天女の予感
◇密
「なるほど。楓は相変わらずなのだな」
楓から女将代行の許可を得た夜、妾は従業員達の部屋を回ってしばしの滞在の挨拶に回っていた。そして颯の部屋にやってきたわけだが、案外聞き上手であったので、ついつい長居してしまっている。妾は同僚の天女から聞いた異世界の話をし、颯は最近の楓のもてなしについて語っているところだ。
「そんなこと言いながら、天女の鏡があるから、どうせ全てお見通しなんでしょ? この前旅館内でも見かけましたし。たまにふらっと来てますよね?」
この前こっそり来ていたのがバレていたらしい。ほんの数分の滞在であったはずなのに、よく気づいたものだ。
「ん? 妾が仕事をサボって突然来るわけがなかろう? きっと颯の見間違いだ」
妾が笑顔で威嚇すると、颯は失笑して黙ってしまった。少し威圧しすぎてしまったか。ボリボリとおかきを噛みしめる音をセッションし始めて数分。さすがの妾も無言が続くと辛い。
「颯はこれからどうするのだ?」
「どうするって、どういう意味ですか?」
「ほら。里千代には会っているのか?」
「手紙は書いてますよ。向こうも、忙しくしてるみたいなんで、僕はゆっくりと止まり木旅館で修行できるというわけなんです」
仮にも婚約中というのに、今からこの距離感が心地良いともなれば、先が思いやられるな。
「里千代さんは、実家の旅館の改造計画を建ててるみたいですよ」
「ブレない女子よのぉ。そういう颯も、本業よりも趣味に没頭しているらしいではないか」
「さすが。ご存知でしたか。プログラムって面白いですよ!」
プログラムか。
そこで妾は、ある事を思い立った。
「颯。なれば、妾から一つ課題を与えよう。止まり木旅館の書庫データのアプリも良いが、もっと大きなことをしてみないか?」
「なんですか?!」
妾は自然とニヤニヤしてしまうのを何とか誤魔化すのに必死になった。これが実現すれば、妾の仕事はすっかりなくなって、止まり木旅館へますます入り浸れるようになるだろう。
***
それから数日後。ここは止まり木旅館の門の前。今日は『いちゃラブ旅行』出発の日。妾が『妊活旅行』と呼んでいたら、直接的すぎて破廉恥だとか苦情が殺到し、この名前で落ち着いた。
さて。現在旅装に身を包んだ二人の男女が、従業員に囲まれて立っている。翔は早く出発したくてウズウズしているようだし、楓は茹で上がった蛸のように真っ赤になっていて、相変わらずからかいがいがある。
「というわけで、しっかり励んでくるように!」
「密さん、それってセクハラなんですよ!」
「これぐらいのことで怯んでどうする? 妾なんて婚約時代から相手の母親にネチネチと……」
「そういえば密さんの過去って、ほとんど聞いたことないですね。せっかくなので、そこんとこ詳しく!」
妾のことなど、どうでも良い。スルーだ、スルー。うっかり奴の顔を思い出して懐かしくなったなんて、誰にも悟られるわけにはいかんのだ。
「そうか、そんなにあの幽霊と呼ばれる神の御元へ行きたいか」
楓と翔は時の狭間の住人。旅に出ると言っても、仕入れ係のように様々な異世界に出入りするというわけにもいかぬ。そこで妾が提案したのは、時の狭間内旅行だった。
この二人が知っているのは、時の狭間の中のほんの一部に過ぎぬ。妾も駆け出し天女だった時代は、よく導きの神にこき使われて別の神の元へ親書を届けになど行っていたものだ。最近は通信の道具の発達で天女の行き来も少なくなったようだがの。
そんな天女事情はさておき、時の狭間にはあんな腑抜けた神ばかりではない。妾でさえ腰を抜かすような神がごまんといる。この二人もいろんな神と出会って、世の中の広さを体感すると良いだろう。どこへ行っても神の娘である楓と、元の世界では神と崇められている竜の翔は、ないがしろにされることはあるまい。
「幽霊って? それって、本当に神様なのですか?」
楓はきょとんとして尋ねてきた。他の皆も興味しんしん。ふふふ。聞いて驚くな?
「ぱっと見は普通の男なのだ。しかし、それに騙されてはならん。気さくに「やぁ」と言って声をかけてきたが最後。声をかけられた者は急激に暑くなる」
「興奮しちゃうってことですか?! どうしよう、私、翔だけって決めてるのに……」
「いや、そっちではない。単純に暑くなるのだ。そして、対象者が「暑い暑い!」と騒ぎ始めたら、次の言葉をかける」
いつの間にか、従業員全員が妾の言葉に注目している。皆のゴクリと唾を飲み込む音が聞こえそうだ。
「今度は何て言われるんですか?」
「それはな、「涼しくなる話をしてやろうか?」だ。この神の名は、ずばり『怪談の神』。背中がゾクゾクして暑さも吹き飛ぶような怖い話を延々と続ける嫌がらせを生業にしておる」
巴がぷっと噴き出した。
「地味ですけど、嫌な神ですね」
「他にもいるぞ。小さな子どもの形をしていて、おぶってくれと頼みこんでくる。そこで背中におぶったが最後。金運が地面どころか、地中深くにまで落ちて、生涯貧乏暮らしを余儀なくされていまう『貧乏神』とか」
「まともなのはいないんですか?!」
楓、良いツッコミだな。妾も同じことを考えていたのだ。
「さぁな? 今、例にあげた神よりはマシな奴のところへ二人は届けてやろう。そこから先は、妾が渡した天女手形で何とかなるであろう」
「え、不安しか無いんですけど」
翔まで動揺させてしまったらしい。でも、こんな時こそ二人で力を合わせて乗り切ると良いのだ。こういう時、ゲームでは『イベント』が発生したと言うらしいぞ?
「さて、しばしの別れの挨拶は済ませたな? では行くぞ」
妾は腕を大きく広げ、鈴を三回鳴らした。すると、目の前につむじ風が発生し、それが少しずつ大きくなり、小さな竜巻にまで成長していく。
「行け!」
妾が号令をかけた瞬間、竜巻は轟音を響かせながら二人を飲み込み、天高くへ消えていった。少々手荒な方法になってしまったが、あの神の居城は時の狭間の中でもかなり遠方にあるので仕方がなかったのだ。
ふぅ。一仕事を終えた気分だが、まずは宣言させてもらおう。
「皆の者、よく聞け。今日から妾が止まり木旅館の若女将だ!」
と言ったものの、皆いつの間にか解散している?!
「ほら、そこ。早速『楓の墓』と書いた石碑を立てようとしない! ちゃんと生きているから心配するな!」
早速、客が来るまで昼寝でもするかと思っていたが、まずは従業員の皆との結束力を高めねばならないな。
と、その時だ。
あれ。
この感じは。
背中が突然冷たくなる感覚。これは……
「密さん、どうしたんですか?」
粋が妾の異変に気付いて駆け寄ってきた。そういえばこいつは、いつも楓と一緒にいることが多かったな。案外、翔よりも多くの時間を過ごす友のような存在のはずだ。
「いや、何でもない」
妾は無理やり笑顔を作ってみせた。が、粋は怖いものを見たかのように、顔色を悪くしている。妾は滅多に純粋な笑顔にはなれないので、違和感があったのかもしれぬな。うむ。今後は気を付けよう。
妾は慌てて旅館の中へと戻っていった。
まさか、この時の嫌な予感が止まり木旅館の命運をかけた一大事に繋がっているとも知らずに。







