モグラ令嬢は間違いに気づかない
「お嬢様、おはようございます」
朝の挨拶をしながら侍女のリリが部屋のカーテンを開ける。仕切りを失った窓からは自己主張の激しい太陽の光が大量に流れ込む。それは容赦なく私の目を傷めつける。
今日の天気を私なりの言葉で伝えるのなら最悪の快晴だ。こんな日は一歩も屋敷から出ずに過ごすに限る。
頭の中で誰に言うわけでもない言い訳を完成させていまだに太陽光から攻撃を受けている目を守るようにして布団をかぶる。
まあ、どんな天気であろうとも屋敷から出る気なんてないのだけど……。
だがこんな日は特に外になんか出るべきではない。むしろ布団から出るのすらいけないことかもしれない。
私は現在進行形でリリが私から引っぺがそうとしている布団を必死で抑えた。これは私とリリの日課と言っても過言ではない。
リリは私の侍女として、私がこんな朝も早い時間から布団から出ることなどありえないことを重々承知していて、それでも形だけでも起こそうとするのだった。
「お嬢様、起きてください!」
布団の外に出たら、お兄様が褒めてくれる私の白い肌が焼けてしまうではないか!
それだけは避けなくてはならない。
そう、これはお兄様のため。決して私が布団から出たくないわけではないのだ。
いつものように誰にも言うことのない言い訳を頭の中で繰り返しながらいつものようにリリとの攻防戦を演じる。
「お嬢様!」
……今日のリリはなんだかおかしい。
いつもだったらもうすでに諦めてカーテンを閉めてくれる頃なのに、今日は一向にベッドから離れようとはしない。
何かあったのだろうかと布団の隙間からリリの顔を伺おうとしたのは失敗だった。
「お嬢様。やっと起きる気になりましたか!」
起きるつもりなんて全くないことなんか長い付き合いのリリならわかるはずなのに、強引に私の布団をむしり取ってしまう。
うう、寒い……。
もう春も終わり、あと少しで暦の上では夏になるとはいえまだ朝と夜は冷え込む。
腕をさすりながらアピールをすると、リリはむしり取った布団を畳んでソファの上へとおいてきてしまった。
「寒いですよね? では着替えましょうか」
布団の代わりに、厚さは布団に全く及ばないほど頼りない洋服を腕にかけながらやってくる。
「いや、あの、布団を……」
「着替えましょう!」
私の言葉は華麗にスルーされ、布団が恋しいと手を伸ばす私の腕をひき、すでに用意してあるドレスを人形に着せ替えるかのように素早く私に着せる。
ん? ドレス?
何でドレスなんか着るんだろうか?
危ないからって言って、特別な日にしか着ないのに……。
私は基本的にパンツスタイルで過ごす。これは貴族の女性としては少し変わっているかもしれない。親戚中探してもパンツスタイルの女性は私だけだし、他の家の人でも聞いたことはない。
だが、昔からよくドレスの裾を踏んでは転び、ドレスのフリルをどこかに引っ掛けてはまた転び、挙句の果てに何もしていないのに転び。
そんなことを繰り返しているうちにお父様から「危ないからせめて屋敷の中くらいは……」という理由で針子に特注で作らせた女性用のパンツを履いて、一切装飾のないブラウスの上にカーデガンを羽織って過ごしている。
これはお父様からの命令だが、私もドレスよりもパンツのほうが好きなのでその命令に従っている。
そんな私がなぜドレスを?
私が疑問に思っていることなんて無視して、鏡の前まで引っ張ってきて少し強引に座らせるリリ。
こんなに力強かったかな?
いつもなら私の体に気を使って最小限の力を出さないリリであるが、今日はいつもよりも強いのではなかろうか。
そう思い自分の腕を見ると薄くではあるがリリの手の跡が残っていた。さすが大陸一の戦闘民族の血を四分の三もひくだけのことはある。
これでもきっとセーブしてるほうなんだろうな……。
うちに来たばかりのリリはと言えば、食事をするのでさえも難しく、力加減を間違ってはカップを割ってしまったり、フォークとナイフを捻じ曲げてしまったり……。困ったお兄様がリリのためにと食器を取り寄せたものだった。
そんな彼女も今は立派に力のセーブができるようになり、興奮状態にでもならない限りはドアノブを破壊することもなくなった。
今は若干浮かれているといったところか。
長年の付き合いもあり、これくらいならまだ止めるまでもない。それにしても朝の起こし方といい、普段は着ることはないドレス、極めつけはリリの少し強引な態度。一体何があるというのだろうか?
「はい、お嬢様。できましたよ!」
リリがそういって満足そうな顔をする頃には私は別人のようになっていた。これはリリが魔法でも使っているのではないかといつも思っている。
そういうとリリはいつも少しだけ照れてから真顔で
「お嬢様が本気を出せばもっときれいになれますから」
と言って、何に使うのか私では皆目見当もつかないような道具をたくさん出してくるので
「ありがとう」
とだけ言うようにしている。
鏡の中の別人のような自分を眺めていると部屋の外から、強めにどんどんと扉を叩く音がした。
「? 誰だろう?」
いつもこの時間はまだ寝ている私の部屋の戸をこんなに騒がしくたたくなんて……。
疑問に思っていると外からは
「ルル! ルル!」
と慌てたようなお兄様の声がした。
その声に驚いて、私は急いでドアに駆け寄り戸を開けた。
「どうしたんです?」
「逃げるぞ!」
「え?」
いきなり私の手をつかみ外に出ようとするお兄様。とても焦っているようで理由なんて言わないから私には一体何が何だかわからない。
「ダメですよ。ロイド様」
「っ」
お兄様を止めようとするリリの手はがっしりとお兄様の腕をつかんでいる。
きっと先ほど私の腕をつかんだ力よりも強いのだろう。お兄様の細いながらもそこそこに筋肉のついている腕には血管が浮き出ている。
「えっと、お兄様。どうしたの?」
痛そうだな……と思いっつ、動けないでいるお兄様に尋ねた。
いきなり逃げるといったからにはそれ相応の理由があるに決まっている。
「そ、それは……」
強引に私をどこかへ連れて行こうとした割には理由を言いづらそうに口ごもってしまうお兄様。
それと反対に「お嬢様、用意もできましたし行きましょうか」とお兄様をつかむ手を一向に緩めることなくこちらに向かって微笑むリリ。
本当に何があるっていうの?
「え、リリ?」
「大丈夫、何も怖くないですよ?」
そう微笑むリリに背筋がゾクッと冷える。
一気に冷え込む頭に浮かぶのはとある民謡だ。出荷される動物の気持ちを綴った歌は楽し気に歌う子供の声とは正反対に思いのほか残酷な歌詞だった。
え、何? 私どうなるの? 出荷? 出荷されるの?
「遅いぞ、リリ」
「すみません、旦那様」
「お父様? いつここに?」
「つい今朝方、お前の旦那となる男を連れてきた」
「え?」
「ルル、お前ももう結婚してもいい年頃だ。こんな山奥に引きこもってないで王都へと出るぞ」
「お父様! ですがリリは!」
「ロイド、いつまでこの子が病弱だと言い張るつもりだ。すでに医師は口を割った」
「……あのじじい、裏切りやがって!」
「お前も早く嫁を取れ。いくら一代限りの爵位を賜ったとはいえ妹を甘やかして山奥に籠っているのは私が許さん。なんならお前も王都へ連れて帰る」
「……そうしたらルルの結婚はなくなりますか?」
「それはない。この子は私が次期宰相にと認めた、シェハードと結婚させる」
「シェハードってあの……」
「そう、彼だ。彼にならルルを託せる」
「俺は反対です! よりによってあんな男に!」
「否定はしないが、彼ならルルを大切にしてくれる」
「大切? 何をトチ狂ったことを!」
目の前でお父様とお兄様が言い合いを続ける中、ああ、私もついに結婚するのか……と他人事のように思うのは屋敷に引きこもっている生活が長いからだろう。
ひとまず出荷もとい身売りではなかったことに安心する。もとよりお父様とお兄様、そしてリリがそんなことをするなんて思ってはいないけれど。
思えば二、三年くらいはまともに外部と交流してこなかった気がする。
話す相手といえばお兄様かリリ、そしてたまに様子を見に来るお父様くらいだろう。
お母様が早くに亡くなってしまったからかお兄様は私にめっぽう甘いらしい。私にとっては昔からこんな調子のお兄様だから特別甘やかされているという自覚はないのだけど……。
外に出るのを面倒がった私と、私を大切にしまっておきたかったお兄様の願いが重なりこんな山奥の別荘へと引きこもって居たのだがそれももう潮時ということだろう。
「お父様、私はシェハード様と結婚すればよろしいのですね?」
「ああ、そうだ」
「ルル!」
「お兄様、ちゃんと私、シェハード様と仲良くしますから心配しないでください」
――そう告げたのはいいものの、早速シェハード様のお屋敷にと移ることになった私が乗せられたのはシェハード様の家の高価そうな馬車。
車内には私とシェハード様の二人しか居ないのに妙に息苦しい。
他人の馬車なので空気の入れ替えにと窓を開けることさえできない。そのため早く目的地に着いてくれと願うばかりである。
移動中、足でパタパタとリズムを刻み続けたシェハード様は苛立ったような視線を私に向けて宣言した。
「俺は君を愛するつもりはない。金のことなら心配しなくていいから男でも囲えばいい」
吐き捨てるように言った割になぜかこちらの返事を待っているようにシェハード様はチラチラと伺い見ている。
一体男を囲って何が楽しいのかわからないが、愛してはくれないが夫にはなるらしいシェハード様の機嫌を初日から損ねるのもなと思い、「はい」と一応返事しておいた。
それから間もなくしてシェハード様のお屋敷に着くと、シェハード様は私だけを屋敷前におろして自分は馬車から降りずにどこかへ行ってしまった。
後から近くにいた使用人に「旦那様はお忙しい方なのです」と言い訳のように話されたからおそらくはこれからもこんな感じで過ごすのだろうと理解した。
私だって別に結婚したかったわけではない。だから関わらないなら初めから関わらないと言ってくれたシェハード様は優しいのだと思う。
きっと優しい彼なら一日中お布団に篭ってようが怒ることはないだろう。
そう思うと意外と他人の家というのも過ごしやすそうだ!
早速使用人に今日から自室となる部屋へと案内されるとそこには人が一度に何人も眠れるベッドが真ん中にででんと鎮座していた。
まるでこれはここぞとばかりに寝ていいのだと言われているようだ。
寝返り打っても落ちないし、おまけに腰をかけた途端にゆっくりと身が上がる低反発素材のマット。もちろん頭のあたりに置いてある三つの枕は全てフッカフカだ。
シェハード様は私を愛するつもりはないそうだけど、同居人として気を使ってはくれるらしい。
そうとなれば私も何か返せることはないだろうか。
ここまでしてもらっては少々居心地が悪い。
「あ、そうだ! 男を囲もう!」
できることといって思い出したのは『男でも囲えばいい』という言葉だった。
ここまで案内してくれたのはお父様よりも10も20も歳上の使用人だった。彼に頼めば囲われてくれるだろう。
囲むものは…………そこに無駄にたくさんある椅子でいいだろう。ちょうど4席ほどあるから前後左右に置けばいいのだ。
思い立って早速彼を呼びに行って囲んだのは良かったけど……。
「……あの奥様?」
囲まれた彼は何がなんだかよくわからずにオロオロとしている。かくゆう私もこれの何が楽しいのか理解に苦しんでいる。
そして何より重要なことがある。
「囲ってしまったらお仕事できなくなっちゃいますね……」
椅子の囲いの中はちょうど使用人の彼、一人がいるのがやっとなくらいで自由はあまりきかない。
椅子の背もたれが彼のお腹の辺りだからその上、腕は自由だけどその場からは動けないのだ。
「うーん……。どうしましょう?」
私が悩んでいる間、彼は意味がわからないようではあったがずっと囲まれていてくれた。
窓からの光だけでは不便を感じ始めると、外出先から帰ってきたらしいシェハード様が真っ先に私の部屋に来た。そして私を見据えて「君は一体何をしているんだ!」と怒鳴った。
「何って、男を囲んでいるのですよ?」
『男を囲んでいればいい』――そう言ったのはシェハード様の方なのに、怒られるなんて釈然としない。
「はぁ!? これだから女は嫌いなんだ! いつも予測不明の行動をとる……」
「奥様、男を囲むというのはこういう意味ではないのですよ……」
囲まれたままの彼が呆れたように呟いた言葉に私は意味がわからず首をかしげるのだった。




