黒い矢印
ガラスの瓶の中に入った一匹の巨大なアリ、それを手に持ってじっくりと眺め回すクリシャ。被害を受けた街に着くなり、ビレジイーターの新種、黒い矢印を早速十匹程捕まえたターニャ一行である。
「街の南、十字路から先の二ブロックは完全にやられたな。モンスターが住み着く前に何とかしねぇと……。どうだ? ポロゥ先生よ。なんかわかったか?」
「お帰り、ターニャ。……ビレジイーターで間違いは無いけれど、胸の形、腹の付き方、触覚、大顎。完全に既知の種類とは別物。メドゥが大型化したみたいな感じだね。――4種類目のビレジイーター、ブラックアロゥ。名付け親はリンク皇子で学会に発表出来る。良かったね、これだけで首が飛ばないですむよ?」
――この私自らが、卿の素首討ちおとしてくれよう。そう言ったときの不機嫌そうで目に殺気を孕んだ皇子の顔を思い出したターニャは、何故か少し気恥ずかしくなる。
「……アレはおっさんの手前、そう言っただけの話だろ」
「全く。依頼失敗で皇子様に首を跳ねられる条件付けられる専門家なんか、聞いた事無いよ」
「ホンキで首を跳ねる気なら、逃げないようにお目付が付いてくるだろぅよ」
――皇子がいい男なのは間違い無いが、浮かぶ画と台詞があからさまにおかしいだろ。変態か! あたしは……。
と、自分で自分に突っ込む程度の余裕が今のターニャにはあった。モンスターと対峙している方が交渉事よりよほど気が楽に思える彼女である。
もっともその言葉と態度自体が自分を心配してくれている事の裏返し、と言う事については勘の良い彼女の事、もちろん察しは付いている。
だからこそ彼女の中で皇子を思い出すとそのシーンが思い浮かぶのであって、だから彼女に特殊な性癖があるか。という話であれば当然ノーマル。
そしてそのシーンを思い出す度に気恥ずかしくなるのは、変な趣味の持ち主みたいで人にも言えないしどうにかならないものか。と、それはちょっと深刻に思う彼女である。
既に帝国からは退去命令が出された街の誰も居ない住宅のなか、机の上にはビレジイーターの入った瓶が6本並んで、その横に針金で吊されたモノや、鉄串で突き刺されたモノも数匹一緒に並べてある。
「いくら外骨格のモンスターとは言え、この大きさで五〇キロの重りを乗せられても普通に潰れない。ついでに火を嫌がらない、どころか炙ってみたけど死なない……。これは厄介だよねぇ」
瓶の底をのぞき込みながらクリシャ。更にそれを距離を取って見守るロミ。
「なんか弱点はないのか?」
「水をかけると極端に弱る。でも、それだけでは死なないし乾くと元通りだけれど」
「……クリシャさん。大丈夫なんですか? そういう風に持ってても」
「うん特殊な瓶だから大丈夫。だからこれは融けないんだけれど、口から吐く酸はビレジイーターの中ではもっとも強力。持っている毒は他のビレジイーターと違って強力な腐敗毒、本当の食性は腐肉喰らいなのかも知れないね。二mmの鉄板をあっさりと噛み千切る。頭も良いし仲間との伝達もかなり複雑な情報までやりとりしている。多分大きさ以外でもビレジイーターの中では最強だよ」
「刃物でたたっ切る以外死なないんだものな、この大きさでそれは面倒くさい」
話を聞いていたロミが一歩下がる。
「こんなのが避難前の町中に入ってきたら大災害ですよ!」
「ところでさ」
ターニャは入ってきたときから大きな箱を抱えている。――クリシャが言うから、捕まえてきては見たものの。ホントに役に立つか? これ。そう言いながらターニャが、分厚い皮の手袋をかけたまま大きな箱を降ろす。
「なんか変な匂いがしますよ、ターニャさん。なに入ってんですかそれ?」
「絶対に素手では触るなよ? ぐずぐずに膿んで医者に両腕切り落とされることになるぞ。……コイツはムラサキベトベトガエル、ビレジイーターを特に好んで食べる蛙の形のモンスターだ」
ロミが箱の上に張られた透明な窓からそっと覗き見ると、五〇cmは有る巨大な紫色のカエルと目が合う。
「でかっ! 気持ちわるっ!」
「ヴィスカスフロッグ系はヌメヌメした毒の粘液で体が覆われて、だからベトベトガエルとか言われる。滑っちゃって並みの腕では槍や剣を受け付けない面倒くさい生き物なんだけれど、何故かビレジイーターが大好物なの。……本当はメロゥヴィスカスフロッグが良かったのだけどね。あっちは体長は1m50cm前後。子供がひと飲みにされることがある様な指定危険怪物ではあるけれど。どうせターニャが捕まえてくるんだし」
――いじめかっ! ターニャの突っ込みにもクリシャは涼しい顔。
「帝国ナンバーワンの駆除業者だもの。カエルくらい何匹だって、ねぇ……」
「クリシャ、捕まえて来る方の身にもなってくれよぉ。今、自分で一m半あるって言ったろ? 何キロあると思ってる! それにこいつ等、意外に素早いし毒有るし。マジで面倒くさいんだってば。……。まぁ種類はおんなじだし、実験にはコイツでも差し支えねぇだろ? ――しっかし、本当に喰うかね?」
ターニャは中身の動きが一番活発な瓶を取り上げると、蓋を開けて箱の中に瓶の中のブラックアロゥを落とす。
危険を察知して箱の中を走り回るブラックアロゥには見向きもしない紫の大ガエル。が、一瞬。身じろぎしたように見えるとブラックアロゥの姿は消えていた。
「ヴィスカスフロッグの匂いは嫌い、そして食べたヴィスカスも食あたりしてる様子は無い」
メモにペンを走らせながらクリシャがブツブツと呟く。
「あたるかどうかは一応一時間くらい見ないとな」
「モンスターでも食あたりなんてするんですか?」
「あたるのもそうだが、それよりか」
――喰ったつもりが内側から喰われる、なんて事もたまには有る。言いながらターニャはカエルの入った大きな箱の観察用の窓をしげしげと眺める。
「ひぇ! マジですか!?」
「ま、多分今回は大丈夫だろうけど。……コイツはあとで一番動きが活発なあたりに捨ててくるわ。多少でも数を減らしたい」
「ターニャが捨てに行く前に“イーター避け”作っておかなくちゃ」
「あの、クリシャさん。もしかするとその変な匂いを……」
涙目のロミがクリシャに聞くが、既に返事を聞く前に答えは出ているようなモノだ。
「体中に付けておけば取りあえずはブラックアロゥが近づいてこない」
「やっぱりぃ!」
「水で薄ーく伸ばすから、人間には匂わないってば」
「ロミ、ここまでの話しも含めて皇子に連絡しろ。巣の位置に目星は付けた。見た限り働きアリの総数、一万から一万五千。デカい割には意外と多いぞ。――クリシャ、メロゥヴィスカスなら二,三匹も居りゃ踏みつぶしてまわんなくても良いだろ? カエル寄せの香を焚けば大から小までここら一帯ベトベトガエルだらけになるわけだし」
「ヴィスカスの群生地があるの? ホントにメロゥも居るんだ」
「東の沼にベトベトガエルがわんさと居やがる。大型のヤツなら全長2m越えのオオニジイロヌメリガエルも見た。沼の周りには腐れスライムまで各種群れてやがる。全部ビレジイーター狙いなんだろうとおもうんだ」
そう言うとターニャは瓶を一つ持ち上げる。
「この先の岩場にメドゥイーターの結構デカい群れが三つ湧いてた、全部で一〇万超えは間違い無い。おおかた、その匂いを嗅ぎ付けたんだろう」
大型昆虫や昆虫型モンスターを主に好んで食べる彼らだが、今の時期は大型の昆虫も昆虫型のモンスターも少ない、意外と食糧が無いのだ。
「食事にご招待したとして、デカいから喰いでがあって良いだろうさ。お礼は言われても文句は言われねぇ。結構偏食だからな、こいつ等」
瓶を置くと手袋をかけたままゴンゴンと箱を叩く。
「肉食系のジェリーもイーターは大好物だし、近くに居るなら文句は無いかな」
「ここら一帯、べとべとのぬるぬるになると……」
「最悪そう言う事になるよね、ジェリー系は悪臭も強いし」
げんなりした表情を隠しきれないロミである。
「見た目と行動は同定、天敵も確認。ここまで3日、順調だね」
「行動範囲と巣の位置を確認してくる。それとカエルの数でも数えてくるわ。――クリシャとロミは残って皇子の連絡待ちな?」
「でも、ターニャさん。この状況でこれ以上別行動は」
「……心配すんなロミ、日暮れまでには帰る」
「まぁ、こうなるとイーター以外の方が危ないよね、ここまで環境が荒れちゃうとモンスターが寄ってくる。――日没一時間前には戻ってね?」
「心配すんな、この家の敷地だけは魔道師に作らせたモンスター避けの呪符が張ってある。三万も払ってんだからあのババァだって変なもんはよこさねぇ、効くだろうさ。ついでにさっき、カエルの小さいの、二,三匹捕まえてすりつぶしておいたんだ。カエルの匂いも周り中にまいてあるから、少なくてもイーター共はここには近づかねぇ」
匂いが回ったのか、瓶の中のブラックアロゥ達の動きが激しくなる。
「そもそもムラサキがここに居るんだから寄ってこないし、最悪ここで放しちゃえば良いものね」
――そんなのは絶対嫌です。とは言えないロミである。
「そうだ。……それとこのメモのもの、金はあとで払うから集めて送ってくれるように書いてくれ」
ターニャが出て行ってもう小一時間。テーブルに座り、ブラックアロゥの入った瓶を眺めながら何か一心に書き物をするクリシャ。
「一息付けましょう、クリシャさん。――ねぇ、クリシャさん。ターニャさんは、ホントのところはどう思ってるんですかねぇ?」
「あら、ゴメン。……お茶、ありがとう」
お茶のカップを二つ持っているロミに気が付いたクリシャは、ブラックアロゥの入った瓶や、標本を無造作に出窓にかたづける。
「何か書き物をしていたし、僕は現場ではほぼ役に立たないから。……でも、良いんですか? そんなぞんざいに。もし瓶が割れたりしたら」
「テーブルから床に落っことしたって割れない瓶だから大丈夫。――それよりも。どう、とは?」
ロミはテーブルの上にカップを乗せ、自分も椅子に座る。
「うん、環境保全庁でお目にかかったときのリンク殿下ですよ。……確かに、ここ一年ほど直接お会いしたことは無かったのだけれど、もともと女性に気を使うようなそう言う人では無かったんです」
「気を使うって、……あの」
少なくともクリシャにはそうは見えなかった。そう言いたいらしい。
「女性嫌いで通ってたんですよ、スクールではね」
「殿下は女性が、お嫌いなの? ……まさか男性の方がお好き、とか?」
――いやん。そう言ってクリシャは赤く染まった頬に手をやる。
「なんでそこで赤くなる必要があるんですかっ! ……確かに貴族や王族ならそう言う趣味の人だってそこまで珍しくは無いけれど。でも殿下の場合は必要以上に女性との接触を避けていた、と言うのが事実ですよ。別に男が好きとか、そういう事じゃ無く、そこはむしろ逆なんだと思うけど」
私と噂になった女性に迷惑がかかるのは、それは避けたいものだな。若干一五歳のリンクがそう言っていたのをロミは覚えている。
「おほん。……ま、まぁ。お目にかかった感想から言えば、リンク殿下のことだから、真面目なだけなのでしょうけれど」
「だからターニャさんを心配してるとか、殿下の口から出たこと自体が驚きなんです。どう見ても社交辞令じゃ無さそうだし、実は、意外と……。なんて、ね」
「むしろ私は全く逆から同じ事を考えてたの。貴族や皇族は嫌いなターニャが、殿下のお立場を汲んで打ち合わせを進めていたのに結構驚いた。ターニャはターニャで、基本的に男嫌いだしねぇ」
「お立場汲んでました? アレ。いつも通りだったようにしか……」
皇子の立場に、気を使っているようには全く見えなかったロミである。
クリシャは窓の外を眺める。――そろそろ帰ってくるかな?
ビレジイーターの入った瓶が、傾いてきた夕日に照らされてオレンジ色に光を跳ね返す。
「だからね。……もしかすると、殿下に男性として興味を持ったのかしら。なーんて」
「あの態度でそうなんですか!?」
「お父様が亡くなる一年前からだから、もう3年以上彼女と組んでいるけれど、男性から好意の言葉を受けた場合。選択肢は無視するか、暴力に訴えて取り消しを求めるか。その二択だけ、だもの。ターニャの場合」
そう言いながら部屋のランプに火を灯す。まだ明るい部屋の中でオレンジ色の灯が静かに立ち上がる。
「でも相手は皇族だし、気を使うことだって……」
「そう言うの、ターニャが気にすると思う?」
「……うん、全く思えないですね。――お茶、もう一杯入れてきましょうか?」
――夕飯の準備もあるし私が……、とクリシャが言いかけたとき。玄関のドアが乱暴に開く音。
「お帰り、ターニャ。……あのねぇ、今に始まったことじゃないけれど、もう少しおしとやかには出来ないの? 結婚前の女性なんだよ? ――ご飯どうする?」
「両方どうでも良いっ! ――ロミ、時間的にまだ鳩は飛ばせるか!?」
「三〇分以内なら今日中に付くと思いますけど……」
「今すぐこのメモを清書して予備含めて二羽、皇子に送れ! それとクリシャにも相談がある、メシは後回し! 全部大至急だっ!」