姿を消す者、残る者
ルゥパ姫は真っ赤なマントを外して放り投げると、サーベルを構え直す。
「……なぜなのだ、教えてくれ! ロミ! 返答次第によってはお前を切り捨てる! だが安心せよ。その場合は私も事後、この場にて自害し果てようからに!」
真っ直ぐ切り揃えられた前髪が幼さを強調する一方、その目は人を切ることに躊躇がないことを伝えてくる。
ロミは完全にルゥパのサーベルの間合いに入ったが、未だ動けずに居た。
「と、とにかくも、先ずはどうか落ち着いて下さい! 殿下」
「これが落ち着いていられるか! お前が姿を消してのち、私がこれまでどのような気持ちでおったものか、……お前にわかるかっ!?」
ある程度わかってしまうが故に、言葉を紡げないロミである。
まだルゥパが10歳になったばかりであるころ。
ロミの父親がオルパニィタ姫の剣術指南役として指名されたものの、軍団長としての仕事が忙しく、結果。
門下生の中ではトップで、年も近く。師範代の資格も持っていた総領のロミ。彼がルゥパ姫へ直接剣の指導を行うこととなった。
幼いながらも剣技に関しては超一流のロミ、そして見た目のみならず、その剣技までをもそのまま母である皇帝妃から引き継いだかのようなルゥパ。
ほんの半年で、この二人に敵うものは門下には居なくなってしまった。
そして実は人見知りのルゥパは、兄弟子であり、事実上師匠でもあるロミには、実に良く懐いていた。
皇太子の他に第二皇子リンク、更には二人の妹であるリィファ。今の宮廷は人材が豊富であり跡取りには困らない。
だから将来的にはセンテルサイド伯爵家は、ルゥパの輿入れと共に侯爵の称号を受け取り、新しい侯爵領が出来るのだ。下世話な者達はそう噂した。
見た目とは裏腹に、お付きの者達にはかんしゃく持ちで知られるルゥパは、しかしその話題については顔を赤らめ、
「そのようなお話は、およしなさい。はしたない」
としか言わなかったのも、噂に拍車をかけた。
一方の当事者であるロミ自身も、悪い気はしていなかった。
相手は帝国のプリンセス、しかも絶世の美少女。それに、誤解されがちだが気持ちの優しい、真っ直ぐな少女である事をロミは知っていた。
誰も確定的な話をしないだけで、当人間でも緩やかに気持ちは繋がっていった。
だから、伯爵家当主であるロミの父親が戦で命をおとし、伯爵位が召し上げになる。と聞いた日から。
ルゥパは幼いなりにリンクや皇太子はおろか、皇帝にさえ直談判を繰り返し。文字通りに全力で東奔西走した。
そして今度は逆にリンクや皇太子の目を盗み、ロミと彼の妹。その二人だけでも当面かくまえるよう、ほんの数日で段取りをつけた。
しかし。準備を終え、センテルサイド家に馬を飛ばしたルゥパが見たのは。誰も居ない屋敷と、踏み荒らされた中庭だけ。
失意のルゥパは道場で、
――貴女に迷惑はかけられない。探さないで欲しい。
ロミの残した、まだインクが一部乾いていない、自分宛の手紙を見つけた。
彼女は世界最大の広大な帝国に、一人取り残されたような気がして、その場に崩れ落ちたのだった。
「なぜ……、なぜ、弟子である前に友人である私に、あんな手紙の前にせめて一言、なぜ、相談してはくれなんだ……!」
大きな、真っ黒で吸い込まれそうな瞳。涙を一杯にためたルゥパは、それでもサーベルの切っ先は真っ直ぐロミへと向けたまま。
刃の付いてないはずのサーベルの刃の部分が真っ赤に輝き始める。
「皇太子殿下はもちろん、リンク殿下や姉上様、確かにあの方々のように巧くはやれん! 頼りがいだって無かろう。……ただただ、皇帝の娘として生まれたのみの私だ、自分で良くわかっている! ……それでも、せめて話ぐらい……、話ぐらいしてくれても。良かっ、く。良かったではないか……っ!」
ロミは知っている。
現皇室では国民からの一番人気を誇るルゥパが、実際には姉であるルカ顔負けのコンプレックスを抱えていることを。
優秀な兄や姉の存在は、彼女が毎朝起きる度にプレッシャーをかけてくるのだ。
彼らのように巧くやれ、彼らのように綺麗にやれ、彼らのように優雅にやれ、と。
そして追い打ちをかけるように。これまでルゥパに、
「他人の動向など気にしてどうしますか。帝国一の美少女である貴女が言えば皆、微笑んで承諾するでしょう。……仕事など、周りのものにやらせておしまいなさいな」
と言い続け、ここまで幼い彼女の実務能力の低さを庇ってきた姉姫。
宮廷内では意外にも孤独なルゥパが、絶対の信頼を寄せる姉上様。
その姉姫が態度を一変、ルゥパとあからさまに距離を取るようになり、それどころか放蕩姫の汚名を馳せてまで。宮廷から“家出”を繰り返すようになった。
彼女こそは、現在没落貴族の娘ルカを名乗るフィルネンコ事務所事務長。リィファ姫ことルケファスタ=アマルティア第一皇女その人である。
家出している間は当然逢えず、帰ってくれば懲罰として自室に軟禁されてやはり逢えず。但しそこには多少計算が見え隠れし、ルゥパもそれには気が付いた。
――私とあわないために、あえてご自身が傷ついておられる……!?
あの優しい姉上様にさえ見捨てられたのだ。
彼女は更に失意の底におちた。
但し。今のロミには、ルンカ=リンディ・ファステロンに名を変えねばならなかったリィファ皇女の側の事情もわかっている。
仲良し姫姉妹はすれ違ってしまっただけ、なのである。
「先ずは刃をお治め下さい。誰であるかはおいて、かつて貴女が剣技を師事されたものは、威嚇のために刀剣を使うことを良しとしましたか? あくまで相対したものを切る、それが刃物の役目。恫喝の道具にするなど剣士失格です」
「し、師匠って。……いや、しかし、だな……」
「僕のことなぞどうでも良い。……ですが。こんなところで、そんな理由で僕なぞと心中なされてはお姉様が悲しみましょう」
リィファとルゥパ、双方お互いのことは今も気にして想い合っているのだ。
こうしてみる限りは、高貴なる姫君と言う立場。それが姉妹の意思の疎通を阻害しているだけである。
「貴女はルゥパ皇女殿下。帝国最強の魔法剣士。そしてただのしがない怪物駆除見習いが今の僕。誰がなにを言おうとそれが現状です。そこは認めて下さい」
――そうしないと話が前に進まない、僕も貴女も。望まなくとも立場は変わるものです。まずは剣をお収めください。
そう言ったロミの言葉に従い、刃の輝きは消え、彼女はサーベルを鞘に収めた。
「あ、あのな。……ロミ」
「はい、なんでございましょう?」
彼女がかなぐり捨てた真っ赤なマント、それを拾い上げ畳みながらロミが返す。
「そうでは無かっただろう! 兄が妹に遠慮をするものか!?」
「いや、……でも、その」
既に兄弟子でも師匠でもなく、ただのリジェクタ見習いのロミネイル=メサリアーレなのである。
帝国皇女に上からものを言える立場ではない。
「ロミ! 本当にロミだというなら、せめて話し方だけでも元に戻してくれ! 私はもう、今や頭がどうにかなりそうなのだ!」
「お互い立場もありましょう。……とにかく、もう少し静かにお話しをする事としませんか? ――妙齢のご婦人が、大きな声で話をするものではありません」
相手が落ち着いたとみて、ロミがマントを手渡す。
「あ、あぁ。済まぬ。その、私なぞの話を。……聞いて、くれるのか?」
ルゥパは、手渡されたマントを両手でぎゅっと握りしめる。
「もちろんです」
彼女にとってみれば、宮廷そのものがそもそも信用ならず、両親である皇帝夫妻はもちろん、兄達にも頼れず、大好きな優しい姉は事実上、行方不明。
姫でもあり、また単純に自分で頼らないと決めただけ。とはいえ、あまりにも過酷な状況ではある。
その彼女が、素直にすがることのできる最後の希望がロミ。
それはロミにも痛いほどわかるが、だからといってリジェクタの納屋に部屋をおいて、共に刃物研ぎで糧をえる。とは行かないのがルゥパの立場でもある。
将来を必要以上に嘱望されて潰れそうな少女ルゥパ。
宮廷での夢や希望をほぼ全て断たれてしまったルカ。
――この二人、立場が逆なら上手く行ったかな……。ロミは肩をすくめる。
ロミは踏んでしまって悪いな、と思いつつ花畑の方へと移動する。
……いくらでも殿下のお心が和んでくれると良いのだけれど。などと思いつつ。
「もう数ヶ月になる。姉上様が、家出をしたのだ」
「で、殿下の場合は、……リィファ姫なら。その、いつものことなのでは……?」
少なくとも今、怪物駆除組合でその彼女がピクシィを伴って予算交渉をしている、などとは誰も思うまい。
「今回は違……! おほん、つい声が大きくなった。済まぬ。――いつもとは違うのだ、家出に後付で理由がついた。まるで宮廷に帰ってくるなと言わんばかりだ」
実際、当面の間。宮廷へ帰れなくしている者が居るのは事実である。
但しそれをやっているのは、母親である皇帝妃と優秀な兄の内の一人、リンクなのであるが。
「私なればともかくも、なぜに公務も真面目にこなしていた姉上様が、お優しい事にかけては帝国一のあの方が、どうしてそんな目に合わねばならん。何もできぬ自分が、腹立たしくて悔しくて。今や夜も眠れぬところなのだ……」
――何が高貴なる姫君かっ! と語気を強めるリイファをなだめながら、ロミの脳裏にはルカの姿が重なる。
変に正義感が強く、全ての責任を背負おうとするところはそっくり。
見た目だって髪の色と目の色。それが極端に違うだけで、本当は良く似ている二人である。
「あぁ! 既にこんなにも短いのに、まだ切らないといけないなんて……! うっ、くっ……。ごめんなさい、ターニャ。ここも、もう少し。……き、切りますわよ?」
「気にすんなよ。格好良くしてくれるのに必要なんだろ? だったら気にせずバッサリやってくれ」
ロミの脳裏には、事務所で泣きながらターニャの髪を切っていた姿が蘇る。
――ルカさんも。だったら普段からもっと“優しい”を前面に押し出してくれたら良いのに……。
ロミから見ればパムリィを含めて、“恐ろしい”女性。それ以外には居ない過酷な職場。
それがフィルネンコ害獣駆除事務所である。
「リイファ殿下が家出をなさるのが、そもそも悪いのでは……」
後付の理由を誰がこしらえて貼り付けたのか。当然ロミは知っているが、それは話すわけには行かない。
「それはそうだが、宮廷を出るに至る経緯、というものだってあるのだ!」
「ですが、宮廷で今、あまり良ろしくない動きがある由、市井にも聞こえてくるところです。……多分、今はそれで良いのでは?」
「だが、しかしだな……」
「リィファ殿下も別に帝国皇女の座を剥奪されたわけで無し、恐らく騒ぎにならない以上は、宮廷も行き先は掴んでいるのでしょう?」
少なくともフィルネンコ事務所にいることは最低でも、皇帝妃とリンク皇子の二人は知っているのである。
「ならば何らかの力が良い方に働いている。と考えてみたらどうでしょうか。貴女も、もちろん僕も。それに対して何かができるわけでは無いのですから」
――今、殿下に何かがお出来になりますか? と少し意地の悪い口調でロミは問う。
「……何もできぬから、だからこうして悩んでいるのだ!」
「少しは息を抜くことです。剣と同じ。いつも気負っていては大事な時に力が出せない」
「……姉上様が居なくなって後、ままならぬ事ばかりなのだ。――だが。こうしてお前の顔を見ることができたは、私にとって久かたぶりの良きことだ。……生きているなら生きていると、それこそどうして手紙の一つも寄越さぬのだ」
「せめて貴女に顔向けができるよう、手に職をつけたら。と思っていたんです」
それは本当だった。――ルゥパに、それとなく現状を伝えおいてやろうか? と言ったリンクに対しても同じ言葉を返したロミである。
「それこそ、生きているかどうかくらいは知らせよ。本当に心配しておったのだぞ」
ルゥパは口をとがらせ、照れ隠しのように緋色のマントを羽織る。
「お前は要らんところが真面目すぎる。……私のように、流されて生きてみても良いのでは無いか?」
「貴女が流されているとすれば、世の中の半分以上はなにも考えていないことになってしまいますよ……」
その生き方を良しとしないが故に、怒り、悲しみ。更には要らない苦労までをも背負い込んでいるルゥパなのである。




