『快楽探偵日比谷聖ちゃんの事件簿~~VS鋼鉄の騎士団in秋葉原UFX~~』
『快楽探偵日比谷聖ちゃんの事件簿〜〜VS鋼鉄の騎士団in秋葉原UFX〜〜』
第一章「快楽探偵」
暗闇に光る鮮やかな金髪、耳にはキラリと光るハートのピアス。全身をアディ○スのジャージで包み、日比谷聖は街の路地裏を走っていた。
あーあーもーそんなに逃げなくてもいいじゃん。聖ちゃんってばマラソンはそんなに好きではないタイプなのですよ〜?
東京秋葉原、中央通りの裏側にある入り組んだ小さな道。ビルとビルの間のわずかな隙間を聖は全く苦とせずに駆け抜ける。所々に青いポリバケツからゴミが溢れ異臭を放っているが、そんなこと聖は意に介さない。今重要なのは聖の先を走る黒ずくめの男である。黒のジーンズに黒のパーカー、当然フードも被っている。まさに全身真っ黒、黒ずくめというのがふさわしい。
説明しよう! 何故聖ちゃんがこの男を追っているかというと、答えは簡単。この黒ずくめの男が凶悪犯罪者だからである!
先日近所に住む女子大生から依頼を受け、この男を追っていたのだった。凶悪犯罪を企むほどの人間だ。聖は何日も時間をかけ、この男を捕まえるための準備を整えていた訳だ。聖の狙いは見事的中し、依頼人である女子大生の部屋の前で張り付いているとすぐにボロをだした。
狙いが当たるのはいい。でも正直、拍子抜けもいいところでござる。
しかし受けた依頼はしっかりとこなすのが日比谷聖のモットーである。あまりに拍子抜けだったために捕まえる気が失せてしまい、気を抜いたところを逃げられるという失態。それゆえに今こうして追いかけているというわけである。
聖ちゃんてばちゃんと責任を果たすタイプの女の子! とっても可愛い女の子!
男はしきりに後ろを確認しながら走っている。振り向けばその分遅くなるような気がするが、そんなこと冷静さを失った男には考え付かないのだろう。時折振り返ったと同時にそばにあったポリバケツをひっくり返し、進路を妨害しようとしてくるが、聖にしてみれば無駄もいいところであった。そんな少々のことで聖を止められるなど笑止千万もいいところである。
「……飽きたな」
ぽつりと、聖は呟いた。
男を見つけた時点で少しやる気が失せていたのは認めるが、なんだか男があまりにあっけなさ過ぎて、ただでさえ失せていたやる気が底を尽きそうな気配である。日比谷聖という人間は熱しやすく冷めやすい。興味があることには俄然食いつくが、すぐに飽きてしまう。ましてやそれが自分の期待していたものでなかったならなおさらだ。
「もう、終わりにしーよぉっと!」
飽きた。とはいっても一度受けた依頼を途中で投げ出す訳にはいかない。
一応『探偵』を名乗っているのだから、そこらへんの責任はしっかりと果たさなくてはいけない。聖は足に力を込めて、スピードを上げる。先ほどまでそれなりの距離にあった聖と黒ずくめの男との距離がみるみるうちに縮まっていく。男は決して遅いわけではない。普通であればむしろ早い方だと言って差し支えないだろう。ただ、聖が早すぎるだけである。聖がスピードを上げて数十秒。瞬く間に聖は男の隣に並んだ。
「やーやー凶悪犯罪者さん。おとなしく捕まってくれたまへ!」
お、ちょと早くなった? やればできるじゃんこのおっさん! まぁ、残念ながら無駄なんだけどね!
男は隣に並ばれたことに驚愕の表情を浮かべたが、何かを口にするでもなく、必死に聖を引き離そうとしている。腕に抱えた鞄を必死に抱きかかえ、懸命に走っている。
「本当に、無駄なのになぁ……聖ちゃんきーっく!」
聖はそう言って、男の後ろに回り込むと勢いをそのままに跳び蹴りを放った。完全に男の背中に直撃。角度的にもスピード的にも直撃のコース。男を蹴り倒すと同時にそのまま男の背中に馬乗りに。素早く腕と足を縛り、拘束する。これ以上逃げられたら、聖のただでさえないやる気がさらに無くなってしまう。それは勘弁願いたかった。
ふぅ、と聖は小さく息を吐くと懐から携帯電話を取り出して、依頼主に事件解決のメールを送る。
《toご依頼主様へ》
《快楽探偵日比谷聖ちゃん、下着泥棒げっちゅー》
† †
耳元で騒がしい音が聞こえる。ピリピリと甲高い音が鳴り響いている。先ほど一度目を覚ましてから、この騒々しい音を聞くのは何度目か。
ヤダ、この人しつこい。しつこい男は嫌われるんだ。だからあたしはそんな男の言う通りにはならない!
なんて適当なことを自分に言い聞かせ納得しようとする聖であるが、なんてことはない相手はただの目覚まし時計である。ただ一度だけ、時計の裏側にあるボタンを押せばこの音とはおさらば出来る訳だがそうもいかない。この音、いわゆる目覚ましというやつが鳴るのは、目覚めなくてはいけないからなのである。
アラーム音が響く回数が二桁に達しようかというところで、聖は目を覚ました。
「朝か……さっき寝たばっかりなのに……時間があたしをいじめているとしか思えないほどの体験時間の速さだよまったく」
寝るのが遅かった自分の責任をすべて他に押し付けてしぶしぶベッドから体を起こす聖。昨晩の下着泥棒事件が解決したのが深夜三時半であり、そこから警察への犯人の引き渡し等々。すべてを終えて自宅に帰ってきたのが朝の五時前。乙女である聖は当然お風呂に入らずに寝る訳にもいかず、そこからお風呂に入り髪を乾かし就寝したのが六時過ぎ。今が七時半なので実質的な睡眠時間は一時間程度なのであった。
簡単に言うと、ねぶそくっ! である。
「だって、だって聖ちゃんだって乙女だもん…。本当は二時間くらいお風呂入りたいのを一時間で我慢したんだもん…! むしろ褒められてしかるべきだ!」
誰に言うでもなく、聖は高らかに宣言する。だが当然聖以外誰もいないこの部屋で返事をする相手はいない。そもそも聖も返事を期待などしていない。
今聖がいるのは聖の自宅である。聖は一人暮らしをしており、秋葉原駅の中央改札を岩本町方面に歩十分位歩いた場所にあるマンションの二階が聖の根城であった。しかしこの場所はただ聖が住むだけの場所ではない。聖が『快楽探偵』として活動する上での事務所にもなっているのだ。事務所とはいっても事務員がいる訳でも立派なオフィスがあるわけでもなく、聖がそう呼んでいるだけである。
ではここを事務所と呼び聖が活動を行っている『快楽探偵』とは何か。
「説明しよう! ?快楽探偵?とはその名の通り探偵である! 普通の探偵はこの世の困っている人のために凶悪犯を捕まえたり、時には美術館に展示されたダイアモンドを大怪盗から守ったり、さらにはなんだか怪しい最愛の妻を尾行し、知らなければ幸せだった真実を暴いて人間関係を崩壊させたり! もちろんこれだけにとどまらず、世のため人のため、困った人から依頼を受けて、報酬と引き換えにそれを解決する。だがこのあたし、日比谷聖は違う。概ね世の中の探偵と一緒ではある。だが根本が違う。あたしの判断基準は面白いか面白くないか。依頼を受ける時もそう。面白そうであれば受ける。面白そうじゃなければ絶対に受けない。だが仮にあたしが『面白そう』と判断して引き受けたなら絶対に解決して見せる。なんでこんなことをやっているのかって? そりゃあ、『面白いこと』が大好きだからですよ。聖ちゃんってばそもそもが快楽主義者なんです。自分が楽しめること興味のあること、それだけやって生きていきたい。我慢とか自制と大嫌いなんですよ」
ぜぇぜぇ、ちょっくら喋りすぎちまったぜ……へへっ。
自身の興味のある依頼のみに対応する。依頼主のため、というよりも自分自身が楽しむために仕事を行う。それゆえの?快楽探偵?。日比谷聖の人間性をそのまま仕事にしたかのような職業なのであった。
聖は部屋の中で独り言を言い終え、ちらりと時計を見た。残念なことにかなり時間がたっており、今から急いだところで一時間目の授業に間に合うかどうか怪しいところである。この場合、急いで支度をして走って出かける人間と、あきらめてゆっくり準備をするタイプがいるが、聖は間違いなく後者のタイプであった。
「あ〜〜、めんど……。事件解決したし、今日は遅刻でもいいかな……」
聖としては一息つくべく、ただベッドに横たわっただけである。だがしかし、睡眠時間一時間の人間がベッドに横たわれば結果がどうなるかは赤子でもわかるだろう。案の定、数分もせずに聖は眠りに落ちた。誰もいない部屋に聖の寝息が響く。次に聖が目を覚ますのは、お昼もまわろうかという時間であった。
† †
聖はお昼が過ぎてもなお一向に軽くならない瞼を擦りながら学校へと到着した。聖の学校は聖のマンションから徒歩八分程度の場所にある。マンションから大通りに出て、日比谷線の下を通り夕方には部活終わりの学生で賑わう食堂の前を行く、そびえ立つビルに囲まれながら歩くこと少し、そこに聖の学園はあった。夏も終わり、秋に差し掛かろうという時期、熱くも寒くもないが若干肌寒い、秋の訪れを告げているかのような陽気であった。
本来ならばサボってしまうところだが、どうやら登校日数やらが密かに危ないらしく、渋々ではあるもののこうして登校したのであった。もっとも、聖自身高校を卒業することに対して何かしらの思いがあるわけではなく、ただただ今の日常の一部として日々の流れに従っているのであった。
自慢の金髪を両サイドで束ね、赤いリボンを装着。学校指定の制服にピンクのパーカーを羽織り、腕にテ○ファニーの腕時計。黒のニーハイに茶色いショートブーツ。聖の登校時のデフォルト服装である 因みに制服は普通の黒を基調としたチェックのスカートに白のワイシャツ、黒色のネクタイである。普通、女子高生の制服は蝶ネクタイが多いが、なぜか聖の学園は普通のネクタイだった。
このネクタイを学校指定のものから自分で調達したお洒落ネクタイに変更し、それぞれのお洒落度を競い合うのがこの学園の女子生徒の密やかな戦いである。
だがあえ聖ちゃんてば学校指定の黒色のネクタイをするの! なぜならあたし自慢の金髪とピンクのパーカー、そして紺のネクタイが絶妙なメリハリを実現していると思うからです! うんうん、やっぱり聖ちゃんてば今日も超可愛い!
聖が自分自身に対する世間がドン引きするほどの自負を心の中で口にしていると、後ろから声が掛かった。
「おはよう……っと、おそよう? の方がいいかな? お寝坊助聖ちゃん?」
聖が振り向くとそこには予想通りの人物が立っていた。肩まで掛かる程度で、内巻きの黒髪。俗にいう黒髪ボブッ娘である。聖とは違い、学校指定の制服をしっかりかっちり着こなしている。たぶん特に何かせずにこのままの方が似合うことも本人は自覚しているのだろう。しかし服装よりも何よりも特徴的なのがほんわかまったりな空気を醸し出し、首をかしげて話しかけてくるその仕草。
こ、こやつ……狙っているのか…っ?
「んーーおそよう。なんか用? 紗千」
「んーん、別に用はないよ。ただ午前中ずっと聖ちゃんに会えなくて寂しかったからその切ない気持ちを伝えておこうかなって」
「ふーん」
「へへへ、聖ちゃん今日もとってもかわいいね!」
「可愛くねーよッ!」
と思わず言い返してしまう聖であるが、自分自身が可愛いことは世界中で誰よりも聖自身がそのことを知っている。だが逆にそれを誰かに言われてしまうとどうしても恥ずかしくなってしまう。
とっても可愛い日比谷聖ちゃんとはいえ、中身は普通の女の子なのよっ! とっても可愛いってだけで!
目の前の人物、秋坂紗千は聖のそんなところを的確に突いてくる、聖にとっては中々に厄介な相手なのである。聖が紗千の方を見ると、何の嫌味もない笑顔で聖を見ている。本当に楽しそうな笑顔で、何の含みもないところが本当に厄介だ。
「ねぇ、なんで今日遅刻したの? たまに聖ちゃんってばすごく眠そうにして学校来るけど、なにか夜中に危ないことでもしてるんじゃないの?」
「してないよ、してない。してるとすれば……」
しているとすれば、そこまで言いかけて聖は考える。
さ、さすがに紗千相手でも言えないってばよ……。
昨日は下着泥棒を追いかけていた。その前はストーカーのおっさんやおばさんを懲らしめたこともある。依頼を受けてこっそり大富豪の家に忍び込んだこともある。快楽探偵の業務は一言では言い表せないほどに多岐にわたるのである。しいて言うなら「面白いこと」になるだろうか、と思い至る聖だがだが昨日の事件は面白くなかった。下着泥棒という凶悪犯罪ではあったが、途中で飽きてしまうような事件、面白いとは言えない。
「う〜ん……何してるのかって言われたら『面白いこと』になるのかなぁ」
聖はこれ以上考えても的確な答えはでないと感じ、早々に諦めて答える。むしろ考えるのが面倒になったというのが正しいかもしれない。
聖が何の気なしに返答し、そのまま教室への道を歩いていると、普段割と騒がしい紗千が一向に話さない。どうしたのかと思い紗千の方を向くと、顔を真っ赤にして俯いていた。
「……あによ?」
「だ、だめ、だめだよ?」
聖が問うと、紗千は恐る恐るといった調子で聖の方を向きもごもごと口を開いた。
「い、いくら聖ちゃんが可愛くても、夜にそんなのだめだよ? 自分のこともっと大切にしよう。後になって気づいちゃ遅いんだよ? 確かに興味がある年頃かもしれないけど、だからこそそういうのは、ちゃんと好きな人とっていうか……私とっていうか……」
聖は確信する。目の前の人物は明らかに大幅に全く違うベクトルで盛大に勘違いをしていると。本来ならここで訂正をするべきなのだろうが、では夜中に何をしているのかとしつこく聞かれたらそれはそれでめんどくさい。めんどくさいのならどうするべきか。
ん? ていうか紗千ってば今しれっと「私と……」って言わなかった? ま、まぁいいか。
聖がとる選択肢は一つ。
放置。
「うん、紗千。あたし先に行くね?」
歩く速度を上げ、紗千を置き去りにする。後ろで紗千があれこれと言っているが無視。
夜に『面白いこと』ってだけでそういう発想になるか? 相当紗千ちゃんのの頭の中ピンク色だなぁ……ムラムラ戦隊、エロピンク参上ってか。いや、まぁどうでもいいけど.
本当にどうでもいいことを考えながら聖は教室への階段を上る。
† †
午後の授業は日本史だった。聖はあまり勉強が得意ではないが、日本史だけは嫌いではなかった。『事実は小説よりも奇なり』なって言葉があるが、本当に歴史をみているとそんなことがたくさんあった。それだけに教科書をめくるだけでもワクワクしてくるのだった。
今日の授業内容は第一次世界大戦前後のお話だった。1930年のロンドン軍縮会議から五・一五事件までが今日の内容だった。1930年の軍縮会議で起きた軍縮合意、本来軍の統治権は天皇にしかなかったため『統帥権の干犯』と糾弾された政府、そこに湧き上がる軍部の不満、『一人一殺』をモットーに秘密結社としてテロ活動を行った『血盟団』。『血盟団』も関与したとされ、日本の首相が暗殺されるという小さくない衝撃を伴った五・一五事件。首相犬養毅が暗殺されたことにより日本は政党政治から軍部政治に転換、戦争への道をひた走っていく……。というのが今日の授業の主な内容だった。
うんうん、こんな出来事を聞いているだけで小説よりも面白い。今日もまた聖ちゃんてば賢くなっちゃったね!
真面目に授業を受けていると時間が経過するのも早く、本当にあっという間に授業終了のチャイムが聞こえた。本日の授業はこれにて終了。聖は授業を終えると早々に教室を出た。いつものように紗千があれこれと絡んできたが、早々にお引き取り願った。
別に紗千といるのが嫌いなわけではない。普段何もない日であれば付き合ってどこかに行ってもよかったかもしれない。ただいかんせん今日は予定が入ってしまったのだ。もともと今日は早々に自宅に戻り惰眠を貪る予定であったが、それすらもキャンセルになってしまった。
眠い。すっごく眠い。帰りたい! 帰ってベット君とイチャイチャする予定だったのになんてこと! 聖ちゃんはただただ眠たいのですよ……。
予定は急遽決まった。決まったのはつい一時間ほど前。ちょうど五時間目の授業を終えたところで聖の携帯に一通のメールが届いたのだった。差出人は先日の凶悪下着泥棒事件の依頼主である女子大生、伊佐里香奈だ。下着泥棒事件の詳細な内容と、解決に至った経緯を教えてほしいとのことだった。ここまで考えて、聖は確かに香奈に事件の詳細に関して何も伝えていないことを思い出した。聖が飽きたことと眠気が酷かったせいで、《快楽探偵日比谷聖ちゃん、下着泥棒げっちゅー》とメールしただけで詳しい報告を忘れてしまっていた。因みに取り戻した下着はちゃんと香奈が住むマンションの郵便受けに入れておいた。決して聖が下着泥棒になってしまった訳ではない。
メールには今回の事件についてだけでなく、さらに追加の依頼があるとも記されており、一応『探偵』と名乗っている以上依頼人のもとに行かない訳にもいかなかったのだ。常に聖の視界を遮ろうとする重い重い瞼と戦いながら、聖は依頼人のマンションへと向かう。
依頼人のマンションは学校から徒歩で約二十分程度の場所にある。聖の学校を出てそのまままっすぐに北へ。神田川を渡りそこからさらに十五分ほど歩き、315号を超え、右に曲がった場所にある綺麗なビルが目的地だ。最近完成したばかりの高層マンションで、このあたりではセレブが住むと噂のマンションだ。確かにかなり立派な作りであり、この場所に住むにはそれなりの費用が必要になるであろうことは想像に難くない。ただの女子大生がそんな場所に住んでいるということはおそらくは親が相当な金持ちなのだろう、そんな聖には関係のない想像をしながら、道端にあったコンビニに立ち寄った。
目当ては栄養ドリンクだ。花の女子高生を自称する美少女日比谷聖としてはあまり手に取りたくはないアイテムであるが、今日ばかりはどうにもならない。今この場で寝ろと言われれば五秒と持たない自信がある。それ故に致し方のない選択なのである。
女子力が下がっちゃう。でも仕方ないのいまのあたしは女子である前に快楽探偵。仕方がない、仕方がないのよ聖……あ、でもあたし普通に栄養ドリンク好きよ。タウリン二千じゃなくて三千のやつとか特に好き。カロリーオフ、てめぇは許さん。
コンビニに入り栄養ドリンクの棚に向かう途中。雑誌の棚で少しだけ目を引くものがあった。それは最近起きた事件を斜め上の方向から検証し、根も葉もない噂を交え、裏には宇宙人がいるだの不思議な力が働いているだのと書き立てる三流雑誌『スクープスコープ』だ。この手の雑誌を決して信じているわけではないが、好奇心旺盛な日比谷聖はどうしても心惹かれてしまうのであった。
今回のメイン記事は最近起こった二つも出来事についてだ。
数か月前に起きた、外務大臣の中西哲英急死について書かれた記事だった。先日、日本の外務大臣がホテルの一室で急死しているのが見つかったのだ。特に外傷もなく、解剖においても毒物などは検出されなかったそうで、公式の発表では心臓麻痺によるショック死とされていた。その原因とされているのがここ数年で日本で見つかった新しい金属「アルテニウム」の輸出問題。周りの人間も特に不審な点はなかったと証言しており、外交関係を巡る莫大なストレスが原因ではないかとの見解で、世間は納得していた。
しかし、この雑誌によればこれは間違いなく「他殺」であるらしい。日本で暗躍する秘密組織があり、そこに敵対したがために命を落としたのだと書かれている。総理大臣さえも圧力で押し切るほどの権力を持ち、今もどこかで暗躍を続けているのだそうだ。
もう一つは数年前に起きた秋葉原連続通り魔事件についてだった。当時テレビのニュースなどでも大きく報道された事件だが、この雑誌によればあの事件においては裏で宇宙人が暗躍しており、その時殺された人物は全員宇宙人の存在を認識しており重大な秘密を握っていた人物だったと書かれている。
ふーん、あほらし。
聖はあまりの内容にばかばかしくなり、雑誌を閉じた。
雑誌を開く前に感じていたワクワクを今すぐ返してほしい気分だ。とはいえ、また来月にこの雑誌を見かけたら手に取ってしまうのだろうが。好奇心は猫をも殺すわけだから仕方ないのだ、そんなよくわからない言い訳を心の中でしながら聖はふと時計を見た。すると先ほどからかなりの時間が経過しており、自分の思いとは裏腹に先ほどの雑誌に思いのほか熱中してしまっていたらしい。早々に栄養ドリンクを購入しコンビニを出た。
あたりはすっかり暗くなっており、コンビニに入る前と後で相当な時間が経っていることを実感させる。幸いなことに依頼人のマンションはすぐそこであり、ここからであれば五分程度で到着できるだろう。聖は早足でマンションへの道を歩き、エントランスへとたどり着いた。昨日の夜も思ったが外見だけでなく、中も相当に凝ったつくりをしており、このマンションが相当高級な物件であることが伺える。エントランスの中央にあるディスプレイに番号を打ち込むと、依頼人が応答した。
「……どちら様?」
「快楽探偵日比谷聖ちゃんでっす!」
聖は元気よく答える。すると相手から返事はなかったが、代わりにエントランスの自動ドアが開いた。一応は入っていいということらしい。エントランスを抜けて、エレベーターへと向かう。
なんだよ、返事くらいしてくれたっていいじゃないか! せっかくはるばるここまで足を運んだっていうのに! 挨拶は人付き合いの基本なんだからねっ! ぷんすか!
「っていうか何だこのマンション……しかも最上階かよ。金持ちボンボン女子大生……」
マンションの内装を改めて見渡し、聖はつい呟いてしまった。おそらくは新築物件なのだろう。床や壁はぴかぴかであり、オートロックやエレベーターも最新式だ。
一番左にあるエレベーターに乗り、聖は依頼人の部屋を目指す。依頼人の部屋は1203号室。つまりは十二階建のこのマンションの最上階の部屋である。聖が先ほどコンビニで購入した栄誉ドリンクを一気に飲み干しているうちに、エレベーターは最上階で停止した。
「ファイトー……いっぱーつっ! ……一人で二役やっても虚しいね。別にいいけどさ。眠気が飛ぶならさ……」
阿保な独り言を言いながら聖はエレベーターから降りた。1203号室はマンションの右端から三番目の部屋だ。前回の依頼時は喫茶店で待ち合わせをしての依頼だったので、ここまで来るのは完全に初めてである。高級感あふれるマンションの中で、そわそわとワクワクが入り混じった妙な感覚で聖は依頼人の部屋の前に立ち、インターフォンを鳴らした。
「……はい」
「快楽探偵日比谷聖ちゃんでっす!」
先ほどと同じようなやり取りを繰り返すと、玄関のドアが開き、依頼人である伊佐里香奈が出てきた。金色に近い位の長い茶髪に濃い目の化粧。遊び人を絵にかいたような風貌である。以前会ったときに比べて少し痩せたように感じるのは聖の勘違いだろうか。以前とはいっても数日前であり、そこまで時間が経過しているわけではない。しかし、目の前の女性はどうも暗い影を落としているように聖には見えた。
依頼人に案内され、聖は部屋の中へと進み促されるがままにリビングの椅子に座った。こんな高級マンションに入る機会がなかった聖は嫌が応にも、部屋を見渡してしまう。広々としたリビングにカウンターキッチン、外側の窓一面に広がる煌びやかな夜景。見るからに高そうな皮で出来たソファ。どれだけ金持ちなんだ、と心の中で叫ぶ聖だがそこで小さなことに気付いた。ソファに掛けられているスーツが明らかな男物だったのだ。一瞬父親かとも考えたが、デザインが明らかに若い。これは男である。
ほほぉ、これはもしやリア充ですかな……? 彼氏と同棲タイプの金持ちボンボン女子大生でござるかな……?
聖がそんなことを考えていると、依頼人がお茶を持って現れた。
「あ、お気遣いなく」
聖は一応の礼儀は守るタイプの人間なのである。
依頼人は聖の向かい側の椅子に座ると昨日の夜の事件について詳しく聞いてきた。なので聖は掻い摘んで説明した。依頼されてから数日間張り込みを行いつつ、状況を見極めていたこと。犯行に及んだ男を捕まえようとして気付かれたので、最終的に追いついて捕まえたこと。正確に言えば、飽きて気を抜いた所を逃げられてしまったわけだが、そこはあえて伏せておくのが大人の対応というやつである。
「そう、一応依頼は片づけてくれたのね……」
一応、という言い方に若干の違和感を覚えてしまう聖であるが、そこは大人な対応を心掛けて笑顔を崩さない。とりあえず今回のつまらなかった依頼のことなんてどうでもいい。今の聖が目を向けているのは、次の依頼、すなわちネクストミッションである。
聖が次の依頼について考えているとその空気を依頼人も察したのか場の空気が変わった。香奈が大きく息を吐くとともに、閉塞的だった場の雰囲気が若干薄れていく。
「今回の依頼のことはもういいわ。今日あなたを呼んだのは新しい依頼をしたいから。前回の続きの依頼よ」
待ってました、とばかりに目を輝かせた聖であるが「前回の続き」という言葉が引っ掛かった。前回の依頼は下着泥棒の捕獲、である。確かに下着泥棒は大犯罪で凶悪犯であるが、言ってしまえば所詮下着泥棒だ。しょーもない。正直な話、楽しくない。
楽しくない。
……帰ろうかな。
だがここで依頼を投げ出してしまうのもなんだか気が引ける。というかそもそも断れるような雰囲気ではない。依頼人の淡々とした様子、必要最低限のことしか話さない口の少なさ。この場がまるでスケートリンクにでもなったかのような、ひんやりとした空気を感じる。
「今回お願いしたいのは、前回の続き……というよりもあなた自身であなた自身のミスを挽回してほしいのよ」
ピクリ、と聖の目じりが引きつった。
ミス、という単語に反応してしまったからだ。聖は確かに適当な人間だ。だが受けた依頼は必ずやり遂げる。たとえ途中で飽きてしまったとしても、最低限の結果は出して見せる。そこに関して聖は自信を持って言える。今回についても下着泥棒の犯人をしっかり捕まえている。そこにミスがあったかと問われれば、ないと断言できる程に自身はあった。
「ミス……何かの間違いじゃ…?」
頭の中で考えているうちに思わず口に出して聞いてしまう聖。すると依頼人はぼそぼそと声を出した。
「………いのよ」
声が小さくて聞こえない。
「……が、ないのよ」
顔を真っ赤にして、なんだか震えているように見える依頼人。風邪だろうか。
「だからッ! お気に入りの黒い下着がないのよッ!」
「……へー」
そうなんだ。下着ないんだ。どんな大事かと思った。なにか自分では気づかない大きなミスを犯して依頼人が大変ご立腹なのかと思った。
「へー、じゃないわよ! あの下着は大切なものなの! 大事なあの人にもらった、宗君にもらった大事なものなの! その下着がないのよッ!」
際程のスケートリンクのような冷たい雰囲気とは打って変わって、恥ずかしさ爆発の南国のような雰囲気である。依頼人はカミングアウトがあまりにも恥ずかしかったのか、真っ赤にした顔を手で隠し、俯いている。別に下着の話くらい、そんな恥ずかしがることもないだろうに、なんて思ってしまう聖は女として終わっているのか否か。
依頼人の口から突然出てきた宗君という人物。依頼人の態度、このタイミングから察するに宗君というのは依頼人の恋人なのだろう。先ほどから家のあちこちで散見される男物の衣類や小物はおそらくその宗君のものなのだろう。
「そうか、要するにその下着がないと愛しの愛しの宗君が興奮してくれないという訳ですか……」
あ、やばい。
思わず、聖が心の声を口に出してしまう。
だがそれに気付いたところで時すでに遅し。目の前には顔を深紅色に染めて鋭い視線でこちらを見る依頼人、伊佐里香奈がいた。その様子を見て沸騰したやかんを思いだす聖。
あ、カップラーメン食べたいな。因みに聖ちゃんは一番シーフード味が好きですよ! あれに黒コショウ追加して食べると美味しいよね!
「で! この依頼、引き受けるの!? 引き受けないの!? どっちなの!?」
えー……、この状況、断れるわけないじゃん……。
小さく、とても小さく、これでもかというくらいに小さく、聖は頷いたのだった。
第二章「失せ物探し」
「はあぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
珍しく遅刻をすることなく、朝からしっかりと授業を受けた日の放課後、日比谷聖は自分の机に座ったまま大きくため息をついた。その理由は言うまでもなく、先日引き受けてしまった依頼の件である。
依頼人から詳しい情報を聞けば聞くほど、探し物は見つかる気がしなかった。依頼人の探している物は「黒い下着」である。聖が取り返したものの中に上下セットの上、すなわち属に言う「ブラジャー」はあったらしい。依頼人が見つけてほしいのは下、すなわち「パンティ」である。依頼人から下着の特徴を聞いたがどれも当てになるようなものではなかった。
因みにガーターベルト付きらしい。
知らねーよ! どうでもいいよっ! 聖ちゃんまだまだお子様だからそういうエロいのよくわかんねーよ!
花の女子高生である聖だが、あくまで若くてぴちぴちな女子高生なだけであって、決してエッチな女子高生ではないのだ。エッチなのはいけないことですって、昔の偉い人も言っていたはずだ。
「はあぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
別に意図しているわけではないが、自然とため息が出てしまう。いくらガーターベルト付きとはいえ、たった一枚のエロい黒い下着をどうやって見つけろというのだ。可能性としては、聖が下着泥棒から取り返した後にどこかに落としてしまったというのが一番高いだろうか。聖はそんな単純なミスを自分がしたとは思いたくはないが、暗い夜道を歩く中で小さな黒い下着を落とさなかったか、と問われると落としていないと言い切る自信は正直ない。
とりあえず、今日もまた地道に依頼人のマンションの周辺を当たってみるしかない。これでここ数日間はずっと同じことをしている。正直気が滅入る。
「ん〜〜? 聖ちゃん何か考え事?」
聖が上面を見ると、そこには秋坂紗千がいた。
「な、なんだよ、いきなり。どこから沸いた!?」
「沸いたって言い方は酷いなぁ。まるで虫みたいじゃない……もう。えっと、さっきから、ず〜っと聖ちゃんのそばにいたよ?」
まじか。
本当にまったくこれっぽっちも気付かなかった。これは紗千が気配を消すのが上手いのか、それとも聖が考え事に没頭していたからなのか。あるいはその両方か。聖としてはガーターベルト付きの黒い下着に頭を支配されていたとは思いたくはないが。
「で? 何? 紗千、何か用?」
「ん〜〜? 特に用って訳じゃにけど………最近聖ちゃんの元気がないから心配になってさ」
不覚。まさか紗千に見破らているとは。
「だから、聖ちゃんさえよかったら、一緒にどこかお出かけでもしないかなって。一緒に映画見たり〜、クレープ食べたり〜、それからそれから〜……」
相変わらずのほんわかした雰囲気で、この後の予定について語る紗千。そもそも遊びに行くことを了承したわけではないのだが。とはいえ、こんな様子であれこれと話しかけれてはまるで先ほどまで黒い下着のことで真剣に悩んでいた自分がバカらしくなってしまう。
「……いいよ、いこっか。クレープ食べに」
「……え? いいの?」
目を大きく見開き問いかけてくる紗千。そんなに驚かれても困る。
「あたしだってクレープ食べたい時だってあるよ」
紗千がまるで大輪の花のように満開の笑顔を浮かべて、笑う。なんでこの子はこんなに嬉しそうなんだ。たかだか一緒にクレープを食べに行くだけだってのに。
「本当はクレープ食べたいじゃなくて、『紗千と一緒にクレープが食べたい』って言ってほしかったんだけどなぁ……。まぁ、聖ちゃんにしては頑張った方だよね」
「いや、なんだよ、それ。そんなこと言うわけないでしょうが」
けらけらと笑いながら教室を出る。そういえば紗千と二人でこうして出かけるのはかなり久しぶりかもしれない。最近は依頼が忙しくてどうにも周りが見えていなかった。もしかすると紗千には寂しい思いをさせたのかもしれない。
今日は少し遅くまで紗千と二人で遊んで帰ろう。たまにはこういう普通の女子高生も悪くない。
でも一つ、聞いておきたいことがあった。
「ねぇ、紗千。聞いてもいい?」
「なぁに? 聖ちゃん」
「紗千、ガーターベルトってつけたことある?」
その後、悲鳴とともに紗千のピンク色の妄想が爆発したのだった。
† †
紗千の妄想が一区切りついたところで、聖たちはち小さなカフェに来ていた。学校を出て北にまっすぐ、神田川越えてから左へ。秋葉原の駅方面に向かい徒歩五分程度警察署を越えた先に目当ての場所はあった。
最近学校の女子生徒の間で評判のお店である。時間帯的に学校帰りの学生たちで賑わっており、高校生たちでカフェの前には長蛇の列が出来ていた。
「いやーー………これはちょっと……」
あまりの人の数に聖は思わず唸ってしまう。
隣りにいるいる紗千もここまでの行列は予想していなかったようで、申し訳なさそうな顔で俯いている。いつも気を使ってくれる紗千のことである。聖がクレープの案に乗ったときのために、いろいろと美味しいお店について調べていたのかもしれない。
そう考えると、ここで帰るのは流石に失礼というものだろう。
「……ま、並ぶか」
「……え? いいの?」
少し潤ませた瞳で、意図しているのかしていないのかわからない上目使いで、見つめてくる紗千。
「いいよん。紗千がこっそり一生懸命調べてる姿を浮かべたら並んでもいい気がしてきたからね。へへん。それに美味しそうだし」
「そこは、『紗千と一緒にクレープが食べたいから』って言うところじゃない? 聖ちゃんのいけずぅ!]
先ほどの潤んだ瞳はやはり演技だったようだ。
「……帰る?」
「帰らない!」
紗千は言い切ると、聖の手を握り颯爽と行列に並んだ。
どうやら意外とカフェの中で食べて聞く人は少なく、持ち帰りで注文しているようで意外と人の流れはスムーズだった。これならばお目当てのクレープを手に入れるのに思ったほどに時間はかからないかもしれない。
聖が紗千のあれやこれやという言葉に相槌を打ちながら、どうでもいいことを考えていると聖と紗千の順番がやってきた。
「聖ちゃん、どれにする? 私は……」
紗千に促され、メニューを見る。そもそもこれだけ待つ時間があったのでその間に決めておけばよかったのだが、さちとあれこれと話しているうちに、クレープを食べに来ているのだということすら、忘れてしまっていた。別に紗千とのおしゃべりがすごく楽しかったとかそういうことではない。ない。
「私、これ! 抹茶のやつ!」
紗千はすぐに決めたようだ。紗千は抹茶が大好きである。だからいつも何かにつけて抹茶を頼む。どんなにメニューが多くても抹茶を見つければ抹茶に一直線。迷わなくてうらやましい位だ。
とろ〜りホワイトチョコon抹茶ブラウニー&アイスクリーム、ナッティキャラメルバナナ&アイスクリーム、アールグレイクッキーブルーベリー&アイスクリーム、とろ〜りチョコonオレオ、クッキー&アイスクリーム、ストロベリーベイクドチーズケーキ&アイスクリーム。
一つ気付いたことがある。ここのクレープ屋はアイスクリームと切っても切れない縁にあるということだ。
「う、う〜ん……目が回る」
あまりの商品名の長さと、きゃぴきゃぴした女子力の高さに圧倒されてしまう聖。
聖ちゃんだって女子力は高いんだから! 高いんだから………。
するとそんな様子を紗千が察したのか、適当に聖が好きそうな商品を選んで注文してくれた。さすがは気の利く女ランキング世界第三位の秋坂紗千さんである。
注文を終えると、すぐに商品が出てきた。二人はそれぞれお金を払い、近くの席へと腰かけた。多くの人で賑わっていたが、幸いにも丁度二人掛けの席が空いていたのだ。
結局、聖が手に入れたクレープはナッティキャラメルバナナ&アイスクリームだった。説明せずともわかるかもしれないが、ナッツの歯ごたえにキャラメルの香ばしい甘さ、さらにはバナナ独特のフルーティさが合わさり、そこにバニラアイスが追い打ちをかけるようにひんやりとした舌触りを運んでくる。そんな商品だった。
「あ、おいし……」
でもこれ、たぶん半分で飽きるな。
なんてことを心の中で思ったが、隣りで満面の笑みを浮かべてクレープを食べている紗千を見ると、言うのは気が引けてしまった。もし聖が残したとしても紗千がしっかりと残さず食べてくれるはずなので、問題はない。
「ねぇ、紗千………口にクリームついてるってば。美味しいのはわかるけど、焦って食べすぎだよ」
「そりゃあ美味しいに決まっているじゃない。あ、クレープが美味しいんじゃないよ? 聖ちゃんと一緒に食べるクレープが美味しいんだよ?」
「はいはい……わかってますよ」
そう言って紗千の言葉を軽く受け流そうとする聖。しかし紗千が言い終えるや否や、クリームをくっつけた口を聖の方へ向けてきた。そしてそのクリームをふき取る気配は全くない。この状況でここまでされればいったい何をすればいいのかわからない人間もなかなかいないだろう。
だが、あえて抗おう。
「……ん? 口にクリームついてるよ?」
あえて、極めて冷静に。残酷なほどに冷静に、済ました笑顔で返答する聖。どういう意図かは紗千にも当然伝わっているのだろう。紗千は少しだけ顔をしかめて、聖を見るとさらに顔ごと聖へと近づけてきた。
「……ん!」
「……どうしてほしいの? ん? 世の中口で言わなきゃ伝わらないことってあるじゃん?」
そう簡単に紗千の思惑に乗ってやらない聖である。
それから数秒間、お互い何も言わなかった。ここからはどちらが自らの負けを認め、気恥ずかしさを受け入れるかに掛かっている。とはいえ、状況からすれば聖の圧倒的有利。むしろ今この状況だけでも紗千は恥ずかしいはずなのだから。
余裕の表情で聖が待っていると、
「………拭いて」
「んんん?」
ここぞとばかりに聞き返す聖。
「拭いてって言っているの! 聖ちゃんのいじわる! もう!」
顔を真っ赤にして頬を膨らませる紗千。聖はそんな紗千の口から指でクリームを拭いて、ぺろりと舐めた。
うーん、なんだかんだで拭いてあげちゃうあたり、あたしってば紗千に甘いなぁ。
「う〜ん、あたしも抹茶にすればよかった」
ナッティキャラメルバナナ&アイスクリームに比べて、甘さ控えめで食べやすい。これなら残す心配などせずに食べられたかもしれない。
「な、な、なななな…っ!」
抹茶クレープについて思いを巡らせていると、隣では顔を真っ赤にしながらわなわなと震えてこちらを見る紗千がいた。
「どしたの?」
「どどどd、どうしたじゃないよっ! い、い、今、聖ちゃんなにしたのかわかってるっ!?」
「んーー味見? 抹茶も美味しいね」
「ち、違う、そっちじゃなくて! えっと、その……っ!」
ここは攻めて攻めるとき、聖は確かにそう感じた。
「あ、大丈夫。抹茶だけじゃなく、紗千も美味しかったよ?」
「………聖ちゃんがついにデレた! 聖ちゃんがついに!」
あ、やばい。これはやりすぎた。
踏み込むべきタイミングは合っていたはず。だが少し踏み込みすぎたようだ。
「ま、まぁ、軽い冗談だからね? これに懲りたら紗千ももう少し……」
「うん、じゃあ、結婚式はいつにする? あ、まずは食べさせあいっこする? あ、その前に手を繋ぐ? そうだ、今日は聖ちゃんの家に泊まってもいい? 私のこともっと味見してもいいんだよ?」
「いや、あの、ちょっと……」
完全に変なスイッチを押してしまった。悪ふざけとはいえ、ほんの少しばかり度が過ぎたかもしれない。だがそんな反省をしても今更である。
結局、紗千が落ち着くまで小一時間掛かったのだった。
† †
美味しくクレープを頂いた後、聖が紗千と共にカフェを出ようとすると出口付近で見たことのある女性が見たことのない男性と口論をしていた。男の方が女を一方的に怒鳴りつけており、今にも手が出そうな雰囲気だ。周りに人だかりが出来てはいるものの、決して誰も止めに入ったりはしない。
聖は人だかりに少し近づき、改めて女性の顔を見た。それは思った通りの人物だった。金色に近いほどの明るい茶髪、そしてケバい位に濃い化粧。聖が現在調査中の依頼、その依頼主、伊座利香奈がいた。
香奈は泣きながら男に縋っており、男はそれをうっとおしそうにしながら香奈に怒鳴り続けている。
「なんでお前は、言われたことの一つもまともに出来ねぇんだよ! あァ!? お前のせいで俺がどんな目に合うかわかってんのかよ! この屑女! てめぇなんかを見込んだ俺がバカだったよ! クソッ!」
「ごめん、ごめんね、私が悪かったから。がんばるから。次はちゃんとやるから。だからお願い、捨てないで。私は宗君がいないと生きていけないの。だからお願い何でもするから。だから……お願い」
完全な修羅場というやつである。
当人たちにとっては大変な事態なのであろうが、傍から見ている分には面白いことこの上ない。ただ、流石にこのまま続くようだと警察とか呼ばれてしまうんではないかというくらいに男の方がヒートアップしている。
男……今確か宗君って。
宗君、確か以前香奈のマンションにい合ったときに出てきた名だ。記憶の糸を辿るとすぐに思い出すことが出来た。
あーそうそう、あれだあれ。
「黒いガターベルト付きの下着じゃないと興奮できない変態予備軍彼氏の宗君だ!」
「え、ちょと、聖ちゃん?」
あ、まずい。やってしまった。
思い出せたのがうれしくてつい声に出てしまった。聖の悪い癖である。聖が思っていた以上に声が大きかったらしく、その場にいた宗君本人、香奈、そして野次馬までもが一斉に聖の方へと目を向けた。
一瞬の場の硬直の後、野次馬がこそこそと宗君の性癖について話し出した。
「え、なにガーターベルトって……」
「うわっ、きも……」
「彼女に強要してんだろうね、ガーターベルト……」
「ガーターベルトじゃないと興奮できないって……」
周りから聞こえる声に、宗君が震えだす。
あれ、もしかして宗君寒いのかな? ん? 風邪かな? 今日は温かくして寝ようね!
宗君は震え終わると、血走った眼で聖を見た。
あ、寒いわけないよねー。怒ってるんだよねーははー。うわーてか宗君いかついなぁ。身長たけー。こういうの筋骨隆々っていうのかねぇ…。
身長はおそらく百九十センチ近くはあるだろうか。その上、全身には鍛えられた筋肉がついている。誰が見てもビビる相手だろう。そんな奴が目を血走らせ、全身から溢れんばかりの殺気を放って聖へと向かってくる。
「あーめんどくせー」
面倒なことになってしまった、と聖は思った。
確かに宗君は強そうだ。だが、聖にしてみれば相手にならないことは目に見えている。こんな男にやられるようでは快楽探偵なんてやっていられない。なにが面倒なのかというと、この場で宗君をぶっ飛ばすことは簡単だが、それをやってしまうと変に注目されてしまうかもしれないということだ。そういうのは聖はあまり好きではない。そしてそれだけではない。もし今回の件が学校に報告でもされた日には、職員室呼び出しなんかのめんどくさいことが待っているのは目に見えている。
「あーめんどくせーめんどくせー」
「おい女、なにがめんどくせぇんだよ? おい」
と、あれこれ考えているうちに宗君が聖の目の前に到着していたようだ。宗君はしっかりと拳を握りしめており、血走った眼で聖を見ている。殴る気まんまんである。その様子を見て、流石にめんどくさいを連呼している場合ではないと聖も理解する。聖ひとりであればのらりくらり交わして終わらせることも出来るが、今は隣に紗千もいるのだ。
「しゃーない、やりますか……」
聖が渋々ながら決意をし、右手に力を籠め宗君の攻撃を受け止めようとしたその時だった。ずっと隣で黙っていた。紗千が突然聖の前へと出たのだ。
「あの、お兄さん? こういうのは良くないと思うんです。こちらにも非はあるかと思いますが、なんとかお引き取り願えませんか? ねぇ?」
「ちょっと、紗千、危な……」
聖が宗君と紗千の間に入ろうとするがそれはいらぬ心配だった。
いつも通りの澄んだ声。普段通りの口調。聖が聞き慣れた紗千の声、それを聞いた途端、宗君はまるで化け物でも見たかのように顔を真っ青にして拳を解いたのだった。その様子はまるで格好の獲物を前にしていたライオンが、突如としてご主人様を目の前にした子猫に変化したようにも見える。
あたりを静寂が支配する。
ガーターベルトのガの字も辺り周辺からは聞かれず、先程まであった喧騒はまるで遠い過去であるかのようにすら感じられる。
「す、すいません……はは」
宗君は震えながらそう呟いた。先ほどの怒りにより震えとは明らかに百八十度違う。誰がどう見ても怯えているとわかる、ガタガタと肩を揺らし本当に恐怖を感じているのだということを、その様子が如実に物語っていた。
その後も何度か懸命に頭を下げると、男は足早にカフェから去って行った。男の後を追い、香奈が走って行ったが、もう彼女の存在を気にしている人間は皆無であった。何が起きたのかすらわからない、静まり返ったこの状況にその場にいる誰もが置き去りにされてしまっていたのだった。
「……紗千、あんた何したの?」
聖は紗千に問いかける。とはいえ聖も紗千が何かをしたのではないということはわかっていた。いつもの声、いつもの口調、そこにいるのは確かにいつもの紗千で、特に変わった様子は見られなかった。
「え、何が?」
まるで何事もなかったかのようにとぼけた様子の紗千。
「いあや、だから今の。何したらあんなにおとなしくなるんだっての」
「う〜ん、誠意と熱意をもってお話すれば、どんな相手だって理解し合えるんですよ! つまりはそういうことです!」
あーそっか、誠意と熱意か、そうだよね! 大事だよね!
紗千を見ていると思わずそんな風に納得してしまいそうになるが、そんなことですべてが片付くのであれば聖は今すぐにでも誠意と熱意のプロを目指すだろう。
「……ふーん。誠意と熱意ねぇ」
「そうです! 世の中で一番大切なのは誠意と熱意なんです!」
必死に誤魔化そうとしているように見えるが、その様子があまりにあからさまであり、ついついどこに紗千の本心があるのか見失いそうになってしまう。
「はいはい。ま、そーいうことにしておいてあげる」
紗千が何を考えているのかはわからないが本人が言いたくないことまで無理に聞き出す必要はない。聖にしても、紗千に対して黙っていることは少なくないのだ。この状況であれこれ詮索するのはフェアではない。
「ね、聖ちゃん、なんだかお腹減っちゃった。もう一回クレープ食べない?」
「え? もういいよ…甘いの辛いよ」
「ほらほら、せっかくのデートなんだからそんなこと言わないで! 次はもっと食べやすいのにしよ!」
半ば無理やり紗千に腕を引っ張られ、再びカフェの中へと逆戻りする聖。
結局その日は、二人で六つのクレープを平らげたのであった。
† †
宗君の公園ガーターベルト事件(日比谷聖命名)より数日が過ぎたある日、いつも通り適当にやり過ごす学校生活を終えて帰路に就く聖。いつもならここで紗千がいろいろと良くも悪くも生活に彩を加えやがるのだが、今日は幸か不幸か用事があるらしく授業を終えて早々に帰ってしまった。べ、別にさみしくなんてないんだからなっ!
教室から下駄箱へと向かう聖。
今日こそは依頼をこなさなければならない。何を隠そうこの数日、香奈からの依頼について全く調べていなかった。本当に、全く。別にサボっていたわけではない。ここ最近紗千と遊びに行くことが多くてなかなか時間がなかったのである。最近流行りの美少女ラーメン漫画にはまってしまったらしく、ここ数日放課後ラーメン食べ歩きツアーが開催されていたのだった。てか放課後にあんなにラーメン食べてたら太るだろ! てか体臭にも影響してくるだろ!
と、やんごとなき理由により中断せざるを得なかった香奈からの依頼であるが、今日という今日は進展させなくてはならない。
そう、『漆黒の衣』の捜索に本腰を入れなくてはならないのだ。
いや、どんなにかっこつけて言おうが結局は『黒のおパンティー』な訳ですけどね。え、聖さんは何色かって? それは……ひ☆み☆つ?
と、まあそんなどうでもいい話は置いておいて、そろそろ素直に依頼について本気で対処しなくては不味い。聖ちゃんの快楽探偵としての沽券に関わる。正直、香奈と宗君の仲とか、宗君がガターベルトじゃないと興奮できないとかそんなことはどうでもいい。本当にどうでもいい。聖が気にするのは聖のメンツだけである。
さてさて、そろそろ本気だしますかねぇ〜。
なんてちょっとした決意を胸に下駄箱を開くと、
「あれれ、あれれれれ? あれれれれれれ?」
ぽとり、と。
落ちてくるじゃありませんか、聖さんの下駄箱から手紙らしき物体が。しかもそれはしっかりと綺麗に折りたたまれており、いたずららしき雰囲気は感じられない。明らかに開けた瞬間に相手が気付く位置に置いているあたり、これは俗に言うアレなんじゃないでしょうか? ほら、俗にいうアレですよ!
恋 文
こここここ、困ったね。そりゃあ確かに聖ちゃん可愛いけど。でもいきなりそんな恋文とか渡されても困っちゃうっていうか。てて、ていうか今は全然そういうのいらないっていうか、なんていうか、その……。
「ん? おい日比谷こんなところで何しているんだ? たまには部活に顔を出してもいいんだぞ?」
「ひゃい!」
思わず変な声が出てしまった。部活とか今はそんなことどうでもいいんだよ! あたしにとって今大事なのはこの手紙なんじゃ! 急に話しかけてくんじゃないよ!
聖が顔を上げて声の聞こえた方向を向くとそこには体育教師の袴田がいた。割とさわやか系の顔立ちで、筋骨隆々。一言でいえば真面目、もっと言えばクソ真面目。一部の生徒に人気があるとかないとか。
「どうした具合でも悪いんじゃないのか?」
袴田はそう言ってまるで当然のことをするかのように自分の手を聖の額へと当てようとしてきただが、そんな袴田の手を華麗に避ける聖。熱を測るフリをして最強美少女聖ちゃんに触ろうという魂胆だろうが、そうは問屋がおろしませんことよ!
「体調はなにも問題ありませんわ。それでは袴田先生、ごきげんよう」
「お、おう。たまには部活顔出せよ」
部活という単語は笑顔でスルーしながら下駄箱を後にする聖。
ここ数週間まったく部活という存在すら忘れてしまっていたが、実は聖は剣道部員だったりする。それも部員の中でも上から数えた方が早い位に強い。だが、いかんせん探偵業との両立は厳しくついついおざなりになってしまっていた。それとさらに言えば顧問の袴田の、教えるときの手つきがエロくて嫌というのもある。
「って、そんなことはどうでもいいんだよ!」
校門を過ぎたあたりで、大事なことを思い出した聖。
先程鞄に突っ込んだ手紙を取り出し、その封を開ける。正直、どこかで座ってゆっくり読みたいという気持ちもあったが、それ以上に手紙に対するどうしようもない好奇心が勝ってしまった。
この手紙を書いた人物は、どれだけあたしのこと好きなんだろう。確かに仕方ないよね、あたしってば可愛いし運動神経いいし何でもできるし快楽探偵だし処女だし。でもごめんね? 気持ちには答えてあげられないの。真の快楽探偵になるために、必要ないものはすべて切り捨てなくてはいけないの……。
可哀想で可愛い自分に酔いしれながら、聖は手紙を開いた。
『突然のお手紙失礼する。
今回君に手紙を出したのは他でもない、君が今関わっている事件の件だ。
その依頼人、その周辺の人間関係。僕はそれを追っている。
君の立場はわかっているつもりだ。探偵という立場上、依頼人のことを離せないのも承知している。だがそれでも君に力を貸してほしい。
もし力を貸してもらえるならば君がわくわくするような『快楽』を提供するつもりだ。
放課後、体育館裏にて待つ 』
丁寧に手紙を折りたたみ、鞄の中にぶちこむ聖。
「…………は?」
あー恥ずかしい。これ完全に恥ずかしいやつじゃん。うっわー…あたしってばこれ完全に可哀想で痛い人になっちゃってますよねー。可哀想で可愛いあたしじゃなくて、可哀想で痛々しいあたしになっちゃってますよねー。
「てか何だよいきなり力を貸せって……」
聖が今関わっている事件。それはおそらく伊座利香奈の依頼の件だろう。だがそれは到底事件などと呼べるような代物ではない。確かに最初の下着泥棒に関しては事件かもしれない。だがその後の依頼に関しては、ただの失せ物さがしだ。それも黒の下着。それのいったいどこが事件なのか。
そのうえ依頼人のことを教えろって、何を考えているのか。
守秘義務っていう大事なものがあるんです! そういうのよくないと思います!
適当でもちゃんとその辺のことは守るタイプの聖である。
「馬鹿馬鹿しい……。誰が校舎裏なんて――」
「――そういうと思ったよ。これで安心できる、日比谷聖さん。こんな手紙につられてのこのこ校舎裏に来るようじゃ信頼なんてできないからな」
なんだ、今日は突然話しかけられるのが多い日なのか? 朝の占いそんなこと言ってなかった。優しい笑顔で微笑みかけた占いのお姉さん、詐欺だ。あんた詐欺師だよ。
聖が振り向くとそこには一人の男子生徒が立っていた。同じ高校の制服を着ている。背は聖と同じか少し高い程度。肩まで掛かる程長い黒髪だが、顔立ちのせいか不潔な印象はない。どこかの練馬の猛者みたいにござるとかも言わないようだ。
聖は何も言わずに相手をただただ睨みつける。いきなり現れて信用できるだのどうのこうの。さすがに失礼だろう。目には目を、失礼には失礼を。それが日比谷聖の流儀だ。
「いや、悪かった。流石に失礼だな。決して怪しいものじゃない。僕は雨之宮薫。君の隣のクラスだ」
雨之宮薫。どこかで聞いたことがる名前だと、記憶の引き出しを探ってみる聖、すると割とすぐに名前が出てきた。確か有名電気メーカー『雨之宮エレクトロカンパニー』の現社長だったはずだ。安心と安全を売りにした商売作法で、海外でも大きな影響力を持っているらしい。若くして両親を亡くしたために、この歳にして社長に就任し話題を呼んでいた。クラスの女子がなんだかんだとはしゃいでいたので、同じ学園に在学中であることはなんとなく知っていた。
相手が何者なのかを把握できたことはいい。だが何よりもその大企業の社長さんが快楽探偵にいったい何の用があるというのか。はたまた何故、伊座利香奈という女子大生について知りたがるのか。問題はそこである。
「何? もしかして新しい製品のアイデアが欲しくて、あたしのところに来た訳? だったら見当外れだ。他当たってくれ」
「はは、僕のことを知っていてくれたみたいだね。でも残念、アイデアも欲しいところだが、今日の用事はそれじゃない。君が今関わっている事件の件だ」
まただ。
ただの失せ物探しにも関わらず、手紙同様に『事件』と呼称する。
「悪いけど、あたしは何の事件にも関わっていない。あたしが今関わっているのは、ただのつまらない『依頼』であって、世界を股に掛ける大企業の社長さんが興味を示すようなたいそうな『事件』なんかではありませんが?」
聖が少しイラついた態度を見せながらそう答えると、薫は少し笑ってポケットから一枚の写真を取り出した。
「この人物に見覚えはあるかい? 君はこの人物を知っているはずだ」
写真に写る人物が誰なのか、聖はすぐにわかった。何故ならその人物は嫌が応にも聖の印象に残っていた、残りまくっていたからだ。
「黒いガターベルト付きの下着じゃないと興奮できない変態予備軍彼氏の宗君だ……」
† †
「いや、信じろっていうのが無理だろ……」
薫の話が終わった聖は、素直にそう答えた。
聖は自分自身が破天荒な人間であることは理解している。破天荒な自覚なくして快楽探偵などやっていない。だが、目の前の人物が話す内容はあまりに唐突で信じる根拠に欠けていた。
……面白そうだけど。
「確かにいきなりかもしれないが、これは紛れもない事実なんだ。君が信じるか否かに関わらず、犯罪は進行する。世界を蝕んでいく」
聖の目の前で薫が熱弁する。聖はそんな薫の様子を冷やかな視線で見つめながら、思考する。
先ほど、雨之宮薫から伝えられた内容はそう難しい話ではなかった。内容的には極めて端的なものだった。
ガーターベルト大好き星人の宗君こと、坂平宗は暴力団の下っ端らしく麻薬の密売を密かに行っている。そしてそれは恋人である伊座利香奈を利用して行われている。そういう内容だった。
正直突然こんなこと言われても……。
正直聖は考えれば考えるほどに興味もやる気も失せてきた。桃太郎を呼んでいたらいきなり鬼と桃太郎がイチャイチャしだした、そんな気分だ。別に桃太郎が鬼とイチャイチャしてくれても構わない。だが流れとか空気とかTPOとか、そういうのは守ってもらわなくては困る。
聖が明らかに怪訝な顔をしていることに気が付いたのだろう。聖の方を見ていた薫が口を開いた。
「だが話はそれだけじゃないんだ。君の依頼人は、利用されている可能性がある。君も知っているだろうが、あの伊座利香奈という女性、坂平にべた惚れだろう? そこに付け込まれ、犯罪の加害者になっている可能性があるんだ」
確かに香奈は間違いなくどうしようもなく取り返しのつかないほどにべた惚れだ。そうその、坂だ……ガーターベルト大好き星人宗君に。あのカフェでの最近の出来事を思い出す限り、宗君に言われれば犯罪にでも手を染めそうな雰囲気はあるかもしれない。
「伊座利香奈が犯罪に加担しているのかはわからない。だが事実としてあるのは、麻薬の売買が伊座利香奈の下着を通じて行われいるということなんだよ」
え、なにそれエロい。
「君も伊座利香奈本人から相談を受けたはずだ。『下着泥棒にあって困っている』と」
最近香奈と知り合うきっかけになった事件。内容は『最近頻繁に下着泥棒にあって困っている。恥ずかしくて警察には連絡出来ない。だから誰にも知られず、こっそりと解決してほしい』とのことだった。
自分の記憶の引き出しを漁り終えて、聖はピンと来た。
「ほう、下着泥棒にあっていることすら宗君に口止めされていた可能性があるわけか」
「話が早くて助かる、その通りだ。僕らは伊座利香奈は共犯者ではなく、偶然知らないうちに加担しているだけだと考えている」
結論はこうだ。宗君は暴力団の一員で麻薬を売りさばくことを上から命令されていた。だが自分がこっそり売りさばいたのでは足が着くかもしれない。だから隠れ蓑を必要とした。それが伊座利香奈。
宗君の麻薬密売の方法は簡単だ。宗君と香奈は恋人同士。そちゃもういろんなことをするだろう舌と舌を絡め合うエロエロなちゅーや下半身と下半身をまさぐり合うウロボロスな行為、さらには下半身同士でトランスフォーマーばりに合体してみたり。
別にどんな行為をしていようがどうでもいいが、つまりは香奈は宗君に好き放題されて隙だらけだった訳だ。そんな隙だらけな恋人を宗君は利用する。
『麻薬密売』『突然頻発する下着泥棒』。因みに香奈は下着泥棒にあったのは人生でも初めてだと、そう言っていた。
ここまでくれば誰でもわかるだろう。何故突然『下着泥棒』が『頻発』したのか。そもそもそれは本当に香奈の下着目当てに行われた犯行だったのか。下着泥棒に及んだ者たちが本当に欲しかったものは何か。
そう、それは『麻薬』。
宗君は隙だらけな香奈を利用して使用済みの下着に麻薬を括り付け、ベランダに干しておいたのだ。そしてその情報を麻薬を欲する人間に流す。おそらくは香奈がいない時間を狙い、香奈の家の鍵も空けた上で情報を流してたのだろう。でなければ高層ビルの上層階、そう簡単に盗みを行えるはずがない。鍵を開けていたどころか合鍵を渡していた可能性すらあり得るだろう。
「何かあったら責任を香奈に押し付けて言い逃れするつもりだったのか……。ガータベルト大好きの変態なだけではなくて、人間としても底辺だったのか……。宗君ってばどうしようもなく救えないな……」
「そう、まぁその程度のカモフラージュで警察の追及を逃れられるとは思わないが。だがその一方で彼のやり方は僕たちの追及を攪乱することには成功したようだけどね」
と、そこまで薫と科会話を終えて、聖の頭に疑問が浮かぶ。
ん……? あたしが会った下着泥棒そんなにスマートじゃないぞ?
もし仮に下着泥棒が麻薬目当てで、宗君の目論み通り家の鍵を素通りできるような状態であれば、普通に香奈の家を訪問し、下着をくすねるだけでいい。家の中からベランダに出て下着を取るだけ。それは傍から見ても不思議な光景ではない。マンションの住人が洗濯物を干しているだけに見えるかもしれない。つまり不審な行動を一切取らずとも、目当ての物は手に入れられたはずだ。
だが、聖が遭遇した下着泥棒は違う。一目で不審なことをしているとわかるものだった。屋上からワイヤーを使って香奈の部屋のベランダに降り、そこから下着をカバンに詰め、そしてワイヤーを使って地上まで下りる。本当ならベランダから降りてきた時に捕まえれた聖だが、その時は捜査に飽きており面白半分でその手際を見学していたのだった。なかなかの手際の良さに思わず少し感動したのを覚えている。
「違和感に気付いてくれたみたいだね。君が捕まえた下着泥棒について」
そう言って薫は不敵な笑みを浮かべた。全部この男の考える方向に進んでいるような気がして少し癪だが、ここまで来て話を聞かないわけにはいかない。気になって夜眠れなくなってしまう。
「つまり、あのおっさんは単なる下着泥棒じゃないってことでいい?」
薫は深く頷く、そして後ろに止まっている車へと視線を向けた。それが合図だったのだろう。車からスーツ姿の中年男性が降りてきた。
……どこかで見たことのある顔。どこかで、どこかで……――
「――……ん? あ、あんた、もしかして下着泥棒のおっさん?」
目の前には先日聖が捕まえたはずの下着泥棒のおっさんがいた。あの時とは違いパリッとしたスーツを着こなし、いかにも出来る男風を装ってはいるものの、そんなことで誤魔化せるほど快楽探偵の目は甘くない。
「あんた捕まったはずじゃ……、いやそんなことは今はどうでもよくて」
このおっさんは、今現在香奈から受けている依頼の件、「黒い下着(パンティーガーターベルト付き)」について知っている可能性がある。正直辟易していた依頼だ。片付けるに越したことはない。
「ちょっと待ってくれ。俺はこういうものだ。警視庁捜査一課、警部の伊集院正人だ。簡単に言えしまえば警察だ。手帳だってある。……それにあんたが探しているものってこれだろ?」
伊集院正人と名乗る胡散臭い人物が鞄から取り出したのは、ビニールに詰められ証拠品の一つとしてしっかりと保管された「黒い下着(パンティーガーターベルト付き)」だった。そこには巧妙に薬が入った袋が括り付けられており、伊集院はこの証拠を掴むために下着泥棒のふりをして忍び込んだのだろう。
「あーー、そういうこと。要するにあんたは元々警察の人で、下着を通じて薬の売買が行われていることに気付いた。だから、証拠を掴むために下着泥棒のフリまでして踏み込んだ。そういう訳?」
「ああ、その通りだ」
「でも正直エっロい女子大生のエッチな下着を見てムラムラしちゃったり? 確か香奈って人Fカップだよね」
「そ、そんなことは断じてない! 言いがかりはよしてくれ!」
どうだかなぁ。男ってバカな生き物だしなぁ。ガーターベルトでしか興奮できない宗君みたいな人もいる訳で……ってそうか。香奈がこの下着に執着したのは宗君に怒られたからなんだ。宗君は意図していない下着泥棒によって薬を盗まれてしまった。だから公園であんなに香奈に怒り散らしていたのか。なるほどなんだか繋がってしまった。というかそもそもガータベルトじゃないと興奮できないからガーターベルト付き下着に執着していたわけではないのか。ごめんよ宗君。まぁ、薬売りさばいている以上、人間として最低だけどな。
「僕たちの目的は理解してもらえたかな? 僕は彼に協力しているんだ。昔からね。よくある民間の協力者ってやつだ」
理解はした。なんだかんだと事情があるのはわかった。
だがいきなりこんなことを言われて信じられるだろうか。少なくとも聖は理解はしたものの、喉に何かが突っかかっている気分だった。
「僕たちは坂平に薬をばら撒くように指示した大元を追っているんだ。そのためにはどんな些細な情報でも見逃せない。だから伊座利香奈や坂平宗と少しでも接触のある君の情報を教えてほしいんだ」
「うーん……やだ」
自分自身の思うままに聖は答えた。
何故嫌か。それは先ほども言ったが、どうにもこうにも拭えない。不信感。喉の奥にずっと魚の小骨が挟まっているかのような違和感。本当に本当に小さな違和感。あともうひと押しあれば全面的に信頼できそうなのだが。
と、ここで一つ。聖は思い出した。
「そういえばさ、あたしそこの下着泥棒のおっさん捕まえたときに一応盗まれた下着全部回収したはずなんだよね。だけどなんでかその黒い下着だけがおっさんの手元にあるの? どうやって隠したの?」
聖は依頼は真面目に解決するタイプだ。それ故に、完璧に依頼をこなせなかった理由を知りたかった。香奈にミスとまで言われてしまったのだ。実は少し気にしていたりする聖である。
「そ、それは……」
伊集院の口調が曇る。
聖が薫の方に視線を向けても視線を反らして決して合わせようとしない。
「……なになに? なんかすっごい裏技でもあんの? ねぇねぇ」
とりあえず、こんな反応されたら聞きたくなってしまうのが人間の性というものだろう。ましてや日比谷聖は快楽探偵。好奇心は人一倍である。
聖が何度もしつこく二人に問いかけていると、意を決したかのように伊集院が声を上げた。その表情は何か大切なものを失うことを覚悟したかのようにも見えた。
「この任務は失敗するわけにいかなかった。これを成功させることが今回の捜査に大きな進展をもたらす。だから念には念を押す必要があった。全ては捜査のため。犯人を捕まえるために全力を尽くす。それが僕の使命だ。だから捜査のために念には念を押す必要があったんだ。どんなことがあっても一つは確保しなきゃいけなかった…だから、その、下着を手に入れた直後に、……なんだ、ええと、その……――」
「――パンティを履いておきました!」
捜査のためにどんなことでもする。事件解決のために全てを掛けるその姿勢は本当に素晴らしい。素直に尊敬する。快楽探偵なんてやっている聖とは大違いだ。だが、聖は目の前で声高に叫ぶおっさんに一言だけ言いたかった。
「おっさん、バカじゃねぇの」
第三章「這いよる、鋼鉄の陰」
時刻は深夜二時を回ろうかという頃。世界は闇に包まれ、静寂が町を支配していた。しかし、その静寂を一発の銃弾が引き裂いた。東京品川区の警視庁第二本部があるすぐそばだ。
その場に居合わせた伊集院正人は、その銃撃の中、一人倉庫の中へと突き進んでいた。今自分が追っている事件、その重要な手掛かりがこの先にある。そう確信していたのだ。
「待ってろよ……必ず尻尾を掴んでやる」
大量の薬を下っ端を使って流す、それだけでも大犯罪だが、問題は薬の売買で得た大金の方だ。ここ最近あまりに急に薬の流通が加速している。特にこの品川を中心とした一部の地域で。それはこのあたりを根城とする組織が、大金を欲しいているということに他ならない。
「なんだろうな、嫌な予感がする……」
幸いなことに正面を固めた警察の部隊に気を取られているようで、倉庫の中にはあまり人はいなかった。
倉庫内は薄暗く、足元に幾つかおかれたランプを頼りに進むしかなかった。懐中電灯の一つでも持ってくればよかったと後悔する伊集院であるが、ここで後悔していても何も始まらない。薄暗い中で必死に目を凝らして倉庫の奥へと進む。
恐る恐る歩いていると、倉庫の端に何か光るものを見つけた。
パソコンだ。
思わず伊集院はガッツポーズをした。ここにある端末なら重要な情報を手に入れられる可能性が高い。正面の部隊に対応しているのか特段見張りなどもいないようだった。
思わず早足になる伊集院。すると、足が何かに引っかかった。
下を向くが、あいにく薄暗くて何があるのか確認できない。自分が猫だったらこんな暗い場所でもしっかり確認することが出来るのだろうか、などと一瞬バカな考えが浮かんだ。バカな自分の考えは捨て置き、何か照らせるものはないかとポケットを漁ると、タバコ用のライターを持っていることに気付いた。
これ幸いとばかりに足元にある何かにライターの火を向ける。
手で触れるとそれはひんやりと冷たい、そして触れた指からは鉄のにおいがした。じっくりとその物体を確認する伊集院。
「なんだこれは……金属の腕……?」
まるでそれは人間の腕にそっくりの物体だった。金属で出来た人間の腕。目を凝らして辺りを見渡すと、同じような物体が倉庫の棚に何十、何百という数が収納されていた。
「おいおい、なんだこれは……冗談じゃねぇぞ…」
何かただならぬものを感じ、伊集院は光を放つ端末へと急いだ。少しでも多くの情報を入手しなくてはいけない。そうしなければ不味いことになる、そう感じると体が勝手に動いていた。
「……パスワードだぁ、めんどくせぇな。だが、俺を甘く見てもらっちゃ困るんだよ。こう見えてそこそこ優秀なんだぜっと!」
パソコンをハッキングし、パスワードを解除する。そもそもここがばれると思っていなかったのか、それともここが重要な場所ではないのか、どちらかはわからないが幸いにも比較的楽にパスワードは解除できた。
端末を弄り、何か情報はないか探っていくと、一つの文書を見つけた。その文書のタイトルにはこうあった。
『strategy of steel knight』
「鋼鉄の騎士計画……?」
タイトルに疑念を抱きつつも、伊集院は資料を先へと進めていく。するとそこにはとても現実とは思えないようなものが載っていた。
「おいおい、こんなもの本気でやってやがるのか? 事実は小説より奇なりってやつか……人生ってやつは楽しいねぇ」
伊集院はポケットからUSBを取り出し、端末へと差し込んだ。これはかなり有益な情報だ。戻って皆に知らせなければいけない。ダウンロード開始のクリックをすると、宛てにならない残り時間が表示される。
残り時間五分なのか、三時間なのか、端末に表示される数字に惑わされながらじっと端末を見つめる。
「よし、OK」
ダウンロードを終え、USBを端末から引き抜く。
しかしその瞬間だった。
あまりに端末に集中してしまっていたのだろう。周りに全く目がいっていなかった。USBを引き抜いた瞬間、左下腹部に熱い痛みが走った。視線を向ければそこからまるでトマトジュースをこぼしたかのように紅い液体が滴っている。
「くそッ、冗談じゃない……」
振り向いた先から仲間の警官たちがこちらに向かうが見えたが、それ以上伊集院は意識を繋ぐことが出来なかった。
† †
「ふぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
聖は大きくあくびをした。先日の雨之宮薫からの聞いた突然話に、いろいろと考えてしまい実は少しだけ寝不足な聖だった。
あの後、結局聖は薫と伊集院に協力することにしたのだった。香奈からの依頼の内容、さらには宗君の特徴体格、それから聖自身の考察など。あまり大した情報ではないような気がしたが、薫と伊集院にはそれなりの収穫だったようだ。
今回の件を受けて、香奈からの依頼はとりあえず継続中のふりをして引き延ばすこととなった。犯罪の証拠として黒のパンティーは返すわけにいかないが、いきなりの依頼破棄は不審に思われるかもしれないというのが理由だった。捜査に進展があった場合聖にも連絡が来る予定になっている。
因みに今回、何故協力することにしたのかは言うまでもない。面白かったからだ。何が面白かったかと言えばそれはもちろん、いくら捜査のためとはいえ「黒のパンティーを履くおっさん」という絵面が最高だった。実際に見たわけではないが想像しただけで、今でも笑いがこみ上げてくる。問題はあのおっさんがそもそもどんな種類のパンツを履いていたかも問題である。トランクスの上から黒のパンティーを履いていたのだとしたらそれほど滑稽で変態的な絵面もないだろう。いや仮にトランクスじゃなく、ブリーフでもボクサーでも変態的であることに変わりはないのだが。
……履いてるとき、絶対あのおっさん勃ってたんだろうなぁ。あ、ダメダメ。聖ちゃんは可憐で儚く、そしておしとやかな女の子。下品なことは言っちゃいけないって教わったのだわ。
自分の本来の姿を思い出した聖は、放課後を迎え人がまばらになった教室を見渡した。お目当ての人物はすぐに見つかった。紗千だ。面倒な依頼も一応の決着を見たので紗千でも誘ってどこかに遊びに行こうかと考えたのだ。聖もたまには年頃の女の子らしく、遊びたいことだってあるのだ。
こっそりと後ろから近づき、驚かせるように声を掛ける。
「さーーーちっ! あーそーぼっ!」
「え、ああ、うん。ごめんね。ちょっと忙しくて。それじゃ」
聖の期待とは全く正反対の答えが返ってくると同時に、紗千はまるで逃げるかのように教室から出て行ってしまった。その様子は、聖が知っているいつもの紗千の雰囲気ではなく、鋭利な刃物を連想させた。
……あたし、なんか気に障るようなことしたかな…?
素直に不安がこみ上げてくる。あまり友達の多いタイプではない聖だが、なんだかんだで紗千とは結構仲が良いつもりでいたのだが、紗千の冷淡な対応が聖の認識を歪め、心を締め付ける。
べ、別にいいもん! 聖ちゃんってば一人大好きだし! ふんだ!
と、聖が心の中で呟いていると、教室に見知った顔の男子生徒が入ってきた。
「や、聖君。彼女に振られて傷心か? 僕でよければいくらでも胸をお貸しするけど?」
「断固として拒否します。本当にすみませんが、どうかお願いです。今すぐ飛び降りてください。すごくウザいです。顔がよくて金持ちだからって調子に乗っているんですか? そうですか。ならなおさらウザいんで、なんかもう爆発してください。お願いします」
聖は、全身全霊を籠めて男子生徒の提案を拒否して見せる。男子生徒は肩をすくめて笑っているが、そんな態度も正直イラッするのは否めない。だがしかし現在一応の協力関係にあるわけで話を聞かないわけにはいかないだろう。
「で、いったい何の用? 雨之宮薫?」
「そんなに嫌そうにしなくたっていいだろ? 聖君。ちょっと僕に付き合ってもらえないかと思ってね?」
「何? デートの誘い? 確かに聖ちゃんってば可愛いし、誘いたくなる気持ちもわかるけどちょっといきなりそういうのってよくないと思うな。流石にもう少し仲良くなってからじゃない? イケメンだからって調子に乗ってんじゃないよバカたれ」
聖の毒舌もどこ吹く風といった様子で、薫は笑っている。へらへらと掴みどころのない笑顔。聖が何を言っても、その言葉はどこかに消えていってしまうかのような感覚。
「はぁ、何? あんたのことだからそんな適当なことじゃないんでしょ?」
聖が薫の態度に観念し、自ら先を促した。すると薫はまるでそれを待っていたかのように、雰囲気を変えた。それは先ほどのへらへら態度とは一転。まるで抜身の刀のような鋭さを醸し出す。
「……ついて来てほしい場所がある。でもついてくるかどうかは君に任せる。もしかすると、本当に後戻り出来なくなるかもしれない」
この物言い、おそらくは相当な出来事があったのだろう。
戻れなくなる、すなわち今回薫たちが動いている大がかりな事件に巻き込まれる可能性が極めて高くなるということだろう。だが、だ。むしろここまで巻き込んでおいて今更こんなこと言われても困る。気になって夜も眠れない。
行くか否か。そんなもの答えるまでもない。聖は快楽探偵だ。
「……行くわ。てかそもそも、ついて来てほしいとか言っておきながら、行くかは選べって変な話じゃない? ついて来てほしいんでしょ?」
「ははっ、ばれていたか。そうだね、僕はこう見えて君のことをとても評価しているんだ。君の探偵業を少し調べさせてもらったけれど、極めて有能、そういって差し支えない。君のその行動力、推移力、勘。どれもが筆頭に値する。少し行動が快楽的すぎるところはあるけれど」
なんだよいきなり、正直照れる。
「うるさいな、快楽探偵なんだから仕方ないのさ。てか、んなことはどうでもよくて一体どこに連れていくわけ? エロいホテルじゃなければついて行ってあげるわ」
「そうだね。そろそろ行こうか。あいにくホテルじゃないんだ。人が泊まる場所ではあるけどね……健康じゃない人間が」
健康ではない人間が泊まる場所ここまで言われて気付かないほど馬鹿じゃない。
「病院? 一体なんで?」
「……ついてくればわかるよ」
† †
聖が薫に連れられて到着した場所は、東京駅八重洲口から出て徒歩十分程度の診療所だった。五階建てのこじんまりとしたビル、外から見れば普通の診療所であったが、一歩中に踏み入れると厳重という言葉が生ぬるく聞こえるほどに警備されていた。
エレベーターに乗り五階へ。連れていかれたのは一番隅の病室だった。真っ白い壁に真っ白なカーテン、整えられた部屋の中央にあるベッド。そこに横たわるのは、幾つもの管を体に通され虚ろな視線で天井を見上げる伊集院正人だった。
薫は伊集院が横たわるベッドのすぐそばにある椅子に腰かけた。そして伊集院の容体など全く気に掛けない様子で声を上げた。
「さて、伊集院さん。あなたのことだからここまで無茶をして何も手掛かりがないなんてことはないんでしょう? ほら、あなたが死ぬ気で手にいれた手掛かりはどこです?」
その言葉には確信が籠められているかのように、強く、そしてまっすぐだった。そもそも伊集院が何も掴んでいない可能性など全く考慮されていないかのように。
「ほら、いいから早く答えて下さい」
薫はひたすらに、伊集院への質問を続ける。だがあいにく伊集院は薫の言葉に反応を示さない。それでも薫は伊集院の体をゆすり、問い続ける。だんだんとその動作が激しくなり、思わず聖は薫の肩を掴んだ。
「やめなよ、そのおっさん意識ないんだから話せるわけないでしょ。それにそれ以上やったら、呼吸器の管、とれちゃうから」
聖が視線を向けた先には、伊集院の口にはめられた呼吸器の管が伸びきって取れ掛かっていた。
「これじゃ、あんたがおっさんのこと殺しちゃうよ」
「……ああ、すまない」
「相棒のおっさんがやられて悔しいのはわかるけど、そもそもこのおっさんが何か手掛かりを掴んでいない可能性だってあるわけでしょ? 他の警察の人にあんたなら話聞けるんじゃないの? 民間の協力者、だっけ? なんかよくわかんないけど、顔が聞きそうな感じだし」
今まで行動を共にしてきた伊集院がこんなことになり、薫は相当な悔しさがあるのだろう。それこそ何の手掛かりも得られずに、重傷を負わされたとなっては悔しいさもひとしおのはず。だが、今は伊集院の情報だけに頼るのは得策ではない。何が起きたのか、何故伊集院はこのようなことになったのか、色々な情報を探るべきだ。
「そうだね、君の言うとおりだよ。聖、ありがとう」
お、おう、呼び捨てかよ。馴れ馴れしいな、おい。まぁ別に薫君ってばイケメンだし、イケメンに名前呼ばれるのは悪い気はしないし? べべべ、別に下の名前で呼ぶのを許してあげないこともなくてよ?
「話を聞かせてくれそうな人が何人かいる。おそらくはこの病院内にいるはずだ。少し探してみよう」
薫が椅子から立ち上がり病室から出ようとしたその時、一人の男性が病室へと入ってきた。
「……薫君か」
体型は大柄で、紺色のストライプが入ったスーツ。腕にはあからさまに高そうな腕時計。靴は磨かれて光っている。誰がみてもそれなりの位にある人間なのであろうことがわかる雰囲気だ。
「上村さん……よかった。いらっしゃっていたんですね」
イケメ……もとい薫はほっと安堵したような表情を浮かべて上村さんと呼ばれた男に視線を向けていた。おそらくはこの男こそがつい先ほど薫の言っていた『話を聞かせてくれる何人か』の内の一人なのだろう。こっちから出向く手間が省けたわけだ。
「上村さん、今回の件は一体――」
薫は、さっそくと言わんばかりに己の疑問を投げかける。しかしその言葉は最後まで紡がれることはなく、上村のわざとらしい咳払いによってかき消されてしまった。
「……いいか、よく聞いてくれ薫君。事件は解決したのだ。伊集院君や多くの捜査員達のおかげでね。事件は解決したんだよ。だからもう、君たちは危険な事件に関わる必要はないんだ」
「解決した…?」
「そうだ、すべては解決した。昨日の夜大がかりな作戦が実行されてね、麻薬密売の大元を捕えることに成功したのだ。これもすべては、君や大けがを負ってまで事件解決に尽力した伊集院君のおかげだ。だからここから先は君の出番ではない。大人たちの、我々の出番なのだ」
今回の香奈が巻き込まれていたという麻薬密売事件。上村の話を聞く限り、密売の大元を叩く上で伊集院はこの大怪我を負ったらしい。解決したというならそれはそれで構わないが。どうにも納得がいかない。何故なら聖のあずかり知らないところで勝手に解決されてしまっては面白くない。面白くない。大事なことなので二回言ってみた。
「いや、しかし……解決したといっても…」
薫はいきなりのことに少し混乱している様子だった。無理もないだろう。自分が必死になって追っていた事件がいつの間にか知らないところで終わってしまっていたのだから。
ただ、まぁ、なんだ、その……このままだと本当に面白くない。ちょっくらかき回してみちゃおうかしら?
「ねぇ、そこの偉そうなおっさん」
あ、ここは上村さん、もしくはブランドスーツを身に纏った偉そうなおじさま、とか呼ぶべきだったかもしれない。でもでも、もう呼んでしまったものはしゃーない。というか少し挑発したくらいの方が面白い。
上村はあからさまにむっとした表情で聖に視線を向けてきた。
「さっきから気になっていたが、君は一体何者だ? なぜここにいる?」
ごもっとも。いくら超絶美少女小とはいえ、こんな小娘が警察の重要情報が飛び交う場所にしれっと居座っていて違和感を抱かない人間はいないだろう。だがしかし、その質問に聖ちゃんは答えてあげない。それよりも聞いておかなくてはいけないことがある。
「……ねぇおじさん。さっきの話本当? 嘘ついてるよね?」
「な、いきなり何を言うかと思えば! 一体先程から君は何なんだ! 失礼にも程がある!」
キレる上村。だってさ、あからさまに怪しいんだよ。突然現れて突然事件は解決したって? そんなのいきなり信じろってのが無理な話。
「いや、キレなくていいから。で、嘘なの? それとも嘘なの? やっぱり嘘なの? 一周回って嘘なの?」
挑発の意味も込めてめちゃくちゃニヤニヤしながら言ってのける聖。すると、
「いいかげんにしたまえ!」
おおう……マジキレだ。おそらくは病室の外にまで響いたであろう大声に思わず聖もちょっとだけビビる。だがしかし、これで聖の中の疑念は膨れ上がる。というかそもそもこの病室には違和感が多すぎる。
上村の大声が響き渡ったせいで廊下からも一切の声はなく、病室ともども静まり返っている。
なにこれ、なんだかあたしのせいみたいじゃん? というか、いろいろ情報は手に入ったわけで、ここにはまた来ることにして今はとりあえず逃げよう! が、しかしこのいけ好かない偉そうなおっさんに何か一言言い返した。なんかこう、心にダメージを与えるような……。
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
唸る聖
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……………っ!」
「や〜い! お前の晩御飯なんて海老の背わた丼になっちゃえーーーっ! 海老の背わたは海老のう○こなんだからな! やーい! やーい!」
聖は捨て台詞を残して病室から逃げ出した。
† †
聖は逃げ出した足で病院のテラスへと向かい、ベンチで考え事をしていた。すると後を追ってきたであろう薫が声を掛けてきた。
「海老の背わた……?」
「え、食べたい訳? そういう不思議な味覚の持ち主? ひくわ。ごめん、二メートル以内に近づかないでもらえる?」
「食べたい訳ないだろ! バカかお前は!」
「バカじゃないないやい! バカって言うやつがバカなんだ、このバカ之宮バ薫!」
薫の言葉に諦めたように肩をすくめる薫。
わかればいいのよ、わかれば。
「で、なんでさっきあんなことを言ったんだい? 確かに俺もあまりに突然のことだとは思ったけれど……」
「え、あんた気付いてないの?」
「気付く? 一体何に……?」
おいおい、それでも警察の協力者かよ。ってかむしろ聖ちゃんが優秀すぎるのがいけないのか。そうかそうか。可愛い上に優秀で本当にごめんね!
「伊集院のおっさんだよ、あの人たぶん傷はそんなに深くないと思う。確かにごちゃごちゃ管通されて、あからさまに重体ですって雰囲気出していたけれど、あれはフェイクだよ」
そう、伊集院は重体ではない。異常なまでに器具を取り付けられてはいたが、そのほとんどが機能していなかった。
「あんたが、おっさんを問い詰めたとき呼吸器外れそうになったでしょ? あの時呼吸器の繋がれてる先とか色々探してみたんだけど、そもそも呼吸器は繋がれているだけだったんだよ。たぶんあの中でまともに作動してたの点滴くらいじゃないかな?」
正直確信があるわけではない。そもそも聖は一介の女子高生であり、医療の専門家などではない。それゆえ確信をもって答えることなどできはしない。ただ、聖の勘と病室の異様な雰囲気、さらには上村の態度、それらが合わさり聖の中に限りなく確信に近い疑念を聖は抱いていた。
「俺たちは謀られているのか?」
「さーね、どうだか。そもそも伊集院のおっさんが重体じゃないっていう確信もない。だけど、もしそうだと仮定するならなぜおっさんは医療器具を偽装装着されたうえで眠っていたのかってことよ」
「伊集院さんは眠らされていたのか? あの点滴は睡眠薬……?」
意味のない医療器具の装着、睡眠による口封じ。そして昨日の夜行われたという大がかりな作戦。それが導き出す答えは一つしかない。
「……確証はない。確証はないけど、伊集院のおっさん絶対何か知ってるよ?」
† †
それから十日程過ぎた深夜、聖と薫の二人は伊集院が入院している病院に来ていた。
なぜこんな時間なのかということは言うまでもない。これから聖と薫の二人は悪いことをするからである。
「いや〜これがあれか。万引きを止められなくなっちゃった主婦とかがよく言う『スリル』ってやつなのかね! 聖ちゃんてば癖になっちゃいそう!」
「馬鹿なこと言ってないで早くしろ!」
薫がこっそり内側から空けた窓から無事に侵入を終える聖。
本日の出で立ちは、自慢の金髪は動きやすいようにおさげ! 黒のショートパンツに紫のニーハイ、足元は黒のスニーカー。白いキャミソールにユニオンジャックパーカー。寒いもんね! 風邪ひいたら大変だもんね? そんなことより実はこのユニオンジャックパーカー……
「……おい、なんだその恰好は」
「可愛いでしょ?」
平然と笑顔で言い返す聖。
「そういう問題じゃない! なんだその耳は!」
えへん、よくぞ聞いてくれました! このユニオンジャックパーカーにはうさ耳が着いているのですよ! うさ耳ユニオンジャックパーカーなのですよ! 可愛い可愛いイギリスうさぎさんなのです! 聖ちゃんの可愛さとうさ耳の可愛さが一つになって完全体究極可愛い聖ちゃんの誕生ですよ! えへへ。
「実はね! このうさ耳ね! 最初は着いてなかったのよ! だから自分で作って着けてみたの! 可愛くない? 超可愛くない!?」
「お前はTPOっていう言葉を知らないのか……。ああ、可愛い。可愛いからはしゃぐな。今俺たちは誰にも見つかるわけにはいかないんだ」
なんやかんやとはしゃぐ聖と薫だが、何を隠そう二人は今まさに病院に忍び込んでいる最中なのであった。
あれから何度か伊集院に面会を試みたもののあまりの厳重な警備に聖はおろか、協力者という立場の薫でさえ全く相手にしてもらえず門前払いをくらってしまっていたのだった。
というわけで残された手段はただ一つ、忍び込みであった。
「ったく、だいたいお前は来るのが遅いんだよ。俺がいったいどんだけ待ったと思っているんだ……時間くらい守れよ」
「またまた、そんな時間が楽しかったくせに。愛しの超絶美少女聖ちゃんが来てくれるのを今か今かと待ちわびていたんでしょ? 会えない時間が気持ちを盛り上げるらしいからね? あ、でも股間は盛り上がらせたら駄目だからね? エッチなのはよくないと思います!」
「おまえ、ちょっと黙れよ」
現状この病院は上村率いる警察の人間の巣窟となっている。しかしこの病院と雨之宮エレクトロカンパニーが提携していることを盾に、顔見知りである医師に薫がこっそりとお願いしたところ、深い理由は聞かずに薫を深夜まで病院内にかくまってくれることになったのだそうだ。流石大手電気メーカーの社長と言ったところだろうか。当然、聖にそんなコネはなく、院内で待機していた薫に内側から窓の鍵を開けてもらう形で無事侵入を果たしたのだった。
と、そんなこんなで病院内に侵入を果たした薫と聖。無事侵入したのは良いものの、ここからが本番である。深夜とはいえ当然院内を警察が巡回しており、それを掻い潜って伊集院の病室まで辿り着かなくてはならない。伊集院の病室は五階の一番端だ。
「さてと、ここからだな……」
薫は呟くと、ポケットからメモ帳を取り出した。聖がそれを覗き込むとそれが何であるかはすぐにわかった。
「へぇ、準備いいじゃん。巡回の人間の数、調べたんだ」
「だいたいだ。絶対って訳じゃない」
薫のメモ帳には色々なことが詳細に記されていた。巡回している刑事の一覧に、それぞれのルート、さらにはそれぞれの巡回の癖など、時間をかけて調べたのであろうことが伺える内容だった。しかし、
「すごいね、相当時間かかったんじゃない? いやーすごいよ、本当にすごいよ。薫君ってば天才かも! ここまで頑張ってしっかり調べあげるなんて普通の人じゃなかなかできないことだよ、うん! 薫君ってばすごい!」
「……やめろ」
院内でぼそりと呟く薫の声は泣いていた。
捜査の極めて重要な手がかりを持つであろう伊集院に会うため巡回の警察の情報を調べ上げ、どうすれば見つからずに効率よく伊集院のいる病室までたどり着くことが出来るのか細かく考えた雨之宮薫特性のメモ帳。
しかしそのお手製のメモ帳は一切合切まるっとまったくもって役に立たなかった。
何故ならば、
「……警察いないじゃん」
「……何も言うな。……頼む、言わないでくれ」
確かに考えてもみれば、伊集院が入院してから十日も経過しているのだ。ある程度警備が緩くなっていたとして決しておかしくはない。もちろんこんなにも警官がいなくなっているとは予想外ではあったが、状況的に願ったり叶ったりというやつである。
と、聖が落ち込む薫の傷口に塩を塗り込み、一応警戒した上で伊集院の病室へと階段を上がる。一階から八階まで徒歩で上るのは中々の重労働であったが、なんとか上り終える聖と薫。
するとちょうど上り終えたところで、聖のスマホに一通のメッセージが着信した。聖はスマホを取り出し、内容を確認する。差出人は秋坂紗千。
お、おっとり黒髪ボブっ娘紗千さんじゃないですか! もう最近冷たいからちょっぴり寂しくなんてなかったぞ! イギリスうさたんに変身した聖ちゃんは寂しいと死んじゃうんだぞっと!
送り主を確認し、メッセージを開く。
『ごめんね、聖ちゃん。大好き。ううん、違う。大好きだったよ』
え……? 紗千? 一体どうしたの……?
全く予想をしなかった、いきなりの内容。
聖を唐突に今まで感じたことのない違和感が襲う。それと同時にどうしようもない程の喪失感。今自分が見ている景色が色を失い、灰色に染まってしまうような感覚。
気付けば聖は今自分がどこにいるかを忘れ、紗千の電話番号を呼び出そうとしていた。しかし、
「……おい、聖。気を付けろ。何かがおかしい」
「え……? あ、うん」
薫の緊迫した声に、現実に引き戻される聖。スマホを閉じ、ポケットへと突っ込む。
そうだ、今は気にしている場合じゃない。今は集中しないといけないんだ。紗千のことは気になるけど今は余計なことは考えるな、日比谷聖!
聖は自分自身に言い聞かせ、薫へと視線を向けた。
「……大丈夫か?」
「うん、大丈夫。何でもない」
「もうすぐ伊集院さんの病室だ。でも人の気配が全くしないんだ。確かに伊集院さんが入院してからかなり時間が経ってはいる。でも流石に、ここまで人がいないのはおかしくないか? 俺が数日前に病院へ来た時にはたくさんの刑事がいたんだ」
確かに言われてみれば、聖が来たのは十日前とはいえその時は普通では位の数の刑事がおり、伊集院の周りを露骨に警護していた。その様子からも伊集院が何か手掛かりを持っていることを窺い知ることが出来たのだ。
だが今はその重要な人物であろう伊集院の病室がある八階まで来ても刑事の姿はない。確かに、小さくない違和感。それはむしろ病院に侵入した直後に感じるべきであった違和感。
聖と薫の二人は重要なことを見逃していた。
「え、嘘だろ……? 上村さん……?」
病室のすぐそばまで着て、二人は目を疑った。先日二人の前で『事件は解決した』とそう断言した上村が扉の前で仰向けに倒れていたのだ。
「……なんで」
消灯された病院の廊下では様子がわからず、薫が上村を抱きかかえた。近づいてみればすぐにわかった。上村は死んでいると。何故ならその左胸にはしっかりと深くナイフが突き刺さっていたからだ。
そこで二人は確信した。この病院で何かが起きている、と。
聖は咄嗟に扉を開け、病室へと飛び込んだ。
「よぉ、来ると思っていたよ、お二人さん。だがちょっとばかり遅かったかもしれねぇなぁ……げほっ」
病院患者が身に纏う純白の病衣、それを真紅に染めながら月明りを浴びる伊集院が、こちらを見つめていた。その両足、腹、両腕にはナイフが突き刺さり、とめどなく血が溢れ出ている。
「伊集院さん! 一体何が!? これは一体どういうことなんですか!」
あまりの出来事に我を失ったように、声を荒げる薫。
「悪い、な……。今回の事、件、警察……は動けない。薫も、知ってる…だろ? 絶対に手を、出せ……ない組織、『悪坂組』。奴ら、は、確実に……国を蝕んでいる」
『悪坂組』その単語を聞いた途端、薫の表情が一瞬にして凍り付くのを聖ははっきりと見た。『悪坂組』、聖はその名を聞いたことはなかったが、伊集院や薫にとって非常に大きな意味を持つ名であるということは雰囲気から察することが出来た。
「そうか……。だから上村さんも動けなかった。この小さな病院に伊集院さんが入院したのも、奴らから隠れるために……っ! 俺たちを遠ざけるためにあんなやり方を……っ!」
普通であれば捜査で追った大きな怪我、然るべき病院で然るべき治療を受けるべきだろう。だが伊集院が入院したのは東京駅から徒歩十分のこじんまりとした診療所。
それは何故か。逃げるため、見つからないため。
「いいか、薫……俺には、もう、時間がない。この病、院、一階の自販機に、手掛、かりを、残して……ある。俺は、オレンジジュースが好き、なんだ……いけ……っ!」
薫もわかっているだろう、今この場を離れればもう二度と伊集院に会えないであろうことを。だがそれでも、薫は伊集院の言葉に深く頷いた。それが薫にとって難しい決断であったことは想像するまでもない。
「安心してくれよ、伊集院さん。あんたの悲願、俺が果たしてみせるよ」
「……悪い、頼むわ」
聖は病室を後にする薫を見送り、予想外の出来事の連続にその場から動けずにいた。快楽探偵などという遊び半分の探偵業をやってはいたものの、それはあくまで自分が楽しむためのもの。楽しいことを自分がやりたいようにやる。今回もそのはずだった。面白そうだから首を突っ込んだ。今までみたいに自分なら簡単に解決できると、何の疑いもなく飛び込んだ。だがまさかこんなことになるなんて。
あ、あたしは快楽探偵。そう、自分の楽しいことを楽しんでしかもしっかり解決する自快楽探偵。で、でも普通の女の子なんだ。こんな誰かが殺される場面なんて、有り得ないよ……訳わかんないよ…。
「……悪いなぁ、お嬢ちゃ、ん。完全に、巻き込ん、じ、まって……。だが俺が、調べてわかったことを、最後に……伝えておかなきゃいけないんだ」
聖が伊集院の声に反応し視線を向ける。伊集院がもう長くないのはすぐにわかった。声は擦れ、幾度となく吐血を繰り返している。だが、懸命に口を動かし聖へと語りかけてくる。
「これ、だけは……お嬢、ちゃん、に、伝えなきゃ……いけなかった。いい、か……? 心して、聞けよ……? さっき、の『悪坂組』幹部、が、堅気に……紛れ、る、ときに……げふっ……使う、苗字が、ある、んだ。いいか、そいつは『秋坂』なんだ……っ」
え……? 何、それ……?
そんなはずはない。有り得ない。絶対に嘘だ。
そんなことは絶対にありえない。
やめてくれ、嘘だと言ってくれ。
聖の中で絶対に嵌ってほしくはないパズルのピースがしっかりと、そして恐ろしいほどに何の違和感もなく嵌ってしまった。
やめてよ、こんなのってないよ……紗千……。
『ごめんね、聖ちゃん。大好き。ううん、違う。大好きだったよ』
翌日から秋坂紗千、いや悪坂紗千は日比谷聖の前から忽然と姿を消した。
第四章「VS鋼鉄騎士団in秋葉原UFX」
紗千が姿を消して一週間が過ぎた。紗千の手掛かりを求めて、聖には珍しく地道な聞き込みなどもしてみたがまるでこの世から姿を消してしまったかのように行方はわからず、途方に暮れていたのだった。
伊集院の死後、全く警察は動かなかった。それどころか病院が襲撃された事も捜査官がなくなったことも、新聞、テレビ、インターネット、どんなメディア媒体を漁っても一つとして見つけることは出来なかった。
伊集院の言った『悪坂組』という組織。それについて薫から詳しく聞いたところによると、日本を陰から操っている最強の暴力団らしい。政治や経済、ありとあらゆる分野であくまで陰から、決して表に出ることはなく日本という国を動かし続ける組織。まるで都市伝説のような話であるが、間違いなく事実として存在するとのことだった。今回警察が動けなかったのはその『悪坂組』が警察本体に圧力をかけたが故の結果だったらしい。一見すると馬鹿馬鹿しいの一言で片づけたくなる聖だったが、事実として警察は全く動いておらずマスコミさえも報道する影もない。信じたくなくても信じざるを得ないというのが本音だった。
いやー参った。本当に参った。ここまで話がでかくなるとは思ってもおらんかったです、はい。もー、紗千も見つからないし……。薫のアホはなんか知らないけど引きこもってるし……。
肝心の薫はあの後、伊集院が言っていた通り病院の自販機から伊集院が残したデータを見つけていた。自販機のオレンジジュースを最後まで買い続けると、出てくるように仕掛けていたらしい。残念なことに聖にとって一番大切な紗千の情報は全くなく、あったのは『悪坂組』が開発していると思しき新兵器の設計図だったらしい。その設計図を見るや否や、薫は学校にも来ずにひたすら屋敷に引きこもっているのであった。時折メールで情報交換をするものの、お互い有益な情報はなくメールの頻度も徐々に減りつつあった。
「はぁ〜〜〜」
あまり八方塞がりな状況に聖は思わず大きく息を吐いた。
薫から『悪坂組』がいかにやばい組織であるかは嫌というほどに聞かされており、その名前を知っているだけで命を狙われてもおかしくないとのことだった。今までに何度も政府要人を暗殺し、自分たちの都合のいいように日本の行く末を変えてきたとか。それゆえ、おおっぴらには絶対に動かないというのが薫との約束だった。あくまで聖は大切な友人を探す健気な女子高生を演じながらの情報収集なのであった。
確かに、大切な友人を探す健気で儚げな金髪美少女っていうのはいい萌えポイントだと思う。金髪をなびかせて友人の行方を必死に追う美少女っていうのはとってもいいと思う! でも、手掛かりがみつかんねーんだよぁ……。
「紗千……早く戻って来てよ……。寂しいじゃん」
って、全然寂しくなんてないけど! 紗千なんていなくたって全然平気なんだからね!
と心の中で強がってみる聖であったが、どうにも調子が出ない。大げさかもしれないが体から背骨を抜かれたかのように全身に力が入らない。身体は思い通りに動くが中身がついて来ていない、何とも言えないけだるさが聖に付きまとっていた。
そもそも、だ。『悪坂組』ってなんだ?
聖は今一度情報を整理すべく、今回の一軒の中心にいると思われる組織について考える。
日本という国を陰から動かし続けている、謎の組織。すっごい権力にすっごい武力もあるらしい。警察すらも黙らせちゃうほどにすごい組織。警察を黙らせちゃうってことは総理大臣なんかもきっと圧力でねじ伏せることが出来るのかもしれない。自分たちの都合のためなら政府の要人をあっさり暗殺しちゃうそんな怖い組織。
でも、そんな簡単に政府の要人を殺せたりするものだろうか? 政府の要人ってことはそれなりに知名度があるわけだし、もし突然いなくなったりしたらそりゃあ大問題なんじゃあなかろうか? いやまぁその辺をうまくやるからこんな恐ろしい組織なんだろうけれど。
「そんな不審であからさまな事件早々あるわけ……っ」
聖の記憶の棚の奥が光った。
「最近どっかで見たぞ……? あからさまに嘘っぽくてバカっぽくて、陰謀論丸出しの内容!」
あの時、聖は馬鹿馬鹿しいとすぐに興味を失った。香奈のマンションに向かうので忙しく、あまり印象には残っていなかった。だが確かに読んだのだ。あからさまな不審な事件を。
数か月前に起き、特に騒がれもしなかった事件。
中西哲英の急死。
聖は『悪坂組』の存在を知った今、確信する。これは『他殺』だ、と。
聖はすぐに走り出した。目指すは雑誌『スクープスコープ』編集社。
† †
聖が『悪坂組』の手掛かりらしきものに気付いたその頃、雨之宮薫は自身の屋敷の地下で、伊集院から受け取ったデータの解析を行っていた。データには簡単に中身を見ることが出来ないように幾重ものプロテクトが掛かっており、いまだ解析に時間がかかってしまっていた。
しかし幸いなことにあとほんの少しのところでデータの解析が終わるところまで来ていた。あまりにデータ解析に没頭するあまり、最近は学園にも通えていないが、薫にとって今一番大切なことはこのデータを解析し、伊集院の意思を受け継ぐことであった。
「伊集院さんの追いかけたものは、俺が必ず受け継いで見せるから」
伊集院はかつて『悪坂組』に最愛の妻と娘を殺されていた。『悪坂組』を嗅ぎまわったが故の見せしめだったらしい。だが逆にそれが彼の闘争心に火をつけた。決して諦めず、どんなに周りが止めようとも追いかけ続けた。その結果があんな死に方であるならば、あまりに悲しすぎる。
だからこそ、薫はこのデータを解析し伊集院の遺志を継ぐと心に決めていた。
聖とも色々と情報交換を行ってはいるものの有益な情報は得られていない。今考えられる唯一の手掛かりがこのデータだ。
「これで上手くいってくれよ……」
薫は願いを込めるように、パソコンのエンターキーを押した。
† †
「あんたたち、『悪坂組』って知ってる!?」
東京都秋葉原、御徒町に極めて近い場所にそのビルはあった。秋葉原の大通りを上野方面にまっすぐ進み、大手とんこつラーメン店(食べ放題のもやしが美味しいです)の手前を右へ。そのまま進み陸橋をくぐり小さな路地へと入ったその先をさらに左に曲がると、色あせた「スクープスコープ」の看板が立てかけられていた。
そしてその事務所に押し入るや否や、聖は先ほどのセリフをぶち込んだ。
薫からは『悪坂組』の情報を探る時は極めて慎重に対応するように言われていたが、正直な話そんなやり方は快楽探偵たる日比谷聖のやり方ではない。
大切な友人を探す健気で儚げな金髪美少女という設定も悪くはないけど、そんなのあたしらしくないわ。ここからは『健気で儚げな金髪美少女』ではなく『快楽探偵日比谷聖ちゃん!』の時間だわ! だわだわ!
聖のいきなりの質問に、室内は静まり返っている。それもそのはずいくら美少女とはいえいきなり見知らぬ人間がドアの向こう側からやってきて、いきなり変な質問をぶつけているのだから。
しかし、そんなことで怯んでしまう快楽探偵ではない。そこは怯まずあえてもう一歩踏み出すのが、面白いことをとことん楽しむ快楽探偵たる所以である。
小さく息を吐き、自慢の金髪ツインテールをはためかせ、お気に入りのピンクのパーカーを整えて、もう一度日比谷聖は言った。
「あんたたち、『悪坂組』って知ってる!?」
再び静まり返る室内。しかし一拍をおいて次の瞬間だった。
「「「「しーーーーーーーーーっ!!」」」」
そこにいた全員が口元に人差し指を立てて、聖の方を見た。聖が突然の反応にあっけにとられていると突如として背後から声が聞こえた。
「……その名前を知っているの? あなた、いったい何者かしら? 悪いけど嘘はつかない方がよくてよ? 場合によってはこのままこいつを突き刺しますわ」
こ、こいつ、いつの間にあたしの後ろに? あたしも正直身体能力にはそこそこ、っていうかかなり自信があるけど、まさかこの天才美少女聖ちゃんが背後を取られるなんて。すんごい物騒な物を持ってるし……。
身体能力には自信のある聖が背後を取られている、それも気配を全く悟らせずに。しかもその手には冷たい輝きを放つナイフが握られており、聖の首筋へとしっかり突きつけられている。明らかに普通の相手ではないことが伺える。
だが今の聖は完全に快楽探偵モードである。つまり最強である。
こんなことで怯むほど、乙女な聖ちゃんじゃないやい! えっへん!
「知ってる。ていうか探っている。情報が欲しい。中西哲英の死亡事件。あれも『悪坂組』の仕業なんでしょ? あたしはね、実はあんたたちの雑誌のファンなのよ。初めは何の気なしにただの都市伝説雑誌だと思っていたけれど、違う。あんたたちは『悪坂組』を密かに追って、都市伝説という形にして世間に伝えようとしている。そうでしょ?」
今まで読んできたスクープスコープの記事、色々と思い返してみるとやんわりと『悪坂組』が関わっていることを伝えているような気がしてならなかった。秋葉原通り魔事件の記事もそうだ。『宇宙人』を『悪坂組』に変えると妙にしっくりくる。もちろん中には全く関係のない記事もあったが、それでも森の中に木が隠れるように確かに『悪坂組』の情報は隠されていた。中でも中西哲英の記事は露骨なまでに表現された記事と言っていい。まるで誰かに気付いてくれと言わんばかりに。
「へぇ、ついに気付いてくれる人が現れたって訳だ」
そのセリフと同時、聖の首元から冷たい感覚が消えた。
「私は、アリス。フルネームはアリス・竹下・ジョセフィーヌ三世。別に覚えなくていいですわ。このスクープスコープの編集長よ」
た、たけした…? じょせふぃーぬ? なんかすごい名前だった気がするけど本人が覚えなくていいと言っているのだからここはお言葉に甘えて放置させて頂くとしよう。触らぬ神に祟りなしよ!
聖の後ろから現れた人物は、とても先ほどまでナイフを突きつけていたとは思えないほど普通の女性だった。長い黒髪に黒ぶちの大きめの眼鏡。黒いジーンズに白のタートルネック。普通というよりもむしろ地味な印象さえ感じさせる。
というか完全な日本人顔じゃないか。ジョセフィーヌって? アリスって? ていうかそもそも竹下ってなんだよ! むしろお前の顔立ちからしたら田中花子の方が断然ぴったしだよ。そのくらい日本人顔だよ!
「一応もう一回言っておくけれど、私の名前はアリス・竹下・ジョセフィーヌ三世よ。田中花子でも山田花子でもないわ? わかりまして? 殺しますわよ?」
あ、この人自分が日本人顔なの理解してるんだ……。なんかごめん。
「それで? 『悪坂組』について知りたいのでしょう? あなたはどこまで知っているのかしら? まずはそこからですわ。あなたが知っている情報を話しても仕方ないわ。まずはそちらから話して頂戴」
そこはかとなくというか全力な上から目線。でもそんなことは気にしている場合ではない。今はとにもかくにも『悪坂組』の、紗千についての情報を手に入れなくてはならない。
聖はアリスに対し、自分が知りえるすべての情報を話した。古くから存在し、陰から日本を操作していた組織だということ。そしてさらには最近起きた出来事。伊集院の死、紗千の失踪。本当に全てのことを包み隠さずに話した。
「……へぇ、最近そんなことになっていたの。私たちの考えは正しかったということですわね」
アリスは聖の話を聞き終えると自問自答するように何度か頷いた。そして手に持っていたナイフを再び握り直し、正面にいる聖の喉元へと突きつけた。刹那の動き、聖もその予期せぬ行動に何の対処も出来ない。
「貴重な情報をありがとう。それじゃ死んでもらえるかしら?」
存在そのものが鋭利なナイフであるかのように、冷たい視線を向けてくるアリス。だが聖とて退きはしない、情報を得るために危険な道を通らねばならないのは百も承知。アリスの鋭い視線を受けても、決して目を反らさない、決して。
それだけの覚悟を聖はもってここにいる。
「はぁ……なんてね。嘘よ。でもあなた流石に無防備すぎるんじゃないかしら? 私たちが全員『悪坂組』の一員である可能性は考えなかった訳? もしそうだったら間違いなくあなた死んでいるわよ?」
半ばあきれたような様子のアリス。
だが聖にしてみればアリスの言うことの方がまったくもっておかしなこと。何故なら、
「死なないよ? 全員返り討ちにするもん」
えっへん! 腰に手を当てて言い切ってやったぜ! だってあたしは快楽探偵! 最強無敵の快楽探偵!
「ふふ……あはははははっ、いいわ! あなた面白いわ! わかったわ、あなたを信頼ましょう。ここまでたどり着いただけでも十分ですもの、信頼しない理由がないものね。私たちが持っている情報しっかりと頭に刻み込んで下さいまし?」
目に涙を浮かべて笑うアリス。聖にしてみればいたって当たり前のことを言っただけなのだが、それで認めてくれるというのであればそれでいい。
「いいですか? たぶんあなたが思っている以上にことは深刻なのですわ『悪坂組』。この組織の狙い、それは――」
「――国家転覆ですわ」
† †
少女はふと鏡を見て思った。ここ最近、一度も笑えていないことに。いつからだろうか。自分自身に問いかけるがそんなの問いかけるまでもなかった。あの日、自分が自分であることを捨て大事な人にさよならを告げたあの瞬間から笑えなくなった。そんなことはわかっている。
自分は普通の人間ではない。古くから伝わる一族の使命を果たすために生まれてきた。使命を果たすためだけに産み落とされた人形、それが少女だった。表の顔は普通の女の子だが、裏では手を汚す汚い仕事も散々行った。言われるがままに。それが悪いことだとは思わなかった。そもそもそれが悪いことであるという価値観が形成されていなかったのだ。それは一種の洗脳に近かったかもしれない。幼いころからそういった罪悪感などを一切排除するように育てられたからだ。
だが、そんな彼女が人としての感情を持つに至ったのはたった一つの出会いだった。無鉄砲で傲岸不遜、自由気ままで破天荒な少女との出会い。出会い触れ合ううちに少女の世界は変わっていった。それは使命を果たすことより、彼女と一緒にいる時間を守りたいと、そう思うようになった。なってしまった、とそう言うべきかもしれない。
だが、それは許されない。自身の生まれ背負った業が決して許してはくれない。
少女が目を開け、前を向くと一人の男が立っていた。一族の中でも誰よりも使命に忠実な男、少女の兄だ。兄は言う。
「時間だ。これでわが一族の悲願は達せられる」
逃げてしまいたい。だがそれと同時にそれが無理であることも痛いほど理解している。
「……ええ、行きましょう」
少女は一歩を踏み出す。大切な人が生きるその世界を壊すための一歩を。
† †
「国家転覆……?」
あまりの言葉に聖はまるで信じることが出来なかった。だが目の前にいる女性はさも当然のことかのように真剣なまなざしで語る。
「確かに信じられないのも無理はないわね。でも事実よ。どうしようもないほどに事実なのよ。あなたにはそのすべてを教えてあげる」
アリスはゆっくと、そして饒舌に語りだした。
『悪坂組』その組織の起源はどこにるのか、そこまでは解明できていないらしい。だが確実にそこに存在しこの日本に多大なる影響を与える組織。それが『悪坂組』。どこをどう探っても起源はわからず、いったい何故ここまで大きな影響力を持つに至ったのかは今も謎のまま。
だがその全貌を現した一つの歴史的事件がある。
「血盟団事件って知っているかしら?」
「血盟団事件? あの物騒な事件だよね? 最近歴史の授業で習った」
「そう、あれこそが最初に『悪坂組』が表に姿を現した事件。誰もがそれが『悪坂組』であるとはわからず、そして歴史の闇に消えた」
血盟団事件とは日本の政党政治の終わりをきっかけづけた事件だ。
血盟団は国家革新主義者である日蓮宗の僧、井上日召を中心に組織された民間右翼グループ。団員一人一人がが要人を一人ずつ暗殺する『一人一殺』、一人を殺し多くの国民の命を救う『一殺多生』。この二つの主義を唱え、日本を変えようとしていた。彼らによって前蔵相井上準之助、三井合名会社理事長・団琢磨が暗殺された。さらには血盟団と連携した海軍青年将校により、1932年5月15日、犬養毅首相を暗殺。かの有名な5・15事件である。その裏には血盟団に扮した『悪坂組』の姿があった。
「この時の『悪坂組』の目的は日本の政党政治を終わらせ、軍部主導の政治にすることだった。とはいってもこの頃の日本は戦争万歳な人も少なくなかったし、5・15事件の衝撃はあったにせよ、この方向転換を喜ぶ人も少なくなかったみたいね」
「目的はわかった。でも一体それに何の意味があるのよ? ただ戦争がしたいって訳じゃあるまいし……」
「それよ、彼らは戦争がしたかった。そして世界を自分たちのものにしたかった。世界を敵に回しても勝てるという確信があった」
軍部主導の政治を行ったうえで戦争を行い、勝つ。そして世界を我が物にする。そんな子供が考えるような夢物語。だが『悪坂組』はそれが出来ると確信していたのだ。
「彼らの確信の理由それが『strategy of steel knight』」
直訳すれば鋼鉄の騎士計画。
人間ではない鋼鉄の騎士。恐怖心もなく怪我もなく、命令を命令のままにただひたすらに忠実に実行する不死の軍団。とても当時の技術では実現不可能とも思えるが、彼らにはそれが可能だった。
「何故可能だったか? それが最近中西哲英が殺された理由。知っていて?」
「確かあんたたちの記事によれば、なんか最近日本で見つかった特殊な金属がどうとかこうとか……」
「そう、『アルテニウム』。彼は日本独自の産物であるそれを世界に輸出しようとしていたの。日本だけが有する財産をね。ここまでくればわかるでしょう? 何故『悪坂組』九十年近くも前にそんな大それた計画を立てることが出来たのか、そして何故中西哲英は殺されたのか」
そう、血盟団事件の裏には『アルテニウム』の発見、独占により革新的な技術を手に入れた『悪坂組』がいたのだ。そして現代において『悪坂組』が秘匿し続けていた『アルテニウム』の存在を公表しさらには輸出しようとする中西哲英を生かしておくわけにいかなかった。
「……確かに筋が通る。でも、じゃあなんでそのプロジェクトなんたらは成功していないの? 今の話を聞く限り、成功してもおかしくない。でもそんな歴史はどこにも載ってない」
「それは簡単に言えば、結局彼らも井の中の蛙だったのよ。『strategy of steel knight』の完成の前に戦争が終わってしまった。彼らはもっと日本は戦えると思っていたのでしょうね。でも現実は違った。日本は世界に立ち向かえるほど強くはなかったし、もし戦い続ければ国がなくなってしまうかもしれなかった。だから彼らも負けを認め、一度は闇に姿を消した」
「ふぅん……一度は、ね」
聖の中でアリスの話と自身の経験、全てが繋がった。そして聖の中に一つの答えが浮かび上がる。それは即ち『まだ、終わっていない』
「もうわかったでしょう。彼らの計画は生きている。麻薬の密売は資金を集めるための手段でしかない。もう一度日本を軍事国家へと転換させ、そして世界へ宣戦布告する。それが彼ら『悪坂組』の真の目的」
世間には知られなかった外相中西哲英の暗殺、それはすなわち現代での五・一五事件の再現だったのだろう。民主主義とグローバル化を推し進める日本の外交における要と言える人物の暗殺。そしてかつての五・一五事件とは違うことは、彼らの手元にはおそらくすでに戦力が整っているということ。鋼鉄の騎士団がその手にはある。
「はやく、なんとかしなきゃ……っ!」
聖は拳を握りしめ、アリスに訴えかけるように言った。しかし、
「……残念ね。もう遅いみたいよ」
アリスは茫然とした表情で先ほどから移っていたテレビの画面を見ている。そこには緊急特番が流れており、画面の向こうからは異様な雰囲気が嫌でも伝わってきた。場所はおそらく秋葉原の駅前だろう。ここからさほど遠くない。逃げ惑う人々、破壊されたビル。そしてそこを我が物顔で闊歩する今まで見たことのない何か。
「……鋼鉄の騎士」
鋼鉄の騎士は秋葉原駅前の巨大ビルUFXから次々と際限なく姿を現している。人間の背丈は人間より少し大きい程度だが、その風貌は完全に兵器であることがわかる。右手には大型の剣を。左手には大型の盾を装備、まるで中世の騎士がこの世に蘇ったかのようだ。
「はは、あんなところに隠していたのね。灯台下暗しとはよく言ったものだわ……。もうこの国も終りね。残念だけど快楽探偵さん。あなたも早く何処かに逃げなさい。ここにいてはすぐに巻き込まれ――」
「――行ってくる」
「は? あんた何言って……」
聖は見た。秋葉原の駅前騎士たちがあふれ出るそのビルの屋上に人が立っているのを。
一人ではなく二人。一人は大柄な男だった。もう一人は女の子だった。小柄で内巻きの黒髪。俗にいう黒髪ボブッ娘だ。聖はその人物を知っている。探していた。ずっと探していた。
「紗千の奴。笑ってない。あんな悲しそうな顔の紗千、見たことないよ」
聖の前でいつも笑顔だった紗千。『秋坂』だろうが『悪坂』だろうが関係ない。いきなりいなくなって戸惑った。どうしていいのかわからなかった。
だが、何もかもが吹き飛んだ。
紗千が笑っていない。
それだけで戦う理由は十分だ。
「……いい顔するじゃない。行くのね?」
横でアリスが笑いながら問いかけてきた。聖は小さく頷く。
聖は自慢のツインテールを解き、後ろで一つに束ね直す。きつくしっかりと結ぶ。服装はいつもと変わらない。赤いリボンを後ろに一つ。学校指定の制服にピンクのパーカー。腕にはアル○ーニの腕時計。黒のニーハイに茶色いショートブーツ。
だがむしろ、これがあたしの戦闘服。
「紗千を助けに行ってくる。あ、あとついでに世界も救ってくるよ」
聖はそう言い残してスクープスコープの事務所を飛び出した。
見せてやる、快楽探偵の本気ってやつを。
† †
聖がスクープスコープの事務所を飛び出したのとほぼ同時刻。雨之宮薫は自身の目的のほとんどを終えていた。伊集院が残したデータをもとに、自身が持ちうるすべての技術を決して作り上げたのだ。
「これで戦える。奴らがこれと同じものを作っているのなら、俺の方が上だ。そう簡単に負けはしない」
これは戦争のための力。悲劇を生む力。だが、それは守るための力にもなる。伊集院が守りたかったもの、それを受け継ぐと決めた。だから薫に迷いはなかった。
どうやら外が騒がしい。恐れていた事態が起きてしまったようだ。間に合ってよかった。今の薫であれば少なからず対抗できる。
雨之宮薫は自身が作り上げた兵器にこう名付けた。
「行くぞ、銀閃」
ヘルメットを被り、薫は屋敷の地下から飛び出した。
† †
逃げ惑う人々の中で我が物顔で秋葉原の街を闊歩する鋼鉄の騎士たち。
女子供にも容赦はなく、見つければ無残に切り捨てる。絶望的な状況。自衛隊の戦車などが応援に駆け付けるものの、機動性で劣る戦車は自慢の大砲を打つ前に破壊されていく。仮に大砲を放てたとしても鋼鉄の騎士たちはやすやすとは倒れず、ただひたすらに破壊を繰り返す。
そんな中で、一つの銀色の影が戦車の前を横切った。
「下がっていてくれ。……目に物を見せてやる、行くぞ銀閃っ!」
腰に取り付けた刀を抜き、鋼鉄の騎士へとまっすぐに向かう。当然騎士も黙ってはいない。手に持った剣を構えこちらへと向かってくる。だが、防御は考えない。防御は考えずに相手を切ることだけを考える。騎士が繰り出した突きを右に避け、そのまま一回転。勢いをそのままに騎士の裏側へ回り込む。騎士が慌てて盾を構えこちらを向こうとするが、俊敏性はこちらが上。もう遅い。
「はぁああああああああああああっ!」
一閃。銀色の残像が瞬くと同時、騎士の腰が真っ二つに裂けた。
「そっちが鋼鉄の騎士なら、こっちは鋼鉄の侍だ。負けねぇぞ!」
騎士が倒れると同時に周りに歓声が沸く。戦車の陰に隠れていた民間人や自衛隊員だろう。
「おい、あんた一体…?」
自衛隊員の一人が声を掛けてきた。
「……僕は、鋼鉄の侍『銀閃』。君たちの味方だ。ここは一歩も通さない。安心してくれ」
この日、雨之宮薫は鋼鉄の侍『銀閃』となった。
† †
聖はスクープスコープの事務所から出ると、まずは秋葉原の大通りへと出た。裏から抜けて駅前まで向かってもよかったのだが、今現状がどうなっているのかを自分の目で見極めるためにも見晴らしのいい大通りを選んだのだ。
大通りから辺りを見渡すと、幸いまだ御徒町の方面までは騎士たちも進行してきておらず、大きな被害は出ていなかった。だがその先、秋葉原の方へ目を向ければそこは酷いものだった。鋼鉄の騎士が闊歩し、辺り構わず破壊の限りを尽くしている。
あーあーまったくもう、好き勝ってやってくれちゃってさ。あたしの住むこの街を一体なんだと思っているのかしら。ちょーっとおしおきしてあげないといけないかなぁ。
最初の標的は十字路付近、にんにく醤油が売りだが実はとんこつラーメンが美味しいラーメン屋の前で今にもそのラーメン屋を破壊しようとしている騎士。まずは行きつけのラーメン屋を救う。
聖は自身の中のアクセルを踏む。体の中にある小さな小さなペダルを踏み込むようなイメージ。すると自然と体が熱くなる。血液の流れが加速し、心拍数が跳ね上がる。それと同時に自身の両手両足に普段では考えられないような力が湧き出てくる。
さて、行くか。
聖は走り出す。全速力で。標的の騎士めがけてまるでロケットのように突進する。普通の人間ではありえない速さ、標的の場所にはすぐに到着した。
「やぁやぁ、鋼鉄の騎士さん。そこはあたしの行きつけのラーメン屋。とんこつラーメンが好きなの。だから壊すのを止めて頂戴な。やめてくれないと、君の晩御飯は海老の尻尾丼にしちゃうぞ?」
なーんてことを言って話が通じるはずがない。こいつらはただの兵器、ただ命令を忠実に実行するだけのおバカさん。かわいそうに。ん、まてよ、海老の尻尾丼って意外と美味しいんじゃないか? だって海老フライの尻尾って美味しくない? だから海老フライの尻尾丼なら意外と……。
聖が海老の尻尾について真剣に考えていると目の前の騎士が唸り声をあげ、手に持った剣を振り上げた。
いやでも、海老のてんぷらの時も尻尾美味しいよね? だったら海老フライ尻尾丼じゃなくて海老のてんぷら尻尾丼も結構いけるんじゃないか? うんうん。生は流石に無理だけど、フライかてんぷらにして卵でとじて、海老の尻尾だけが具の海老の尻尾卵とじ丼。これはもうたぶん普通にうまい奴だよね、うん。晩御飯海老の尻尾丼にしちゃうぞ? は悪口にならないからこれから使うのはやめ――
「――うるさーいっ! 聖ちゃんきーっく!」
聖は騎士の振り上げた件が自身の体を裂く寸前、自らの右足振り上げ思い切り騎士の腰辺りに蹴りを見舞った。本日の履物はいつもの通り、お気に入りの茶色のショートブーツ。別に中に重りが入っているとか、ボタンを押すと筋力が増強するすっごいシューズとかではない。いたって普通の、むしろお洒落で素敵なブーツ。だが、聖が放ったその一撃で騎士は吹き飛んだ。ラーメン屋の向かいにあるビルの壁に激突し、その動きを止めた。
「あいたた、流石に硬いわね。まぁ、別にいいんだけれど」
ふふふ、こんなこともあろうかとスカートの下にショーパンを履いておいて良かったぜ。あたしみたいな美少女にお仕置きされるってだけでもご褒美なのに、挙句国宝物と名高いあたしの下着まで見せてしまうところだった。そんなことになったら流石の聖ちゃんも出血大サービス過ぎて貧血で倒れてしまうわ! えっへん。 あ、因みにショーパンは黒なのだわ!
「ふぅん、思った以上に弱いなぁ。この鋼鉄の騎士さんたち。これならちゃっちゃと済ませられるでしょ。UFXビルは、あっちだね。待ってろよ! 紗千のやつ! 会ったらまずはお仕置きだからね!」
聖はそう呟き歩き出した。すると先ほどの聖の様子を見ていたのだろう。聖と騎士を交互に見ながら、ビルの中から出てきたスーツ姿のおじさんが話しかけてきた。
「す、すごい……。君は一体……?」
君は一体……? そう聞かれたらもう答えは一つ。
「生まれつきちょっぴり身体が強くて、ちょっぴり力持ちなだけの可愛い可愛い快楽探偵日比谷聖ちゃんでっす!☆」
第五章「聖ちゃんてば、最強」
鋼鉄の侍『銀閃』もとい雨之宮薫は、自衛隊の人間と協力し鋼鉄の騎士たちの進行を食い止めていた。場所は秋葉原電気街口付近UFXビル近くの広場である。すぐそばにある寿司屋の看板は剥がれ落ち、隣にあるカフェもいまや見る影もない。
UFXビルからは今も鋼鉄の騎士たちが次々と現れ、進行してくる。ここで食い止めなければ被害はさらに拡大する。ここは現状酷いありさまだが、この近辺のみで対処できれば御徒町、上野、御茶ノ水方面には被害を出さずに済むだろう。
だがしかし、状況は極めて深刻だった。敵の戦力は増えるばかり。一方でこちらの戦力は現状から増えることはほぼ有り得ない。自衛隊の戦車が何台か到着しているもののここに至るまでの道で破壊されるケースが少なくなく、ジリ貧という言葉がぴたりとあてはまる、そんな状況だった。
薫は刀を振り、また一人騎士を破壊する。騎士は無人兵器であり何の意思もなくただ攻撃を仕掛けてくる。ある程度慣れることで戦い易くはなったものの、あまりの数の多さにその慣れすらも何の意味も持たなかった。
「はぁはぁ、大丈夫だ。まだいける。ここで食い止めるんだッ!」
共にこの場を死守するために戦う仲間に声を掛け、士気を高める。とはいっても『銀閃』を使っての初めての戦闘。さらにはこの少しの休息も許されない状況で、薫自身疲労の色が濃くなっていることは否めなかった。
すると突然だった。ビルから進行してくる騎士たちが一斉にその足を止めたのだった。その場にいた全員が突然の出来事に驚き、UFXビルの方を見た。鋼鉄の騎士たちは動かない。だがその合間を縫い、一人の男が歩いてくる。男はその体に薫と同じようなアーマーを身に着けており、顔の部分だけアーマーをつけていない。故人間であると判断できるが仮にそれがなければ、そこいらにいる騎士たちと見分けはつかなかっただろう。
男は駅へと向かう階段の前で立ち止まった。
「へぇ、そのアーマー何? 日鍾さんと同じこと考える人間がいたんだ。さっきから進行速度が遅いから何事かと思って見に来れば、こういうこと。お兄さん何者かは知らないけど死んでくれるかな?」
男はそう言って薫の方を見た。おそらくは薫が来たことで、想定よりも騎士たちの進撃が遅くなっており様子を身に出てきたのだろう。
「おまえは……?」
と、薫はそこで男の顔に見覚えがあることに気付いた。その相手は記憶の引き出しを漁る必要はなく、すぐに思い出すことが出来た。
「おまえは……黒いガターベルト付きの下着じゃないと興奮できない変態予備軍の坂平宗か!?」
思わず以前聖が口に出した言葉をそのままリピートしてしまう薫。良くも悪くも聖に影響されてしまっているのかもしれない。そんなことを思っていると、目の前で宗君がキレた。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!! ふざけんなよ! 前から前からいったい何なんだよ! ガーターベルトって何なんだよ! 確かに! 好きだけど! 大好きだけど! 一体何なんだよ! 殺してやる! 絶対に殺してやる! 日鍾さんにもらったこのアーマーで必ずお前らを皆殺しにしてやる!」
宗が頭部のアーマーをセットし、剣を抜く。そして同時に薫へとまっすぐに突っ込んできた。
先ほどまで戦っていた騎士たちとは明らかに動きが違う。速さも滑らかさも段違いだ。予想していなかった動きに薫は驚き、必然的に受けに回る形になる。宗が放った横なぎを鞘から抜いた刀で受け止めめ、距離を取る。
「へぇ、あんたなかなかやるじゃねぇか。正直今の一撃で終わると思っていたぜ。楽しませてくれそうだなぁ」
宗はいやらしい笑みを口元に浮かべ、その手に持つ剣を両手で握りなおした。そして再び薫のもとへと突っ込んでくる。再び宗の放つ連撃を刀と鞘を駆使して受け止めるものの、一撃一撃が重く、反撃のスキがない。蓄積した疲労もあるのだろう。思うように体が動かず宗の攻撃を捌くことが精一杯だった。
そもそも宗のスーツは騎士として設計されているのだろう。それ故分厚い装甲を誇り、手に持つ大きめの剣を振り回すことを前提に作られているはずだ。だが一方で薫のスーツは騎士でなく侍だ。一撃を受ければ致命傷。その代り一撃を与えられれば必殺となる。つまりそもそもが剣を振り回す打ち合いとなると分が悪いのだ。本来であれば刀や鞘で凌ぐのではなく、避けるのが一番であるがいかんせん蓄積した疲労が薫の足を重くさせていた。
「……くそッ!」
ジリ貧な現状に思わず悪態をつく薫。
打開策を考えれば考えるほどに思考の迷路に迷い込み、焦りが汗となって頬を伝う。避けるだけの体力は残っておらず、このまま刀で受け続けるのも現実的ではない。ならば、
「いつまでもつかな、お兄さん。このアーマー強いでしょ? 日鍾さんがくれたんすよ。やっぱり日鍾さんは最高だわ。薬もくれるし、頼めば女だって手配してくれる。まぁできれば日鍾さんの妹を頂きたいんだけどなぁ」
「ペラペラと聞いてもいないことをよく喋る。舌を噛んで死ぬぞ? 変態ガーターベルト野郎」
「ああん? てめぇいいかげんにしろよ? お前が今どんな立場なのかわかってんのかコラ? 俺は! いつでも! お前を! 殺せるんだよッ! そうかいそうかい、今すぐ死にたいってかじゃあお望み通り殺してやるよッ!」
三度目の突進。先ほどと同じように宗は薫の方へ向かって突っ込んでくる。これを狙っていた。先ほどから数回切り結んでいるが、初激は必ず横なぎから始まるのだ。おそらくこれは奴の癖なのだろう。それも挑発されて頭に血が上っているとなればなおさらだ。
薫は宗の動きを注視し見極める。すると案の定薫の左から来る横薙ぎ。しかし挑発されて怒りが力となって加算されている分、先ほどよりスピードが速い。先ほどと同程度であればなんとかギリギリ避けることも出来たかもしれない。だがこの速さでは躱せず餌食となるのがおちだ。ならば、
「はぁあああああああっ!」
薫は咄嗟に自分の左手を迫りくる剣へと差し出した。
鈍い音と共に宗の放った横薙ぎが薫の左手へとめり込む。装甲は決して厚くはない。だが一度であれば耐えられるはずだ。仮にもし使い物にならなくなったとしてもまだ右手がある。そしてこの一瞬のスキに、一撃を叩きこむことが出来れば薫の勝ちだ。
いける。薫の中で勝算が見えたその時だった。
「へぇ、左手を犠牲にしてでも勝ちを持っていこうってか。かっこいいよ。でもな、世の中そう簡単に出来ちゃいねぇよ!」
その刹那、宗の持つ剣が爆発した。薫の左手を巻き込んだ爆発。薫は吹き飛ばされ、地面を転がった。アーマーのおかげで腕がちぎれることはなかったもののアーマーの機能が停止してしまったのだろう。左手が全く動かなくなってしまった。
「普通の騎士と同じ剣だとでも思った? 俺のは特別製なんだよ。ガンブレードって知ってる? 剣と銃が一つになった特殊な剣。ここの引き金を引けば、剣が大きく振動して小さな爆発を起こす。まだ実用段階には至っていないらしいけど、日鍾さんがプレゼントしてくれたわけよ」
爆発のダメージと疲労が薫の肉体から体力を奪い、足に力が入らない。そんな薫のもとに宗がゆっくりと近づいてくる。
「悪いねぇ、これであんたもおしまいだ。あんたを殺せばご褒美に妹さん、紗千ちゃんと一発出来ちゃうかもしれないからとりあえずお礼を言っておくわ。死んでくれてありがとう。ヒーロー気取りの弱虫さん」
宗が剣を振り上げ、薫も思わず目を閉じた。
この状況を救える人間なんていない。この鋼鉄の騎士たちに対抗できる力は唯一このアーマーだけ。世界が終わる。薫は無念と後悔を抱き、死を覚悟する。
「黙れよ、クソ変態」
聞き覚えのある声がした。
軽快に地面を叩く足音が聞こえる。薫は目を開け音が聞こえた方を見る。そこには鮮やかに輝く金色の髪、学校の制服にピンクのパーカー、クロのニーハイに茶色のショートブーツ。この現状に似つかわしくない破天荒な恰好。そんな格好をする奴を薫は一人だけ知っていた。
薫の目の前で金髪が宙を舞い、叫び声が聞こえた。
「聖ちゃんっ、すーぱーきーーーーーっく!!!」
† †
聖の必殺飛び蹴りが宗君の顔面に命中。着けていた東部のアーマーは粉々に破壊され、その破片は少なからず宗君の顔に突き刺さっているだろう。
もともと不細工な顔がもっと不細工になったね! やったね宗君! ていうかお前みたいなゴミ人間が紗千の名前を口にしてんじゃないよ! まったくもう! ぷんすか! ぷんすか!
「で、あんたその格好何?」
聖は鋼鉄の騎士たちと似たようなアーマーをつけて寝転がる薫を見ながら言った。
「これはい伊集院さんの残してくれたデータから俺が作り上げたアーマー『銀閃』だ。そこそこ戦えたわけだが……お前は一体?」
お前は一体……? この質問さっきもスーツを着たおっさんから受けたわけだけど。またしても同じ答えをしなくてはいけないのかめんどくさい。めんどくさいからやめよう。適当にやろう。
「え、あたし? 美少女だけど」
「いや、そういうことを聞いているんではなく……」
「え、あたし? 美少女だけど」
「だから、お前は――」
「――美少女だけど」
「……わかったもういい」
と、こんなくだらない会話をしている場合ではない。宗君が動きを止めていただろう騎士たちが宗君の敗北と共に再び動き出しているのだ。
「で、あんた状況は?」
「あまり芳しくないな。いや、正直に言えば絶望的だな。俺の『銀閃』ももうぼろぼろだ。自衛隊の人たちだって疲労してる。もってあと三十分が限界だろうな」
「よし、わかった。あと三十分頑張って。その間にあたしがケリをつけてくるから」
目指すはUFXビルの屋上。聖で騎士たちを避けながら五分、遅くても十分で到着することが出来るだろう。それで残り時間は二十分。紗千を助けて親玉をぶっ飛ばすのに十分な時間だと言える。
聖は簡単に屈伸をして足をほぐした後、走り出そうとする。すると、
「は、おい、お前その間にケリをつけるっていったいどういうつもりだよ……。ってか本当に一体お前は何者なんだよ!」
「何? まだ何か用? あたし忙しいんだけど」
「だからお前、ケリをつけるって言ってもそんな生身の体でどうやってやるつもりだ。危険すぎる! せめて俺も一緒に――」
「――あーしーでーまーとーいーーーーーーー」
「え?」
「だから、薫君ってば足手まといだよ?☆」
「……え?」
「うん、ぶっちゃけ邪魔かな?☆」
膠着する薫を置いて、聖はビルの屋上へと向かう。
† †
少女はビルの屋上に立っていた。自分がここに立ち、自分の大好きな人がいるこの国を確変しようとしている。いっそこの屋上から飛び降りてしまえれば楽になれるのかもしれない。だが少女にはそんな勇気もなく、隣に立つ兄の命じるままに行動するしかなかった。
計画は想定より少し遅いものの順調に推移していた。まず侵略を始める際に政府にはいくつかの条件を出した。自衛隊を軍として再編成することや、国会の即時解散などだ。その裏にはこの国を再度軍事国家として生まれ変わらせる狙いがある。だがもちろんこんな要求は無茶だ。国が飲むはずがない。それも承知の上でこの計画は遂行している。飲まなければ力ずくで国を変えるだけ。それを行うだけの力がある。何十年という長い年月をかけて、時には国を裏で操りながら綿密に練られた計画。止められるはずもない。
少女はふと屋上の地上へと続く扉へと視線を向けた。その扉から奇跡のような力を持った人が現れてこの悪夢を終わらせてくれないだろうか、とありもしない希望を抱く。
そんな希望を未だに抱いてしまう自分自身に嫌気がさす。
「さて、そろそろ仕上げと行こうか。町を焼き払う」
隣り立つ兄が計画の最終段階への移行を宣言する。
その言葉は少女にとって死刑宣告のようなもの。
大切な人と過ごした大切な場所、数え切れないほどの大切な思い出、そのすべてを焼き払い消してしまうとこの男は言っているのだった。
いつかは来るであろうと覚悟していた。
だがそれでも、苦しくて、辛い。苦しくて苦しくて胸が張り裂けそうになる。
今すぐに涙を流して『誰か』に助けを求めてしまいたい。少女はわかっていた。自分が求めているのが『誰か』などではなく、あの人なのだと。無鉄砲で破天荒で真直ぐで、少女の瞳を引き付けて止まない一人の少女。
少女は再び地上へと続く扉を見つめる。
考えれば考えるほどに会いたい気持ちが溢れてくる。
覚悟していたはずなのに。全てを捨ててすべて終わりにすると誓ったはずなのに。
なのにそれでも、今こんなにも会いたくて会いたくて堪らない。
「……会いたいよ。聖ちゃんに会いたいよ……っ!」
少女が声を絞り出すと同時、扉が開いた。
そこには少女が望んだ人物、誰よりも会いたかったその人がいた。
「はーい、紗千。呼んだかな?」
† †
言葉はいらなかった。
その場にたどり着いた瞬間、その男が敵なのだと確信した。
紗千の隣に立つその男は先ほどの戦った宗君と似たようなアーマーを身に着けている。アーマーは宗君と違い黄金に輝いており、今までの相手とは明らかに違う風格を備えている。
「やーやーあんたが悪党の親玉さん? 別にあんたが何をしようとさして興味はないんだけどさーー。そこにいる女の子、その子あたしの友達なんだよね? 返してもらっていいかな? なんかあんたの隣にいるとその子笑ってないんだよ」
「聖ちゃん! なんでこんなところにいるの!? 危ないんだよ? だから早く逃げて!」
涙を流しながらこっちに向かって必死に紗千が叫んでいる。
あーあーもう、あんなに涙流してからに。あんなこと言って実はすっごく嬉しい癖に。強がっちゃってさー、紗千のやつ。愛い奴よのぅ。
「照れなくていいんだよー紗千ー。すぐに助けてあげるからおとなしく黙って待っておきなさいな」
「え、ちょ、照れてなんかいないんだから……」
この場に似つかわしくない会話を紗千としていると、金色のアーマーを纏う男がこちらへと視線を向けた。その瞳はまるでこの世の何も移していないかのように濁り、こちらへと向ける視線は虫けらを見るようなそれだった。
「お前は、俺たちの邪魔をしに来たのか? 我々のことをどこまで知っているのかは分からないが喧嘩を売る相手は選んだ方がいい。我々はいずれ世界を支配する人間だ。端的に言ってしまえば神のような存在だね。そんな人間に君は勝てると思うかい?」
冷静に淡々と、まるで教師が小学生に言い聞かせるような口調で語り掛けてくる。
うぜぇ。お前らが『悪坂組』っていうしょうもない組織の人間だってことも世界をどうにかするためにいろいろ暗躍しているのも知っている、そしてもう一つどんなにすごい力を持っていようとも、神ではないということも知っている訳よ。
聖ちゃんってば結構お利口さんなのよ?
取りあえず、男はこう聞いてきた『勝てると思うかい?』と。ならばそこは日比谷聖として、快楽探偵としてこう返事をするのが礼儀ってもんだろう。
「ああ、勝てるね」
一片の疑いもなく、一片の憂いもなく、まるでそれが常識であるかのように聖は言い放った。
「ほぅ、面白い。ならばその自信を粉々に砕いてやるのもまた大人としての務めと言ったところだろうか。一応名乗っておこう。これからお前を殺す人間の名だ」
そう言うと男は開いていた頭部のアーマーをセットし、構えた。
「秘密結社『悪坂組』十七代目当主、悪坂日鍾。わが正義のため死んでもらおうか、小娘」
日鍾が名乗りを上げる、正直ここで『悪党に名乗る名など持ち合わせてはおらんのだよ』
なんて格好つけてみたくもなったが、流石に相手が名乗っている以上こちらも名乗らないわけにはいかない。ちゃんと礼儀とかそういうのは弁えているタイプの女の子、それが日比谷聖ちゃんなのですよ。
「生まれつきちょっぴり身体が強くて、力持ちな絶世の美少女にして快楽探偵、日比谷聖ちゃん、いざ尋常に参りまーーっす!☆」
† †
ドンッ、とまるで大砲が発射したかのような速度で日鍾は聖の方へ向かって来た。日鐘は先ほどまで戦っていた騎士や宗君のように武器を持っておらず、体術を駆使して戦うタイプの様だった。
弾丸のような正拳突きが聖へと向かう。聖とて速さには自信がある、それを右へと躱す。躱した勢いをそのままに右足を軸とした左足のかかと蹴りを日鍾の腰めがけて放つ。その蹴りは見事に日鍾へと直撃し、日鐘を吹き飛ばす。
ここで二人の間に距離が出来るが、このスキを逃す聖ではない。今度はこちらから距離を詰め、右足で横薙ぎの蹴りを放つ。当然この程度の正直な攻撃は日鐘も腕で受け止める。聖はそれだけで攻撃はやめず、右足の蹴りから今度は回転してからの左足のかかと落とし、さらにもう一回転してからの左手裏拳、逆回転からの右手裏拳、その勢いを利用した左手腹パンチ、その後の渾身の右手正拳突き。小柄な体と自慢の怪力を活かした連続攻撃で日鐘を追い詰める。
聖は連続攻撃により日鐘をビルの縁にまで追い詰めることに成功した。
「もう終わりでいいんじゃない? あんたたちの計画はここで失敗する。あたしがここで止めるから。あんたじゃあたしには勝てない。だからもう終わりにしようぜ、正直めんどくさいし」
なんだかすごくシリアスな雰囲気になっちゃているけれど、じつはあたしってばこういうの苦手だったりするのだわ。だってなんだか気疲れしちゃうもの。それにとってもめんどくさいの。とってもめんどくさいの。大事なことだから二回言いました。ここテストに出ますからねっと!
「あきらめろ、と。この悪坂日鐘にそう言っているのか? 冗談ではない! この計画のためにどれだけの人間が血を流し、命を落としたと思う。世界を我が物にするそのためだけに私は生きてきたのだ! 貴様のような小娘に、私達の積年の思いがわかってたまるものかッ!」
いや、うん、わかんねーよ。だって聖さんてば世界を我が物に、とかそんなの正直全然全く小指の甘皮ほどの興味がございません。そんなことよりプリンに醤油をかけると本当にうにの味になるのかどうか、とかの方がよっぽど興味がございましてよ。
「うんうん。とりあえずほら、今日の晩御飯海老の尻尾卵とじ丼にしてあげるから、こんなこともうやめよ? 背ワタじゃないよ? 尻尾だよ? それもほらエビフライの尻尾ね! 生じゃないよ! 美味しいよ! あたしは普通にエビフライ食べるけど!」
これなら怒らないよね! だってこれ悪口じゃないもんね、むしろ喜ぶ言葉だもんね!
「くっくっく……何を訳の分からないことを……。いいだろう見せてやるぞ、この悪坂日鐘の本当の力というものを!」
日鍾がそういうと同時に、装着しているアーマーの右手のひら、そして右型部分の装甲が剥がれ落ち何やらアーマーの形が変形した。手のひらには真ん中に大きな穴が出来、方からは排気口のようなものが出現している。
うわぁーなんかめんどくさそう。なんで諦めてくれないの!? 海老の尻尾卵とじ丼の何が不満なの!? それとも何か海老の背ワタ丼の方が好きとかそういうゲテモノ好きな人なの!? ねぇ!?
日鐘が聖に向かって手をかざし、次の瞬間、
あ、これは、やばい奴だ。
とてつもない轟音と共に何色ともつかない閃光がその場を駆け抜けた。
咄嗟に聖は右側に飛んで逃げたものの、閃光が放たれた先で雲が割れるのが見えた。明らかに一目で尋常ではない兵器なのだとわかった。
「ふむ、まだテスト段階の兵器だがまずまず使えるじゃないか。さて、小娘。よくよけたな。次は当ててやろう。どれ」
レーザービーム。聖は日鐘の放った兵器がそれなのだとすぐにわかった。現代の技術では作成不可能と言われていた高額兵器をアーマーの一部に取り付けられるほどに小型化したということなのだ。おそらくはこれも希少金属であるアルテニウムを使った結果なのだろう。『悪坂組』がアルテニウムを他国に渡したくない理由も頷けるというものだ。
聖が考える間もなく、再びレザーが照射される。
光の速さで発射されるそれは、照射されてから動いたのでは間に合わない。相手の動きを予測して動か完くては一発でやられる。もし一瞬でも触れれば聖に待ち受けているのは死のみだろう。
「こんにゃろー!」
聖は今度は左に飛んで、レーザーを避ける。幸いなことにエネルギーを消費するせいか連発は出来ないようだった。とはいっても間合いを詰める前に次の一発が放たれるため、今のところ打つ手なしといった状態であるのだが。
むむむ、いったいどうしたもんかなぁ。実は聖ちゃんってば超強いから、あんまりこういう追い詰められる状況っていうのには慣れていなかったりするのである。いろいろ考えてみてもあまりいい案が浮かばない。とりあえず突っ込む! で今までなんとかなっちゃたからなぁ………あ、そういうことか。
うだうだ考えんのやーめた。
「あ、一応聞いておくけど伊集院のおっさん殺したのあんた?」
「伊集院? ああ、あのいろいろと嗅ぎまわっていた刑事か。私が命じたが私ではない。殺したのは名も知らぬ部下だ」
日鐘は何の興味も示さずただ淡々と冷酷に、まるで地面を這う蟻について語るかのような口調で言い放った。
「そっか、じゃああんたが殺したようなもんだ」
よし、ついでだからあのパンティ履いたおっさんの敵討ちもしておきますか! ……うん、大丈夫おっさんの無念はあたしが晴らすよ。見ててよね。
うんうん。紗千も助けておっさんの敵も取って、世界も救う。一石二鳥どころか一石三鳥だね! よっしゃ、やる気出てきた!
「よしっと。間合いを詰めるには三回くらい掛けに勝てばいいわけか」
聖はその場で屈伸をし、準備を整える。
次のレーザー照射が始まりの合図。日鐘が右手をかざし、そこに光が収束する。
凄まじいほどの轟音と共に、閃光が放たれた。
今まではずっととりあえず突っ込んでなんとかしてきた。だったら今回も何とかなる。うだうだ考えている暇があったら今まで通りにやればいい。
閃光が放たれる―――自慢のパーカーの袖が焦げた。だが、躱した。
閃光が放たれる―――地面を転がり、口に砂が入った。だが、躱した。
閃光が放たれる―――閃光が聖の頬をかすめ、髪を焼く。だが、躱した。
聖の渾身の正拳突きが、日鍾の顔面に届く。
「くらえッ! ハイパーミラクルスーパーひじりちゃんぱーーーーーーんちッッッ!」
日鍾がその場に倒れこむ。意識を失い、アーマーも機能停止する。
「へへっ、やっぱり聖ちゃんってば最強?」
終章
聖は屋上に寝転がっていた。
流石の聖もほんのちょこっとばかし疲れていたのであった。日鍾を倒した直後に屋上から辺りを見回すと、秋葉原の街を闊歩していた鋼鉄の騎士たちもその動きを止めていた。おそらくはあの騎士たちの操作権限を日鐘が握っていたのだろう。これで全てが一件落着というところだろう。
「聖ちゃん! なんでこんなことしたの! 危ないのに!」
寝転がる聖の横で可愛い顔から放たれる涙声が聞こえた。
「あーうん。ごめんごめん」
「もうっ! ちゃんと人の話聞いてる?」
「うんうん、聞いてるーー」
聖は起き上り、紗千のそばに近づくとそっと紗千の頭を撫でた。
「おかえり、紗千。もうどこにも行っちゃだめだよ?」
「うん……うん……ありがとう、ありがとう……聖ちゃん大好きっ!」
紗千が泣きながら聖の胸に飛び込んだ。お気に入りのパーカーが涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃになっているが、まぁ今回はよしとしよう。どうせ袖も焦げてしまっているし「新品に買い替えなければならないだろう。
さてさて、一件落着したところでちゃっちゃとお家に帰ってお風呂にでもは入りましょうかねー。流石の聖ちゃんも今日は贅沢に温泉の素でも買って帰っちゃおうかしら。個人的には今日は有馬温泉の素がいいかな。
と、そんなのんきなことを考えながらビルの下を見ると、ビデオカメラやマイクをもっを持った大勢の人間がビルに突入してくるのが見えた。
なんだあれ……? ビデオカメラにマイク……? ああぁマスコミか。これだけの大事件だもんね。そりゃマスコミも騒ぐし中継もするだろうねーー…ってマスコミ!? うわーめんどくさいよー。なんかあれこれ聞かれたりするの嫌だよー。
「紗千、どうしよう! マスコミが来る!」
「……え、マスコミ?」
そういって紗千は何かを考えるようなそぶりをした。
「私、マスコミの人たちに今までのこと全部打ち明けようと思う。『悪坂組』のこと、アルテニウムのこと、それから外務大臣暗殺のことも」
「でも、そんなことしたら紗千が……」
「うん、でもねこれは私の義務だと思う。今まで私たちがやってきたことでどれだけ多くの人々が酷い目にあったか。もう終わりにしなきゃ」
『悪坂組』の全てをマスコミに打ち明ける。それは今までこの国の裏で起きていた出来事の全てを公にすることに他ならない。そうなれば紗千は世間から容赦のないバッシングを受けるだろう。それだけではない。『悪坂組』の残党からも命を狙われるかもしれない。極めて危険な行為だ。だがそれでも紗千はそれをやるというのだ。そこには相当の覚悟があるのだろう。それならば聖としてはそれを止める理由はない。
「守るよ」
「え?」
「あたしが紗千を守るよ。世間から、敵から。快楽探偵なんてやっているけど、紗千を守る方がよっぽど楽しいや」
「へへ、嬉しい」
「ま、しゃーなしですよ」
「もうっ、聖ちゃんのいけず!」
地上へと続く扉の向こう側から大勢の足音が聞こえる。先ほどまで下にいたマスコミがここまで上ってきたのだろう。足音の数から判断するに、相当な人数であることが推測できる。
「あ、聖ちゃん。一つ忠告。この事件について聞かれても知らぬ存ぜぬで通すんだよ? もしこの事件を解決したのが聖ちゃんだって知れたらマスコミは容赦なく聖ちゃんのこと追いかけてくるからね? 約束、いい?」
「うん、りょーかい」
聖が返事をすると同時、屋上の扉が開かれた。大勢のマスコミが聖と紗千を取り囲む。
『一体、何が起きているんですか!?』
「知りません」
『外で動いていたあの化け物は一体何なんですか!?』
「存じ上げません」
『そこで転がっているスーツは一体!?』
「知りません」
『あなたは一体ここで何をしていたんですか!?』
「存じ上げません」
『先程、ここで戦っていたのはあなたですよね!? ね!?』
「知りません」
あーーーーーもうめんどくさい。
うるさい!
めんどくさい!
すっごくめんどくさいっ!
『あの、あなたはここで何を―――』
聖はレポーターのマイクを取り上げて、おもむろに言ってやった。
「――あたしは快楽探偵日比谷聖、世界を救うのも……ま、面白いんじゃない?」
《完》