貴族の生活
「やれやれ、やっと落ち着いた」
帝国が対策本部本陣と定めた屋敷の三階。
かなり大きなベッドルームでガウンだけを羽織り、椅子に座ってため息のターニャ。
かなり大きな屋敷であるのだが、三階は皇子とターニャの寝室となった。
それ以外の部屋は使っておらず、二階の階段の前にはリアの指揮の下、女性騎士が交代で頑張っており。屋根の上にも誰かが今も見張りで立っているはずだ。
「だからさ、祖父様には悪いけど。やっぱりあたしは、貴族なんてガラじゃないんだよなぁ……」
仮にもリンクが、帝国の皇子が滞在する。と言う前提で選ばれた建物なのである。大きな食堂があるのは当然。浴室もあったし大きな浴槽だってあった。
食事は、慣れている。とは言いがたいものの、普段ルカに言われるよりはテーブルマナーは知っている上、立場もわきまえているターニャであるので、実は回りが心配をするほどには問題が発生しないのであるが。
その後。
浴室までお付きの女官が二人付いてきて、体中を洗われ、時間をかけて髪を手入れされて、拭き上げられ。
さらには部屋まで付いてきた彼女たちは、ターニャからいったんガウンを剥ぎ取って裸に剥いた上で、再度就寝用のガウンに着替えさせ、髪を乾かし櫛を入れ。
――明朝、若干早めに御髪とお召し物を整えに参ります。お休みなさいませ、閣下。
そう言って先程、ようやく帰って行った。
「あの人達だってアレが仕事なんだから、要らんって言われたら困るだろうしなぁ」
ちょっと触ってみた自分の髪が異様に輝いて、しかもやたらに手触りが良い事に驚きつつ、ターニャはさらにため息。
彼女たちは、宮廷騎士代理人であり、帝国男爵であるところのフィルネンコ卿の世話をする。そのためだけに、危険である事は承知でここに呼ばれたのだ。
そこはターニャも理解はしていて、だから彼女たちに身の回りの世話を全面的に任せたのだが。
「体くらい、自分で洗えるよ。……みんな毎日あんな感じなのか? 本物の貴族って」
自分も“本物”の貴族であることはすっかり頭から抜けている様子のターニャである。
カーテンを閉めた窓の向こう。
広い中庭では、天幕の回りに篝火が焚かれ、寝ずの番のもの達複数人が歩哨に立ち、何ごとか話し合っていることだろう。
「これで自分の家だ、ってぇんだからな。ドンだけデカいんだよ。姉御の家と言い、本当の金持ちってのはスケールの桁が違うよな……」
事務所が併設されているとは言え、自身の配下三人を自宅に住まわせ。帝都の中心部でありながら大きな中庭、仕事用の倉庫や作業場、四頭分の厩まであるフィルネンコ家ではあるが。
今居る屋敷は優にその五倍以上はあるように見える。
――いくら校外とは言え作りや調度を考えれば、かかった金額は5倍じゃ済まないだろうなぁ。
どうでも良いことを考えていたターニャであったが、それはノックの音で中断する。
「はい、空いてます。どうぞ」
「まだ起きていたかね?」
ドアを開けて入って来たのは、もう一人の三階の住人、リンクである。
「話はわかるけどさ、いくら何でもこんな時間に寝ろって言われても無理だよ」
「そうだな、違いない」
普段ならまだ、夕食を食べている時間だった。
明日は早朝から作戦開始なので、指揮官であるお二人は早めにお休みを。
と言われて、半ば強引に三階に押し込められた二人である。
「だがまぁ、寝ないといけないのも事実だろうし。だからこう言うものを持ってきた。――以前、いける口なのだと聞いた気がするが?」
リンクが、後ろ手に隠すようにしていたビンを突き出して見せて笑う。
「この屋敷の主人から貰ったものなのだ。マクサスからは結構良いものだとも聞いたが、私はワインは良くわからなくてな」
「すごく良いヤツだよ。市場にはほぼ出ない上にすごく高い」
「そこまで良いものなのか?」
「皇子には金額で言ってもピンとこないだろうけど」
帝国の皇子が、市場で買い物など基本的にするわけが無い。
やたらに小銭にさえうるさい上、ある程度の金額になると即座に、値切るために交渉を始めるルカの方がおかしい。
と言うのはターニャもわかっていた。
「うーん。まぁ、ルカの三ヶ月分の給金で、やっとこれ一本くらい、って感じだな」
「結構な金額だと言うことなのだな……。ならば尚のこと。ターニャのような詳しい人に飲んで貰えるなら、その方が良いな」
「あたしもそこまで詳しいわけじゃないんだけど、ね」
――グラスもさっき、食堂から拝借してきた。そう言うとリンクはまるで手品の様に右手にグラスを二つ挟んでいた。
「そう言うキザなの、皇子には似合わないと思うんだよなぁ」
ターニャは、――元が良いんだから格好つける必要がそもそも、無いもの。と言いかけてそれは飲み込む。
「たまにはやってみたいのだ。男はだいたい、見栄をはって格好をつけたいものなのだよ」
そう言いながら、リンクはグラスを二つ。テーブルの上に置く。
「よくわかんないな。……皇子はそう言うのとはあんまり縁がないんだと思ってた」
「男であるのは変わらんよ、ご婦人には見てくれだけでも良く見せたいさ。……開けてくれるかい?」
「あたしが開けて良いの?」
「良いものだそうだし、ならば開け方にもなにか流儀があるのやも知れん。私は詳しく知らないからな」
「そう言うのは、なんにもないよ」
リンクはビンをテーブルに置き、ターニャは持ってきた荷物からコルクスクリューを取り出すとテーブルに戻る。
「皇子はさ、お酒。飲めるんだね」
「嗜む程度、と言うところだな。――前祝いで一杯だけ、貴女と飲みたいと思ってね。……寝酒にしよう。と言うのも本当だが、明日起きられなくなっても困る」
「あたしだって別にそこまで飲むわけじゃ無いよ」
「そこも見栄をはっている、と言うことなのだろうかね」
「どれくらい飲めるか,なんてさ。男は変なとこで張り合うよな」
ターニャは口元を緩めてテーブルにコルクスクリューを置いた。