タ-ニャ・フィルネンコのおめかし
「……落ち着かねぇ」
コルセットで胴回りをギュウギュウに絞られ、若草色のドレスを着て金色の髪をいかにもな形に結い上げられ、青い髪留めでまとめられたターニャが、自分のデスクに姿勢良く座っている。
新しいドレスは生地が首元まであるため、背中の傷は脱がない限りは絶対に見えない。
この辺はターニャ自身は肩が見えなきゃいいや。程度に考えていたのだが。
ルカがデザインにしつこく口を出して完成したものである。
事務所の中はパムリィ以外、すでに出かけた後である、
ターニャとしてはここまで。
ルカが普段からやたらに姿勢が良いのが、それが不思議でならなかったのだが。
「なるほどな。姿勢良く座ってる以外、何もできねぇ……」
今回、本式に着付けをされて彼女は初めてわかった。
ルカは本来お姫様。普段から普通にこのような服装をしている。
つまりこの姿勢が完全に体に染みついているのだ、と。
「人間の正装というもの。動きにくそうよな」
ルカの机の隅にしつらえられた自分のデスクについてお茶を飲みながらパムリィ。
「あぁ、あからさまに動きにくいな」
「何故に動きにくいものを正式の服装、として定めるのであろうな?」
「元は何か意味があったんだろうけど、だんだん様式のみが突出してくる。そういうことなんだろ? 貴族のしきたりとかさ、あたしも意味のわかんないのが、それこそいくつもある」
本当はその意味のわからない部分に興味のあるパムリィなので、その部分をわからない。で済まされてしまった彼女は多少、不満顔である。
「我も一着、作っておいた方が良いだろうかな?」
一応。自分で直接使うことはしないし、ルカの預かりではあるが給金の発生してるパムリィである。
「どこに着ていくつもりだ?」
「確かに。ドレスコードなるものがある様な席になど、呼ばれても困るが」
――着るのもたいそう手間がかかるようだしな、積極的に欲しくはないか。そう言うと彼女は自分のカップを持って、かたづけるために台所へと飛ぶ。
「まだお湯はあるようだが?」
「お茶は要らねぇ。……冗談じゃねぇぞ、このコルセット。ルカのヤツ、本当にこれで正式なんだろうな?」
今までも、ドレスを着て出かける機会はゼロでは無かったものの。
ターニャとクリシャが、きちんと“正装”の概念を知っているはずも無く、常識担当であるロミにしても男である。ドレスの正しい着付けなど、知っているはずは無い。
「まぁ、催したときに大変そうであるからな。お茶は飲まぬ方が良いのかも知れんが」
「その辺はどうしたら良いか、ルカに聞いてあるから大丈夫だ。周りに男がいなきゃ実はそうそう困らんのだ」
「男がいたらダメなのであろ? やはり面倒なものよの、正装と言うヤツは。……むしろ一着作って一度着てみるのも良いかの」
服を作る職人達はパムリィのその言葉を待っている節がある。
仕事着であるエプロンドレスや、それなりによそいき用の服。
そう言うものは何度かルカが自分のものとおそろいのデザインで発注をしているが、彼らが作りたいのはやはり本格的なドレスなのである。
実用に耐えるドレスを、パムリィのサイズで、本気で作ってみたい!
と言うのが彼らの本音であるが、本格的に作るとなればそれなりのコストがかかる。
ドール用、というわけでは無く。さらには羽を出す穴の処理を始め、人間とピクシィの似ているようで微妙に違う体型の差違。
何より“もの”が、本物の女王のドレスである。生地や材料の吟味、縫製。うかつな物は使えないし、作れない、
結果、結構な金額がかかってしまうのではある。
なので彫金師や陶芸家のように、作るだけ作ってプレゼント、とするわけにはいかない。
その彼らだってティアラや、焼き物のペンダントなどは、やはり同じ理由で作っていないのである。
今、“女王パムリィのドレス”。は、帝都中の縫製職人がやってみたくて仕方が無い仕事である。
「だから、いつ着るんだよ。……それにルカにコルセット締められて見ろ。お前なんかそれを言い訳にして二つにちぎられるぞ?」
「うむ、……確かに。一概に冗談、とは言い切れぬところが恐ろしいな」
なので職人達はパムリィがドレスを発注してくれるのを待っているのだが、今回もその機会は訪れそうに無かった。
「うん? ……来たようであるな」
呼び輪の叩かれる音に玄関へと飛ぶパムリィ。
「代理人閣下のご準備はいかがに御座いましょうか? 宮廷第四親衛騎士団副長、アブニーレルであります。お迎えに上がりました!」
良く響く男性の声が響き、パムリィは扉の落とし錠を開ける。
「オリファントか。知っての通り、我では戸は開けられん。開いておる故、入るが良い」
「これはわざわざお出迎えをいただき恐縮であります。……ご機嫌麗しゅう、クイーン=パムリィ」
扉を開けた鼻先にパムリィの姿を見つけ、オリファは胸に手をやり低頭する。
「我に大仰な挨拶など無用、毎回言っておるに……」
「一応、分。というものも御座います故、お気に障りましたらご容赦を。――ターニャ殿のご準備は如何ですか?」
「まぁぬしが良ければ構わぬのだがな。――ターシニアは加工が済んで、今は崩れないように椅子に座らせておる。疎ましくて仕方が無い故、早う持って行け」
「疎ましいって何だ! だいたい人をものみたいにだな……」
「……! お待ち下さいターニャ殿、そのままで」
立ち上がろうとしてよろけるターニャを手で制して、早足にターニャのデスクへと近づくと、オリファはごく自然に手を差し出す。
「特に足下にご注意を、失礼ながらヒールの靴は不慣れなのでは? 私も初めて制服のブーツを履いたときは、まともに歩けず苦労したものです」
「ありがとう。い、一応あたしも女なんだけどさ、この靴、あんまりはかないもんだから」
顔を赤くしてオリファの手を取るターニャ。
「仕事柄仕方がないでしょう。普段からこのような服装をされておられるご婦人のようには行きません」
手を引かれ、椅子を下げてもらってなんとか立ち上がるターニャである。
「臣下の手を借りるもまた、これは貴人のたしなみでありましょう、お気になさらず。……ではパムリィ様、ターニャ殿はこれより、宮廷が責任を持ってお預かり申します」
「気にぜず持って行ってくれ。何ならそのままリンケイディアにくれてやっても良いぞ」
パムリィがどこまで意識してその冗談を言うのか、ターニャにもわからないのだが。
「な、ば……! い、良いわけあるか!」
「我では戸を閉められぬ故、閉めて行ってくれよ?」
「ははは……。しかし、お気を悪くせず聞いていただきたいのですが。――何というか見違えましたね、一瞬どなたなのかわかりませんでした」
入り口をくぐりながら珍しく軽口のオリファ。
「あら。お上手ですのね、ナイト・オリファント。此度はわざわざお出迎えを頂き、その上わたくしごときをお褒めいただくなど、もったいない限り」
「ほ、本当にターニャ殿、なんですよよね!?」
「あはは……、挨拶だけはルカとロミになん個か作ってもらったんすよ。後は皇子の横について黙ってろってさ」
「わかっているとは思うが、なかなかそういうわけにもいかんと思うぞ。……存外、板に付いた淑女ぶりでは無いかターニャ。普段からそうしていたらどうか?」
フィルネンコ事務所の前には帝国政府の紋の付いた馬車と、そして皇家の紋の付いた馬車。その周りには馬が十頭以上。さらにはオリファと同じ青い制服が三名と、槍を持った帝国軍兵士、そして黒い外套に蝶ネクタイの男達数名が整列している。
その先頭、リンク皇子が。赤いベルトで金のレイピアを腰に吊ってはいるものの、いつもの宮廷騎士の制服では無く、いかにも皇子。と言った格好で右手を伸ばして立っていた。
襟元のスカーフとそれを止める銀の髪留めはいつも通り。
「殿下、御自らわざわざのお出迎えを頂き、このターシニア。心より光栄に存じます」
ターニャはその手を取ると膝を折ってみせる。
「今日は一日、その調子で頼むぞ。MRMの出資規模が決まる大事なところだ」
「いぃっ? 今日、一日ぃいっ……!」
「今の貴女の姿を色ボケの老人達が見れば、それだけで出資額が倍になろう」
「あの、ごめん、皇子。……多分無理」
「はっは……。もちろん外部の者がいないときは普段通りで良いさ。――侍従長?」
「はっ!」
「これよりフィルネンコ卿と昼食などを取りつつ、簡単に打ち合わせをしておきたいが時間はあるか?」
「会議への殿下のお出ましの予定は三時。お時間は十分に余裕が御座います故、わたくしの方で簡単に昼食など、手配を致しますがよろしいでしょうか?」
口ひげにオールバックの蝶ネクタイが、手に持ったノートを開いて何事か書き込みつつ答える。
「ではそのように。……ターニャはこちらへ」
どう考えても四人以上は乗れないような、小型の馬車であるのに二頭立てで、皇家の紋がつき金モールの回った馬車。
着いてまだ一〇分にも満たないが、皇家の紋が付いた馬車の周りに親衛騎士の制服。
つまり皇族の誰かが直接、いくら帝都内で宮廷にほど近いとは言え、職人街であるここに来ていると言うことである。
それに気が付いた近所の住人が馬車の周りに集まりつつあった。
「あまり近隣の目を引いても良いことは無い。まずは出してしまってくれ」
そこにリンクと共にターニャが乗り込むと、そのまま外から扉が閉じられる。
「……御意に」
蝶ネクタイは、御者台の男と二言三言話し、オリファと目配せをかわすと、自分も帝国章の付いた馬車へと乗り込む。
ターニャが横を向くと窓の外。
すでにオリファは馬上にあって、隣に並んだ副長代理のマクサスと、何やら話し込んでいたが、オリファが右手をあげると二騎はごく自然にすっ。と、距離を取った。
「みな聞け。……仮にも皇家の馬車の車列である! 殿下に恥をかかせるわけにはいかんぞ。隊列は乱すな、帝都の民がみな見ている、良いな!?」
「各員、隊列を気にしすぎて周囲の警戒を怠るようなことの無いよう!」
「はっ」
オリファの良く通る声と、マクサスの引き締まった声。兵士達の返事。
「速度はこちらで合わせる。御者殿、気にせず出してくれ」
オリファがそう言うと、馬車二両と騎馬隊は一糸乱れず動き出した。




