宮廷騎士
2016.10.05 本文を一部修正しました。
「後にしてくれないか」
「それが、リンケイディア皇子殿下が総督とフィルネンコ卿に火急のご用件とのことで……」
「すぐお通ししなさいっ!」
ドアが開いた瞬間。
ターニャ以外は全員跳ねるように立ち上がって直立不動の姿勢を取り、ロミの目配せでそれに気が付いた彼女も習う。
「これは殿下。このようなところまでの御自らのお出まし。心より恐縮に存じます。大臣閣下では無く私にご用でしたら、こちらより宮廷にお伺いしましたものを……」
ターニャ以外の全員が胸に手を当て、略式の臣下の礼を取る。一瞬送れてターニャも同じ形になる。
スラリとしてかなりの長身、ターニャよりも頭二つは高い。
その上に人の良さそうな顔を乗せ穏やかな瞳でターニャを見つめる。
皇子と言うには装飾の類も無いシンプルな衣装だが、首のスカーフを止めるブローチには、胸に両の手をあて憂いの表情の背中に羽を持つ少女、サイレーンをあしらった家紋が皇家のものであることを示す。
そして腰には服装に合っているとは言い難い金色に輝くレイピアを、こちらもいささか服装には不釣り合いな真っ赤な皮のベルトで吊っている。
「みな、楽にしてくれて良い。……職務ご苦労、総督。――良いのだ。話があるのは私の方なのだから。そちらのお嬢さんがフィルネンコ所長だね?」
「はい、その通りです。殿下。――おい、四代目!」
シュナイダー皇家の血筋にある物は十二歳を過ぎると、男女問わずに宮廷騎士として皇帝を守る役目を持つ。
皇位継承権を持つ者は、外部から来た妃以外は、全員が皇帝を守る宮廷騎士でもある。
剣の種類は人によっても違うが、金色に輝き皇帝章を頂くその剣は帝国最強騎士の身の証であるから、公式の用事の時には帯剣が義務づけられている。
現在は大公の公子、公女など約三〇人がその任に付いているが、皇帝の子息、子女であっても帝国にあってはその例外では無い。
皇太子であってもその責は、自身が皇帝に即位するまで続くのである。
とは言え、皇家の者全員が剣に秀で、軍略に長けている。と言う訳にはもちろん行かない。
皇家の仕事もあって体も一つしか無いので、宮廷騎士代理人を数名指名して、有事の際には全権委任するのが普通。
だが、このリンク皇子に関して言えば代理人の指名は今のところしていない。
有事の際に自ら前線に立つ覚悟なのだと言われているが、本人の考えについては今のところは公式に何も表明しないためわからない。
皇家の人間は帝国の誰より戦士でなければならない。
それが二十代、国を成す夢を達せられなかった初代から数えれば二十一代続く軍事国家シュナイダー帝国皇家の伝統。
リンク皇子も優男のように見えるが、剣の腕は超一流と評判を取る。
その皇子が見た目通りの優しい、良く通る声で口を開く。
「お初にお目にかかる、フィルネンコ男爵。私はシュナイダー帝国皇家第二皇子、リンケイディア=バハナム・ミレカルロ・ド・シュナイダーと言う。我が帝国始まって以来の天才リジェクタと伺っていたが。……一瞬その話を疑ってしまったよ、噂以上にお美しい。天は二物を与えず。とかつての賢者は言ったそうだが、卿を見る限り、それは嘘だな。――……どうかお見知りおきを、フィルネンコ卿。以後、昵懇に願う」
そう言って皇子はターニャの前にかがむと、手を取ってキスをする。全く想定外の事態に対処が出来ず、そのまま手を突き出した形で固まるターニャ。
「フィルネンコ男爵ではあまりに堅苦しくて、可憐な貴女を呼ぶ名としては相応しくない、と思うのだがどうだろう」
「……可憐? あ、あたしのことですか?」
「私は今、貴女と話しているつもりなのだが……? ともあれ親しみを込めてターニャと呼んでもよろしいか? レディ・ターシニア」
――よ・ろ・こ・ん・で。ターニャの背中、隣に立ったロミが返答を指で書く。
「え? ……うん。あ、――はい。も、もちろん、その。喜んで……」
「なれば以降はそう呼ばせて貰おう。私のことはリンクと呼んでくれて良い。――聞くところによれば、私とは同い年なのだそうだね」
『リンク殿下って呼ぶんだよ? ああ言ったからって、呼び捨てにしちゃ絶対ダメだからね?』
ロミのターニャへの耳打ちも気にもせず、皇子は更に“付き添い”の二人へと目をやる。
「ポロゥ博士も来てくれたのだな、帝国一のモンスター学者が同席してくれるなら心強い事この上ない。……学会での立ち話以来だから、おおよそ一ヶ月ぶり。と言う事になろうか」
「私のような者をご記憶頂きまして光栄です」
クリシャはスカートをつまんで形通りの挨拶を返す。
「――そしてロミ。久しいな。近年の活躍は聞いている。……だが私と逢うのを避けるように行動するのは何故だ? 年こそ多少離れてはいるがスクールでの同僚、友人では無いか。少なくとも私は、キミに嫌われるような事はしてないはずだ」
「今の僕はただのロミネイル=メサリアーレ・センテルサイドです、殿下。栄えある帝国貴族より爵位を剥奪された、恥ずべきアリネスティア伯爵家の長男である僕と、友人などと口にされたのを誰かに聞かれでもしたら……」
「直接にお会いすることこそかなわなかったが、父君は武勇に長じ部下にも好かれた名伯楽であったと聞き及んでいる。先だっての戦では誠、残念なことであった……。ただ、私とキミの関係に家名など関係無いとも思っているのだよ」
そう言ってリンクは一歩ロミに近づく。
「そして、ついでに言えば私は先日、怪物対策会議の議長に就任したのだ。だからフィルネンコ害獣駆除事務所で助手を務めるロミネイル=メサリアーレ、これと知り合いであっても問題は生じないと思うのだがどうかね? ……されば。改めてよろしく。――これでいいかね? ロミ・センテルサイド」
皇子に握手の手を出されれば、握り返すしか無いロミである。
「立ってするような簡単な話でも無かろう、みな座ってくれ」
「お気遣い痛み入ります殿下。……では四代目達もそのように。――ところで殿下、フィルネンコ卿も交えた上での火急のお話しというのは、ビレジイーターの件にございましょうか?」
「そうなのだ、総督。――実はな、もう少し様子を見ようという父上、……皇帝陛下に早急な決断を促し、今朝ほど。環境大臣へフィルネンコ事務所へと依頼を出すよう、指示を出したのは私だ」
ならば、親衛騎士がわざわざターニャのもとへ召喚状を届けに来るのも頷ける。
勿論、彼の騎士がリンクの側近であることは勿論。
今回の招集は、ほぼ勅命と同義であった、と言う事になるからだ。