前日譚:疵の女
お久しぶりです。
前日譚は基本彼女視点です。
冒頭、不快表現が続きます。
自分の容姿は人並みだと思っていた。
美人と言うほど自惚れていないし、不細工と自嘲するほど自虐的でもない。
普段から清潔を心がけていたし、身だしなみも整えているつもりだ。
それでもどうしようもないことがある。
どうしようもない事が起きる。
“ヒトは見た目が九割“と誰かが言った。
容姿が優れていれば、それだけで生き易さが違う。
しかしそうとも言い切れない。
近所のお姉さんが相思相愛で結婚した。
お姉さんはこう惚気る。
“ガリガリで胸もぺったんこ。鼻ぺちゃの私のどこがいいの?”
“そんなお前を愛しているんだ”
プロポーズのやり取りを再現して身をよじらせる。
その容姿も千差万別。百人いれば百人分の好みがあるのだ。
今までの私はそう思っていた。
ある日仕事帰りの私は、夜道の曲がり角で馬車に引っ掛けられた。
命に別状は無かったが、転倒し引きずられ、顔を石畳にひどく擦り付けられてしまったのだ。
傷が塞がっても跡が残った。
さほど大きくなかったのだが位置が悪かった。
額やこめかみであれば、髪や三角巾で隠すことも出来ただろう。
頬骨あたりの傷を隠すには無理がある。
さらには傷のせいで、酔っ払いに絡まれた。
“この傷では嫁の貰い手も無いだろう”とか勝手なことを言い、“俺といい事しようぜ”とかたわ言を抜かしてきた。
大体そんなセリフに引っかかる女などいるはずもない。
無視して通り過ぎようとしたのが腹に据えかねたのだろう。
すれ違いざまに手に持っていた酒瓶で殴られた。丁度傷がある位置を、だ。
もともとひびが入っていたのか、酒瓶は割れ、血が飛び散り、傷はさらに広がった。
酔っ払いは通りすがりの人の通報で警邏隊に掴まり、私は治療院に担ぎ込まれた。
神官様の癒しの技のお陰で傷は塞がったが、ガラスの破片の除去の為、傷跡はさらに広がった。
よく言えば歴戦の傭兵の面構えと言ったところだが、私の細腕では剣など持てず、せいぜい包丁がいい所。私はただの町娘だ。
この顔は不細工とは違う。不細工でもこんな醜い傷は無い。
ヒトは見た目で損をする。
この日から私は分厚いヴェールを被るようになった。
古くからの知り合いや近所の人たちからは、慰められ同情され励まされた。
取り敢えず私はそれらの言葉に前向きな反応を返すが、彼らの言葉はおざなりな物だろうから私は深く受け取らない。
どんな言葉を費やされても、彼らにとって他人事であり、しばらくすればどうでもよくなるに違いない。
こんな私に拘わりたいと思うものはいないだろう。
もういや。
深夜、月明かりを頼りに部屋を出た。
夜も遅いので人通りはほとんどない。
素顔を見る者もいないので、ヴェールを上げて歩き出す。
月がきれいだ。
衣越しではない、見通しの良い視界などどれだけ振りだろう。
太陽の光も素肌に浴びたかったが、今宵の満月も素晴らしいのだから、それはそれで満足だ。
普段お酒を飲む習慣などないのに、今日はなぜか一番小さな瓶で一本買ってしまった。
晩酌をするわけでもなく、放置するわけでもなく、部屋を出しなに持って出た。
酒瓶片手で月明かりを歩く。
歩いていると祠が見えてくる。
私はこれからやることがあるのに、なんで酒瓶を片手にしているのだろう。
この場で飲み干す気もないし、そのあたりに放置する気にもなれない。
それならば。
小さな祠に入ってみると何を司る神かは分からないが、一メートルほどの蛇神像があった。
御利益を得んとお参りに来た者が撫で擦った結果であろう、青銅の像は丸みを帯びてしまっている。
おあつらえ向きとはこのことか。
酒瓶のふたを開けしなに、少量手にこぼれてしまったのでぺろりと一舐め。杯は無いので瓶ごとお供えする。
そして何も願わず、ただ単に手を合わせて数瞬瞑し、私は祠を立ち去った。
そのあとも不思議と誰に会う事もなく門を通り過ぎ、街の外を流れる川に辿り着くと、誰にも邪魔されず橋の欄干に上れた。
明るい月の光が、私の醜い傷跡を照らす。
私は特に気負うこともなく、足元の暗い流れへ身を投じた。
★☆★☆
とある老婆が営むパン屋がある。
夫が亡くなってからも、身体に染みついていたパン焼きの技術のお陰で、彼女は路頭に迷うことは無かった。
年老いて目が不自由になっても手は自然と動いた。
材料も誠実な馴染みの商人が誤魔化すことなく卸してくれているし、日々近所の常連客が商品を購入してくれるので売れ残るのも稀であった。
それでも何かしらの悪意に晒されるのは世の常である。
「おばあちゃん、お金入れておくわね」
目が良く見えない老婆に代わって、パンと引き換えに銅貨をざるへ音をたてて落とす。
人の善意で成り立っているのが、この老婆のパン屋であった。
だが彼女は“今日も”ざるの中身に気付く。
本来であればざるの中身は銅貨のみであるはずなのに、そこには数枚の鐚銭が混じっている。
老婆の目が不自由なのをいいことに、支払いを誤魔化している者がいるのだ。
「おばあちゃん、もう一個くださいな」
「はいはい」
彼女は不快な思いを振り払い、ざるの中へ銅貨を多めに落とし込んだ。
“かん・かん・かん”
音に気付いてその方向を見ると、杖で石畳を叩きながら男がやって来た。
それも酷いしかめっ面である。
機嫌が悪いのか、それとも怪我などで痛みを我慢しているのか。まばたきも多く、時折糸目になるおまけつきだ。
店の前に着くと、男の鼻がひくひくと動いた。と同時に、少しとがった動く耳からハーフエルフと分かる。
「ばあさん、パンくれ。ふたっつだ」
「はいはい」
老婆は椅子から立ち上がると、ゆっくりとした動きでパンを二つ手にして戻って来る。
男はというと、財布から取り出した硬貨を至近距離で確認している。
鐚銭・銅貨・大銅貨……きれいな銀貨が一枚出てきたが、それはすぐさま元に戻した。
「ここに置いておくよ」
「あんがとさん。金だ、手だしてくれ」
老婆の手に銅貨が音をたてて落とされる。
「あと一枚、どれだ……こいつか?」
そうか、この男も老婆のように目が悪いのだ。目に入った財布の中身は、銅貨だけでなく、黒ずんだ銀貨も混じっている。彼にとってこの黒ずみが、硬貨の判別を妨げているのだろう。
健常者であれば、硬貨の模様も合わせて難なく見分けているのだが、彼にとってはそれすらも苦労の対象になってしまっている。
「それで合ってますよ」
「あ゛ん?」
「銅貨を探しているのですよね。手にしてるそれで合ってます」
「お、おう……」
男は老婆の肩から伝って手まで辿り着くと、最後の一枚を落とし込んだ。
「はい、まいどあり」
老婆は知ってか知らずか、男の方を見て笑った。果たして男はそれを認識できたのだろうか。
「ありがとな」
老婆と私へ順番に顔を向け、礼は一言で済ませるハーフエルフ。
顔を近づけねば判別は出来ないだろうに、彼は目を細め・見開き・顔をしかめて私を見ようとするが、最後は諦めて来た道を戻っていった。
なにか少し、胸の内が軽くなった気がした。
「なんて神々しいんだ。しっとりと艶めいた黒髪!白磁のようなシミ一つない肌。あぁ、僕には君を褒め称える言葉が足りない!」
この男は店に来るたびに、私を森羅万象に例えて讃えていたのだが、とうとう言葉も尽きてしまったようだ。
ひたすら“美しい”とか“綺麗だ”と連呼し語彙が喪失してしまっている。
私も一々礼を言わず、男の目を見て笑みを浮かべながら、隣の席に腰を下ろす。
「清潔にしてお化粧しているだけです。今晩もご来店ありがとうございます」
相手の膝に手を添えて挨拶すれば、店の常連の男も童貞の様に顔を赤く染める。
疵貌の町娘はもういない。
生まれ変わり?そんな夢のあるお伽話ではない。
私と言う存在は川に流れて消えたのだ。
………
……
…
★☆★☆
濁流に翻弄されていた私は、ある瞬間に息苦しさから解放された。いや、息すらしていないのに、苦しみから解放されて息を吐こうとすらした。
そんな私に声がかけられる。
“命を無駄に散らすとは、何と勿体ない“
“誰?もういいの。疲れたの、放っておいて……”
“疲れた?この先、お主には百年もの寿命があるのじゃぞ”
“百年……そんなの耐えられない……もう、いかせて……”
“ふむぅ。汝が人生、苦しみだけのも哀れじゃのう。ならば半分は楽に、半分は夢を見させてやろう”
“あ、あ、あぁ……ありが……”
“残りの人生、妾の化身として夢見るがよい”
気付くと自分の部屋にいた。
川に身投げしたはずなのに服も髪も濡れておらず、床にも水滴一つ落ちていない。
服をまさぐり確認していると、手肌がきれいすぎることに気付いた。
仕事で出来た手のひらのタコはなく、水仕事で出来たあかぎれもない。どこのお嬢様と見間違うほどの、柔らかく白魚のような指先。
思わず口元が引き攣ったが、それに伴う顔の疵の引き攣れが感じられない。
おそるおそる伸ばした指の先には、醜く膨れ上がった疵の感触が無い。
まさかと確認するが、しまいには両手でどれだけさわっても僅かなふくらみすら感じ取れない。
最後の手段だ。
私は衣装箱の底に封印した手鏡を取り出した。
勇気を振り絞り覗き込むと、映しだした鏡の中には中途半端に伸びた前髪。疵を隠すには長さが足りないはずなのに、あるはずの疵が見当たらない。
深呼吸をして空いている手で髪をかき上げたそこには───
シミ一つない肌。
それよりも問題なのは、そこには見覚えのない美女の顔が映し出されていた。
その後の事はよく覚えていない。
買い置きしていた食材で朝食を作って食べた。
身支度を済ませ職場へ向かえば、雇い主が妙に遜った対応をしてくる。
まるで初恋に落ちたお子様の様に───
なので、名乗って仕事に着こうとしたが、名前が出てこない。
私の名前は……なに?
意識が混濁して次に気付いた時には、鐘楼の上で街並みを眺めていた。
しかも真っ昼間に手酌で飲んでいる。
大振りな酒瓶をカップに傾けるが、八分目で空になってしまう。
これだけの量を私が飲んだの?!
“私”はそれを一息で飲み干し、息を吐きながら眼下を眺めると、ぷつりと意識が途切れた。
次に気付いた時には、もうとっぷりと日が暮れていた。
意識はあるものの、身体の感覚がない。例えるなら、あやつり人形か。
視界は明瞭だが自由が利かない。
そして呑気に歩いているここは歓楽街だった。
道の両脇には店が連なり、その軒先には色とりどりの魔道具の明かりが灯されている。
それはまるで数多の星々をかき分けて歩いているようだった。
すると客引きの男も、見送りの酌婦も、これから帰る男性客も、私を見つめてくる。
その視線は今までの好奇と嫌悪のものではなく、それは明らかに───
“羨望”であった。
ある者はぽかんと口を開け、
ある者はうっとりと溜め息を漏らし、
またある者はその目に焼き付けんとばかりに瞬きを忘れた。
“私”が「いけない」とばかりに、乱れてもいない身嗜みを整えて、その場を小走りに駆け抜けると、人々はようやっと我を取り戻した。
逃げ出した先は今までとは一線を画す通りだった。
灯りは優しく灯り、暗闇を照らす。
店の重厚な扉の前に立つ男たちは、客引きではなく用心棒である。
丁度一組の客が帰りの馬車に乗り込む所で、彼らは扉の前で微動だにしないが、視線だけで私を見つめてくる。
けれども仕事には忠実で、周囲に注意を払う一環で抜け目なく私を鑑賞しているのだ。
「オーナー自らの見送り、感謝する」
「またのお越しをお待ちしております」
余程の乗客なのだろう。オーナーとホステスが店の外まで見送りをしている。
馬車は何事もなく発車し角を曲がって見えなくなると、用心棒がオーナー達の為に重い扉を開け放つ。
レディファースト。ホステスを先に店に入れると、オーナーは何の気なしに振り返り、佇む“私”を発見してこう言った。
「何という神の導き!」
予定調和とでも言うのだろうか。私はこの最高級の店のオーナーからスカウトされた。
前日譚は二話予定です。次話は来週更新予定。
ブクマ・評価お待ちしております。
お読みいただきありがとうございました。