客人の来訪
まもなく夕暮れから夜になる帝都、職人街。
「なら、二人共。悪いが明日はちょっと早く来てくれるか?」
――ちょっと荷物があるんでさ。積むの、手伝ってくれ。そう言ってターニャは、帽子を脱いで帰り支度をするメイド服二人に声をかける。
「私はいつも日の出と共に起きていますので、問題ありません。ターニャ」
着替える為に、ごそごそ荷物をまとめなながらエル。
「それはエルだけでしょ……。まぁ、お嬢よりは早く起きてるはずだし、寝起きも良いけど、ね」
「寝起きは危険なので近づかぬようにしていたが、正解であったのだな」
「危険とはどう言う意味ですか? パムリィ!」
――言葉通りの意味なる、今もそうであるな。そう言うとパムリィはエルの頭の上から肩へと場所を移す。
「女王、あんまりお嬢を弄っちゃダメだよ? こう見えて意外と沸点、低いんだから」
「パリンディ。我にはどうしたことか、意外に思う部分がない」
「あ、あなた方は……」
「と、ところでターニャ。明日はみなさん、朝からお出かけなのですか?」
脱線した話を、エルが多少慌てて引き戻す。
「エルは良いお嫁さんになれるぜ、あたしが保証する。……明日の留守番は二人に任せるよ」
朝一番からターニャ、クリシャ、ロミの三人は駆除の現場を二件廻る予定。
一方のルカとパムリィの経理係コンビは見積と請求額の交渉で、こちらも朝から一日外回り。
事務所に来て二週間、メイドさんズだけで初めてのお留守番。と言う訳である。
「我々もお役に立つ局面があるのでは? 専門知識はありませんが、荷物運びくらいなら……。」
「そう言う意味での実力はあるんだから慌て無くて良いよ。先ずは知識だ。……相手は人間じゃ無い。パムより数段、わけのわからん連中だぜ?」
「我はぬし等よりも、よほど理路整然として居ると思うが」
エルの頭の上、パムリィが不満げに声を上げる。
「失礼ながら。ごく希に、ですが。女王が仰ることでわからないことが……」
「人間と妖精、齟齬は出るさ。希に、ならば僥倖だ、褒められて良いくらいだぜ」
――お互い、な。そう言ってターニャはパムリィに目をやる。
「……色々、はぐらかされた気がするがの」
「ははっ。気のせいだろ」
「お嬢様、着替えて参ります」
エルがそう言うと慇懃に頭を下げ、パリィもそれに続いた。
「わたくしの許可はいりませんわ、むしろターニャに……」
「要らねーよ。――あんまり遅くなってもアレだから、気にしないで着替えて来いよ」
ゴンゴンゴン。
エル達が着替えて事務所に戻ったタイミングで、ドアの呼び輪がなる。
「こんな時間に、……客?」
最近、フィルネンコ事務所が結構な金額を稼いでいる、とは近所で結構有名になっている。
既に一件、パムリィが賊を撃退、では無く殲滅しているが。
これは彼女と厩のラムダ、そして納屋のスライム達しか知らないことである。
「……まともな客の来る時間じゃ、ねぇよな」
ターニャが呟くと同時にロミが出ようとするが、ルカが人差し指を立ててウインクをしてみせ、そのまま玄関へと向かう。
「……、わかりました」
無言の中に“自分は武装をしているので大丈夫だ”というメッセージをくみ取ったロミは、一歩遅れて火かき棒を後ろ手に。ルカのバックアップに廻る。
いつの間にかエプロンドレスの上に、上着を着込んだルカであれば。全身仕込み武器だらけ、完全武装状態と言って良い。
手狭な場所であれば尚のこと。
何かがあるというなら、それは彼女の独壇場と言えた。
「お客様。本日は既に仕事は終わったのですけれど、お約束などありまして?」
「お約束はいたしておりません。ですがフィルネンコ卿に急ぎ、お願いが御座いまして、是非お会いしたいのです。卿は御在所でありましょうか?」
「御用向きにもよりますわね。我が所長様のお知り合いですか?」
ロミには、彼女が左袖の投げナイフの固定を外したのが見えた。――ルカさん、警戒しすぎですってば! 彼の押さえた声は、果たして彼女に聞こえたのかどうか。
「残念ながら直接は存じませんが。我が主のご兄妹がいつもお世話になって居るところです、――そのお声はお嬢様、でありましょう?」
「は? おじょう、さま?」
「やはりそうだ。親衛第三のアッシュです。お久しぶりに御座います」
「ロミ君。心配ありません、親衛騎士です」
ルカは投げナイフの固定をもどすと――聞いた事のある声だと思いましたわ。そう言いながら冠貫を外す。
「それならそれと早く言いなさい、当然にターニャはいますが。――こんな時間に何ごとですか」
「姫様、お久しぶりに御座います、お元気そうで何よりですな」
筋骨隆々ではあるものの、そこはかとなく品がある、ヒゲを生やした二〇代前半の男性がそこに立っていた。
「挨拶は結構です、本題はなんですか?」
相手は皇太子付きの親衛騎士、ルカの態度は目に見えてぞんざいになる。
「結構ってこた無いだろ、いつもなら怒るくせに。――あたしがそのフィルネンコですが」
「お初にお目にかかります、宮廷第三親衛騎士団副長、アストリゼルス・イルサムと申します。噂以上に見目麗しく、お目にかかれたこと、まこと光栄です」
「それはどうも。えと、用事ってなんですか?」
――ははっ。彼はさらにかしこまってターニャに最敬礼する。
「お会い頂きたい方がいらっしゃるのですが、これよりお時間を少々、よろしいでしょうか?」
何かを言いかけたターニャを制して、ルカがさらに噛みつく。
「アポイントメントも無しにこの時間に、あまりにも礼を失しているのではありませんか? 仮にも宮廷の人間が、男爵とは言え帝国貴族を軽んずるおつもりですの!?」
「諸般の事情から、事前に約束をすることは叶わなかったのだ。だが確かにそう見え無くも無い。アッシュ、話し方をわきまえよ。……前の仕事が長引いたこともあるのでそこは汲んで欲しい」
その声を聞いたルカの顔が一気に青ざめ、スッとロミの後ろに下がる。
「もう少し早く伺う予定であったのだが、そこは謝罪しよう」
「あ、あなたは。……もしかすると、その」
ルカの態度でだいたい来客が誰なのか、わかったターニャではあるが。
だからこそ、軽々に名前は呼べない。
「常日頃はリンクのみならず、リィファなどは寝食までも世話になっている。是非礼を言わせて欲しい」
そう言いながら。
いかにも鍛えた長身に、金の髪を後ろになでつけた男性が玄関をくぐってくる。
がっしりした顔つきはいかにも厳しいように見えるが、その目。青い瞳は、リンクやルカとの血の繋がりを思わせた。
「初めてお目にかかる、フィルネンコ卿。帝国皇太子、レンクスディア=ドルミラム・デカルロ・ド・シュナイダーである」
事務所の中にそう言いながら彼が足を踏み入れた瞬間、ルカ以外の“床に立った”全員が跪き、一瞬遅れたターニャもいつも通り、ロミに床へと引きずり下ろされた。
「皇太子、殿下……、皇子の、……兄上?」
「お、おお、大兄様……。お久しぶりに御座います。変わらずご健勝の様子、リィファは、た、大変に安堵をいたしております」
「ふん、そこまで殊勝な人間であったか? ……まぁしかし。先だってリンクより話は聞いていたが、お前も息災なようで何よりだ」
「こ、これはまた、ありがたきお言葉を……」
――ルカさん、得意じゃ無いとは聞いて居ましたが。
――本当に苦手なのね、皇太子殿下のこと。
普段をみれば考えられないことだが、言葉に詰まってしまったルカを見てのクリシャとロミであるが。
すかさず侍従二人が主人の後を引き取る
「皇太子殿下にはどのような形であれ、お久しぶりに拝謁の機会を得ることが出来、大変光栄に存じます」
「僭越ながら、私達二人も姫様と同じく。お変わりない様子をとても嬉しく思います」
一応、パリィでさえ。騎士としての最低限の“嗜み”は教育を受けている。
皇太子本人にそこまでの拘りが無い以上、当然普通の挨拶程度ならできる。
「うむ、お前達も変わりなきようで何よりだ。先だって合流出来たことでもある。エルとパリィにはこれからもリィファのこと、よろしく頼むぞ」
「は! 勿体ないお言葉、ありがとう存じます!」
二人共同じタイミングで、礼の言葉を述べて頭を下げる。
そして皇太子は、その場の中でただ一人。礼を取らなかったものと目を合わせる。
パムリィは、ターニャの頭の上。背を伸ばして顎をあげ、空中で皇太子を見つめつつ、腕組みで真っ直ぐに立っていた。
「ほぉ。ぬしがルケファスタの兄」
「あなたが女王パムリィであらせられるか……」
「これほど見た目がかけ離れておるのに。それでも血の繋がり、というものは見て取れるのだな。人間とは、げにも不思議なものなる」
――す。パムリィは、いつも通りに音も立てずに皇太子の前に出る。ごく自然に膝をついた皇太子に合わせて高度を下げ、右腕を突き出しそのまま前へ。
皇太子もその手の甲が、自分の唇に触れるに任せる。
「我が愚妹ルケファスタが迷惑をかけているのだと聞き及ぶところ。どうか、今後ともよしなに願いたい」
「ルケファスタに迷惑をかけて居るはこちらなる。……承知の通りであるよ。帝国皇太子レンクスティア。我がパムリィだ」
皇太子が立ち上がるのにあわせ、パムリィも高度を上げる。
「……人間の作法、言い回しをよくご存じだ」
「リンケイディアにも同じ事を言われたが、聞いておらぬのか?」
「お互い忙しく、アレとはこのところあまり話す時間が無い。なにか情報の行き違いで無礼があればお許しを。――みな直ってくれ、これでは話が進まない」
みんなゆっくりと立ち上がるものの、全く予期しない訪問者に、ルカやメイドの二人でさえ、どう動いて良いものかわからない。
この空気を打破ずべきは自分しか居ない! と開き直ったロミが口を開く。
「殿下。……所長にお話が、あるのですよね?」
しかし、残念なことにその決意はパムリィに砕かれた。
「話か。確かにな、リンケイディアの言う通りの人間であれば。そろそろ来る頃あいでは無いかと思っていた」
「ふむ。ときに女王陛下、リンクは俺のことをなんと?」
「陛下、は不要ぞ。――冷徹で凄然と、非情なほどに筋を通す人間。まことシュナイダーの皇太子である、と言うていたが」
「……本人の前では決して言ってくれぬのだが」
「だが、いの一番にここに来た。我としては伝聞から確信に変わったぞ」
「……パム。皇太子殿下に、なんの話だ?」
「俺のことはレクスで良い。こちらもターニャ、と呼ばせて貰うぞフィルネンコ嬢。いずれ時間は取って貰える。と言う理解で良いのか?」
「……もちろん、喜んで。――エル、パリィ。片付けちまった後で悪いが、お客様だ。お茶の準備をしてくれ」
――かしこまりました、所長様。直ちにっ! 私服姿のメイド二人は、“主人”を置き去りに必要以上にキビキビと、奥に引っ込む、
「私がお湯を沸かす、パリィはテーブルを……」
「お湯は私がやるからエルがかたづけて!」
「いやいや、私が……」
「な、――ふ、二人共。ちょっとお待ちなさ……」
ルカの声は届かない。
取りあえず、単純にこの場から台所へ一旦逃げたかったものらしい。
「ターニャ、色々済まない。――いずれ立ってする話でも無かろう? なぁ、女王よ」
「我に限って言えば、立ち話で済ませようが、今この時に無かったことにしようが。どうでも良い話なる。……とは言え。そちらには当然、その話の続きもある。のであろ?」
「さすがによくご存じだ……」
「クリシャ。二人を手伝って、応接テーブルかたづけておいてくれ」
――お嬢様は会議に同席な。ターニャは小声でそう言って、ルカの肩に手を置き。
「わたくし。ちょっと気分が悪いので、部屋に戻っ……」
「と言う訳にはいかないよなぁ? せっかく、普段逢えない皇太子殿下がいらっしゃってる。多少の体調不良はおさないと、な」
そっと立ち上がろうとしたルカの肩は、ガッチリと押さえつけられる。
「……も、もちろん。そう、ですわね」
ルカはがっくりと肩を落とした。




