カレーが食べたい
◇颯
「方法はあります」
竜が人化した後、竜に戻れなくなるという現象。元の世界でも同じようなケースを見聞きしたことはある。でも、特別な笛を使えば、大抵は元の竜の姿に戻れたはずだ。だから、その笛をどうやって入手するかだよな。
「……本当か?」
翔さんは全く信じていない様子だ。きっとこれまでも、いろんな方法を試してきたのだろう。
「はい。ただし、僕の元の世界に行って、探し物をしなければなりません」
翌日。仕入係の礼さんは、別の宿の従業員と一緒に笛を探すために旅立っていった。それを手配してくれたのは翔さん。僕の話を信用してくれたことが嬉しい。やはり、騎竜とは信頼関係の構築が大切だと思うので、悪くない滑り出しだと思う。今度は風呂場で背中でも洗ってあげようかな。もっと地上で仲良くなっておけば、空の上では一体になれると思うんだ。
✽✽✽
そして始まった止まり木旅館従業員の日々。まずは止まり木旅館全体の仕事を覚えるために、楓さんのアシスタントをしている。ちなみに里千代さんには、『しばらく従業員として修行するため会いにいけない』と文をしたためておいた。これでしばらくは心のゆとりが持てるというもの。
「楓さん、今回のお客様も大変でしたね」
お客様が扉……ではなく、岩戸の向こうへ姿を消し、僕は下げていた頭を上げた。
「そうね。チンアナゴなんて、初めて見たわ」
「僕もです。でもよく見ると、顔が竜っぽいし、あのゆるゆるとした動きには癒やされましたよね」
「翔はあげないわよ? でも、あんな白くて細長い生物でも普通に日本語が通じたのが奇跡だわ」
楓さんは、チンアナゴのお客様の客室……代わりにしていた巨大水槽を粋さんに片付けてもらいながら、ふっとため息をついた。
「颯くん、ちょっと休憩しましょ?」
「はい!」
僕はこの『ちょっと休憩』が大好きだ。楓さんがこれまでに出会ったたくさんのお客様の中で、特に印象的だった方の話をしてくれる。それがなかなか面白いのだ。
僕達は女将部屋に移動した。楓さんが戸棚からおかきの袋を出してきたので、僕はお茶の準備をする。執事になった気分だ。
「楓さん、いつものお願いします!」
「うふふ。颯くんも好きねぇ」
楓さんは仕方ない人と僕のことをなじりながらも、以前のお客様のことを振り返り始めた。
「そうね、あれはお客様が二人同時にお越しになった時のこと」
その二人は同じヒーナヒーヨという世界からやってきた方々で、おそらく千景さんが住む日本とよく似た世界からのお越しだったらしい。そこでは、仮想現実というネットワークとVRの融合体の空間が現実世界を逼迫する程に拡大しているとのこと。本物志向のお客様二名は、その閉鎖的なバーチャル空間が中心の暮らしに飽き飽きしていたそうだ。
「一人は会社役員。つまり偉い人で、もう一人は高校生なんだけど、悪戯好きのガキンチョ。あの時は、二名以上のお客様を同時にお迎えするのが初めてで、さすがの私も慌ててしまったわね」
「楓さんにもそんな頃があったんですね」
僕は楓さんが用意してくれた醤油味のおかきをボリボリと食べながら、相槌をうつ。
「あの方達、お帰りは同時だったの。最後はとっても意気投合していたみたいなんだけど、元の世界に戻ったらよっぽどの縁がない限り二度と会えない間柄だろうし……私は、当人でもないのに少し寂しくなっちゃったわ」
そう言った楓さんが、僕の用意したお茶を一口飲み干した時。突如として、文机の引き出しから強い光が漏れい出た。
「え?! 何なんですか、これは?」
こんな超常現象、僕は元の世界でも経験したことがない。慌てて楓さんを守るように文机の前に立ちふさがるものの、光は衰えるばかりか、カタカタと中から音も聞こえてきた。
「楓さん……」
ふと楓さんを見ると、焦る僕とは対象的にジト目になって深いため息をついていた。
「大丈夫よ。残念ながら、心当たりがあるからね」
そして楓さんは引き出しを開けて、中から何かを取り出した。途端に溢れていた光は消えてしまう。
「それは……」
「私の父、導きの神と文通するための巻物よ。母さんがいる日本にはスマートフォンっていう便利なものがあるんだけど、彼はそういう最先端のものに疎くってね」
ある意味、通信技術が搭載された巻物の方が最先端な気もするけど。などとツッコミを入れるのはやめて、僕は楓さんの様子を伺う。楓さんは、巻物をさっと広げると早速内容を読み始めた。
「何なに……かたし様と安村様はその後元の世界で偶然出会い、共にお化け屋敷事業で大当てした?! でもそんなことより、その前にお越しになったイダイ様は、止まり木旅館から戻った後、さらに芸術を爆発させた。けれど稼いだお金で豪遊した際に出会った女性達とひと悶着あり、刺されて早逝してしまう。しかし、彼没後、彼の作品はますます価値が高まったから、やはりあの刺し身皿は止まり木旅館に置いていってもらうべきだったぁ?!」
どうやら導きの神は、楓さんが接したことがあるお客様達のその後について教えてくれているらしい。
「楓さん、名前聞くだけでどのお客様のことなのかがすぐに分かるんですね」
「うふふ。私、お客様に関することだけは記憶力がいいのよ!」
自慢げに言うけど、他のことはからっきしってことだよね?
と、その時、楓さんの手元にある巻物が再び光を発した。
「あら? また何か情報が来たみたいね。何なに……カレーを鍋ごと持ち帰ってしまった犬系獣人の少年? あー、思い出すだけで腹が立つわ! カレーはいいとして、大切な旅館の備品をことごとく破壊されたのよね」
よよよと、ちゃぶ台に雪崩かかる楓さん。それにしても、カレーって何ですか? そんなに美味しいものなのか?
「楓さん、それで何が書かれてあるんですか?」
「えっとね……父にカレーを作っておくれ、ですって?!」
あれ、楓さんの様子がおかしい。
「楓さん?」
「ちょっと聞いてよ、颯くん! こんなこと言っておきながらね、研さんの方がカレー作るの上手いのよ?! 神様だし、どの世界へも行き放題だし、女装したら娘より美人だし、しかも胸おっきくできるし、どれだけチートなのよ?! もう許せないっ!」
あ、これはたぶん、胸のコンプレックスをふと思い出して怒りに火がついたということだな。
「よしっ。こうなったら、しばらく連絡してあげないんだから! カレーも作ってやるもんか!」
楓さんはそう宣言すると、再び光を放ち続ける巻物を文机に片付けた。
「こういう時はおかきでも食べるしかないわ!」
え、僕はカレーが食べたい。どんなものが全く分からないけれど、食べれないと分かったら余計に食べたい。でも、楓さんには逆らえない。
「……はい」
――ボリボリボリボリ
しばらく、おかきを噛み砕く音だけか部屋に響いた。そして、お互い五枚ずつ食べ終えた時、楓さんはすっと表情を引き締めてこちらを見る。
「さて、明日はかなり傷心のお客様がいらっしゃるわ」
「えっと、千景さんと同じ世界の方でしたっけ?」
「そうね。時代はもう少し未来からのお越しかもしれないけれど」
「僕は何をすればいいですか?」
「今回は、基本的に私だけで対応するわ。ちょっと慎重にいきたいの」
楓さんが気を引き締めるなんて、どんなお客様がお越しになるのだろうか? カレーが好きなお客様が来たら、作ってくれるのかな?
次回から止まり木旅館ご招待キャンペーン第二弾のお客様がお越しになります。
初回は『シニガミヒロイン』の白井美緖様。
どうぞお楽しみに!!