見せておきたかったんだ
「うん? ……ターニャ」
ターニャはワインのコルクは抜かずにリンクに背を向け、テーブルを離れてカーテンの閉まった窓際へと歩いていく。
「酒を口にする前に。皇子にキチンと、言っておかなきゃいけないことがある」
「急にどうした?」
「酔っ払って勢いで言ってるわけじゃ無い、ってわかって貰えないと困るんだ。意味がない」
「貴女が話があると言うなら、是非もない。聞こう」
「あ、……いや。その。うん。――あたしは」
窓枠に手を着いて。その肩にぐっと力が入るのが、後ろから見ているリンクにもわかった。
「あたしは。……皇子のことが、好きだ。身分とか、立ち位置とか。……そう言うのは横に置いて女として、リンクって言う男が好きなんだ。……でも」
「ターニャ、私は……」
ターニャは窓枠から手を放し、肩から力が抜ける。
「いいんだ、言わせて……? こんなの、言われたら迷惑だって、わかってる。身分も、見た目も、中身も。リンクって言う人はさ、帝国の皇子なんだよ。あたしの何もかも全部。なにひとつ相応しくない、わかってる。……だいたい」
そこで一度身を固くすると、――だいたいが、だ。ともう一度繰り返し、そして体の力を抜く。
「だいたい、……男からみたら、あたしに魅力がないって言うのは。それは、うん。……自分で良く、知ってるんだ。――見てよ、ほら」
衣擦れの音がするとガウンが床に落ち、後はなにも着ていない後ろ姿。
背中には、かつてスライムの消化液で大やけどを負った時の傷跡。
「こんな女は、誰だってヤだろ? 皇子には絶対そぐわない。……変なの見せて、ごめん。でも、どうしても皇子に言っておきたかったんだ。見せておきたかった」
「ターニャ、貴女は……」
「もしかしたら、明日死んじゃうかも知れない。……そして、皇子はもしかしたらあたしになにかを想ってくれてるかも知れない。――けれど、でも。あたしにそこまでの価値は無いって、だから見て、わかっておいてもらいたかったんだ」
「済まないが、貴女がなにを言いたいのか、私には……」
「ごめん、なさい。……こんなの、見たくなかったよ、ね? でも。もし、なにかを想ってくれてるなら、そんなのは間違いだって! こんなのを女だと思ってるなら、それは勘違いだって! それをわか、わかって、欲しく、……て。そんで」
ターニャの全身に力が入って、体も、声も。小刻みに震える。
「だから、あたしが死んでも、部下が死んだ。仕事、頼んでた業者が死んだ。以外、なにも、……別になにも、思わなくって良い。良いって、皇子に、今日、言わなきゃって……。今、言っておかなきゃ、あたし……」
「以前、我が愚妹のせいで怪我を負ったとは聞いたが、それが……」
突然、想像以上に近いところから声がかかって、ターニャは驚く。
「あ、いや。ルカは全然、関係無くて。あたしの判断ミスで……、ホントに」
「痛むことなど、無いのか?」
「さ、最近は。ごくたまに、ホント。時々チクってなるくらい。で、もう、全然」
「そうか。……ご婦人がこのような傷を負う、それは体が痛む以上に辛くて苦しいことだろう。――だが、私はあえて貴女に聞きたい」
「な、なんの、話を。始めたの……?」
「貴女のこの背中、意外にも華奢で、でもたくましく、とても魅力的なこの背中を。私以外の男性に見せた経験は?」
「いや、あの! ……も、もちろん、あ、その。お医者以外は無い。です」
「ではもう一つ。この先に見せる予定は?」
「そ、そんなの、そんなのあるわけ無い! 当たり前! あったら、そんなのあったら、見せないよっ!!」
「怒ったなら済まない。貴女は知っているかとも思うが。私はどうにも人の機微というものに、相も変わらず疎いな。……いつもにまして上手く伝わらない」
ターニャは後ろから抱きしめられたことに気が付いて今度こそ、身を固くする。
「ひぁっ、……あの、……お、皇子?」
「貴女は十分に価値が有るし、……こう言う言い方は品位に欠ける気もするが、その体だってとても魅力的だと思うのだが。それを私が思うこともいけない、と……?」
耳まで真っ赤になったターニャのその耳元に、リンクの言葉は続く。
「この背中。私しか見たことがない、と言うなら。そんな冥利に尽きる話も無い。……無理をさせて済まなかったね。私も女性としての貴女を好いている。――いや、違う。貴女に全身全霊で、懸想している」
「……お、皇子」
「貴女は貴女、卑下する必要は無い。そして私も考えを改めるつもりはない」
声も体も小刻みに震えるターニャを、リンクは後ろから抱きしめ続けた。
「……そんで、良い、のか?」
「何か悪いことでも?」
――ない、です。ターニャは自分を抱きしめる腕にそっと触れる。
ほんの短い時間なのか、だいぶ長い間なのか。二人はそうしていた。
「あ、……そうか! ま、前しか見ないんだし、なら、普通。でいい、のかも……」
「ん……? なにを考えた?」
「なんて言うか。……前だけ見てるなら。そしたら、ルカとかクリシャと比べても、そうおかしなトコ、なかった、かな。って」
別にムードを壊そうという意図はないのだ。とリンクは気が付いた。
これはこれで、大真面目に“男から見た自分の価値”を分析しているのだ、と。
「……やれやれ、まったく貴女は」
「あのさ、おっぱいなら人並みより、ちょっとだけおっきいんだよ。男は好きだろ? おっぱい。……そうだよ、前だけ。前だけ見ててよ! そしたら、あたしだって、性別は女なんだし、それに普通、そう言うときは前しかみな……、えっ?」
体ごと振り向こうとしたターニャを、リンクはあえてきつく抱きしめる。
「重ね々々、貴女にばかり。……私のふがいなさを、つくづく済まなく思う」
「でも! だって……!」
「良いんだ、今はこれで良い……。気持ちの追い詰められた中、勢いだけでどうこうなどと。立場が逆なら、貴女が一番嫌うところではないか?」
そう言うとリンクは体を離して、ターニャに落ちていたガウンをかけると両の肩に手を置く。
「え? ……皇子?」
「体が冷えるといけない。――もちろん、この続きは近々に時間を取るさ。貴女もそのつもりでいてくれ」
「皇子、なな、な、なにを言ってん……!」
顔だけ振り返ったターニャの唇はリンクの唇に塞がれる。
「…………」
「…………。勢いや流れでそう言うことを言っている、と言うわけでは無い。というのは、理解して貰えるだろうか」
「もちろんそんなこと思ってなくて、あたしは……」
「……求めるところが同じなのはわかった、ならば今、慌てる必要も無い」
「別に、あたしは、その……」
「……貴女の照れた顔は、始めて見る気がするな。思った通りに可愛らしい」
「な……! 変なこと、言うなっ!」
――ふふ……、別におかしなことは言っていまいよ。リンクは一歩後ろに下がる。
「面倒くさい人間だとは貴女に初めて会った頃に言われたが。確かにそうだな」
「……ん?」
――専門家や女としてのターニャが欲しいのではない。パートナーとして、皇子では無いリンクとしての自分を彼女に認めて欲しい、と言うことか。リンクはここでようやく。自分の本当の想いに気が付いた。
「やれやれ。私の方がターニャより数段、面倒くさいではないか」
リンクは自分で可笑しくなって口の端を少しあげる。
「あの、皇子? ……え-と」
「こちらを向く前にキチンとガウンは着てくれよ? せっかく我が生涯最高の見栄をはったのだ。――もしくはやせ我慢。かも知れないが、ね」
振り向きかけていたターニャはそれを聞いて。もう一度赤くなると、後ろを向き直し多少慌ててガウンに袖を通す。
「でも皇子……。良かったの? あたしなんかに気を使わなくても……」
「思ってくれているほどに聖人君子ではないよ。……明日、戦でないならばそうしたさ。将として、一番組組長の体調が落ちる可能性、これは排除するのが勤めだ。――有能な女性と想い合ったものだけの知るジレンマとして、この場は表面上納得するよりほか、あるまい」
「……でも皇子だって」
「貴女の思惑はともかく、私も男だ。たった今でもそうしたいさ。――だが。貴女とは常に対等なパートナーでありたい。私の心からの望みはそれだ」
――それにな。本格的に可笑しくなったリンクは笑顔で、ガウンを直して髪を気にしながら振り返ったターニャに続ける。
「戦の前に、やるべきことをあえて残しておく。と言うことを歴戦の将軍達はやるのだよ。今回、私もその例に倣おうと思う」
「は? あの……」
「生きて戻るしか選択肢はないだろう?」
「その、皇子。……それは、その」
「私も男だとは今ほど言ったぞ? ……まだ背中しか見ていない。なんとしても、貴女の”表側の見分”。これをしなくてはならんのだから、な?」
「な、なな、なに言って……! ば、莫迦っ! 皇子の、莫迦ぁあっ!!」
ターニャはガウンの襟をさらにかき合わせて叫ぶ。
「ははは……。――さぁ、ワインを開けてくれないか? 時間はなさそうだが一杯だけ。二人で祝勝の前祝いと行こうじゃないか」
リンクは、テーブルの横でコルクスクリューを持ったターニャに続ける。
「そして明日、戦勝の暁には。……まずはここに帰ってこよう。一番組の皆で、な」
「…………はい」