天女の暴言
お久しぶりです。
少しずつ再開していければと思っています。
よろしくお願いします。
◇密
なんじゃ。恋愛がきっかけで帰ったのではなかったのか。親子や身内の絆というものは鉄板の人情モノとして人気が高いかもしれぬが、妾はいささか拍子抜けしてしまった。やはり、期待はずれな気持ちになってしまうのは否めない。
妾が興味を失せると同時に、鏡の中は再び白いマーブル模様になり、やがて元通りのツルツルと輝く銀の鏡に戻ってしまった。
となると、やはり出かけるとなるとあそこへ行くしかあるまい。止まり木旅館だ。あそこには新婚夫婦が一組と、他にも最近面白くなってきた男が一人いる。妾がありがたいアドバイスをしに出張してやろう。しかし、表立っては別の理由をつけねばなるまい。こういう遊びは黙ってひっそりと行い、後々その結果を眺めるのが醍醐味なのだ。アポ無しは楓が怒るので、まずは女将台帳へ訪問の旨を伝達せねばねらないな。
妾は、よく晴れた清々しい空を眺めながら、指に自らの黒髪を巻き付けつつ、物思いに耽る。うむ。よし、訪問の理由は決まった。妾は机の上に別の巻物を広げると、さらさら筆を走らせる。楓はどんな顔をするであろうか。ニヤニヤが止まらぬ。
***
女将台帳へ情報を送って一時間後。妾は屋都姫に少し頼み事をし、土産として時の狭間名物である柚子饅頭を購ってから導天上府の敷地の端までやってきた。
それでは参ろうか。
「止まり木旅館へ!」
目の前の巨大な木扉が重低音を響かせてゆっくりと開く。その向こう側からこちらに向かって白い光が差し込み、妾は眩しさのあまり目を細めた。白いスモークも出てきたが、おそらくこれも神の趣味なのだろうな。いらぬ小細工を。
***
「ようこそおいでくださいました! 密さん、ご無沙汰してます」
白い光が薄れて景色が少しずつはっきりとしてきた。日本風とか、和風とか言う屋敷構えを背景に、中央に佇むのは桃色の髪の女性。
「楓、息災だったか?」
「お陰様で」
少しは成長したかと思って、視線を彼女の胸元へ向けてみたが、そのサイズは相変わらずのようだった。おっと、いけない。楓の背後に黒い煙が見えた。
「楓がいれた茶でも飲みたいのぉ。妾はあれが好きなのだ」
慌てて女将を持ち上げておく。これで『密』と書かれた藁人形の誕生は阻止できたであろう。
「密さんったら! 立ち話もなんですし、ささ。こちらへどうぞ」
楓はこちらへ笑顔を向けると、妾を先導するようにして前を歩いていった。
うむ。本当に変わらぬ。楓と翔が結婚して、早くも一年が経った。翔は他の旅館との連携に専念し、楓はこれまで通り女将業に勤しんでいるようだ。そろそろ、新たな家庭をもった女として、もう少し大人の落ち着きが出てきても良いものだが、相変わらず生娘のようなお転婆の空気が抜け切らぬ。やはり、妾の出番が必要なようだな。
楓は、妾を客としてきちんともてなす気があるらしい。案内されたのは、かつて妾が身分を隠して初めて訪れた時に通されたのと同じ部屋。今回も粋が張り切ったらしく、床には妾の故郷を思い出させるような薄い絨毯が敷かれ、その上にテーブルセットが備え付けられている。楓曰く、和中折衷といった風体になるらしい。和は日本のことらしいが、中とはなんぞや。未だに聞けずにいる。
「楓、この羊羹も美味じゃ」
妾は出された菓子に手を付けて、ひとまず寛いでいた。ふと庭先に視線を向けると、潤の頭が見えた。こちらも相変わらずか。
「で、密さん。火急の用事とは、どうされたんですか?」
楓は今でも妾のことを密と呼ぶ。もう従業員ではないので、女将部屋から札が下げられているにも関わらずだ。思わずにんまりとしてしまうのは仕方がないことだと思う。
「それにしても、楓」
「なんですか?」
「まもなく紙婚式か」
「あ、もしかしてそれって結婚一周年ってことですかね?」
頬を染める楓。はい、ご馳走さま。やはりいじりがいがある。来たかいがあったという実感がジワジワと湧いてきた。でもこれは序の口なのである。
「そうだ。して、楓」
「なんですか?」
「子はまだ授からんのか?」
「な、な、な、なんですか?!」
別に、日本とか言うどこぞの国に多く生息するという『オバサン』というものに倣いたいわけではない。単なる妾の趣味だ。そして妾はお姉様なのである。
「良いか、楓。だいたい言いたいことは分かっておる。楓は女将襲名からまだ日が浅く、未だに毎日来る変人共の相手にキリキリ舞いなのであろう? となると、夫婦仲は悪くなくとも、すれ違いも多いわけだ」
「なぜそれを……」
妾はふふふと笑って誤魔化した。まさか、遠見の鏡という必殺道具の存在をここで明かすわけにもいかぬ。それに、それ程多くは使っていない。楓のことを案じて鏡を覗いた時、たまたま翔といたしているところであれば、さすがの妾も気まずいからの。
「そこで、楓」
「なんですか?」
「この事態、何とかしたいとは思わぬのか?」
「もちろん、子どもは欲しいと思います。でも、なかなか時間的にも気分的にもゆとりがなくって……ごにょごにょ」
実は妾、以前から巴からも相談されていたのだ。巴は、楓と翔に旅行でも行ってくるよう勧めているらしいが、真面目な二人は全く聞く耳を持たないらしい。そのうち、やはり仕事が恋人だ!とか言い出さないかとヒヤヒヤしているとのこと。確かに、同じ職場内で離婚した二人がいるという事態になるのは最悪だ。しかも、その職場は一生辞められないときた。うむ。地獄絵図。
その上、この二人はくっつくまでに随分時間がかかったということも考えると、このまま上手く行って欲しいと願うのも天女心なのである。ちなみに、天女心とは、母心と友情といたずら心と好奇心を掛け合わせたものだと辞書に記載しておきたい。
「そんな楓に、妾から朗報がある」
「な、なんですか?」
楓、もう少し客に対するリアクションのバリエーションを増やした方が良いと思うぞ。
「妾は、先程勤め先に長期休暇を申請してきた。ざっと二、三年ぐらいの間、妾が止まり木旅館の若女将を務める故、楓は翔と妊活の旅にでも出てくるが良い!」