草が、揺れる
「モンスターの湧いている様子はない、か。……当たり前なんだけどね」
昼食を終え、緩やかな丘を見下ろすバルコニーに出てきたロミは。――うーん、と背を伸ばす。
結局逃げる口実を見つけられずに午前中の“ディスカッション”に、頭数としては参加した彼であったが、博士級二人の話に割り込む隙は無く。持ってきたメモ帳の書けるページが半減したところで昼食になった。
クリシャが“博士モード”に入った以上、ロミはある程度覚悟していたが、昼食中も当然の様にパンの横に資料や標本は広がったまま。
ロミからは。食事中だろうがお構いなしに、相手に掴みかからん勢いで、のべつ幕無しに口論しているようにしか見えなかった。
但し彼にとって幸運だったのは、昼食後。
「そう言えばしばらくお前の様子を見ていなかったな。背は多少大きくなったようだが、他の部分はどうだ?」
「はぁ? ただでさえ変わり者呼ばわりされているのに、この上ご自身にスケベ爺属性まで付加するつもりですか!?」
「馬鹿者! 自分を特別だと、多少で良いから自覚しろと何度も言っているだろうが! ……だいたいが、お前の裸などとうの昔に見飽きたわ」
「問題のすり替えです! それに、いやしくも乙女の裸を見飽きたとはどう言うことです、先生! 場合によっては怒りますよ? 発言の取り消しを求めます!」
「発言撤回の意味を認めることができんな。発言自体は言葉通りの意味だ」
「……嫁入り前の淑女になんて非道い侮辱を!」
「儂とお前に男女の関係などそもそも有り得ん!」
「当たり前です!」
などと言う“軽い前置き”があった後、クリシャが検診を受けることになった事である。
当然、彼女の裸を見飽きているはずもないロミは部屋から撤収。
以降、いつ来訪するか。どころか容姿も名前も知れぬポロゥ氏の客人。それをこうしてベランダから待つ。と言う役目を勝ち取った。
つまり検診の後、開始されるであろう“ディスカッション”午後の部への参加はしなくて良くなった。
ロミとしてはあの難物二人を相手に大戦果をあげた、と言えるだろう。
「へぇ。なんて綺麗な、……お花畑、か。パムさん、連れてきたら喜んだかなぁ」
ちなみにパムリィは、ロミが作った彼女用のベッドと書き物机をスライムの飼育小屋へと運び込み、当初ルカが半分巫山戯て言った“スライムと同衾”を実践している。
但しこれには一応の理由はあるらしく、パムリィに言わせれば。
――我に“来客”があった時、人間のリビングではそもそも話にさえならんからな。となるのだが。
そもそも客が尋ねてきたとして、モンスター避けの香や結界をどうする気なのかロミには理解が出来ないのだが。
お花畑にワンピースをなびかせてふわふわ飛び回っているはずのピクシィ。
但しフィルネンコ事務所のそれは、メイド服でスライムにまみれて暮らしている。パムリィ自身は、それに文句は無いようだが。
「本当に、要らないのかな? ……お花畑」
今、ロミの眼下に広がるのは、色とりどりの花が咲き乱れる緑の丘。そしてまだ堅いつぼみに栄養を送る、今は緑の草たちも彼の目は捕らえている。
きっと春から秋まで。途切れることなくなにがしかの花が、このテラスに立つ人間を待っていることだろう。
「すごい手間暇かけて整備しているな、ポロゥさん。本当はお金持ちなのでは?」
ロミは知っている。この風景を作るにはテクニックと経験値、そして膨大な手間が必要なのだ。
今は生き別れとなった彼の母親。センテルサイド婦人は才能を持て余し、庭師顔負けの腕前を振るって自慢の庭を作り上げていた。
だからセンテルサイド家の中庭は、初春から晩秋まで。鮮やかな花弁の色と花の香りの途切れることはなかった。
優しい風が吹き、やわらかな葉や、美しい花弁が揺れる中庭。
――うん? ロミ、どうかしましたか? ……ふふ、簡単なことなのよ? こちらへいらっしゃい。
――お花にはね、それぞれ咲く時期があるの。だから咲く時期に思い切り咲けるように、手を貸してあげるだけで良いの。
――そうよ。お花にも自分が咲きたい季節があるのね。
――春はアネモネ、フリージア。暖かくなったら薔薇が咲いて、その次は百合。夏になったらひまわり、コスモスが咲いた後少し寒くなって、ダリア。エリカが咲いたらその後は、ウチの庭は一旦店じまい。雪が降る前に土にもお疲れ様の肥料をあげる。
――そう、自然のものはケンカにならないように全部順番になっているの。
――それだけ覚えていたら後は簡単、ロミにもわかるでしょう?
――土を耕す、タネを植える、雑草をむしる、お水をあげる、虫を取ってあげる、痛んだ葉っぱを切ってあげる。結局人間ってこの程度しかできないの。
――でもお世話をしたお礼はしてくれるのよ。お花は、お話しこそしてくれないけれど。その分、綺麗に咲いてくれるわ。
その母親は伯爵家の奥様。立場上家から出られない彼女が、手慰みとして造っていた庭をロミは思い出す。
「母上……。せめて庭を造る余裕がおありなら良いのですが」
その庭を思い出すほどに、見下ろす丘はよく手入れされていた。
「ん? かぜ? ……じゃ、ないな」
あえて手を入れていない風を装って、背丈の高めの草の生い茂る曲がりくねった屋敷への道沿い。
草が不自然に揺れたのを彼の目は捕らえた。
草丈が高いとは言え、ロミの身長なら頭が出るのだ。
「まさか……!」
ロミは一度、腰の剣に手をやる。もちろん一般の対人戦闘用ではあるが、相手が小型モンスター、人喰い草ならなんの問題もない。
ロミは音を立てずにベランダから飛び降りると、小走りに草の揺れた場所を目指す。
「おかしいな? さっき、この辺だと思って……」
あえて道を外れ草の中を進むロミに、いきなり声がかかる。
「……! なんと、ロミだとっ!? 生きていたのか! 本当にお前なのかっ!?」
反射的に剣の柄に手をやって振り向いたロミは、慌てて右手を柄から放したが、あまりにイレギュラーな事態にそれ以上どうして良いかわからず、先ずは直立不動の姿勢を取った。
「なんのつもりか!? ロミネイル=メサリアーレ! 私を愚弄するにも程があるぞ!」
少女の声が何も無い丘に響く。
「僕の何が、あなたを愚弄していると仰るんですか!」
更に跪こうと思ったが、そうすると雑草に隠れてお互いが見えなくなる。声の主をますます怒らせる可能性が高い。
彼女のかんしゃく持ちは、一部では有名なところである。
考え直すと、略式の臣下の礼を取る。
だが残念なことにそれでは声の主の怒りを静めるには至らず、彼女は怒り心頭の表情で、腰から金色に輝くサーベルを引き抜く。
だが、そのサーベルには刃が付いていなかった。
「全て! 全てだっ! ここしばらくの動向全てだっ! 私が言うは、今この時に限った話ではないっ!」
年の頃なら十二,三歳の少女。ロミより頭半分ひくい背丈。白地に赤、ルカが一着だけ、自宅から事務所に持ってきているものと同じ、女物の宮廷騎士の制服。
艶やかに光を跳ね返す黒い髪は肩よりも少し長く、ロミを睨め付ける瞳も同じく吸い込まれそうな黒。
ロミはかつて、彼女がその美しいな黒髪を評して、烏の濡れ羽色。と言われた、と言って照れていた。などと言うどうでも良い事を思い出す。
そう。少女の容姿はもちろん彼は知っているのだから、今更評する必要は無い。
ロミにサーベルを切っ先を向ける少女。
彼女こそがポロゥ氏のスポンサーであり、“暇を持て余した貴人”であるのだろう、と。ようやく頭が回るようになったロミは考える。
彼女の名はオルパニィタ=スコルティア・デ・シュナイダー。
大シュナイダー帝国の第二皇女にして皇位継承権第四位。
世界中でただ二人しかそう呼ばれる資格がない、高貴なる姫君。ルカ以外のもう一人。
ギディオン・ポロゥ氏の来客は、帝国の姫であったらしい。
「ルゥパ殿下にあらせられましてはご健勝のご様子、先ずはこのロミネイル、安心致しました。……お付きの皆さんはどうされました?」
「誰がそんな挨拶をしろと言ったかっ! ――そうでは無い、そうでは、……そうでは無いだろぉ……!」
制服越しでもわかる少女の細い肩。それををふるわせながら叫ぶルゥパの姿を見て、ロミは話す言葉を失う。
彼女の言いたい事はわかるロミではあるが、一方それは自分からは言い出すことは出来ないのである。
「なぜ……。なぜ、あの日の朝! 私に一言の相談も無しに居なくなった! 一番弟子、と言うのはウソだったのか!? 私は友人ではなかったのか! 私には話をする価値さえ無いか!? 命が惜しくばこの場にて答えよっ! ロミネイル=メサリアーレ・センテルサイド!!」
雑草をかき分けながら近づくルゥパが叫ぶが、ロミはそれに答える言葉を持たない。
「そ、そう言うわけ。では……」




