紅い河
夜明け間近の森の中。あまり路面の状態が良くない道。
夜明けまで、まだだいぶある時間に宿を出てきた“フィルネンコ害獣駆除事務所”。と書かれた馬車がランプを揺らしながら走る。
「かなり大回りしますのね。それにもう、このあたりは地図では道がありませんわよ? 道が悪いのはそのせいなのでしょうかしら……」
「意外にも地図の見方と、星で方位の見当を付けるやり方はわかってんだな、ルカ。……そう、ここは道じゃねぇ、例の“紅い河”が通った跡だ」
周りはうっそうとした森に囲まれた街道のように見えるが、これこそスライムの大群が森の中、鬱蒼と茂る木立を押し倒し下生えを剥ぎ取って、地面さええぐり取り、文字通りの根こそぎにした。その跡である。
「ロミ、どれくらいで追いつく?」
ターニャは御者台のロミに声をかける。
「相手はスライム。速くても時速にして2キロ無いでしょうから、こちらもスピードはさして出せないですが情報通りなら直線ですし、ならばもうまもなく。見えてくるはずです」
「クリシャさん。とても基本的な質問で申し訳無く思うのですが、スライムが人を襲ったりすることはありますの?」
「普通そう思うよね、飼ってる人だって居るくらいだし。なんならウチでも飼ってるしね」
クリシャは、遠征に際して縦ロールを諦めて髪をまとめ、エプロンドレスから若干サイズの合わない、かなり股の部分が余って見える乗馬ズボンに履き替えたルカに答える。
「ジェリーでもスライムでも、自分の体の三倍くらいなら、その気になれば身体を伸ばして取り込んでしまう。何らかの栄養があるかどうか、それだけが全て。取り込んだのが犬か人間か。なんて言う事は彼らにはあまり関係が無い。だから、私達の体格なら、どんな種類のスライムでも五〇cmを超えるような個体には、うかつに近寄ったら危ないの。ドミネントだって実はネズミや昆虫は普通に食べるんだよ?」
最近、納屋のネズミや虫がめっきり減ったフィルネンコ事務所である。
――それでもウスアカ、ってのは腑に落ちねぇ。徐々に明るくなりつつはあるが、それでも森の中である。ターニャは御者台に出てロミの隣で遠眼鏡を顔に当てながら唸るように言う。
「ベニウスアカスライム。とても大きくなる種類なのでしょう? 最大高1.2m。最大幅直径1.5m。それにある程度賢くて集団で狩りのようなことも行う。と、出がけに資料で見たのですけれど」
出かける用意の傍ら、一応スライムの資料にはそれなりに目を通してきたらしい経理担当である。
「でも、人間の出す生活騒音のようなものが大嫌いなの。食器を洗う音とか、この馬車の音みたいなヤツね。だからたまたま遭遇した人が襲われることはあっても、街や村に自分から攻め込んでいくようなことは普通無いのよ。それに……」
「まだ何かありますの? クリシャさん」
「群れを作っても一〇匹が良いところ。それ以上だと共食いを始めたりして、群れがバラバラになってしまうのよ。……餌の都合があるので肉食を好む大型種は大気な群れにはならないのでは無いか、と考えられているの」
「大型種が大集団で群れている時点で普通では無い、と言う事ですのね」
――前回も、普通じゃ無かったからねぇ。今回は違うと思いたいけれど。とクリシャが御者台を見上げたところで。
「ロミ、止めろ! ――クリシャ、顔出せ。……おっと、そこで良い。見てくれ」
御者台に頭を出したクリシャの顔に遠眼鏡をあてがうターニャ。
「どう思う?」
「これは。……どう見ても、普通じゃ無い!」
「五十五じゃ安すぎたかもな……」
別段、巫山戯ている様子は無いターニャを見て、ロミとルカが心配そうに様子をうかがう。
「クリシャさん、何が普通じゃ無いんですか?」
「何がどうしたんですの? 宜しければ具体的に教えて頂きたいのですわ」
顔色を無くしたクリシャが、ターニャの差し出す遠眼鏡を覗いたまま答える。
「あ、あり得ない。ベニモモスライムが群れをなしている……! しかも総数三〇〇以上!?」
「ウスアカとベニモモを誤認することは、プロだってままある話だが、ウスアカだとしたって。それでもこんなに群れてるのは見たことがねぇ……」
「何がどう大変なのか。具体的に説明して頂きたいところではあるのですけれど、状況的に説明して頂く時間的猶予はありまして?」
「ターニャさん、クリシャさん、僕からもお願いします。スライムなのになんだか蚊帳の外で、役立たずが表面化した気分です」
「時間は良いけれどスライムだし。だったら専門家はターニャ、でしょ?」
「あぁ。所員を役立たず呼ばわりして蚊帳の外に置くわけにいかねぇしな。ウチは四人で漸くチームだ。……ちょっと説明しつつ、頭を整理しよう。ロミ、ルカもだ。わかんねぇことがあったら、その都度聞いてくれ」
――スライムは、基本的には見た目通りのあぁ言う生き物だ。ただ、うねうねぐねぐねして、遠くまで行く事なんてほぼ考える事も無しに生きてる、だから頭も要らねぇ。自分の届く範囲のものを、ただ取り込んでいくだけ。考えようによってはうらやましい生活をしてるとも言える。
――そして本当の意味の雑食性、自分で触れるものならリスでもカナブンでも草でも、多少栄養があると思えば土まで。この道も奴らが通りながら、木を押し倒して地面の栄養のある部分を草ごと、文字通りに根こそぎ剥いでいった跡だ。この辺はずっと世話をしてきたんだ、ロミは良く知ってるよな?
――基本的にはそんな生き方をしているから群れる必要性はねぇ訳だが、三〇〇種類も居れば多少のバリエーションはある。まぁ、タイプとすれば大別して二つ。
――例えば本当に生きてる以外何もしない連中。ウチに居るドミネントスライムが良い例だ。奴らは荒地で何もしないでただその場に居る。ごくわずかな栄養を取り込んで生きているから勿体ないのであまり動きたくない、って事だ。ウチの納屋の連中がそれなりに動くのは、栄養が行き渡ってるから余裕があるんだな。こう言う大人しい種類はだいたいブルーやグリーンの寒色系をしている。
――その一方、肉食性の強い連中はスライムもジェリーも関係無しに、大概暖色系の見た目で、一概には言えねぇが紅が強いヤツほど危ねぇ。と言われる。こいつ等は数匹で組んで狩りのようなこともする。スライムとしては結構アクティブだし利口だ。大きくなれば当然人間も喰われる。だから駆除が必要になる。
――ここで専門家として注意しなきゃいけねぇ事だ。デカいほど危険だと言ったがそれは通り一遍の意味だけじゃねぇ。デカいほど頭も良くなる、知恵が付いてるヤツほどデカいって事だ。人間を喰うことに味をしめるといくらスライムでもそれなりに危険だって言う話だな。
――ベニモモスライムは肉食を好む中でも最大で、デカいヤツなら1,5mにもなる種類だ。デカくて賢い。どれくらい賢いかというと、小さいうちならペットとして飼うと懐くくらいだ。飼い主を覚えて寄ってくるし、餌の時間やら自分の場所やらも正確に記憶して飼い主の期待通り動く。だがデカくなったらそこはモンスター、素人に制御なんか出来るわけが無い。変に賢い上に人間の動きに詳しい、最悪の人喰いスライムの出来上がり。だから飼うのが禁止されてるんだな。
――その上増える時にスライムはどうするか。当然ロミは知ってるな? ――そう、雌雄同体で基本は通常は交尾から増える。――交尾なのに何処が“尻尾”か、なんて話は無しだルカ。お嬢様がはしたないぜ? 人間だって“交尾”はするが尻尾はねぇだろ。――赤くなるくらいなら茶々を入れるな。こっちが恥ずかしい。
――交尾の方法の話はおいといてだ。双方が少し縮むのと引き替えに、身体的特徴はもとより単純な記憶まで引き継いで新しい個体が一匹、直接生まれる。ウチのドミネントが全部ロミに懐いているのはそう言う事だ。生まれた直後から納屋の埃や床の土よりも旨い餌をくれるヤツ、これを既に知ってるって訳だ。
――そしてもう一つ、環境が良くなると分裂するよな? ロミ。――そう、小さな自分を二つ作るんだな。普通のヤツが分裂する分には良い。だが肉食の賢いヤツが分裂すると少し賢いヤツが二匹に増える。しかも自分同士で連携して狩りをする。結果元の大きさになる時はもっと賢くなる。それが更に分裂する、と言う繰り返しだ。
――ただ、物事当然、限界。というのはある。一般的に言う最大高を超えるとそれより大きくなれない。子孫を残すか分裂するしかなくなる。スライムもジェリーも関係無しに皮が持たなくなるんだ。だから肉食の連中も、必要以上に賢くならないで済んでいる、と言う面もある。
――それともう一つ。ドミネント辺りは一万を超える群れを作る事もあるが、基本スライムは、特に肉食の強いヤツは通常は群れる生き物じゃ無い。いくら自分同士とは言え、ある程度の数になれば統制が取れなくなる。一緒に居るとむかつく、みたいな感じなのかね。群れが割れたり共食いを始めたりする。
「だから、アレが見た目通りにベニモモだとしたらおかしい事になるんだよ」
「賢い個体が分裂して人里を目指して侵攻する。……今の話なら、そこにおかしな部分は無い様な気もするのですが、その辺は専門的にはどうなのですか? ターニャ」
「確かにスライムの中ではいかにも捕食者ではあるんだが。しかし、フルサイズなら基本は一匹、最大でも狩りは2匹でするんだ。あんなデカいもんが3匹以上で狩りをする、なんて巫山戯た話はこれまでは無ぇんだよ」
クリシャがメモ帳を片手に会話に割って入る。
「やたらに賢い個体が自身を分裂させる事で巨大な群れを作る。……ベニモモなのに、分裂でも繁殖でも、とにかく群れていた方が有利。と言う記憶を引き継いでいる、と言う事?」
「群れる性質のある連中、ダークレッドロッテンやグレーターオレンジなんかはそうだし、さっき言ったウチのドミネントなんかは、完全に納屋で群れてる方が効率が良い。と考えた上で分裂してない連中にもそれを伝えて群れを維持してる。だが、肉食が強ければ強い程、普通ならばある程度の数で群れは崩壊する。餌の問題があるからドミネントのように万を超える群れを作る訳には行かない。いわば我が強い、ってなわけだが……」
ターニャは遠眼鏡をロミに渡すと、“紅い河”の方向を向いて御者台の上であぐらをかく。
「その我の強いベニモモを仕切れる程賢く、力技で言う事を聞かせられるに程強いと言うんなら、それはもうスライムの知能と力ははるかに超えて、別の生き物だと思ってた方が良いくらいだ」
「頭の良いスライム……と言う事ですの?」
「ある程度の知能を持って、それを自身の群れを動かすことに使う……。本来、あってはいけないはずのモンスター。と言う事ですよね?」
――もしそうなら、普通の人間は絶対に勝てない、駆除には軍隊が必要になるよ。クリシャはそう言うと何事か書き付けていたノートを閉じる。
「群れのリーダーは何故かってのは横に置いて、限界を超えてデカくなったヤツじゃねぇかな。あえて分裂せず、直接の子孫も残さずただ目一杯賢く、デカくなったヤツが、当初千切った自分の分身を賢さと力押し、両方で仕切ってる。クリシャ、この条件ならどうだ? ――スライム(やつら)にとって強さも賢さも全てはデカさだ。……スライムのくせに逆らったら喰われる、見たいな仕切方するか知らんけどな」
もしそうなら群れ全体が、その概念が理解出来る程に賢い事になるのだ。それに。
「繁殖したり、分裂することで数は増えるけど知能と力が下がる。それをリスクとして認識する程に頭が良いとすれば。……そんなのもう、スライムじゃ無いよ!」
「フルサイズ、1.5mだってベニモモに正面からあたって勝てる人間はまず居ないぜ? 2m。しかも狩りの時に、群れを先導して行動させる知能があるとしたらどうなるか。考えなくてもわかる話だ」
「まさか兄上はそこまでわかった上でターニャに……」
あの皇子ならあり得るな、と思いつつターニャは答える。
「どうだかね。口で言う程買ってくれてるか、わかんねぇしな。……それにクリシャの言う通り、そんなもんは既にスライムじゃねぇ。――ロミ、もっかい貸せ」
ロミから渡された遠眼鏡の先。ターニャの目には毒々しいピンクに輝く巨大なスライムが、群れをなして一列で進んでいくのが見えた。
「だいたい、ベニモモだったら相場はメータークラスでも一匹二千、フルサイズなら三千五百だ。あれだけ居るなら、全部狩ったら城が建つぞ」
スライムでも1mを超えるような大きな個体なら人間の二人や三人は平気でまとめて飲み込むきわめて危険な生き物である。
加えてベニモモスライムだけは駆除依頼時の値段は他とは別格である。
怪物狩りやリジェクタに対しても二匹で組んで物陰に隠れ、不意打ちやわざと身体を晒して騙し討ち、知能の高い彼らはそんな事さえするからだ。
ウスアカと誤認して返り討ち。そんな事例は列挙にいとまが無いのである。
移動速度も瞬間最大なら十五キロを超え、狩りの時に獲物を捕らえるためには遠くから身体を五倍近くまで伸ばし、その速度も目にとまらない程。
肉食の傾向がかなり強く、それ故に余剰のエネルギーがある。鹿や猪さえ獲物にするのだ。スピードは草食を好むスライムとは根本が違う。
そしてフルサイズならスライムとしては最大級、1.5mにもなるベニモモスライムのその巨体。猪やカモシカさえ苦も無く飲み込む以上、人間も当然補食対象となる。
しかもターニャの言う金額も当然、前提条件は最大二匹、群れていないのだ。
但し危険度判定だけはスライムの括りに入れられ“Ⅰ”なのである。
「確かに五十五万では安かったかもね……」




