前日譚:失礼な男
放送禁止用語が出てきます
あれから半年が経過した。
店ではレイラと言う源氏名を貰い、働くことになった。
この店はそこら辺の酌婦を大勢侍らかして飲む店とは違う。
知性と美貌を兼ね備えた、最高の女性が迎えるのがこの店だ。
外面は整っていたが、まさか知恵まで回るようになっていた私の売上は、既に店の上位に数えられるまでになっている。
突然オーナーにスカウトされ、あっという間に上位の売り上げを叩きだすとなると、同僚たちから嫉妬や嫌がらせを受けようものだが、不思議とそういう事も無い。
新たに住む場所も宛がわれた。
中級住宅街の一室を用意されたが、通り一本向こうは高級住宅街であることも踏まえると、破格の対応である。
以前に住んでいた所から荷物も運んでもらったが、整理したり処分したりすると大した量にもならず、あっという間だった。
それでもあの手鏡は捨てる事なく私の手元にある。
それとあの私が私でなくなる感覚、
自分で考え動いているはずなのに、どこか第三者に動かされている感覚はなくなった、と思う。
違和感は消え馴染んではいるが、どこか頭の中に靄がかかっている気がするようなしないような……
あの何とも知れない存在は、特定の事を“為せ”と命令しては来なかった。ただその正体に関して頭を巡らせようとするのだが、どうもその巡りが悪い。
ともあれ今日も私はあの小さな祠に小瓶で酒を奉納し、いつもの老婆のパン屋へ向かった。
角を曲がったその先では、老婆のパン屋の前にいつぞやのハーフエルフが立っていた。
今日も彼は財布を覗き込んでいる。
ところが今日の支払いはスムーズで、彼は先日と同じように老婆へ硬貨を手渡しした。
「婆さん、二つ貰ってくぜ」
しかし反対からやって来た二人のチンピラに、平穏な日常は乱された。
こちら側から彼らの行動は丸見えで、彼らはひとつづつパンを手にし、会計用のざるに硬貨を入れずにふちを叩いて、硬貨のぶつかる音をさせただけだったのだ。
腹を空かせた浮浪児が万引きするのとは違う。
金目的の盗みとも違う。
憂さ晴らしなんて大層なものでもない。
彼らからすると特に意識しない行動だ。
虫がまとわりついてくるから払う。
物が落ちていたから拾う。
目に付いたものを懐に入れる。
そして指摘されるとこう言うのだ。
“みんなやっている事じゃないか。なんで俺だけに言うんだ!”
しかしここで老婆は指摘してしまった。
「あんたたち、いつも来てくれる人たちだね?お金を入れてくれてないようだけど───」
「ンだとババァ!俺らが金払ってないってか!」
「ざけんじゃねぇぞ!」
「え……?だけど……」
老婆もしまったと思ったのだろうが遅かった。私は割って入ろうと一歩踏み出したが、それに先んじた者がいた。
「いや入れてないだろ」
盲目のハーフエルフは鞄にパンを詰めながら指摘。
「ざるを揺らして音をさせたが、金を落とす音とは違うんだよ。つまんねェ真似してんじゃねぇぞ」
「音の違いが分かるだぁ?」
「ざけんじゃねぇぞ!」
「お前らみたいな奴がいるとパンが不味くなるんだよ。金払って二度度来るな」
「お前見えてねぇだろうが。盲エルフのくせして音がどうとか、いちゃもんつけてんじゃねぇ!」
「ざけんじゃねぇぞ!」
一触即発。
彼は店を守ろうと口を出したのだろうが、喧嘩になって店に雪崩れ込んだら本末転倒だ。
私は老婆をかばうように横についたが争いは収まりそうにない。
「あームカつく。てめぇどうしてくれんだ」
「ざけんじゃねぇぞ!」
チンピラたちは目配せをして左右に分かれる。
「どうするんだ?俺が言った事、理解できたのか?」
ハーフエルフの彼は変わらず平然としている。
「あ、あ~ン?」
私が注意を喚起するよりも、沸点の低いチンピラたちの行動の方が早かった。
「「ザッケンジャネェゾ、コラ!!」」
チンピラ二人は息を合わせて彼へ殴り掛かった。
だが事はあっという間に終わった。
右のチンピラは杖の突きをみぞおちに食らった。
その突きは、バネが弾けるように身体を伸ばす全力の一撃だった。
彼はそこから後ろ足を素早く身に寄せると、数瞬遅れて殴り掛かって来た左のチンピラのどてっ腹へ、カウンターで後ろ足を突き入れた。
「ぐふっ」
吹っ飛んだチンピラを彼は追う。杖で突かれたチンピラを見ると、息をするのもままならないようだ。
“かん・かん・かん”
彼が杖で足元を確かめながら進むと、チンピラはその背中に隠れて見えなくなる。
「けひっ」
彼が屈んで手を伸ばすと、倒れた男の喉から変な声が上がる。
「うげ、胸倉掴むつもりが股座掴んじまった」
やめて、そんな解説はいらない。
盲目のハーフエルフは愚痴りながらもチンピラに馬乗りになると、今度こそ胸倉をつかみ容赦なく拳を振り落とす。
「めくらエルフとか言ったな」
ごん
「目が見えてる癖にくだらない事してんじゃねぇ」
ごん
「めくら、なめんじゃねぇぞ」
ごん
「後でばあさんに何かしたら、ただじゃ置かねぇからな」
ごん
「聞いてんのか、こら」
ごん
「ちょっと、それ以上は死んじゃうわ!」
ハッと気づいて彼を止める。
彼は口元を歪め、顔を大きく腫らしたチンピラの胸ぐらを離すと、手のひらを顔に数瞬宛がうのが見えた。
あら?今何かが……
違和感に首をかしげていると、彼はもう一人のチンピラの方へ向かった。
「がはっ」
見るとチンピラが吐血していた。
「血!」
「やっぱりそうか……目が見えないと加減が出来なくていけねぇ。おい、めくら舐めてかかると死ぬぞ。聞こえてんのか?」
彼はチンピラに答えを促すが、チンピラにそんな余裕があるとは思えない。
「ちっ、仕方ねぇ。少し我慢しろよ」
彼は何か手当てをする術があるのだろうか?
再び彼がチンピラの腹部に手を伸ばすと、何かが私の中を通過していくのが分かる。
「ごほっ」
チンピラが数回咳込むと口から血の塊を吐き出し、咳込むたびに吐き出す塊は小さく、呼吸も穏やかに戻っていった。
“ピィィィィィィ”
場が収まったと思いきや、鋭い警笛が鳴り響いた。
周囲を見渡すと野次馬が取り囲み、警邏隊がそれをかき分けてやって来る。
「全員そこを動くな!」
警邏隊は現場の面々を見渡し、そして私の顔を見て一瞬顔が緩むが、かぶりを振って引き締める。
「男三人が当事者だな。詰め所まで大人しく来てもらおう。事情はそこで聞く。連行しろ!」
チンピラ二人は地面に横たわり未だ立ち上がれないが、ハーフエルフは“抵抗しませんよー”と杖を片手に両手を上げてアピールする。
「あんたも関係者か?」
「いえ、私は」
“そのお姉さんは被害者だよ”
“婆さんをかばっていたんだ”
“エルフの兄さんもそうだよ”
よく見ると野次馬の中にパン屋の常連さんたちが混ざっており、私は視線でありがとうと合図する。
“かん・かん・かん”
チンピラたちは痛みに耐えるように背を丸めて警邏隊に連行されていくが、ハーフエルフの彼は警邏の一人の肩に掴まって誘導されていく。
「えっと、ありがとうございます。お名前は───」
彼は耳を動かしてこちらへ顔を向けてくる。
「名乗るほどの者じゃない。盲目の野良神官だよ、うわばみの神様のな」
警邏隊は野次馬たちを追い払いながら彼らを連行していった。
蟒蛇……大酒呑みの蛇……祠の蛇神像……
彼の言葉で、頭に掛かっていた靄が晴れていくのが分かった。
その後は平穏な日が続いた。
老婆の店には早朝に焼いたパンが並び、ざるの中の売上金に鐚銭が混ざることも無い。
しかしあれから、自称盲目の野良神官を見かけなくなった。
もしかしたら今まで遭遇していたのが偶然だったのかもしれない。
今日も日が沈む頃に出勤する。
私の為に迎えの馬車が家の前まで来ることからも、店のグレードが窺い知れる。
だが人によっては開店前にお客とデートをして、そのまま出勤する者もいるが、余程の地位にある客でないとそれも叶わない。
しかしそれらは慣習であって、同伴出勤もせず、別に店の馬車を待たずに歩いてきても構わない。
新人や中堅どころはそうすることもあるし、そう言った地位の者がまとまって馬車で出勤することもままある。
私にそういった気を使わなくて良いのだが、つまりは店に大事にされているのだろう。
出勤し、客を取り、応対する。
談笑し、酒を付き合い、愚痴を聞く。
支払いを受け、再会を約束し、別れを惜しむ。
そんな日々を過ごしていると、ひょんなことから店に彼が現れた。
盲目の筈の彼は、相変わらず盲人の自衛の目印を付けず、杖を突いて店に入って来た。
営業時間はもうじき終了。
にもかかわらず今晩は酔い潰れてしまった初見のお客様が一名。
この界隈のお客は上流階級の方々ばかりなので、足は行きも帰りも馬車である。
いつもならば酔い潰れても馬車に乗せて“終了”なのだが、連れのお客様によると奥方には内緒での来店なので、意識明瞭で帰さないと当人は夜遊び禁止になり、将来の店の売上も危ぶまれるとのこと。
かといって“酒精分解”や“解毒”の魔法をかけて貰おうにも、神殿や祠から神官や僧侶は“出張治療”なぞしてくれない。
そこで野良神官の出番である。
「これはしこたま飲みましたね」
横臥でぐったりとしているお客にしゃがみ込むハーフエルフの彼。
「大丈夫ですか?」
黒服のチーフが声をかけるが、お客を心配している風には聞こえない。それとも彼を信頼しているのだろうか。
「問題ない。で、コースはどうする?一発覚醒二日酔いコースと、ゆるやかお目覚め微睡みコースだ」
営業トークが胡散臭い。こんな人だったか?
「具体的には?」
「んー、強力な神の御業を一回か、やさしくあれこれ気配りの利いた神の奇跡を三回か、だな」
御業とか奇跡とか、ますます胡散臭くなる。
それでも普段見れない神の奇跡に、帰宅前のお客も女たちも興味津々である。
黒服チーフが連れの客を黙って見て促す。
「早い方で頼む」
「まいどあり」
そう言って野良神官はぐったりとしている客の額に手を当てる。
“酒精分解” “覚醒”
一発ではなかった。
暗い店内で淡い光が二度灯ると、小さくざわめきが起こる。
そして何かが私の中を二度、通過していった。
「んっ?私は……なにが……?」
「閣下、説明は馬車の中で。時間がギリギリです」
「なっ。これはいかん」
お客は私を見てはにかんで顔を反らすが、慌てて連れと二人で店を後にする。当然接客していたホステスも、見送りへスカートの裾を捌いてついていった。
「あっ、寝る前に水をしっかり飲んで──あーあ……」
目が見えなくとも声が届かなかったことは分かったらしい。
「飲まないとどうなるのですか?」
訊ねる黒服チーフ。内容によっては人を走らせるのだろう。
「二日酔いコースって言っただろう。しっかり水分補給することで多少なりとも軽減できるんだ」
「良いのではないですか?お酒とはそういうものです」
「レイラさんシビアね~」
私が割って応えると、同僚が揶揄ってくるがそんなこと知らない。
そもそも私のお客ではないし、サポートで同席していたに過ぎない。場繋ぎでくだんの客の隣に付き、お酌をしていたのだ。
話しを向けても簡単な返事ばかりだったし、グラスの中身が少なくなれば注ぐのは私たちの仕事である。
「ひどーい。あのお客さんのペースが早かったのも、レイラさんの美貌に気もそぞろだったせいだと思うな―」
私が何をやったというのか?顔の皮一枚で酷い言いがかりだ。
「あの~、そちらの方、どこかでお会いした事ありませんか?」
野良神官の彼がおずおずと声をかけて来た。
「あはは!目が見えなくても男の人はその手を使うのね!」
同僚の指摘に、残っていたお客や店の者たちの笑い声が広がり、その日はそれで店仕舞いとなった。
彼もそういう意図ではなかったのだろうが、失敗したとばかりに頭を掻いている。
ごめんなさいね。実はあなたと会っているんです。
パン屋の老婆の為に一肌脱いでくれた彼。見返りを求める訳でもなく、義憤にかられた故の行動だったのだろう。
私は彼に答えることなく、胸の内で“ありがとう”とつぶやいた。
だが彼との再会はあっけないものだった。
この先早々出会わないだろうと思っていたのに、翌々日あっけなく鉢合わせてしまう。
日課となっている祠への奉納を済ませるため、中に入ると先客がいた。
そもそもここが混むのは夕方からで、皆一杯やる前、酒宴が終わった後に詣でるからである。
となると人のいない午前中に神官たちは祠を清める。というかそこしかタイミングがない。
その筈なのに先客、つまり彼がいた。
さして広くない通路。人一人擦れ違おうとすると肩が触れそうな幅だ。
彼はその通路に入ろうとしたところで私に気付いたのだろう。
目不自由なはずなのに……これが気配を感じるという事なのだろうか。
「どうぞ」
「恐れ入ります」
道を譲ってくれる彼に対し、小さく小さく礼を返す。
だが耳聡い彼は聞き逃さなかった。
「貴女でしたか。一昨日は仕事中に失礼しました。あの場面で声をかけるべきではなかったのに」
「別に構いません。昨日も妙な流れになりまして、盲いた者にも粉をかけられるとかからかわれて……大した見た目でもないのですが。はぁ……」
「あぁ、俺、いや私が貴女をナンパしたことになっているのですね。ははははは、はぁ。いや、その、声をかけたのはですね、あのパン屋、その後問題ないですか?」
彼は騒動の後のパン屋の様子が気にかかっていたらしい。
あの後警邏隊の詰め所でチンピラたちはこってりと絞られ、彼も取り調べを受け、その日は留置所に泊まり朝帰りになったとか。
ここで再びパン屋に通えば、八つ当たりの可能性も出てくる。
その為彼はチンピラたちの報復を恐れ、パン屋に近付かないようにしたそうだ。
「あそこのパンは気に入っていたんだがなぁ。あちこち廻っているんだが、砂混じりだったり、味が今一つだったり、高かったり……あの婆さんのパンが食いたい」
彼はあの老婆のパンが相当お気に入りだった。
「……良ければ代わりに買ってきましょうか?ここで待ち合わせすれば見つかることもないでしょ?」
「いいのか!助かる。そしたら金を渡しとくから!明日の今時分ここでまってるから!よろしく頼む!」
圧が凄い。そんなにあのパンに飢えていたとは思いもよらなかった。彼は財布から大銅貨を取り出し、私の手を取って握らせてくる。
店でのお客からのおさわりとは質が違い、久しぶりの色恋抜きの接触に顔が熱くなってくる。
「わ、わかったから。明日、明日ね」
失礼にならない程度の勢いで手を離す。ここで彼も自分の行動に気付いたようである。
「すまん、その、よろしくたのむ」
そう言った彼であったが、ここで様子が変わった。
至近距離から離れたが、そこで彼の百面相が始まった。
眉をひそめ、目は見開いたり細めたり、左右交互に片目を開く。
あ、眉間に穴みたいなものが二つあるのを見つけてしまった。
そして彼はその眉間に指をあて、私の顔を眺め───
見えないはずの目なのに、
彼は───
確かに───
私の顔を───
見た。
見つめ合う事、数十秒───
変化は一瞬───
“おろろろろろ”
事もあろうか、男は私の顔を見て嘔吐した。
翌日、約束は約束なのでパンを代理購入し渡した。
祠の神官が生温かい目で見て来たので、私には珍しく睨み返してやった。
彼は彼でしどろもどろになりながら、避けられぬ突発的なものと弁明・謝罪を繰り返してきた。
一応謝罪は受け入れたが、納得は出来ていない。
この顔になって視線を逸らされるならまだしも、私の顔を見て吐きやがったのだ。
人の顔を見て吐くとは何事だ!
腹の虫がおさまるまで、パンを買っていってやるものか。
店の同僚にこの事を愚痴ると、この事は公然の秘密となり、瞬時にオーナーの耳に入った。
数日後出勤するとすぐにオーナーの部屋に呼び出されると、部屋には何と彼がいた。
嫌な予感をひしひしと感じつつも、オーナーの言葉を待つ。
「君の行き帰りの護衛を紹介しておく。実力は私が保証しよう」
「ご存じでしょうが、人の顔を見て吐き出す相手とはちょっと。これでもそれなりの容姿は持っているつもりなので、大変傷つきました」
「店で三指に挙げられる美貌の君が“それなり”とは!何を言いたいかと言うと、彼ならば君に言い寄ることも無いから、安心してくれたまえ、ということさ!」
“君は彼の好みではないようだし、店も安心だ”とかオーナーは宣い、私の護衛は彼に決定した。
今考えると、彼の評価が底値だったのはあの時だった。
それが彼を養うまでとなるとは、どんな“神のいたずら”であろうか。
これにて前日譚終了です。
馴れ初めは書けましたが、デレの過程は無理です。
ほんと恋愛系の作者さんたちとか尊敬しちゃいますね。
ブクマ・評価、宜しく願いいたします。
今回もお読みいただきありがとうございました。
以下、飛ばしてしまってもOKです。
めくら=目の不自由な人
めくら≠目の見えない人=全盲
筆者は強度近視で、眼鏡が無いと小説を読む事も書く事も出来ません。最近は緑内障予備軍の上、老眼の気までが……
結論
私はめくらです!
もし自分のめくらがもっと進行したら、根性で小説をダウンロードして、読み上げアプリで楽しむのだろうなぁ……というところまで想像しました。
みんな、サプリメントはブルーベリーだけじゃなくルチンも飲もう!