元竜騎士が語る止まり木旅館
◇颯
生まれはスタンバール王国。トップはもちろん王族で、その下に貴族、騎士、平民、奴隷と続く。そんな感じのどこにでもありそうな山間の国だ。父親は騎士だったけど、五年前に国境沿いの紛争で右脚を失って引退。今は駄菓子屋の親父だ。母親は三歳の時に死んでいる。
そんな境遇の僕も、職業は騎士だ。十歳の時に父親に憧れて騎士団試験を受け、見事合格。その後は、元々剣と弓にセンスがあったらしく、あっという間に史上最速で第一騎士団の騎士団長にまで上り詰めてしまった。第一騎士団は別名『空軍』と呼ばれる部隊で、竜に乗って空中戦を行う専門集団。騎士団の中では人気ナンバー2だ。人気ナンバー1の近衛への推薦を蹴ったのは、右脚を失った父を戦場に置き去りにした王弟が未だに許せないから。そういった燻りこそあれ、僕の人生はいたって順調だったはずだ。はずなのに。
確かあの時、騎士団長になってからあてがわれた屋敷の自室にいたのだ。少し仕事のことで気になることがあり、城へ出かけようと部屋から出ようとして……。
気がつくと、古ぼけた木造の門、白い漆喰の壁が目の前に立ちはだかっていた。背後を振り返るとどこまでも続く白い霧。数多の戦場を駆け巡ってきた騎士の直感がこう告げる。ここに生き物はいない。ここは、僕の知らない世界だと。
これは夢でないのは分かっている。では、ここはどこだ? 答えはきっとこの門の向こうにあるだろうと思い、迷うことなく新しい一歩を踏み出した。
そして、まさかの出迎えを受ける。よくできた侍女かと思いきや、女は『女将』だと名乗る。そこで初めて、この場所が宿屋であることを理解した。
それから三ヶ月はあっという間だった。女将の楓さん(と呼ぶことにした)は、僕を何とか元の世界へ送り返そうとがんばってくれていたが、従業員達の言う『扉』はいっこうに現れない。次第に僕は、「別にすぐに戻らなくても良いのではないか」という気持ちになり始めていた。
なぜなら、もう三ヶ月だ。きっと突然行方不明になった僕に騎士団長の席は残されていないだろうし、親父も僕が生きているとは思っていないだろう。騎士団長は基本的に国民の味方だけど、恨みややっかみは受けやすい。騎士が闇に葬られるなんて、これが初めてのことではないのだ。一つ気掛かりなのは、僕が敵国に失踪したことになっていないかということ。そうなると父の身が不安になるが、あの人もだてに長年軍人をやってきたわけではない。この程度の危険ぐらい察知して、どこかに身を隠して難を逃れてくれていると信じたい。
となると、このままここにいても良いのではないだろうか? というわけで、
「ここの従業員にしてください」
と僕は楓さんに頼みこんだのだった。
「でも、いいの? 前にも話したと思うけれど、一度従業員になってしまうと基本的に元の世界へは二度と戻れないのよ?」
「どうせ今から戻っても居場所はありませんし、構いません」
というのは、半分建前だ。その理由は二つある。
まず一つ目は、ここ止まり木旅館には面白いものがあるからだ。様々な世界からお客が来るし、彼らのことや楓さんを中心とした従業員情報をまとめたノートも興味深いのだけれど、何よりもインターネットが面白い。
これは先代女将の千景さんという方が住んでいる日本という国から飛んでくる電波というもので接続できるネットワークらしい。僕の出身地では、魔法による遠隔地への伝達方法はあるにはあったが、大量の魔力や血を代償にしなければならなかったから、ほぼ禁忌の魔術だった。それがいとも簡単に行えるなんて、なんて素晴らしいんだ。
客として長期滞在する中で暇になった僕は、インターネットを通じてプログラムというものを勉強し始めた。スタンバール王国では魔道具を作ったり、新たな魔術を開発したことがあるけれど、それに少し似ている。
定められたルールに基づいて構文を組み上げ、思った通りの処理をさせる。大作のパズルを組み合わせていくような感覚に近い。
こうして初めて作ったのは、タブレットやスマホ用のアプリだった。以前から潤さんや他の従業員達が蓄積してきた顧客情報がデータベース化されていたのだけれど、それを上手く活用するためのソフトがなかったのだ。アプリが完成した際には、楓さんが張り切って宴を開いてくれた。我ながら良い仕事をしたと思う。ま、騎士時代からこういうチマチマした地道な作業とか、事務も得意でよく頼られてたんだよな。騎士団長の仕事も雑務が多かったし。
そしてもう一つの理由。それは、ここに竜がいるからだ。竜と言っても竜人のようだし、彼は楓さんの夫なのだけれど、元竜騎士としては竜が一匹いるだけで何となく心が休まる。スタンバール王国に置いてきた相棒(竜)のことは気掛かりだけれど、あいつの能力は高い。きっと別の騎士が面倒を見てくれていることだろう。代わりに僕は、ここの竜を手懐けようと、まずは餌付けから試みたのだった。
でも、楓さんはそれがちょっと気に食わないらしい。元竜騎士の性なのだと説明してもなかなか納得してもらえない。だからなのか、従業員になるにあたり、ある条件が出されてしまった。
「ドンクルさん」
ドンクルとは、僕のことだ。後に楓さんから颯と命名される。
「実はね、今、時の狭間チェーンではあることが問題になってるの」
「なんですか?」
「以前、そうね……一年程前になるかしら。止まり木旅館に滞在されていたお客様がいらっしゃるんだけど、未だに元の世界に帰れなくってね。退屈しのぎに現在婚活してるらしいのだけど、彼女、百連敗中なのよ」
え、嫌な予感しかしない。僕の表情を読んだのか、楓さんは慌てて笑顔を作ってみせた。
「あ、あのね。大丈夫よ! 見た目は完璧なの。まさに大和撫子! 今なら熨斗つけて、さらに異世界土産もくっつけて差し上げますよ! しかもタダ。買うっきゃないよね!」
そこへ巴さんまでやってきた。
「今なら新婚生活はハッピーよ! まだ目覚めの時までは時間があるんだから。その後はちょっと大変かもしれないけど、そこは騎士道とかいろいろで何とかがんばっちゃって!」
「目覚めの時って、その方は魔王なのですか?」
って、そこで無言にならないでください、二人共。僕、それなりに腕は立ちますが、さすがに魔王相手じゃ分が悪い。真剣に、スタンバール王国の辺境でスローライフする算段を立てた方がいいのだろうか。