天女は暇を持て余す
ついにシリーズ第三弾。
亀更新になりそうですが、お楽しみいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
止まり木旅館シリーズを初めてご覧になる方は、下記の順に目を通されると本作をより理解しやすくなると思います。
第一弾
『止まり木旅館の若女将』
https://ncode.syosetu.com/n0739em/
第二弾
『止まり木旅館の住人達』
https://ncode.syosetu.com/n2619es/
★本作には上記二作のネタバレを含みます。
妾の名は飛流芽。しばらく前まで、とある旅館の住み込みで演舞の仕事をしていたが、本業は天女である。もちろん生まれながらの天女ではない。遠い昔、皇女であった妾は酷く追い詰められておった。理由? 話し始めると長くなる故、それはまたおいおいだな。何はともあれ、導きの神に拾われて時の狭間の住人になったのである。
さて、拾われてみると同じような境遇の女子ばかり。妾の目から見ても見目麗しい者ばかりを集まっておる。これは導きの神の趣味なのだろうか。いずれにせよ、花畑に見られがちな天女の世界も、蓋を開けてみれば下界とそう変わらぬのであった。
「飛流芽様、今夜空いてらっしゃる?」
同僚の屋都姫がやってきた。
彼女は私と同じ世界の出身だが、もっと新しい時代からこの時空の狭間へやってきたようだ。まだ新参だというのに、大きな都市の長の娘だったとかで、上に立つ者としての心得があるらしい。あっという間に、この職場で一大派閥を作り上げてしまったが、嫌味の無い正義感に溢れた娘故に、妾とも仲良くしてくれている。
「どうだったかの」
妾は予定を忘れて思い出そうとしているフリをした。少し上を見上げると、女子ロッカー室の低い天井がすぐ頭上にまで迫っている。ここは、導きの神がだだっ広い時の狭間に建設した導天上府という場所で、その中には神の趣味で様々な日本の文化が数多く取り入れられているのだ。この女子ロッカーとてそうだ。白い無難な壁紙で覆われた部屋は無駄に狭く、壁際には細長い鏡付きロッカーが並び、窓際には桃色のカーテンがかかっている。ここだけを見るとオフィスビル内の一角と言えなくもない。神は、女子ロッカーを良い香りのする男子禁制の秘密の華園だと信じて疑わないが、実際はどちらかと言えば悪臭漂う魔窟である。なぜならば……
「ご存知かもしれませんが、今夜も勉強会があるそうですの」
勉強会。名前の響きは良いが、内容は『下界の男(イケメン限定)をどうすれば時の狭間に引きずり込めるか』について話し合うものであり、大抵お互いの不幸話や不満を爆発させ、自棄酒を煽ってお開きとなる下らない集会だ。
実は、悲しいかな天女のほとんどが独身なのである。男運が無いだとか、男がいなくても人生は楽しいとか、男なんて全滅しろだとか、妾から見ても馬鹿なことばかり申す女子ばかり。
肉食女子の集団は遠目に見ると美しいかもしれないが、朝は様々な種類の香水の匂いが混ざりあって異臭がするし、夜はそれに酒と若干の汗の臭いが混じってしまう。しかも勢いが強すぎて、これでは男子が寄り付かんのも納得だ。昨今は草食動物が増えているらしいので、尚のことだな。
妾は古株とまではいかないが、まだこの集会に一回しか参加したことがない。別にこんな集会をしなくとも、個々の女子会でもよく似たことを繰り広げているというのに、よくも飽きないものだ。
「すまぬ、屋都姫。妾は人に会いに行く用事があったのだった」
「それでは仕方ありませんわね。私から主催天女に連絡しておきましょう」
実際は用事など無い。しかし、こう言ってしまった限りはどこかへ出かけねば格好がつかぬ。妾は自分のロッカーから天女の必須文房具である筆と巻物を取り出すと、そそくさと持ち場の職場へ急いだ。
天女は、基本的に事務方だ。時の狭間にやってくる者共の振り分けや、プロフィールの洗い出しと各宿への連絡、導きの神の話し相手、他の神々付きの天女との情報交換、さらには情勢視察という名の異世界旅行までもが業務のうちだ。ん? これは事務ではない? そうだな。ある意味、時空を超えた興信所のような機能があるのかもしれない。
ああ、つまらぬ。
目を閉じると、止まり木旅館での楽しい日々が思い出される。妾はもっと、あの頃のように程良く刺激に溢れた生活を送りたいのだ。とは言うても、肉体労働は好かぬ。汗はかかずに、ニヤニヤできるような出来事を眺めるのが良いのだ。できれば、他人の色恋沙汰などが良い。自身の恋愛は皇女時代で懲りたが、他人事だとなぜこうも面白いのか。『養翠之館』に居る、肉感の良い千景から生まれた楓があぁも残念な体形であること並みに不思議である。
というわけで、他の天女と雑談もせずに仕事していると、すぐに今日のノルマは終わってしまった。となると、天女特権を用いて、仕事しているフリをしつつ、他人の恋愛を眺めて過ごすことにいたそう。天女は、時の狭間に来る者共の過去とその後を観ることができる。例えば、楓が宿に迎え入れた客が無事に元の世界に帰った後、どのような生活を送っているのかを知る事ができるのだ。
以前、楓に聞いたことがある。
「去った客のその後のことは気にならないのか」
楓はしばらく考えた後、控えめの笑顔でこう返してきた。
「気にならないと言えば嘘になります。印象的な御客様のことはいつまでも心に引っかかったままということもあります。でも、私にできることは、もう二度とお会いすることがないように……つまり、いらっしゃったお客様が今後は人生が詰むことなく、幸せに暮らせますようにって祈ることだけ。だから、私はそう信じてるんです」
楓の立場では、どうせ知る事ができないことを思い悩んでも仕方が無いということもあるだろう。だが、それ以上に、楓は楓なりに自分の『おもてなし』に自信を持っていて、さらに言えば信じることで去っていった客達の幸せを後押ししようという決意があるように感じられた。
楓も、いよいよ時の狭間に構える旅館の女将らしくなってきたということだろうな。
しかし、妾は違う。
天女の癖に時の狭間の迷い人のフリをしてみたり、こうして考え事をしてサボってみたり。おそらく妾のタイプでは、元来仕事人間にはなれないのだろう。
妾はそっと小さなため息をつくと、文机の上の半紙に筆を立てた。五月と、ユリ、セーラー服と書く。この半紙は不思議なことに、以前時の狭間に訪れた者を検索し、その者のその後の様子を付属の鏡に映すことができるのだ。
半紙の横に置いていた鏡の中がぼんやりと白く濁り、マーブル模様で埋めつくされる。時空を超えて、五月という名の娘を探しているのだ。
数秒後、鏡はふっと白と緑の強い光を放つ。
彼女は、妾が止まり木旅館に振り分けた娘。楓と巴に接客されて、あっという間に元の世界に戻ってしまったが、妾にはあの時の涙の意味が分からなかった。誰か、愛しい者の姿を思い出し、その魂に引かれるようにして元の世界へ戻ったのかと踏んでいるが、真偽はいかに。
鏡の中には、少し気の強そうな少女の横顔が映りこんだ。妾が好むような恋を見せてくれるならば、考えを改めて今夜の集会に出てみようか。妾はそんな妙な願掛けをしながら、鏡の向こうに広がる異世界に目を凝らした。
次回は五月さん視点のお話ですよ!