最終防衛戦(下)
「……貴様がターシニア・フィルネンコだな? ことごとく予定を潰した張本人、余計な事を」
背中から人間味を感じない声がかかり、何気なく下を見たターニャは。
自身の鳩尾から、血に濡れた剣が突き出ているのが見えた。
「へ? ……か、はっ。……あ、あんたは。人間の、くせに……、気配消し、やがって。……エルフ、のハーフ。あんたは……」
ターニャの背後。頭だけ振り向いた彼女には妙に印象の薄い、若い男が見えた。
「ターニャっ! ……貴様ぁ、何奴っ!!」
「殿下! 彼奴は、ヘシオトール殿の持っていた似姿の……!」
ターニャの口は、――ちちさまのかたき。そう動いたが、声の代わりに口からは血を吐き出し、顎から地面へと落ちていく。
「名前など無い。人間でも、モンスターでも無い。故に双方に害をなすものだ。帝都を半分潰す計画は頓挫したが、皇太子の命だけは本日、今よりもらい受ける」
「この人数を前に逃げられるとでも思って居るのか! 騎士団、抜刀! この者を止めよ! 皇太子殿下殺害をもくろむ不敬の輩である、全力を持って排除せよっ!」
リンクの声に反応し銀色の刃が特徴のない、影の薄い男とターニャを取り囲むが。
「今の今まで気がつかずにおいて、なにを言っている、この女と剣を通じて繋がっている故見えるまで。この手を離せばまた貴様等如きには見えなくなろう。この……」
話の途中で肉を裂く音と、ボトボト何かの落ちる音が重なり。
彼の下腹からは細くて華奢な、血で真っ赤に染まった腕が突き出していた。
「だが、その貴様も妾には気がつかなんだ。弱肉強食とはまさにこのこと。……貴様が何をしようと妾には勝てぬ、ひかえよ、混ざりもの」
「だ、れだ……」
「そう、混ざりものとは言え貴様も水のものには違いあるまい。なれば妾は貴様の母とも言えようぞ」
白いワンピースを着て、背中には純白の羽根を背負った妙齢の女性。
水のモンスターの女王、サイレーンのピューレブゥル。
彼女は無造作に、男の背後から右腕を突き刺していた。
「女王ピューレブゥルっ!!」
「皇子よ、許せ。出るのが遅れた」
ピューレブゥルは。白のワンピースがじわじわ朱に染まるのもかまわず、右手を突き刺したままリンクに答える。
「この者はなるほど混ざりものではあろう。しかしながらそのあり方はモンスター、我が子等の一人なりしや。なればモンスターとしての最期を迎えるが道理」
「しかし、ピューレブゥル殿! ……その男は」
「色々と話は聞いておるが。――その上であえて、“これ”は妾がもらい受けようから悪く思うな」
彼女が腕を引き抜くと、男はその場に崩れ落ちそうになるが。
いつの間にかそこに立っていたエルフ達三人がその体を支える。
「……貴様もモンスターの端くれぞ。肝を握り潰した程度で即死はすまい。貴様が死ぬるはモンスターの地にて、だ」
「しかし、だがしかし女王よ……!」
「我が力が足りぬ故、レンクスティアにも迷惑をかけてしまった。直接何かを返すと言う事は出来ぬが盟約を違える気も無い。……済まなかったと伝えおいてくりゃれ」
――勝手に作っておいて、長きにわたり辛い思いをさせた。すまなんだ。
言葉と共にピューレブゥルとエルフ達、そして抱えた男の体は消え失せ、地面に流れた血と零れた臓腑がターニャの後ろに残される。
そして背中に剣が突き刺さったままのターニャは、ゆっくりと膝を付き、倒れる寸前、リンクが抱き留める。
「マクサス、医者を呼べっ! 全てに最優先っ!!」
「はっ! 急いですぐにここへお連れしろっ! 全員だ!!」
「あ。騎士様、いけません! お医者が来るまで剣は触っても抜いてもダメです!」
「私の名前を出して良い、断ったら家ごと物理的に潰すと言えっ!!」
「殿下、落ち着いて下さい! 医者は待機しておりますのですぐ参ります!」
マクサスは、珍しく冷静さを失ったリンクの肩に手を置いて大声で諭す。
「代理、報告に……。ターニャ様っ!? 一体、何ごとが!?」
定時報告に戻ったデイブは、血に濡れた地面とターニャを抱き留めるリンクを認めて混乱する。
「デイブ、良いところに戻った、順調の報告なら前線には戻らんで良い。ここの収拾を頼む。私は殿下に付く。――状況はだいたい理解できるな? こちらは全部終わった!」
わからない、とは言えないのが彼の立場なのである。
そして。それが出来るだけの器量もあるが為に、オリファもマクサスも彼を重用しているのである。
わからないなりに簡単に考えをまとめて、大きく息を吸い込む。
「う、……了解です。――毛布、包帯と当て布をありったけ、ここへ持ってきて下さい! それと手の空いている人は、水を汲んでお湯を沸かして!」
「はっ!」
「了解です!」
「そこ五人、旗でも布でも上着でも良い、ターニャ様と殿下が直接見えないようにして下さい!」
「はは!」
「衝立を持ってこい、使ってないのが三枚あったろ!!」
「荷馬車にかけてあった布があるはずだ! 隊旗の旗棒もそのまま持ってこい!」
「無駄に集まらない、仕事に戻りなさい! それでも帝国の騎士ですか! 野次馬などと、恥を知りなさい! ――ただ居るなら、あなたたちはこの血の後を流して。――僕の、親衛騎士の話が聞けない、とおっしゃいましたか?」
デイブは、顔つきはそのままに、腰の剣をごく簡単に抜刀する。
「見た目で侮るとは無能千万。そのようなものを、騎士の地位に就けておくわけにはいかない。――帝国と陛下の名を汚した罪にて、この場で切り捨てる。そこに直れっ!」
デイブ自身、師として仰ぐオリファに範をとり、普段からそれを強調する物言いは極力避けているが、彼にはそれをするだけの権限がある。
彼の着る青い服は、皇族の全権委任の証。
彼が帝国の名をもって剣を抜くなら。それは相手が上級貴族であろうと、全くもって合法の範囲内なのだ。
「いえ、そう言う訳では!」
「間違い無く誤解ではないが今は非常時。――顔は覚えた、事後宮廷警護隊が詳しく話を聞く。……今は帝国の騎士の名に恥じぬ言動をしろ、減刑の可能性もありえます」
チン。抜いた剣を収める。
バタついた雰囲気が多少収まったのを見て、さらに声を大きくする。
とにかく副長代理から彼への命令は、この場を収めよ。である。
「……さぁ、ぼやぼやするな、全員今すぐ手足を動かせ! 文句があるなら今すぐここから、いや帝国から立ち去れっ! それもイヤならその腰の物を抜け。この場で立ち合った上で全員、この僕手づから頭を落としてくれるっ! ――手空きのものは大きな荷車と毛布を用意して! 怪我人を運ぶ! 他のものは持ち場へ戻って下さい!」
「ははっ!」
廻りを布や衝立で囲まれたターニャと、それを抱き留めるリンク。そしてその横にひかえるマクサス。
「お、……おう。じ」
「……刺し傷だ。突きぬけてしまっているが剣が細い、大丈夫だ」
一気に彼の白い制服が朱に染まる。出血が少ないように見えているだけである。
「あの、……さ」
「どうしたか」
「ごめん、……ね」
小さな声に倍して口からは血が吹きこぼれる。
リンクはターニャの顔を横に向け、口にたまった血を吐き出させる。
「喋るな、今医者が来る。……それに、貴女に謝られることなど……」
「みんなで、おやしきに、……かえ、る。って、さ。ダメ、に……」
「貴女が馬車の荷台で帰ることになるだけ、約束通りだ。問題はない」
「あたし、……やく、そ、く。けんぶ、ん……ご、ごめん。おもて、の……きょうは、あは、はは、……むりだ、ね」
「この後に及んで、まだ巫山戯る元気があるのか……」
「あた、し、も……、たの、しみに……してた、……よ?」
ターニャは、悪戯っぽい顔で微笑むとそのまま目を閉じた。
「おい、ターニャ! 目を開けろ! ――医者はまだ来ないかっ! いつまで何をしている!!」
「殿下、冷静に。……助からぬと決まったわけではありません!」
だらん、と垂れ下がった彼女の手を取ったマクサスが、下を向いたままリンクへといつもより淡々と報告する。
「マクサス! お前はっ!!」
「気持ちは、……思うところは私も、同じです。――ターニャ殿には、本当に良くして頂いていますが、だからこそ我らは……!」
「……くぅ」
「殿下が取り乱しては、ターニャ殿も自身のケガの程度を、心配されるでしょう。出血が。……多少大目なので、気を失ったようです。――ターニャ殿は。つい大きな人間に、見えてしまいますが。小柄な、女性。……ですから」
既にリンクの制服は裾からズボンに掛けて、完全に朱に染まった。
ターニャの体格を考えると、かなりの血を失ってしまったように見える。
「誰でも良い。ターニャから、せめて。剣を、剣を抜いてやってくれ……! このご婦人は、こんな姿で居てはいけない。いつも凜としていなければいけないのだ。……彼女は私の、大事な、仲間。この世界で唯一無二の女性なのだ……」
その後。五箇所分の魔方陣の痕跡を全て消し、沸いたモンスタ-全てを駆除して環境を完全に元に戻すのには。
帝国軍一〇〇人隊の二隊とリジェクタ七班とを投入して、約二週間強かかった。
人間はそれだけの手間をかけて帝都のすぐ近くで歪んだバランスをたたきなおし。
自分達の領域を取り戻したのだった。
大戦から二年、日常を取り戻した帝都。
そのままのもの、変わったもの。
フィルネンコ事務所でも二年分の時間が過ぎた。
最終章『害獣駆除はお任せを!』
「あぁ。……貴女は、そうだったな」




