湖畔の道
湖畔の道を、騎馬、馬車、騎馬の順で、今ひとつ不釣り合いな集団が結構なスピードで走り抜けていく。
「で、ラムダは納得したのか?」
御者台でラムダの手綱を取るターニャは、珍しくその襟元にネックレスが廻っている。そしてそのネックレスに付けられた糸は、彼女の肩に座るパムリィの腰に巻かれていた。
パムリィはたいそう嫌がったが、飛べない以上はこうするしか無い。
「一応、な。此奴に言わせると、下銭なものであるとのことだが」
そしてラムダの言い分を聞くことが出来るのは、もちろんパムリィしか居ない。
騎士のパレードのような衣や飾りを付けているのに、灯りの類を付けていない馬。
その後ろを追って、フィルネンコ害獣駆除事務所のマークのついた馬車が、付けられるだけのランタン、三つを揺らして後に続き、さらにその後ろ。
鎧こそ着ていないが、革手袋をはめマントで鋼鉄の手甲と胸当てを隠して、完全武装状態でアッシュの駆る馬が続く。
「ケルピィなんて、ひれが着いてるだけで、同じ馬じゃ無いかとも思うんだが……」
ターニャ達の乗る馬車のさきにたって走る馬は、普通とはあからさまに雰囲気が違う。
「馬と言うには品がない、と言って憤っておるのだが」
妖精とは言え、面白半分で人や動物を水の中に引き込み命を奪う。
そうした習性を持つケルピィである。
ターニャは、ラムダが不機嫌な理由をなんとなく察する。
ラムダは“仕事前に一言二言交わした”らしいが。
彼の態度も性格も、“正義感”の強いラムダには気にくわなかったらしい。
リジェクタ事務所の一員である、と言う自覚は結構強い彼である。
「……馬の品格なんて、あたしにゃわからんがね、ま。頼むぜ?」
「へそを曲げずに走れよ? 真面目に仕事をすることだけが取り柄であろ?」
その品が無いと称されたケルピィは。夜陰に紛れ、派手派手しく装飾を付けているので普通の馬との違いは、隠せないまでも目立たない。
そしてそのケルピィを駆るのは、昨日ターニャ達の元を訪れたシェリーコート。
馬に乗っている姿は、鎖帷子で身を固めた小柄な女騎士。に見えなくもなく、違和感はそれ程無い。
「なんでシェリーコートが来たんだろうな? ケルピィだったら人語を解するどころか喋るだろうに」
「ぬしに常識論を話すとは思うていなんだが、不自然であろ?」
「……ん?」
「飾りを付けた馬が騎手も無しに走っておったら不自然なる」
騎士でも無い少女が、きらびやかな装飾を付けた馬で荷馬車を先導している。
その事実だけでもかなり不自然ではあるのだが、ターニャは突っ込むのをやめた。
一応、モンスター的には人間の常識にあわせてくれているものらしい。とパムリィの言動を見て思ったからだ。
街を離れ、ますます暗くなる湖畔の道。
そこをその一団はさらに速度を上げて駆け抜ける。
「何処まで行くものだろうか……?」
「そう言う意味じゃ、旦那の心配にはあたらねぇさ。馬車で来いってんだから、さしたる距離じゃないはずだ」
――いくら精霊とは言え、“彼岸”を越えろとは言わんだろうしな。それに……。ターニャはロミに装備の点検を始めるように促す。
「パム、二回は気が付いたが他にもあったか?」
「ほぉ、気が付いたか。さすがはターシニアなる。実際には既に今ので三回だが」
御者台の後ろから、会話を聞いていた皇太子が会話に割り込む。
「それは一体なんの話かね?」
「人の入れない結界だ。ケルピィに付いて行ってるから抜けてるが、普通の人間だったら入れない」
「ターニャさん。それはつまり、僕らはもう、あちらの縄張りの中。と言うことですか?」
「そう思って間違い無い。……三度も結界を抜けたなら、そろそろ終点だろうな」
ターニャがそういう内にも、先頭を走る異様な風体の馬は少しずつ速度を緩め、湖畔の少し開けたところで止まった。
周りは鬱蒼とした雑木林、あたりには霧が立ちこめ、大鹹湖はかろうじて見えている程度。
貝殻の服を着た少女が飛び降りると、ケルピィは湖の中へと消える。
「塩湖だけど良いのか……?」
リジェクタの認識では、淡水の大きな川に住んでる認識のモンスターなのである。
「なんでも直接見ないとわからんモンだなぁ、クリシャがいたら喜んだろうに」
「女王様、ここで待ってて? ……すぐ来るはず」
いつの間にかシェリーコートが御者台のすぐそばまで来ていた。
「案内ご苦労。我も含めてこのものら、帰れるのだろうな?」
「来た道、帰って」
確かに蹄と轍の跡ははっきり残っている。
――検証のためにもう一度来てみたいが、一度帰れば二度とここには来られないんだろうな。ターニャは声を出さずに思うに留める。
道を惑わせるのはシェリーコートの十八番である。
彼女をメッセンジャーに使ったのはその意味もあるのだろう、と思った彼女である。
「あいわかった、もう良いぞ」
パムリィがそう言った瞬間、シェリーコートは気配どころか姿がかき消える。
「いなく、なった?」
「まぁ、あの連中ってのはあぁしたものだから」
「普通に戻っただけだがな、人間には見えんのか」
ターニャの肩では不思議そうな顔のパムリィ。
「お前がいてくれて助かるよ。……ロミ、装備!」
「はい!」
「旦那。ここだって言うから降りるけど、なにがあるかわかんないから、気を抜かないで」
――わかっている。そう言って彼は腰に手をやる。柄の部分にカバーのかけられた結構な長剣が、腰にぶら下がっていた。
「アッシュさんもいいっすか?」
彼も既に馬を降りていて、槍をおくと腰の剣に手をやる。
「わかっております。こう藪が多いと槍では邪魔ですな」
「パムはともかく、灯りが無いと身動きが取れない。みんなあまり馬車から離れないように。――ロミ?」
「さっきランタンの油は足しました、朝まで持つはずです」
「……良し」
「足の付いたヤツ、二つありますけど、増やしますか?」
――今は良い。そう言いながら、正装用の帯剣ベルトをぶら下げるターニャ。
「そっち、なんですか?」
普段の仕事用のベルトを用意していたロミはあっけにとられる。
「一応、旦那のお付きだからな。制服って訳には行かないが、これだって正装の一部分だろうしさ」
腰には銀に輝く柄と、それについた皇家の紋。両方が見えないようにカバーのかけられた証の剣。
「それにこれから、水を総べるもの。に謁見するんだぜ? 実際武器が必要になるとは思ってない」
「話はわかりますけど」
「お前は旦那の護衛として、むしろ武装はしてて良い。すぐ動けるようにな? ……あたしがなんか持ってても結局、邪魔になるだけだ」
――その為に連れてきたんだぜ? そう言うとターニャはにっと笑う。
「どのような、姿なのであろうな」
皇太子はそう言うと、剣の柄が見えないようにかけられていたカバーを外し、金に輝くそれを握ると、バスタースウォードを引き抜く。
証の剣、その柄には火を吹くワイバーンの皇帝章が朱く輝く。
「あったことは無いけれど、こんな感じでしょ。多分」
ターニャも同じく、腰のレイピアからカバーを外すと、こちらは鞘ごと腰から外して持ち上げる。
その柄には嘆きの乙女の横顔、有翼の少女、サイレーンをかたどったシュナイダー皇家の紋。
「嘆きの乙女、か。……常に嘆いているわけであるまいが」
「確かに。二つ名は迷惑かもしんないかもですね。ただの歳を取らない美少女の……」
「ターニャさん、なんか霧がいきなり……」
「ほぉ、待たせずに来るとは感心」
パムリィのその言葉を聞いて、ロミとアッシュは剣の柄に手をかけるが、一方彼らの主人。
皇太子は泰然として湖の方を眺め、ターニャは背筋を伸ばすと目を閉じる。
「前方、やや右。ロミ、こちらに攻撃の意思は無い。抜くなよ? 歩いてくる? ――パム、数、わかるか?」
「ふむ、他は感じぬな。気配は一つだけなる」
――少し構えすぎたか? 皇太子がそう呟いた瞬間。
並んで立つ彼とターニャの目と鼻の先。いきなり、白く長い衣を着て、大きな羽を背負った妙齢の女性が立っていた。
完全に虚を突かれたロミとアッシュは動けない。
「紋章なんか目じゃねぇ美人ぶりだぜ……」
「ターニャさん、そんな場合じゃ……」
そんな二人のやりとりを横目で眺めた皇太子は、姿勢をただして現れた女性の正面に向き直る。
「俺が次期皇帝、レンクスディア=ドルミラム・デカルロ・ド・シュナイダーだ。わかっていようとも、人の流儀に従って名乗リを頂きたいが、如何か」
「妾はピュゥレブール。精霊サイレーンの長にして、水のモンスターを総べるもの。――よくぞ参った、シュナイダーの皇太子よ」