例えば、世界はおっぱいである
「はぁ、ただいま、……ですわ」
珍しくよれよれになったルカが事務所の扉を開ける。
いつもの黒いエプロンドレスでは無く、裾の締まった上着に乗馬ズボン。
腰にはナタから草刈り鎌まで数種類の刃物がぶら下がるが、それら全て。全く戦闘向きでは無い。
首にはタオルが巻かれている。
「お帰りなさい、ルカさん。……だいぶお疲れのご様子で」
ロミが水の入ったグラスを玄関先のルカに渡す。
「ロミ君ただいま、――はぁ。ありがとう。……あら、立ったままお水を頂くなんて、はしたなかったですわ」
「よ、おかえり。皇子と保全庁総督には午前中に逢ってきたぞ、例の緊急対処、補助金交付だけは来月回しにしてくれ。だそうだ。あと、来週頭にもう一件頼むとさ。――そっちも仕事は終わったみたいだな? 簡単だし、結構割が良い仕事で……」
「ターニャ! お仕事の内容自体に文句がありますわ!」
「ん? なんだ?」
「なんでリジェクタに草刈りの作業依頼がかかりますの!?」
それが故のルカの格好である。
「しかもなんでフィルネンコ事務所でその仕事を取りますの!?」
確かに草刈りだ。と言われて事務所を出たのであるが、言葉の通りに延々草刈りをさせられる。とは思っても見なかったルカである。
「それは、ウチがスライムの専門家だからだ」
「はぁ? なんですの、その謎の理論は!?」
「出がけに説明しただろ? あそこはもともと帝都でも有名なダークレッドロッテンの群生地でな。一〇年くらい前に、その状態を何とかしよう、ってんで有志の人達が草を刈って花を植えはじめた」
「確かに今朝ほど、そんな話は……」
モンスター駆除業者としてフィルネンコ事務所で仕事をするようになってなお、腐れスライムだけは苦手なルカである。
「まぁモンスターの集まる場所だから、なかなか花も根付いてはくれなかったんだが雑草系モンスターや、モンスターの好む草花もだいぶ無くなって、結果的にロッテンスライムもほぼ居なくなった」
「それと今回の依頼になんの……」
「だから現状を維持してスライムが湧かないように、定期的に草を刈る必要があるっつーことだ。で、万が一スライムが湧いてたとき即座に対処出来るように、高く付くのを承知で、あえてウチを指名してきてるんだよ。パウダーも持って行かせたろ?」
「本当の話でしたの、それ」
「……なんだと思って話聞いてたんだよ、今朝!」
「まぁまぁ二人共。――ルカさん。シャワー、浴びるでしょ? お湯は沸かしてあるよ? ロミ、ラムダも中庭で待ってる。……んだよね?」
タオルを手渡しながらクリシャ。
「ありがとう、クリシャさん」
「何かしらラムダも機嫌が良いので、今日は普通にお湯が出ると思いますよ」
「我が口を利いてやったからな。……この場合、おかえり。というのよな? ルンカ・リンディ?」
普段ルカの着ているものをそのまま縮めた様な黒いエプロンドレス。その背中に羽を生やした身長十五cmの少女がルカを出迎える。
「その通りです。ただいまですわ、パムリィ。――ところで馬と話せるとは初耳ですけれど」
「教えていなかったか? まぁ、人語を解すほどに聡明なくせに、あそこまで頑迷な馬と言うのも初めて会ったがな。――ルンカ・リンディ。そのシャワーとやら、我も付き合うぞ」
パムリィが、ついっと音も無く飛んでくるとルカの肩に降りる。
「興味があるのだ、シャワーというものに」
「一昨日あたしが使ったときはなにも言わんかった癖に」
「その時は興味を持ち得なかったのだ」
「相変わらず気まぐれですのね。……良いですわ、ご一緒しましょう」
「人間は服を脱ぐのに抵抗があるのよな?」
「ピクシィは気にしませんか?」
中庭。シャワーの設置された横。各所のカギを確認すると、かごの中に着ていた服を畳みながら入れるルカ。
「気にしないことも無いが、何しろピクシィもフェアリィも男が居ない。そういう事なのでは無いかと最近は思う」
「なにを言いたいのですかしら?」
ルカの見よう見まねで、着ていたものをルカが作った小さな専用のかごに、こちらも畳みながら入れるパムリィ。
「自分でも意外であるのだが、我とてロミネイルに裸を見られるとなれば、これは何かしら抵抗があるしな。……やはり世に出て見ねばわからぬ事だらけだ」
「……わたくしにはその辺、むしろピンときませんが」
服を脱ぎ終わったルカは平たい石の上に立ち、同じく裸のパムリィはその肩に座る。
「ラムダ? 今日はなにも言わずともお湯を出して貰えるのかしら? それとも何かしらの話し合いが必要でして?」
ため息を吐くように鼻息を一つ吹くと、ラムダはゆっくりと歩き始める。
「ありがとう。今日は良い子ですのね。わたくしの湯浴みを手伝ってくれるのですから、あとでゆっくりブラシをかけて差し上げましてよ。――あぁ、今日はあまり勢いよく回さずとも良いですわ、ゆっくり、のんびりで結構ですからね?」
――そうそうあなたも。ルカはそう言うと、肩のパムリィをそっと捕まえる。
「水滴が大きすぎてケガなどしたら大変ですわ。それに羽が濡れたなら飛べなくなるのでしょう?」
言いながら、胸の上に乗せ頭上に手で庇を作る。
「滑ったりしませんか? 大丈夫かしら?」
「ふむ、なかなかに良い座り心地だ。ターシニアも片方に座るだけなら何とかなるやもしれんが。……ただ先日アクリシアの着替えの時に見ていたが、アレはダメだな。座れる余地がそもそも無い」
「だ、ダメって……。こ、個人差と言う事もありますわ……本人の前ではそんな事、それこそ絶対言ってはダメですわよ?」
「最近はその程度は心得て居る、ぬしと二人で居るからこその冗談だ」
「……貴女とお話ししている限り、その辺は懐疑的にならざるを得ませんわ!」
「あくまで座るとすればダメ、という話だぞ? ――ところで、同い年であるのよな? 我とアクリシアとぬし、三人共」
「はい? ……そう言えば貴女も一六なのだと仰って居ましたわね」
「人間ならば、女性は結婚を意識せねばならぬ歳なのだと聞いた」
「そう言う要らない話ばかり、どこから聞きつけてくるのですかっ!?」
「まぁ聞け、それでな。胸の大きさは、女性が配偶者を見つけるための大事な要件だとも聞いたのだ。少なくとも、ぬしはさぞや見つけやすかろうとそう思うたのだが」
「そればかりが条件ではありませんっ! と言うより、もっと他に優先すべき事柄が沢山あります! 優先順位はかなり下ですわよ!」
「そう怒るな。冗談の類だ。前提を配偶者、とするから話が大きくなるのであろ? 話を聞いて単純に男は皆、お前のように大きな胸が好みなのだと思うてな。――ならば我が人間であったなら、男に好かれやすいのであろうか。などと考えてみたのだ」
「一人でいつまでも考えていなさいませっ!」
「背丈がぬしと同じなら、我の胸はターシニアより少し小さいくらいだと思うのだ。ターシニアは、アレはあぁ見えてそこそこ男には好かれておろ?」
「その部分のみを抜き出して、そこだけ好かれているわけでは断じてありませんっ!」
「但しそれだと、アクリシアが男に好かれなくなってしまうが」
「だから! それは個人差であって、人間にあっては好き嫌いや美醜の絶対条件では無い。と何回言ったら……」
「まぁ本気で言って居るわけでは無い、とは先にも言った。落ち着くが良い」
「もはや、その発言こそ疑わしい限りですわ!」
「はっはっは。……実際のところ、我らピクシィはその個人差というものがほぼ無いのだ。皆だいたい同じく、背の大きさはこのくらい、胸の張り出し具合はこれくらい、と判で押したように決まっておる」
「皆、同じ姿……?」
「その点、人間は個人差というものでだいぶ、見てくれまで変わる。ウィリアムとターシニアほど見た目が違っても、それでも同じ種族だ。――面白いものよな」
引き合いに出した二人なら男女間の違いがあるとは言え。百六十に満たないターニャと百九十を超えるリアン。その背丈の差違は言う通りにあからさまだ。
「それこそあの二人はピクシィとフェアリィほどに違う、と我は思う」
もちろん服装はどうあれ、男であるリアンにはもちろん胸は無いのだが。
「ぬしとアクリシアもそう。そこまで胸の形が違うなら。それは普通、別の種族であろうよ」
「胸の大きさが少し違うくらいで……」
「まぁ我らも区別が付くくらいには顔も違う、それこそ胸だとて多少なら大小の差もあろうが、いずれ皆。見た目はほぼ同じよ。――まぁ聞け。別にぬしを怒らせたいわけでは無い。今したいは、むしろ我はそれが普通なのだと思って居た、と言う話であるのよ」
シャワーから少しずつお湯が落ちてくる。ルカは直接パムリィにあたらないのを確認すると、そっと手のひらを彼女の上からどける。
「だからこそ我は、小さき頃は。いや、この期に及んで見栄をはるのも不細工な話よな。――つい先だってまでだ。自分のこの髪がキライであったのだよ……」
ルカとほぼ同じ色のプラチナブロンド。彼女よりも少しふわふわしてウェーブがかかり、少しルカより短めの、肩を覆うその髪が少しずつ濡れて、顔や肩に張り付いていく。
「他の皆は青かったり、赤かったり色々と色が付いている。我のみは色が無いのだからな。他とは違う、ぬし風に言うならそれこそ個人差。と言う訳だ。……女王であったが故にそんな事はついぞされはせなんだが、ここまで違えばもはや差別の対象でさえあろうよ」
黒や赤毛、金などの普通の人間の髪色であるフェアリィやピクシィというのはほぼ居ない。
原色であったりパステルカラーであったり。子供が絵を描けば髪の毛の色はピンクかグリーン。それが妖精のイメージたるフェアリィ、ピクシィである。
その中で女王たるパムリィの髪は白髪では無いにしろ、何故かプラチナ。
きっと仲間の中では地味で悪目立ちすることだろう。
「まぁそれも、ぬしに会うまでだ。……逆の意味で自分の髪を嫌っておると聞いて、そこで考えを改めた。つまり我は、個人差を許容する史上初めてのピクシィとなったわけだ」
一方、必要以上に目立ちすぎて、自分の髪色を好きに成れなかったルカ。
人ごととは思えない。
「ふふ。……さっぱりわけがわかりませんわ」
「我とぬしが同じ髪の色、と言うのもぬしが言った様に何かしら運命なのかも知れぬな。これより先もよしなに願うぞ、ルケファスタ皇女」
「そんな鬱陶しい運命なぞ、わたくし全然欲しくありませんでしてよ? 女王パムリィ」
「あっはっはっは……」
「うふ、うふふふ……」
「お前達がシャワー浴びてる間に、ヴァーン商会と帝都中央大法廷から書簡が来た」
シャワーの後、同じデザインのエプロンドレスに身を包んで事務所に戻ってきたルカとパムリィにターニャが声をかける。
「両方事務所宛なのでしょう? ならば読むのはターニャなのでは?」
「もちろんそうだ。で、中身を見た上でお前に意見を求めてるわけだ」
「だいたい中央大法廷とはなにごとですの? ……ヴァーン商会はきっとパムリィの飼育許可証ですわね?」
「そう。飼育者名を書いて返送しろとさ。だからルンカ・リンディ・ファステロンと書いて良いかどうか一応聞いとこうと思って」
「良いわけがありませんでしょう?」
「我は問題ない」
「パムリィが良くても、これはダメですの。偽名ですのよ? ルカ・ファステロンの名前が、正規の書類で通るわけが無いのは子供でもわかる話でしょうに」
「で。このタイミングで、この中央大法廷からの書簡なんだよ……」
封筒から中身を取り出すと途中から読み上げる。
【――物的証拠は無いものの、申し立ての通り、かつてのポーラス侯爵家当主の非嫡出子である可能性は高いと認めざるを得ない。よってリンケイディア殿下のご推挙に従い、ドミナンティス男爵家の監視、庇護の元に置くことを条件に先ずは市民登録の仮承認を受領し、上のものがルンカ・リンディ・ファステロンを名乗ることを認める。但し現状侯爵家の家銘は凍結。使用を禁止し、貴族に付帯する権利はこれを一切認めない。また……】
「……なんですの? それは」
「今回、あたしは何もしてないぞ。途中に名前も出てきてるし、このタイミングでこんなもんが来るって事は、お前のお兄様の仕業だろ? いずれ書類の上の話かも知れねぇが、ルンカ・リンディは実在の人物になったってことだ」
「しかし我の飼い主なぁ、人間とは紙切れ一枚でエラくなるものだのぉ」
「……わたくしはまだ」
「そうだな、ここにサインをしなきゃそうはならない。ウチで仕事がしたい、というかここに残りたいと、パムリィがそう言う以上、必要な事ではある。……パムリィの身元引受人、なってくれるか?」
「ターニャでなくてわたくしでよろしいのですか?」
「事実上の養子縁組みたいなもんだし、あたしはむしろ、お前だと思うんだよ」
ルカは、既にロミ、そして自分もターニャの庇護下にあることをを思い出す。
これ以上ターニャばかりが重荷を背負い込む必要は無い、とそこは理解が出来た。
「ターニャが言うことであれば当然、わたくしに否はありません。……けれどパムリィはそれで本当によろしくて? 形の上とは言え、必ずルカの言う事を聞く。と言うこれは事実上の契約書。――その相手は、皇女ルケファスタでは無く、平民ルンカ・リンディなのですわよ」
「我は人の世を見る為にここに来たのだ。お互い目的は同じであろ? ――それに飼い主とはようするに我らの言うところの“お姉様”の如きものであると、我はそう理解をしている。ぬしが姉だと言うならば、我は一向に構わんのだが、なにか間違っているところはあるか? ルンカ・リンディ」
ルカはそれを聞くと、達筆な字で迷わず書類にサインをしたためた。
「それとな、ルカ。……今回ヴァーン商会には払わなくて良いそうなんだが。それでも飼い主は帝国学術院に飼育登録するのに費用がかかる、んだけど。……、さ?」
「ちょっとお待ちなさいターニャ! なんでサインの後でそんなことを……。ち、ちなみにですが、それはおいくらほどかかりますの?」
「……ピクシィなのでちょっとお高くて、四万ほど」
「わ……わ、わ、わざとわたくしがサインするまで黙っていましたわねっ!?」
「だって、事務所で出したかったけど払えないもんよ! こないだ税金払っちゃったから、事務所の金庫には今、千五百しか入ってねぇもの! 税金払う前でも四万は無理だ! 知ってんだろ?」
「ならば須く! わたくし個人が払える道理はもっとありませんでしてよっ! ご自身が払っているのですもの、わたくしのお給金が毎月いくらであるか。などと言うのは、お話の以前から、よぉおおっく、ご存じですわよねっ!?」
「ホントゴメン、この件についてだけはあたしから皇子に頼むわけにも行かないし。第一皇女殿下から帝国皇家に、ちょおっとだけ助けて貰えるように。話をしてくんねぇかなあ、……なんて」
見た目は豪勢なお嬢様キャラであるものの、その中身。どうしても必要なもの以外は宮廷から取り寄せたりはしないことを貫く、清貧お嬢様のルカである。
「わ、わたくしに……、自分で飛び出してきた宮廷に。お金の相談をしろと……?」
「ふむ、なぁアクリシア。四万というのは、例えばどのくらいの価値であるのだ?」
すぅっ。とパムリィが音も立てずにクリシャのデスクの上まで流れてくると、中身の無い標本瓶の上に、ことん。立ち姿のまま革靴を鳴らして姿勢良く降りる。
「瓶の蓋、滑るよ? ――そうだなぁ、うん。一昨日、畑を荒らしてた4m越えのジャイアントワームを七匹、まとめて駆除したじゃ無い? あれが一匹あたり、だいたい経費込みで四百って聞いたよ?」
「我の価値はあのワーム百匹分であるのか……。高いのか安いのかさっぱりわからぬ。人間の経済というもの、やはり難解なものであるな」
「私も良く分かんないんだよねぇ。……だからこその本職、ルカさんなんだけど」
「言われればアレの得意とするは会計術なのであったな。……ますます我の姉となって欲しいものだが。……その四万をルンカ・リンディが払わねば、我は花畑へ帰らねばならんと、この話はそういうことであるのか?」
「うーん、……どうなんだろうね?」
「お兄様にはもちろん、ましてや母上様になど! わたくし、ずぇええったいに! お金の無心などいたしませんからねっ!」
「そこを何とか曲げて頂けませんか、姫様ぁ……」
フィルネンコ事務所は、今日も意味も無く賑やかなのであった。
次章予告
帝国随一のモンスター学者であるクリシャは、
モンスター達の度重なる異常な行動に不審を抱き
研究成果と標本を持って師の元へと相談に行くことに決める。
一方、そのクリシャに護衛兼荷物持ちとして同行するロミは、
待ち時間の間、草原で風を浴びていたが……。
次章『草原の狩人』
「いや、そのクリシャさん。それって結構、おおごとなんじゃ無いですか?」




