4話 いざ、転生
「……」
「……」
静寂。静かでひっそりしていること。また、そのさま。広辞苑的に言うところのそれが、寛人とレイシアの間には流れていた。かれこれこの状態に突入してから5分は経過している。寛人はあぐらをかいて頭を抱え、レイシアはぺたんとかわいらしい女の子座りで寛人を眺めていた。
「……大丈夫?」
沈黙に耐えられなくなったレイシアは寛人に話しかけた。その声に寛人は意気消沈の顔をレイシアに向けた。
「だいじょばないってとこかしら……」
レイシアがそう言うと寛人はまた頭を抱える。
「まさかあなたにとって一番要らないと判断されたのが『声』だったとはね……。声なんて大切なものが奪われたのはあなたが初めてじゃないかしら。珍しいというか、なんと言うか」
レイシアの気休めの言葉に寛人は大きなため息をついた。
「だ、だって私だってこんなことになるなんて予想してなかったし! 何百回と転生を手伝ってきたけどこんなこと一回もなかったもん!」
レイシアの必死の弁明を聞き流し、寛人の脳内では様々な感情が浮かんでは消えて行った。『声』だなんて言語を操る人類にとってめちゃくちゃ大事であるはずのものをなぜ俺は失うことになったのか。俺がいくらボッチで滅多に人と話さないからといってもさすがに『声』はないだろうと寛人は嘆いた。そこにレイシアから声がかかる。
「でも、そう言えばあなた、私と会ってから一言もしゃべってないわよね」
レイシアからかけられた言葉に寛人は思わず笑いそうになる。まさかレイシアと会ってもう一時間がたとうとしているのに一言も発していないなんてことは――いや、確かに、思い返してみればどの場面でもガチでしゃべっていないことに寛人は気が付く。
「……!」
「ほら、そうでしょ? あなたは私が話しかけても相づちを打つだけで一言もしゃべってなかったし、あなたから話しかけるなんてこともなかったじゃない。そう言えばあなたのプロフィールに声を出さな過ぎて自分の声がわからなくなることがあるとか書いてあったわね。まぁ、納得というか……」
寛人は死ぬ前の記憶を思い出す。思えば自分が声を出すときの9割は独り言だったし、他人としゃべることも極力避け、声を出さなくていいなら全て相づちで済ませ、声を出す機会は死ぬ前に行った病院のような場所だけ。まじで一か月ほど声を出さなくて、アクセントや声の適切な大きさを忘れかけたこともある。だから声を出すのが怖くて、びびって小さな声しか出ないことも多々あった。
思い当たる節が多すぎてぐうの音も出ない寛人にレイシアが話しかける。
「思い当たる節があるって顔ね……。やれやれ、さすがに『声』がとられるなんてかわいそうだし、どうにかできないか調べてみるわ」
レイシアはそう言うとまたしてもどこからか分厚い辞書のようなものを取り出した。その分厚い本をレイシアはぱらぱらとめくっていく。寛人はその本の背表紙に『転生業辞典』と書いてあるのを見た。転生業者向けの辞典らしく、監修のところに『天界転生業連合会』の文字が印刷されている。転生業会にもそういう面倒なものがあるのかと寛人は驚く。
転生業にもストライキがあるのかなと寛人が考えているところにレイシアの声がかかる。
「あなたの現状にぴったりの項目が見つかったわ」
そう言うとレイシアは開いたページを寛人に向けた。そのページ右上には『対価が大きすぎる場合』の文字。
「ほらここ見て。『対価が転生者にあまりにも不利益をもたらす場合、例外として転生者の体に大きな負荷をかけることによりその対価を使用できることにする』だってさ。つまりあなたはしゃべってもいいけど、その代わり体がぼろぼろになっちゃうってことらしいわね」
レイシアはある一文を指さしながら言う。寛人はその文を読んで顔をしかめた。
「……やっぱいやな顔するわよね。でも解決策がこれしか書いてないし、これで納得してくれないかな?」
「……」
「じゃ、じゃあ今回転生したときにより特別なスキルがあなたに行くように根回ししてあげるし、向こうで役に立つアイテムもつけてあげるからさ。だから、この通り!」
レイシアは頭を下げつつ手を合わせた。レイシアは何も悪くないことはわかっているし、そもそも自分がしゃべらな過ぎたのが全ての原因であることは寛人もわかっているので、寛人はレイシアに承諾の相づちを打つ。
「わかってくれた!? ありがとう、あと、なんかごめんね」
レイシアの言葉に寛人は首を振った。
「――うん、そうね。いろんなオプション付けてあげるから、期待して!」
その時、寛人たちのいる闇の空間に、突如として四角く闇が切り取られた場所が現れた。その空間は一般的な玄関のドアと同じくらいの大きさをしており、そこからは白い光があふれ出ていた。
「――時間みたいね」
「?」
「契約を済ませて一定時間が過ぎると、転生する世界に通じる穴が現れるの。それがこの四角いやつね。この穴に入ればもう異世界に出ることができるわ」
レイシアの話を聞きながら寛人は白い光をあふれさせる穴を見つめた。穴を見ていると何者かに手招きされているかのように、体と心がひきつけられるような衝動を感じる。あそこに飛び込めば、新たな人生が幕を開けることになる。
興奮を抑えきれない寛人にレイシアは言う。
「あの穴はそう長くは開いていないわ。だからもう行ったほうがいいわ」
レイシアの言葉に寛人はうなずくと、まっすぐに穴を目指して歩き出す。その足取りは力強く、迷いのないもの。そんな寛人の歩みは穴まであと数歩というところで止まった。
「……」
「どうしたの、立ち止まって?」
寛人はレイシアのほうを振り返る。寛人の表情には笑顔と覚悟が浮かんでいる。寛人は一つ深呼吸すると、腹と喉に力を入れた。
「ありがとう」
寛人は一言、そう言った。刹那、両の鼻穴から赤く、金臭い液体があふれ出した。その有様に寛人はあの契約内容に間違いはないことを悟った。
鼻血を垂らす寛人に心配の表情を浮かべたレイシアが駆け寄る。しかし、当の寛人は心配するレイシアに微笑んで見せた。そしてさらに、
「お礼くらいは言いたくてさ」
と、はにかみながら言った。途端に鼻血の量が増し、小さくない頭痛が寛人に訪れる。しかし寛人はそんなことも気にせず、ただ照れ笑いを浮かべた。そんな寛人を見て、レイシアも、
「――あなたって、案外面白いわね」
そう言って笑った。
鼻血をぬぐった寛人にレイシアは言った。
「あなたはもう過去の『峰谷寛人』ではなく、新しい『峰谷寛人』として生きていくことになる。何も得ることのなかった過去に別れを告げて、旅立ちなさい。そして今度はありとあらゆるものを手に入れるのよ」
寛人は大きくうなずいた。そして寛人はレイシアに背を向け、異世界への入り口の前に立つ。その背中にレイシアの手が優しく触れた。
「いってらっしゃい!」
その言葉に大きくうなずいた寛人は、勢いよく異世界への入り口に飛び込んだ。
「――行っちゃったか……」
光に溶けていく寛人の背を見つめていたレイシアはぽつりとつぶやいた。すでに寛人の背は光の中に消え、異世界への入り口も閉まり始めていた。レイシアは入り口が完全に閉まるのを待たずに、目を閉じた。レイシアは手を胸の前で組み、彼女以外誰もいないこの空間に小さく、しかし響くように祈った。
「新たな英雄に幸多からんことを……」




