナは……まぁ、年相応か。
「ねぇヒロト。今あなた、ものすっごく失礼なこと考えていたわね?」
ルナの鋭い質問に寛人は風が起きそうなほど激しく首を横に振った。ルナはあきれたようにため息をつくと、腰を落として子供たちに話しかける。
「みんな私たちが帰ってくるの待ってたの?」
「うん! だって冒険者が来るなんて今までなかったから!!」
コウちゃんと呼ばれていた少年が答える。それに続いて子供たちが口々にしゃべりだす。
「姉ちゃんたちは何倒しに行くの?」「なんの魔法使えるの?」「その剣見せて!」「クエストに連れてって」「二人は付き合ってんの?」などなど。
それら飛び交う質問に、ルナは真面目に、そして楽しそうに答えていく。ちなみに「付き合ってんの?」という質問にはルナは手で大きくばってんを作って、寛人はまた風が起きそうなほど首を振って否定した。それを見た子供たちはみな「二人とも息ぴったり~」「やっぱり付き合ってんじゃないの?」とか言って年上の寛人たちをからかった。
「ねぇ、やっぱり二人について言っちゃダメ?」
あらかた質問を終えた子供たちの中から幾度目かの声が上がる。それを聞いた栗毛の少女は、
「お姉ちゃんたちが何回もダメって言ってるじゃない。二人は今からとーっても怖いところに行くんだよ」
「そうだよ? 今からお姉ちゃんはこのお兄ちゃんと北にある森に出かけるの。そこにはこわーいお化けがたっくさんいるからみんなはついてきちゃダメ」
ルナも子供たちにやさしく諭す。その回答に子供たちは揃って口を膨らませる。
「でも、姉ちゃんたちの魔法とか見てみたいのに……」
しょんぼりとした声でコウちゃんが言う。それを見たルナは小さく微笑むとコウちゃんの頭をなでながら言う。
「それなら、明日の朝。私たちがクエストから帰って来たら見せてあげる。今はもう暗くてよく見えないだろうし、それに早く帰らないとお母さんやお父さんに怒られちゃうでしょ?」
「――ホント?」
「ホントホント! お姉ちゃん嘘はつかないよ。もちろんお兄ちゃんもね」
ルナがこちらを見たので寛人も大きくうなずいた。それを見ると子供たちの顔に再び大輪の笑顔が咲いた。
「ホントに! 約束だかんね! 嘘ついたら谷に落とすかんね!!」
子供の言った「嘘ついたら谷に落とす」はきっと前の世界で言うところの「嘘ついたら針千本飲ます」の意味と同じだろう。しかし、いかんせん、バツがリアルで簡単に実行できそうじゃないか? と寛人は顔をひきつらせた。こちらの世界ではガチでやりかねない。
「兄ちゃんも、はい!」
ふと見ると、コウちゃんが小指をぴんと立ててこちらに差し出している。寛人がぽかんとしていると、
「兄ちゃんは指切り知らないの? 小指と小指をこうやって絡ませれば約束になるんだ。明日魔法見せてくれるっていう約束!」
コウちゃんは自分の両手で実践して見せると、再び右の小指を立てて寛人に突き出した。それを見ていた寛人はそっと自分の右手の小指を立てると、コウちゃんの小さな小指に絡ませた。
「約束だかんね!! だから早く帰ってきてね! 俺、寝ないで待ってるから」
絡ませた指を解きながらコウちゃんはまぶしい表情を寛人に向けた。その笑顔に、寛人も優しく笑い、そっと頭をなでてやる。コウちゃんはくすぐったそうに、気持ちよさそうに撫でられると、家があるという方向に走り出した。手を振るコウちゃんに寛人は両手で大きく手を振り返す。コウちゃんが家の陰に見えなくなってもしばらく寛人は手を振り続けた。
「――寛人、子供苦手なのかな~って思ったけど、思ったほど苦手じゃないのね?」
ルナがようやく手を下ろした寛人に話しかける。確かに、人見知りでコミュ障の寛人にとって子供は苦手とする相手だ。うるさいし、空気は読まないし、わがままを言うし、なれなれしいし……でも――――
寛人は右の小指をじっと見つめた。まだコウちゃんの柔らかく、そして温かい感触がわずかに残っている。
あの無邪気さが、あの奔放さが、あの自由さが、この世界でも、どんな世界でも必要なんじゃないかと。それを守るのが今の俺、冒険者になった俺なんだと、寛人は固く誓った。
「――なに真剣な顔しちゃってんのよ。いくら何でも気負いすぎだって」
じっと小指を見つめる寛人にルナが軽い調子で言う。
「まぁ、でも、何も背負わないで戦うよりは何倍もましか」
ルナの声が、西の空まで闇に包まれた村に溶けていった。