2話 神との出会い
「――迷える子羊よ、目を覚ましなさい」
混濁する意識のなかで彼、峰谷寛人はその柔らかく、美しい声を聴いた。
「……だから、起きろっつってんだろうが―――!!」
今度は先ほどとは真逆の美しくもない大声が響いた。ただ先ほどの声の人物と同じ声の主だ。突然の大声に寛人は無理やり覚醒させられる。
目が覚めたところは自室でも、病院のベッドの上でもなかった。寛人の周りに広がっているのはどこまでも続く闇。その闇の中に寛人は放り込まれ、彼の周辺だけ明かりがついているかのようだ。
いまだ焦点の合っていない目線をさまよわせる寛人に再び声がかけられる。
「ようやく起きたわね」
すると漆の黒より濃い闇の中から一人の女性が姿を現した。まず目につくのはその美貌だ。欠点を完全に消し去った顔はこれですというかのような完璧な美しさ。それを引き立てているのは背にたらした美しい銀髪。きらきらと光り輝くその銀髪は作り物のようだ。そして彼女は白に美しい刺繍が施されたドレスを身にまとっていた。彼女を形容するならば「まるで絵本から飛び出てきたような」、だろう。いや、シンデレラなんかよりよっぽど美しいだろう。そう思わせる美しさが彼女にはあった。
「まったく、せっかくこの私が優しく起こしてあげようと思っていたのにいつまでたっても起きないんだから。あなたふざけてんの?」
絶世の美しさを持つ彼女はやれやれとため息をついた。どうやら自分をたたき起こした人物はこの女性らしい、容姿とは裏腹に性格は……みたいだなと寛人は心の中で小さくため息をつく。
「そんなことより! あなた、峰谷寛人ね?」
彼女に面識はないはずだが? なぜ自分の名前を知っているのだろうと思いながら寛人はうなずいた。
「あなた光栄に思いなさい!! あなたは運よくこの私に選ばれ、もう一度だけ人生やり直しの権利を手にした人物なのよ!!」
「……」
「あら? もしかして理解が追い付いてないのかしら」
寛人は一つうなずく。彼女はやれやれといった具合にため息をつく。
「ま、さっき死んだばっかりの人間に理解できるわけないか」
「――??」
「何よその顔。まさかあなた自分が死んだことに気が付いてないの? あなたはさっき餅をのどに詰まらせて死ぬという、高齢者に多い死因で死んだのよ」
彼女の言葉を聞いた瞬間、寛人の脳裏に走馬灯のように先ほどまでの出来事が流れた。最期の記憶はこたつに足を突っ込んだまま、右手にスマホを握り、意識が遠のいていく場面。
「思い出した? あなたはあのまま息を引き取ったってわけ。今頃まだ部屋に死体が転がっているんじゃないかしら」
「……」
「何そんな絶望の表情浮かべてんのよ。せっかく私がそんなかわいそうなあなたにもう一度チャンスをあげるって言ってんのに」
彼女はやれやれと肩をすくめた。そんな彼女を寛人は泣きそうな目で見た。
「なに? うたがってるの? 私を誰だと思っているわけ?」
「……」
「教えてあげる。私はレイシア。神様よ!!」
「……」
「あっ!! 何よその目! 『なんだこいついきなり自分のことを神様とか言い出しやがって。いてぇやつだな。このブサイク女!』とか思ったでしょ!!」
寛人は別にそんなことを考えていないし、レイシアをブサイクとも見ていない。ただ、「うさんくさい」と思っただけだ。
「ほんっっと私が担当する人間は毎度毎度私をそんな目で見やがって……! いいわ、私が本当に神様だってわからせてあげる」
そう言ってレイシアはどこからともなく一枚の紙を取り出した。なんの変哲もない紙のようだが、何かが書かれているようで小さな文字が透けて見える。レイシアはその紙を両手で持つと大きく息を吸い込んでマシンガンのようにまくしたてた。
「今回転生させるのは峰谷寛人、20歳。6月7日生まれの大学二年生。生まれも育ちも東京。身長173㎝、体重60キロ。黒の短髪にそこそこ整った顔立ち。世間一般では上の下あたりのそこそこイケメン。両親の名前は……めんどくさいから省略で、両親どちらも役所勤めの真面目人間。そんな両親の間に生まれた峰谷寛人は幼いころから極度の人見知りで同年代の子供たちの輪に入る勇気もなく、いつも一人で本を読んでいるような内気な幼少時代。小学校に上がっても人見知りは治らず親しい友人は一人もできず、かといってそれをバカにされることもない地味なポジションだった。中学に上がるとその運動神経の良さから様々な部活に勧誘されるもどこの部活にも飛び込むことができず、友人もできず、悲しい思春期を過ごした。高校は新たな人生を始めようと自宅から電車で一時間の学校に飛び込むも、やはりここぞの度胸はクソであるため結局クラスになじむことも、友人を作ることもできず、なにもない高校生活を謳歌。大学はなんとなくで選んだ工学部機械工学科を選択。大学でも何のサークルにも入ることもなくいわゆる学生ボッチ状態。そんな彼の趣味はやはりと言うかなんというか、無趣味。ただ体を動かすのは嫌いではないため中学一年の秋から毎日朝のランニング5キロを日課としている。両親との関係も希薄で大学進学以来一度も実家に帰っていない、元気にやっているの連絡もよこさない親不孝者。そんな彼はほとんどの日で一言もしゃべらないことが多く、声を出した時に自分でもこんな声だっけと思うほどである。そんな彼、峰谷寛人を簡単に形容するならば『クソコミュ障地味ボッチ野郎』または『人生無駄使いマン』である!!!」
息をすることもなく一気に言い終えたレイシアはふうっと汗をぬぐった。やり切ったというすがすがしい表情。
「どうよ、あなたのことは全部知っているんだから! ……って、何そんなにしょんぼりしているのよ」
「……(泣)」
「ちょっ! 何泣いてんのよ!? 私はホントのことを言っただけでしょ!!」
そう、レイシアは何も寛人をバカにしたいわけじゃない。ただ峰谷寛人という人物の人となりを簡単に説明しただけ、事実を述べただけである。ただその事実は寛人の心を大きくえぐるには十分すぎる切れ味だった。
「ほら泣き止みなさい、男でしょ? それに私はそんなかわいそう、もとい、つまらない人生を送ってきたあなたにやり直す機会を与えてあげようって言っているの」
寛人は涙をぬぐうとレイシアの顔を見上げた。
「いいこと? あなたは運動神経もいいし、顔も悪くない。それにクソみたいな性格をしているわけでもないのに極度の人見知りと重度のコミュ障のせいで親しい友人を作ることも、みんなの輪に飛び込んでいくこともできなかった。そして餅をのどに詰まらせて窒息死。誰にも看取られもせずに死んでいくという寂しい人生を送り、終わってしまったわ」
そこまで言い切ってレイシアは息を大きく吸い込んだ。そしてきっぱりと言った。
「でも、だからこそあなたはもう一度人生をやり直す権利がある!!」
「!」
「せめてもう一度くらいさ……あなたほど何も得ないで、寂しく、起伏のない人生を歩んできた人はそう多くないけど、後悔とか、心残りとか、それがたくさんある人はせめてもう一度やり直させてあげるのが神様の仕事なの」
真剣な表情で死ぬ前の寛人の人生を軽くけなしながら語りかけるレイシアに、寛人は心打たれた。確かに寛人の人生はあまりにも何もない、一般に言う、つまらない人生とかそういうレベルを超えた次元の何も無さだった。ただそんなクソみたいな人生も送る人間も神様はしっかり見ていてくれている。寛人は神様なんて苦しいときにしか拝んだことがなかったがそれでも感謝せざるを得なかった。さっきはうさんくさいとか思ってごめんとも思った。
感謝のまなざしを向ける寛人に微笑んだレイシアは、手を差し伸べた。その手を寛人がつかむとレイシアはその華奢な体格に宿しているとは思えないほどの力で寛人を立たせた。レイシアの手はヒロトより小さく、壊れてしまいそうなほどに小さかったが、とても温かく、やさしかった。
「――じゃあ、そろそろ始めよっかな!」
不意にレイシアが言うと、寛人の前方に何やら円盤のついた機械が現れた。その機械に寛人は既視感を覚えた。これは確かテレビ番組なんかで使う、回る円にダーツを投げるやつに似ている……いや、そのまんまだ。
寛人が不思議そうな目でその機械を眺めていると、いつの間にか寛人の手を放していたレイシアが一本のダーツを持っていた。レイシアはそのダーツを寛人に渡し、言った。
「これで転生する世界を決めなさい!」