避難勧告(上)
スライムはロミの予想通りに山の中腹の街道を無視。そのまま新しい道を山肌に刻みながら山を登っていった。
フィルネンコ事務所の馬車と、オリファの駆る馬は“紅い河”の流れた跡から街道へと曲がる。
「しかしターニャ殿、正規の書状もなしに避難に応じて貰えるものでしょうか?」
馬に乗るオリファは御者台で馬車を駆るロミの隣、腕組みで冴えない顔のターニャに話しかける。
「うーん。そこなんすよねぇ。リジェクタの言う避難勧告なんか、誰も聞いてくれない気がするんですけど」
職業に貴賎無し。言葉ではそう言うがリジェクタもまた、下銭な職業とされるひとつである。
「なぁロミ、なんとか上手く交渉……」
「出来ないです! 僕をなんだと思ってるんですか!」
「そうかぁ」
「だよねぇ」
「ふむ……。なんの問題もありませんわよ。ターニャと騎士団服を着た騎士殿。あとは簡単です。わたくしがロミ君よりも交渉事で前に出られましたわね」
「なんか考えがあるのか? ルカ」
「このわたくしにお任せ下さいませ。所長様」
「……不安しか感じねぇんだが?」
「真面目に危ないんだってば、爺さん! 明日の夕方にはもう、人も家畜も全部が喰われるんだよっ!」
「どうか、我らの言葉を聞いてはいただけませんか。長殿」
「いくら宮廷の騎士様とあっても、村全員を今から退去などと無理も良いところです」
脅威はまだ山の向こう。相手は時速二キロ弱ではあるが、栄養豊富である村の存在を知れば、食事しながら前進。それを止めるだけでスピードは三倍強に上げることが出来る。見えてからではもう遅い。
ターニャ達の危惧の通りに、村には話は全く聞き入れて貰えなかった。
「お任せ下さいませ」。と言い切ったはずのルカがやった事と言えば。
一応携行の義務がある上、高級品でもある為、ターニャが持ってきていた宮廷騎士代理人の“証の剣”。これを腰に下げさせた事と、オリファからマントを剥ぎ取ってターニャに着せた事ぐらい。
特に事前に話を合わせることもせず、現状はターニャとオリファが全面に立った交渉を、某貴族のお嬢様の顔で一歩下がって見ているだけ。
「われわれにも生活がございます。――騎士様、せめて帝国政府の正規の書状でも無ければ」
交渉を初めて約五分、ここで漸くルカが話に割って入る。
「村長様、突発事項で宮廷に書状を書いて頂いてこちらへ送って頂く、その時間が取れないのは事実。そして騎士殿も我々も。宮廷の皇族方より、お一人でも多く、直接の被害を受ける方を減らせ。と言う命を受けているのもまた事実なのでございますわ」
「だがお嬢さん、我々もですな……」
「リジェクタ風情が、不躾な質問を致しますご無礼をお許し下さいませ。失礼ながら書状以外で村長様が、ご信用頂ける条件は他にありまして?」
「いや、条件と言われても」
「例えば、皇族の何方かが直接避難を勧告しにいらっしゃったなら如何でしょう?」
「もちろんそれならば」
「ならば既に、避難勧告は村長様に受理されておりますわ」
「詐欺師かおまえはっ! ……オリファさんもノリが良すぎです」
「……面目ない」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。騎士殿も顔をお上げなさい、いずれうまくいったのだから良いのです」
三時間後。人気のなくなった村の中、中央の広場に乗り入れた馬車の周りで全員座り込む。もちろん家の中の家財道具はそのまま、家畜の類も直ぐには動かせないが、これも村内と、スライムの侵攻経路上に放牧しているものは夕刻まで、と言う条件で移動して貰っている。
「ターニャ殿の鳩をお借りしました、殿下のお名で正規の避難勧告書が数日の内に届きましょう。――村民の避難に対する帝国よりの保証も、保全庁の総督閣下に話を通して下さるはずです」
「でもルカさんスゴいよ。初めから展開を予想してたんだねぇ」
「必要以上に騎士殿に気を使っていたので、予定より時間がかかりましたわ」
「人との会話って、流れまで予想出来るものなんですね」
「宮廷に十六年も居ますとこんなものですわ」
「そう言うひねた方向に特化するのは、おまえだけだ……!」
「受理された。とはどう言う事でしょう? お嬢さん」
気色ばむ村長にもルカは涼しい顔で、ターニャに水を向ける。
「所長様、証の剣を村長様に見せて差し上げて頂きたいのですけれど」
「ん? まぁ、いいけど。……これがなんだ?」
マントを割って突き出された彼女の左手には銀のレイピア。
「僭越ながらおたずね申します。村長様ならレイピアのその紋章がなんであるのか、ご承知なのでは無いかと存じますが。――如何ですかしら?」
「その文様は……。有翼の乙女、憂いのサイレーン! まさか、シュナイダー皇家のお印……?」
代理人は証の剣に主の家の家紋を戴く。ターニャのそれは当然皇家の紋である。
「その通り、さすがは村長様、博識でいらっしゃいますわね。そう、その剣こそは宮廷騎士代理人の証。――我が所長様は帝国皇家、リンケイディア皇子殿下の代理人なのでございますわ」
「いや、確かにそんなお方がウチの村にいらっしゃるのは凄いことだが、それになんの関係が」
「関係は大ありですわ。ねぇ、騎士殿?」
いきなり話を振られたオリファは、それでもルカの意図するところに気が付いて、声を張って話を引き取る。
「長。ご存じであろうが宮廷騎士代理人は、主人とする宮廷騎士より全権を委任された代理人。なれば、証の剣を携えたターニャ殿より発せられし言葉は、我が主、リンケイディア皇子殿下のお言葉であり、ひいては皇帝陛下の詔そのものでありまするぞ」
と、オリファはここまで言ってルカを見る。まるでそっぽを向いている様に見えるルカが流し目を送る。――はぁ。彼は内心ため息。
「しかし騎士様、代理人様は殿下ご本人では、無い。……ですよね?」
ルカの流し目を受け、完全にシナリオを理解したオリファは、不機嫌そうに眉を動かすと右手を剣の柄にかけ、声のボリュームを一気に上げる。
「自らが今なにを言ったのか、わかっているのであろうな! ――代理人閣下を侮辱することは我が主、リンケイディア殿下、ひいては皇家、帝国そのものを愚弄するも同義! ……あまりに不敬であろう! それとも。例えその身を挺する事になろうとも、万難を排して村人全てをモンスターの危機より遠ざけよと、殿下が我に直々に御命じになったこの村の、これがその総意であるのかっ! さぁ答えよ、長よっ!」
「…………」
穏やかに下手に出ていたオリファが一転、格の違いを笠に着て語気を強める。これでは村長が即答出来るわけも無い。当然答えさせないためにわざとやっているのだから。




