17話 開戦
冷気の風が吹く洞窟。そこに入ってから間もなく十分。洞窟の幅、高さは依然として変わらず、罠も見受けられない。しかしそこを行く三人はより慎重な歩みを進める。洞窟の奥から吹く冷たい風が強くなっている気がするためだ。松明の火が風に吹かれ、怪しく揺れた。
さらに数分歩くと、寛人たち三人は突如として広い空間に出た。小さい体育館なら余裕で入りそうな空間。一段と気温が下がった錯覚を覚える寛人たち。松明の明かりを頼りにあたりを見渡していると、闇よりあの冷血の声が聞こえ来る。
「来たのは貴様ら三人だけか」
ハインツが前方に松明をかざすと、闇からにじみ出るように、吸血鬼ブルートは現れた。松明の光はその青白い顔を照らす。相も変わらず何の表情もない。
「――勝利を捨てたか」
深紅の唇が小さく動き、そこから冷気をまとった言葉が紡ぎだされる。
「なわけあるか。俺たちはお前を討伐しに来たんだ」
ハインツが勇んだ声をあげる。その言葉を聞き、ブルートは鼻で笑う。
「――やはり愚かだな、人というのは」
ブルートは細く、長い爪が伸びた指を、パチン、と一つ鳴らした。すると洞窟の壁面にいくつもの灯がともり、広い空間を照らし出す。明かりは人の目でも十分この広い空間を見渡すことができる明るさ。露出した岩肌は遠く、明るくなったことでさらにその広さを際立たせた。途端に明るさが増したことで寛人たちは若干目をくらませたが、吸血鬼は襲い掛かることもなく、淡々と言葉を発する。
「そんな愚かな人間に、私からささやかなハンデを送らせてもらおう。貴様ら人間は闇の中では満足にものも見えないそうだからな、このように明かりをともせば、よく見えるだろう?」
「どういうつもり……?」
ルナがいぶかしんだ表情。それを見たブルートは先ほど以上に鼻にかけて笑った。
「なに、何の抵抗もない人間をいたぶるのはつまらないのでな。もうすでにこの洞窟では三人、殺したからな。趣向を変えるということだ――なんだ? その目は。怒りに染まった目だ。なに貴様らの親友であったわけではあるまい。たかが他人、腐るほどいる人間の一人、それが死んだだけだぞ」
「――ホンッとにテメェは救えねぇな、吸血鬼……!」
ハインツは地面に松明を投げ捨てると背中にしょった長い鞘から一振りの太刀を引き抜く。それに合わせルナも腰のナイフを抜き、腰を落とす。
「吸血鬼ではなく、せめてブルートと呼んでほしいな。私は今から貴様らを死へと導く水先案内人だぞ」
「へっ、そんなのごめんこうむりたいね。代わりにその役、俺たちがやってやろうじゃねぇの」
「蛮勇だな。だがその向こう見ずな勇気、どこまで続くか――」
ブルートが全ての言葉を言い終えるより前にハインツは飛び出した。その後ろにルナも続く。寛人は化け物に立ち向かうその背を見つめることしか今はできない。
上段に太刀を振り上げたハインツは大きく踏み込む。いぶし銀に光る刃は洞窟内の空気を切り裂き、さらにその先に立つブルートをも両断しようとうなりをあげる。
「この程度」
ブルートは最高速まで加速した刃を紙一重、ただ余裕をたっぷり残して避け切る。ただこの大ぶりの一撃、まして真正面からのがこの化け物に簡単に当たるとはだれも考えていない。
ハインツは上段切りを途中でやめることなく、そのまま固い岩の地面にたたきつける。岩盤はハインツ渾身の一振りで砕け、岩の破片と砂が舞う。とんだ砂煙は小さいが、これで十分。姿勢を引きく突進したルナは砂煙に突っ込み、一気にブルートの懐を目指す。
砂煙を突破したルナの正面。標的のがら空きの腹部。ルナは手にしたナイフを逆手に持ち、外から大きく、薙ぎ払うようにナイフを振った。
「その程度」
これまたブルートはすさまじい反射速度を見せる。ブルートが後ろにバックステップしたことでルナの放った大ぶりの一閃は空を切るにとどまった。
「だったら、これでも喰らいやがれ!!」
上空から響いたバリトン。そこには太刀を振りかぶったハインツの姿が。
「滅殺!! 『天空大鷲落とし』!!!」
重力加速度だけで落ちてくるのではない、圧倒的速度。空から落ちてきた爆弾のように直下に飛んでいく。
振り下ろしたその刃はエネルギー充分にブルートを目指す。
「それはもう見た」
ブルートは小さくつぶやき、最小限の動きでこれを避ける。直下降に地面に着地したハインツの周りの岩盤が陥没し、クレーターを作る。ハインツは振り下ろした刃を今度は地面にたたきつけることなく、素早く持ち手を返した。
「本命は、こっちだっ!!」
返す刀でブルートの顎元を切り上げる。その切り返しのキレに、さすがのブルートも大きくのけぞる。今まで見た中で最も大きな隙。それを逃す二人の冒険者ではない。
「『爆炎魔法』、煉獄炎塊!!」
ルナが唱えると、ブルートの足元に大きめの魔法陣が現れる。そしてそこから激しい熱波とともに大きな火柱が上がる。炎の牢獄にブルートの姿がゆらゆらと浮かぶ。
「ハインツ!!!」
ルナが叫ぶ。ここしかないと、今なら斬れると。その声に応えるように、ハインツは刹那の技を放った。
「抹殺、『月光烏魔討ち』……!!」
炎に包まれるブルートの背後に、ハインツは現れる。爆炎で前が見えていないブルートに、これを避けることは不可能。静かな一閃がブルートの首筋を真一文字に線を入れた。
ただ、斬れたわけではなかった。線を入れただけ。首筋を剣先が撫でただけ。
「な、に――!!」
ハインツの驚愕の表情。無理もない。刃は確実に届いていた。剣の角度、力加減、あたり所、すべて申し分ないクリーンヒット。なのに、その一撃はブルートのあまりにも固い首筋には入らなかったのだ。
「――我々とて、首を飛ばされれば死ぬのは同じ。弱点は隠すか、補うか。当たり前のことであろう」
灼熱の中から響いた声はあまりに冷たい。
「そしてこの炎。対象を囲って炎に閉じ込める魔法らしいが、私にとっては造作もない、ただの火。前撃った魔法が効かなかったから、今回はこの魔法を使ったんだろうが、残念だったな」
瞬間、天井に届きそうなほどに伸びていた火柱は跡形もなく消え去る。炎の渦の中心にいたブルートに何の変化もない。
「くっそ……!」
ルナがにらみつけるも、それを無視しブルートは背後に立っているハインツを振り返る。
「とはいえ、先ほどの一連の動きはなかなか、と言わせてもらおう。ここ最近じゃ一番危ういと感じたぞ」
「――そりゃどうも」
「だが最後、貴様の放った技に力が足りていなかった。そこだけがもったいなかったな」
簡潔にそうまとめたブルートは、ニヤリと片方の口角をあげた。その笑みだけで空気が凍りそうなほど。その笑みは蹂躙の始まりの鐘の音。
「次は私の番と行こうか」
ブルートは懐から小さなナイフを取り出し、それを左手に持つと、右手首に当てた。そして動脈を引き裂くようにナイフで手首を切った。いやに鮮やかな血が傷口から滴りだす。
「私に一太刀入れた貴様らには、私のスキルを馳走してやろう。――『鮮血術式』、抜血刀」
ブルートがスキル名を言うと、今までただ地面に滴り落ちていただけの血が、ブルートのかざした右手のひらの中で不意に形を成し始める。地面に落ち太刀の雫までもが吸い寄せられるかのようにそこに集まる。流れた血はやがてその形を一振りの真っ赤なサーベルへと変貌させた。朝にも持っていたあの、赤いサーベル。
形を成したサーベルを手にしたブルートは、その切っ先をハインツに向けた。
「貴様の技、こうすればいいと思うぞ」
その言葉を放ったかと思うと、もうそこにはブルートはいない。
「なにっ! 消えた……」
ハインツの声。それにかぶせるようにその背後から声がかかる。
「こうすればいとも簡単に背後を奪える。そして――」
振り返るハインツ。その目に映ったのは赤いサーベルをもう振り下ろしたブルートの姿だ。
「得物はこう扱え」
片手で軽く薙ぎ払うように振られたサーベルはハインツの濃い群青の鎧の胸部分を紙きれのように切り裂いた。
「ごっ、はっ……!!」
膝をつくように崩れるハインツ。そこにさらなる追撃の刃。
「そしてあの上空からの上段切り。あれは隙が大きいが当たれば強力。ならどうするか」
その言葉の次にはブルートは膝をつくハインツの直上。
「隙を見せないほどの速さで切り下せばいい」
目にも止まらない速さで降下したブルートはハインツに致死の一撃をたたきこむ。あまりの衝撃に岩が砕け散り、凄まじい轟音と砂煙が上がった。
「ハインツ!!!?」
ルナが叫ぶ。砂煙の中に立つのは一つの影。開けた口からのぞくのは鋭い牙だ。
「その男ならここだ」
砂煙から姿を出したブルートは大きくくぼんだ底を指さす。群青の鎧が砕け散りあたりにその破片が散らばる。その鎧の持ち主はくぼ地の底で倒れていた。兜は砕けなかったようでかぶったままだが、その顔が見えずともハインツがやられたことは容易にわかる。あたりに血しぶきが散った跡が点々とついていた。
「――さぁ、まだ始まったばかりだぞ、愚かな人間ども」
ブルートは冷酷な笑みを浮かべながら寛人たちを見やった。