10話 クエスト開始
天には美しい月が輝き、無数の星々は数十光年先の光をこの地上に届けている。その瞬きの下、薄暗い森の中を進む二人の冒険者の影。一人は冒険者とは思えない若さと、美貌を兼ね備えた少女。しかしその足取りは軽やか、いくつもの場を超えてきたことをうかがわせる熟練のものだ。一方、その後ろを行くのは外見はまだ前を行く少女より冒険者に見える青年。その足取りは少女とは対照的、暗く、月明かりが頼りの森の中をおぼつかない足取りで進む。
二人の進む森は地元住民がよく訪れていることもあり、強力なモンスターは少ない森だ。しかし夜が訪れれば、昼はおとなしくしているモンスターも活動をはじめだし、森の危険度は昼よりぐっと増す。いくら熟練の冒険者であっても油断は禁物だ。
二人の冒険者が森に入って早30分が立とうとしていた時、前を行く少女が背後に着ける青年に待ったをかける。少女、ルナは青年にしゃがむように指示を出すと自らも体位を低くし、木の陰に隠れる。耳をすませば、聞こえてくるのはなにか大型の生き物がのどを鳴らす不可解な音と、そいつが木々をなぎ倒し這いずり動く不気味な音。しゃがみこんだ青年、寛人はそっと木の陰から音のする方向を覗き込む。
木々を押しのけ現れたのは体長は軽くワンボックスカーに匹敵、いやそれ以上はあろうかという大きなトカゲだ。全身には黒いうろこが生えそろい、月明かりに照らされ怪しげな輝きを発している。半開きの口からは鋭い牙がうかがえ、それに刺さればひとたまりもないことを簡単に想像させる。このオオトカゲこそ寛人とルナが狙っている獲物、クエスト達成条件のアーマーワイバーンだ。
その姿を確認した寛人とルナは再び木陰に身を隠すと顔を見合わせる。アーマーワイバーンの情報は、体格の特徴を見た限り村人たちの証言通りと言っていいだろう。それならば、あとは森に入る前に打ち合わせた作戦通りに事を進めるだけだ。アーマーワイバーンは体格こそ大きいが、それほど戦闘力があるモンスターではない。油断しなければいくら大きい個体とはいえ余裕だろう。
ルナが作戦通り最初にアーマーワイバーンに接近する。その背中を見つめながら寛人は作戦内容を先ほどの森に入る前の会話とともに思い出した。
◇
子供たちが各自の自宅に帰ると、寛人たちが借りた小屋の周りは突然と静かになった。各家からは夕餉の香りが漂い始め、ランプの温かい明りが窓から弱くあふれている。
「さ、私たちも食べましょ。クエストには体力も必要なんだから」
小屋のドアを押し開けるルナに続き、寛人も小屋の中に入る。
小屋はもともと冬場に使うことがない農機具をしまっておく用のものらしく、鍬や鋤を立てかけておく棚や肥料を詰めるための麻袋が置かれている。まもなく畑仕事を始めるということらしく、農機具はほとんどすべてが各家に移動しているらしく小屋の中はがらんとした印象だ。おかげで寛人とルナが使えているのだが。
小屋の中心には大きな真鍮製の鍋。中にはジャガイモを蒸かしたものが山のように入っている。これは村人たちが冬の間にため込んでおいたジャガイモを、寛人たちのためにと蒸かして用意してくれたものだ。そのジャガイモが入った鍋を挟んで寛人とルナは座る。その手には木でできた不格好なフォーク。二人は手を合わせ、口をもごもごと動かす。寛人は「いただきます」と言っているが、ルナはよくわけのわからないことを言っているようだ。食事の挨拶を済ませると二人はジャガイモにフォークを突き刺した。村人からもらった時はとてつもない湯気を放っていたジャガイモは少々熱いくらいの温度まで下がっていて、まさに食べごろに仕上がっている。二人は揃って大きな口を開けそれをほおばった。
「!!」
「うん! おいし~い!」
ほんのりと塩が効いたジャガイモはほくほくで、口の中でほどけていく。芋の香りがよく立ち、それが心地よく鼻腔から抜けていった。一言で言えば、「ナニコレうまっ!!」である。正直寛人はこれだけの芋を見た時、若干落胆したがもうそんな気持ちはない。こんなにうまいものを出してくれた人に感謝感激しながらどんどん芋を平らげていく。
口いっぱいに芋をほおばる寛人にルナが真面目な表情で
「さて、そろそろ作戦会議とでも行きますか」
《了解》
ルナは腰に付けたポーチから一枚の紙を取り出す。村長に書いてもらったこの周辺の地図だ。村がある場所に丸印が描かれていて、その北には森があることを示す星印。その星印を指さしながら、
「この森にターゲットが出るらしいわ。ここから徒歩で十分かからないくらい。森にはそんな凶暴なモンスターは出ないっていうけど油断はできないわね。ヒロトも冒険者ならわかっていると思うけど」
寛人はとりあえずの相づち。それを見たルナは続ける。
「とりあえずアーマーワイバーンを見つける前までは私が前、後ろをヒロトっていう隊形で行くわ。そしてターゲットを見つけたらだけど――」
ルナは腰に下げたナイフを鞘から抜いて寛人に見せた。
「私のナイフじゃアーマーワイバーンの固いうろこは突き通せない。無理やりってことはできるし、最悪スキルを使うって手もあるけど私のスキルはなるべく森では――というより、なるべく使うのを避けたいスキルなの。だからスキルは危ない時しか使わないと思っておいて。よってアーマーワイバーンに直接のダメージを与えるのは、ヒロト、あなたよ」
寛人は口に含んだ芋をごくりと飲み込む。
「ヒロトのナイトソードなら十分うろこを貫通して攻撃できるし、一撃も有効になる。だから私が先にアーマーワイバーンの前に出て気を引き付けるからヒロトは機を見て攻撃して。その一撃を加えられればこっちに有利な状況を確実に作れる。あとは二人がかりでかかれば弱ったアーマーワイバーンには勝てるはず」
《スキルは使ってもいいの?》
「スキル? あぁ、ヒロトは使ってもかまわないわよ。ただ魔法、特に炎系は木に燃え移ったら大変だから使わないこと。剣技は存分に振るって大丈夫よ」
ヒロトは左手に置いたナイトソードを見つめる。つまり自分が作戦のカギというわけだ。自分が失敗したら作戦は水の泡と言っていいだろう。
「もしヒロトが失敗しても大丈夫。私がスキル使うから」
寛人の心を読んだかのような回答がルナから返ってくる。ルナの一言に寛人は小さくうなずく。ルナのサポートがあるとはいえ、彼女はスキルを使うのに抵抗があるようだ。彼女に余計な負担をかけさせないためにも自分が頑張るしかないと寛人は気合を入れる。
「それにしても」
ルナがふと思ったような声をあげる。
「ここはいいところね」
羨望を含んだ笑みを浮かべる。ルナは続ける。
「みんなが楽しそうで、生き生きしてる。なにより、とっても自由に生きている。なんだかうらやましいな」
その言葉に寛人は首をかしげる。ルナは冒険者というこの上なく自由な職で生きている。それなのに自由がうらやましいとはどういったことだろうか。そんな考えが顔に出ていたのか、ルナは寛人の顔を見ると慌てて取り繕った。
「あっ……! えっとね、冒険者みたいな危険なことをして生きなくても、ちゃんと自由をつかんでいる人もいるんだなって思っただけ。冒険者なのに自由がうらやましいなんて、私なに言ってるんだろ……」
慌てて答える姿に寛人は影を見た気がした。ルナはうそをついている、寛人に。そして、ルナ自身にも。心を押し殺している何かが今出そうになったのだ。それを見せまいとルナは必死に取り繕ったのだろう。それを知りたいと思った寛人だったが、ホワイトボードを構えたところで思いとどまる。今日会ったばかりの、言わば赤の他人のルナに何を聞こうとしているのか。それはルナ自身のプライベートなことのはずだ。こんな自分にしゃべって、どうとなる話ではないだろう。ルナも寛人に突っ込まれることをよしとは思っていないはずだ。そう考えた寛人は構えてしまったホワイトボードに苦し紛れの言葉を浮かべる。
《ルナは子供好きなのか?》
「――え?」
もちろん話が突如切り替わったことにルナは驚く。慌てた寛人はさらに、
《いや、さっきの子供といた時、楽しそうだったから》
それを読んだルナは、寛人が気を利かせたことに気づき、
「……あ、え~と、そうね。私、子供好きよ。じつは四つ下の弟がいるから。今は12歳かな」
ということはルナの年齢は16か。寛人はようやくルナの年齢を知った。
《弟とは会っているの?》
「全然。弟は帝国の南の都市に住んでいるの。ここからはちょっと遠い町よ。馬車でも丸一日はかかるわ」
弟の顔を思い出したのか、ルナは姉の優しい笑顔を浮かべた。そんなルナの姉の一面を見た寛人は
《このクエストから帰ったら弟に会いに行ったらどうだ?》
おせっかいだとはわかっている。だとしても言わずにはいられない。寛人自身、突然死んで家族に別れすら言えなかった。冒険者なんてしていればいつ命を落とすかもわからないだろう。ルナは寛人と違ってちゃんと家族とかかわっているだろう。だとしたらなおさら顔を見せに行くくらいすべきだ。
「――そうね。いずれは帰らなきゃね」
ルナの表情は笑顔、苦笑い。でも、そこに寂しさ、つらさ、悔しさ……様々なものが詰まっていることを、寛人はわずかながらに感じとった。
「さ、お腹もいっぱいになったし、クエストに向けて準備を始めましょ! まずは武器の点検から――」
いつも通りの快活な笑みを浮かべるルナに、もう先ほどの空気は残っていなかった。
◇
冷たい空気が寛人を現実に引き戻させる。寛人は頬をたたいた。まだクエスト中だ。こんなことではできることも満足にできないと、寛人は自分自身に喝を入れる。すると、アーマーワイバーンの低い咆哮が聞こえた。見るとルナがアーマーワイバーンの正面に立っている。ルナはナイフを構え、腰を落とす。寛人は腰に下げたナイトソードを抜く。あとは隙を見せたアーマーワイバーンに切りかかるだけ。それだけ、それしかできないが、やるしかない、全力で。
ルナのナイフが鈍く光ったかと思うと、ルナははじかれたのように飛び出した。
ここに寛人の二回の人生の中で初めての戦闘の火ぶたが切って落とされた。