陽が差している頃合 ~昼間の彼女~
俺が買ってきた食材を彼女が料理する。
ちょっとした作業なら目が見えなくとも出来るのだが、そんな事をしていたら朝飯が昼飯になったしまうし、そもそも彼女の邪魔だ。
なので俺は大人しく彼女が入れてくれたお茶を飲みながら、彼女の鼻歌と料理する音を聞きながら待っている。
よく聴こうとすると自然に耳が動いてしまうのだが、彼女はこれがお気に入りらしい。今だって時折、視線を感じる。
彼女は俺の感情がよく分かると言うのだが、他の者にもばれているのだろうか?
とにかくハーフエルフの短めの耳を、彼女は甚くお気に入りである。
「おまたせ。さぁ、いただきましょう」
配膳が済み、正面から彼女の声が聞こえる。声の位置の高さと気配から、席に着いた事が分かる。
「いただきます」
俺は腕を肩幅より少し広く広げ、指だけをテーブルの縁に乗せる。右手を内側に向けて滑らせていくと、すぐに指先にぶつかった。
スプーンだ。
次に手の平を上にした左手を滑らすと、深めの皿に触れる。温かいからスープだ。
今朝の具はなんだろう?───買い物をしてきたのは俺だから予想は付くが。
具だくさんスープを立て続けに三口。
キャベツ・ニンジン・タマネギ。ベーコンが入って塩加減も丁度いい。ベーコンの塩っ気もあるので、彼女は塩を控えめに足している。
「美味いよ」
「いつも通りよ。ありがと」
美味いだけじゃない。具はスプーンに乗せられる大きさに揃えられている。
お蔭で掬った具が落ちることも少ないし、具も乗せられる大きさだから、大口を開く必要もない。
左手を伸ばして別の皿を探れば、買ってきた丸パンが食べやすいようにスライスしてあった。
彼女のちょっとした一手間が嬉しい。
「うん、美味い」
”ふっ”
彼女は何も言わないが、呼気が嬉しそうに漏れるのが感じられた。
窓から差す午前の日の光が、背中に温かい。
食後のリンゴは俺が切った。口にしやすいように八分割だ。
全てきり終えた頃に、洗い物を済ませた彼女が戻って来た。
「食べるかい?」
「ん」
差し出したリンゴを咥えて持っていくかと思ったら、指先ギリギリで噛みきって行った。
今日は甘えたい日なのかとそのまま残りを掲げていると、今度は指ごと咥えられてしまう。
俺の指先をしゃぶって舐って、まるで赤ん坊だ。
咀嚼音がしないってことは、リンゴの破片を頬に入れてると当りを付けて、彼女の頬に反対の手を伸ばす。
当りだ。
塊が盛り上がっている頬をぐいっと押すと、やっと指が解放されたが、最後に一しゃぶりされて指先を色んな意味で刺激されてしまう。
抗議しようと口を開けたところへリンゴが押し込まれるが、唇と舌で一瞬だけ素早く刺激して離れた。
「んもぅ」
抗議したいのはこっちだ。
そう言えば”おしおき”を決意していたことを思い出したが、もうどうでもよくなってきた。これまでの彼女を”見て”いれば、俺の決意なんかその程度だ。
”ぼふん”
勢いよくベッドに乗る音がしたかと思うと、続けて”パタパタ”叩く音が。
「ね、こっちこっち」
彼女の声に誘われるまま壁際のベッドの端に座り、手を差し伸べると細く柔らかな手が載せられた。
見えていれば”白魚のような手”とでも表現できるのだろうが、そもそも俺は彼女の肌の色も知らない。
白かもしれないし黒かもしれない。褐色の肌もあるが、確か濃さも色々だった覚えがある。
いや夜の街でホステスをやっている彼女だ。どこかのハーフの可能性もある。だがそんな事はどうでもいい。
俺の事を気にかけてくれる、いい女と言うだけで十分だ。
俺は差し伸べられた手を両手で包み、今度は指先からマッサージをしていく。
指を一本一本もみほぐし、手の甲・手の平と最低限の力を加えていくと、一か所で小さな呻き声が上がった。
「ここか」
「ん゛っ」
反対の手でも確認すると同様の反応が返ってくる。
「少し酒が過ぎたか?」
「飲み過ぎたつもりはないんだけど……」
「”手当て”しよう」
ベッドの端から移動して壁を背にすると、彼女が俺の腕に納まる様に滑り込んで寄りかかる。
丁度、彼女の肩に俺の顔が乗る高さで、そして彼女が俺の腕の中に納まりそのまま俺に体重を預ける。
「ぐぅ」
「むぅ、そんなに重くない」
お約束のやり取りに、俺は笑いに満たない呼気を漏らす。
「やるよ」
「ん」
断りを入れてから、シャツの裾から手を入れて鳩尾付近に”手当て”していく。
酒神の祝福が、俺の手を介して彼女の身体を癒す。
酒神の声を聴いて祝福を行使出来る様になったのに、俺は同時に呪いも受けている。
二律背反とはこの事で、祠では(神殿ではない。マイナーな神なので規模は小さいからだ)俺の存在は無視されている。
「あったかい……」
手の体温だけでなく、癒しは手当てした場所を正常に活性化させていくので、この温かさは彼女の温かさでもある。
手当ては下降し臍にあてがわれる。
「ん、じんわり」
昔は服の上からやっていたのだが、二人の関係になり素肌で手当てしたら効果が上がると分かってから、ずっとこのやり方を続けている。
「俺が言うのも何だが、あまり飲み過ぎるなよ」
「仕事だから無理よ。それに大丈夫よ」
真横の顔からは、上気し始めているのを感じる。
手はシャツの裾を通り過ぎ、下腹部にあてがわれるが、下着が小さいお蔭?でその中に潜り込む事は無い。
「ん…んっふ」
手は撫で擦る事無く、そっとあてがわれ続ける。
「よし」
一言呟いて手を離し、捲れていた服を直して彼女に終わりを告げる。
「んっふ」
次の瞬間、腕の中で彼女が向き直り、俺は押し倒されて馬乗りされてしまう。
”ああ、彼女の表情が見えなくて残念だ”と助平な考えに思いを馳せていると、彼女の舌が蛇の様に口腔内で大暴れしていく。
こうなる度に俺は”酒神が憑いたようだ”と思うのだ。
俺の半身へ彼女が身体を預けていることに気付いた。
午前中から一戦交えた後、そのまま寝入ってしまったようだ。
俺は空いている手で彼女の身体の感触を楽しむ。
胸は俺に押し付けられているので触れないが、背中・腰、それから臀部へと優しく数往復するとくぐもった嬌声が胸元で上がる。
「腹減ったよ、どうする?」
「ん、んんん。食べに出ましょうか」
彼女が身を起こし、身体に掛かっていた重さが無くなり、一緒に俺もベッドの上に胡坐をかく。
「はい、これ」
頭を掻いてボーっとしていると、脱ぎ散らかした俺の服が股の間に飛んでくる。
「ああ、あんがと」
声のする方に顔を向けて礼を言う。
「だめ!あっち向いてて!」
お互い身体の隅々まで知る仲なのに見られるのが嫌らしい。こっちは見えないと言う言い訳は通じないので、大人しく向きを変えて手探りで服を着ていく。
服を後ろ前に着ない様に注意していると、着替え終わった彼女が手伝ってくれる。それどころかポーズと取らされて着せ替えが始まった。
こうなると俺は彼女の着せ替え人形だ。
何度かの着替えでようやっと、彼女の隣に並ぶに相応しいコーディネートが整い、俺たちは遅めの昼食へ出かけて行くのであった。
遅めの昼食が終わると、俺たちは河岸を変えて食後のお茶を楽しんでいる。
彼女は途中で新刊の新聞を買い込み、ついでに俺に読み聞かせてくれる。
これほどの城塞都市とは言え、新聞は週刊での発行だ。
帝都まで行くと日刊の新聞もあるのだが、それだけ物事が起きている事にも驚きだし、それらを毎日発行できる物量にも驚きだ。
こちらの新聞も週刊と言う事もあり、記事の内容は多岐にわたる。
あっちの御子息とこっちの御令嬢が婚約しただの、帝都武闘大会の予選結果と本選の予想や、下世話な所では某歌姫が某男爵との不倫の噂まで書かれている。
彼女の朗読に対し、俺は黙って聞くこともあれば感想を述べたり、彼女とディベートしたりして楽しんだ。
彼女にとっても接客の為の情報収集なのだが、義務としてではなく知る楽しみてやっているので苦にも思ってないらしい。
以前、彼女の同僚から聞いた話だから間違いない。
「あら?もうこんな時間?」
彼女の声で少し肌寒い事に気付いた。日も傾いているのだろう。
「じゃあ送って行こう」
と言って先に席を立つが俺が勘定が出来るわけもなく、店先で彼女が支払いを済ませてくるのを待つ。
「お待たせ」
そう言って腕を絡め、俺に身体を寄せて歩き出す。
一見どこにでもいるカップルの歩みだが、俺が杖で石畳を確認しないで歩けるのも、彼女のお蔭だ。
声の聞こえ方からすると、ほぼ俺の方を向いて話しているのに、彼女の誘導はさりげなく、俺が躓く事も無い。
階段の昇降も阿吽の呼吸だ。歩幅も彼女と一緒。
よくよく考えてみると、身長差があるのに歩幅が一緒と言う事は、俺はうまいこと彼女に矯正させられたのかもしれない。
「おはようございます、レイラさん」
彼女の勤めている店の裏に着くと、少ししゃがれた低い声で挨拶される。彼は店の門番であり黒服であり用心棒でもある。
ここに着くと、彼女の名前はレイラになる。この瞬間から彼女は夜の住人だ。
そして俺には挨拶も労いもない。ただ一言。
「では」
「では」
俺は扉が閉まる音を聞いて、その場を離れた。
彼女の勤める店は高級店に相当し、この一角は高級クラスの店で占められている。
来た道を戻るにつれて、敷居が低い店に変化していく。
そう進んでいくと香ばしい肉の焼ける匂いがしてきて、屋台や大衆酒場の区画に来たことが分かった。
「旦那、遅いよ!待ってたんだぜ!」
声変わり真っ最中と言った男の子の声に呼び止められた。
客引きの呼びかけ方は大体決まってる。
旦那かおにいさん、奥さんかおねえさん。おじさん・おばさんは以ての外。ジジイ・ババアは喧嘩を売る時だ。
「今日も頼むよ。手ぇ出して!ハイこれ」
差し出した手に焼鳥の串を持たされるので、ありがたく頂く。
手元から辿り、先端を確認してから一番上の肉にかじりつく。
塩加減はまぁよし。いかんせん少し焼き過ぎで硬めになってしまっている。
そう、最近焼き鳥屋台の手伝いをしている。───焼き加減の助言止まりだが。
実は俺はこの焼鳥屋の常連だ。
毎回肉の脂が爆ぜるのを聞きながら、肉を頬張るがこれまた美味い。今や脂の爆ぜ具合で、焼き加減が分かる。
しかしここの親父が身体を壊してしまい、店が開けられなくなってしまっていた。
このままでは一家の暮らしもままならないと、跡継ぎ予定の長男が急遽代理で店を開けたのだが、十日ほどで常連客が遠のいた。とは言っても並みの屋台と比べれば十分なのだが。
そもそもこの屋台のウリは、鶏もも串の絶妙な焼き加減と塩加減にある。
長男も塩加減は父親から及第点を貰っているが、焼きはまだ任せて貰っていない。
「今日こそは極意を掴んで見せる!」
そう言って店主見習いが焼台に串を五本並べ、俺はその後ろに立って耳を欹てる。
店主の親父は二十本並べても、安定した焼き具合で食わしてくれるのだから本職は凄い。
少しすると二人三人と屋台の前に並び始めるの気配がする。何れも親父の焼鳥の常連たちだろう。
俺が助言に入る様になって、明らかに焼き加減が元に戻り始めているからだ。
「三番」
「もう少しだ」
くるくると串を反しながら店主見習いが番号を言ってくるが、焼きが甘い。
俺は耳を動かしながら待ったをかける。
彼も良い線はいってるのだ。
肉の目利き、切り出す大きさ、串打ち、塩振り、火からの距離。焼き加減にしたって、客に出せる域に達している。
たかが焼鳥。だが父親の壁は高く、常連の舌は肥えていた。
そして三番の前に焼き上がる串が───
「「一番」」
彼が素早く串を取って火から遠ざけると、待ち構えていた客から声がかかる。
「その串くんな!」
「毎度!お待たせ!」
銅貨と串が交換される。
「次の頼むぜ!酒が温くなちまわぁ!」
早く食いたいと、順番待ちからはっぱがかかる。
「はい!」
何かを掴み始めた彼が嬉しそうに返事をし、新たな串を焼台に乗せると”じゅぅ”と肉が音を立てた。
仕込んだ串は完売し、彼からも礼を言われた。見習いの文字が取れるのもその内だろう。
彼の力だけで焼き上げた串を頬張りながら、俺は着替えに家に戻る。
汗と煙の臭いを纏わらせながら彼女を迎えに行くのは、流石に気が引ける。
軽く汗を流すくらいの時間は十分ある。
杖で足元を確かめながら、俺は帰路についた。
次話を書き進めてますが、今話の文字数を超えてもまだ出口が見えず……来週更新間に合うのか……
お読みいただきありがとうございます。