ヨミヒラ坂から
「いいですよ」
これには意外だった。もっと何かあると思っていた。
「意外だ。もっと引き留めるかと」
「だって、あなたは復讐したいんでしょう?人間に。それは生きていないと完全には成立しない。あなたは人間として生まれて人間として扱われなかった事に対して生者として人間として、同じ者達に教えたいのでしょう?それってきっと素敵な事。」
…………知りすぎている。
先ほど、記憶を介してと言ってはいたが。
「成し遂げたら、私の元に帰ってきてくれますか?」
いい娘だ。とても。
人の怨嗟を受け止めてしまうあたりは流石、あの世の支配者階級。
だが、これにはどうしたものか。
(悩んでも、仕方ない)
「分かった。もし、死ぬならその時には答えを出そう。」
「それと、もう一つ………」
「なんだ?」
「……………キス、して」
……………。
これは恐らく、彼女なりの我が儘なのだろう。
あまり不誠実な行いはしたくない。
だが、この際、文句も言えない。
「…………やっぱり、無理ですよね。いいです。次は」
そう言う彼女の唇を奪うと、瞬くの間、彼女は満たされた様に瞳を閉じた。
「仕方ねぇな、今回だけだぞ?」
それだけ聞こえて、重なる唇の感触が消えた。
ヘルナは目をうっすらと開けると、そこに彼の姿はもうなかった。
「素敵…………」
「行かされたのですか?」
「えぇ、とても素敵な………。素敵なお方です。ここにはない熱く溶けてしまいそうな熱と、生に、正に、満ちた邪のお方………。」
「よいお返事が返ることを期待しましょう」
ふん、と鼻でため息をつくガルフを気にかける事も無く、ヘルナリナは彼が行ってしまった地上への紅い空を眺めていた。
━━━━…………
━━━━━━……………。
「………っはぁッ!!」
目が覚めると、痛みが襲った。
胸部に痛みが走り、目の前が霞む。
「ッアァ!」
思わず声を漏らし、痛む胸を押さえながらも周辺を確認する。
部屋だ。ピリピリヒルの城の。
自分の部屋だ。
「おやぁ?ヒロちゃん、目が覚めましたかぁ?」
「っ………み、ミコさんか」
ベッドの下から例の如くミコさんが出てくる。
「あれから………どうなった!」
「アレから?」
「っ!もういい!!」
居ても立っても居られず、痛みをこらえて立ち上がる。
「ちょ、ちょ、ちょっと!ヒロちゃんダメですよ!アナタは今、動ける体じゃあないの!」
「うるさい………!」
ミコさんを押し退けて、廊下へ出る。
窓からは月明かりが差し込み、夜だと分かる。
「無事なのか………ミナ………エルナ……アルス………ニカウ………謙信……信玄………」
重い体を引きずり、息を切らして廊下を歩く。
「みんな………」
またふらりと足がもつれる。
それを誰かが支えた。
「何やってるんですか、まったく……」
「あ、るすか………みんなは」
「なら、見に行きますか」
アルスは黙って肩を貸すと、ゆっくりと歩き、ミナリアの部屋を通り過ぎて、会議室の戸をゆっくり、静かに開いた。
そこにはいつもよりも、散らかった会議室があった。
様々な文献や道具や薬物が散乱し、テーブルにはミナリアが突っ伏し、椅子に座ったまま顔面に開いた本を乗せて器用に眠るエルナがいた。床には大の字になったニカウが寝ていた。部屋の角には謙信が信玄の髭を引っ張ったまま眠り、信玄は薬を摺りながらガクリと眠っていた。
「みんな、あなたのためにと足掻いて、このザマです」
微笑むアルスの顔にはうっすら目元にクマができていた。
それを確認すると、安心したかの用に意識を落としてまた眠ってしまった━━━。
「不思議なお方です。他者を引きつけて止まない。まるで本物の王子、いや、それ以上でしょうか…………人間なのが不思議なくらいです。」
アルスは深く眠る王子代役を再び、寝床に戻すと皆に布団をかけて、自らも眠るのだった。




