お嬢様、就職する
「そうはいきませんわ! 貴女のようながさつな女性がリンクお兄様と不穏な噂のある以上、ここで監視をするのが妹としてのわたくしの役目ですの!」
「本音はそれか。貴人ってのは色々だな。――なるほど、ブラコンな……」
「ぶ、ブラ……。ふ、うふ、うふふふ……。――そ、そう言う下銭な言い回しは避けて頂きたいものですわね!」
「リンク皇子がいい男である事は認めるがね。いずれおまえの想いがどうであろうと、兄妹は結婚できんのだぜ? 法律もそうなってるし、その場合。人間は生物としてあまり丈夫な子が産めない。と言う傾向が顕著にある」
「貴女とお兄様が、その、ど、どどうにかなるくらいならば、それならわたくしが相手だと言う方が一〇〇倍マシですわっ! それにご存じないかも知れませんが、皇族ならば……」
――過去には姉弟で結婚した例だってございますのよっ! と言い終わる前にターニャが彼女の口をふさぐ。
「しぃっ! そんくらい知ってるよ! 誰が聞いてるかわかんねぇんだ。そう言う話をおもてで、デカい声でするんじゃねぇ! 姫なのに莫迦なのか、おまえはっ!」
そう言いながら首に回した腕を緩め、顔を覆った手を放す。
「ぷは……。しかしターニャ、わたくしは……」
ターニャはぐっと顔を近づけて、声のボリュームを半分以下に落とす。
「……だいたい、その結婚が成立する前にだ。前提条件として皇帝陛下はもちろん、皇太子殿下含め、リンク皇子とおまえ以外の皇位継承権上位二〇人程がまとめて急逝した上、帝国の体制がひっくり返る必要があんだぞ、本当に意味わかって言ってんのか、おまえ!」
今より一五〇年程前、シュナイダー七世皇の時代。帝国は二十代三百年の歴史の上でもっとも危機的な状況に陥った。
国内中に流行病が蔓延し、主だった皇族、貴族が軒並み病に倒れてしまったのである。
皇帝のみは難を逃れたものの、皇帝妃はもちろん皇太子まで。そして当時の皇太子の妃候補さえも当時名前の挙がっていた一〇人全てが死亡、若しくは子を成す事の出来ないからだとなった。
更に悪い事には第一皇女と第二皇子以外で確定していた、皇位継承権十五位までを軒並み病で失ってしまったのだった。
結局病にかからなかった、後に女皇帝としてシュナイダー八世を名乗る事になる当時の第一皇女と、その弟に当たる第二皇子が婚姻することでシュナイダー皇家の血脈は何とか保たれた。
リイファの言う姉弟での結婚、はこのことを指している。
ちなみに二人の息子である、後の九世皇と後の初代シュミット大公となる第二皇子は身体が弱く、双方子供は残したものの、引退し太女皇帝となった母親や太王婿となった父親よりも先に夭折している。
その結果、九世皇の長男は九歳で十世皇として即位、一方のシュミット大公国でも第一公女が一二歳で二代目シュミット大公となる事を余儀なくされた。
このことを重く見た帝国政府は、後に身分を問わず四親等以内の同族婚は一切禁止し、重罰を処する事とした。
リイファの言う通りに事が運べば、現行の法律では皇族である彼女とリンクは見せしめの意味も込めて、ギロチン台に上がる事は免れない。ターニャの言う体制をひっくり返して、は単純にここにかかっているのだ。
いずれにしろ七世皇の御代からの混乱を受け、皇家の血族は近所に居るより散らした方が良い。と言う事で、帝国領の南、当時、ドミネントスライム以外住む者の無かった荒れ野を切り開きシュミット大公国を勃興、八世皇の息子である第二皇子が初代シュミット大公として国を治める事になった。
結果的に皇太子は皇帝に即位しても、脇を固めるはずの弟はおらず、その弟も、国の名前以外何も無い城から荒野を眺めて暮らす事になったのである。このことが彼らの寿命を更に縮めた、とも言われる。
しかしここから、当時でも世界最大級七〇万の民を誇った大シュナイダー帝国は、更に領土拡大路線へと舵を切る。
モンスターの多い西以外の三方位へ未開の地を切り開き、抵抗する者を制圧し、兄弟や甥など皇帝の血族を公王とし、シュミット大公国の更に南の他、本国の東と北に三つの公国を勃興する。
更には地方を治めさせる事とした侯爵家へは皇家の血筋を持つ姫達を妃として嫁がせ、自治領を統治する総督や領事として直接皇家の血族を送り込んだ。そうして侯爵領や自治領が独立はおろか、声を上げる力さえ奪った。
そうする事で現在の臣民五〇〇万超を誇る、大帝国シュナイダー王朝連合の基礎を作っていったのである。
現 皇帝妃はシュミット大公国大公の長女、本来ならば大公を接ぐはずだった元第一公女である。シュミット公国の起こりの顛末も、その娘であるリイファなら知っていて当然だ。
そしてその口をふさいだターニャの意図。
現状。リンク本人も気にする通りに、国家の運営という観点では言う事が無いものの、無慈悲かつ苛烈な性格で知られる皇太子では無く、リンク第二皇子を次期皇帝に。と言う勢力が間違い無く居るのである。
但し、そこにはリンクの意思などは全く介在していない。以前ターニャが指摘した通りに、彼は皇子の地位で特になにも不満には思って居ないのが実際である。
しかし、大帝国シュナイダー王朝連合は世界最大の大国。単純にそう言う勢力がある。と言うだけでは済まずに、皇太子の暗殺さえ視野に入ってくる様な大きな話になるのだ。
そのような勢力があるのかを別にして、派閥としては第二皇子派、と言う事になるのは貴族のみならず、市井の者達にも良く知られるリイファ皇女である。
これが普通の兄妹だったなら、さっきの話も二番目のお兄ちゃんが好きなお兄ちゃん子。で済む話であるのだが、当然、話を聞くものによっては継承権を持つ者と、皇太子の妃候補になり得るもの。これら全てを纏めてリンクを擁立する為に、リイファ自らが暗殺する意図を持っている。と取られかねない。
更に話が飛躍すれば彼女自らが女皇帝を指向している、とさえなりかねないのだ。何しろ彼女は皇位継承権第三位を持つ第一皇女。兄である皇太子とリンク、その二人さえ亡き者にすればそれだけで継承権は一位へと昇格する。そんな邪推が成立する程までに、シュナイダー皇家へと集中した権力は強く、大きい。
シュナイダー皇家を軸とする、今や臣民五〇〇万を超え、六〇〇万にもなろうかという世界最大の連合国家の中心、シュナイダー帝国の次期皇帝となれば、そこに利権を見出し、ぶら下がりたい者もまた多い。
ほんの少しの間違いで血で血を洗う惨劇が起こりかねない。大義名分さえ立てば、本人の意思さえそこには関係が無くなるのだ。
誰かに聞こえたら、夢見がちな少女の妄言。では済まなくなる可能性がある以上、どう考えても外で、大声でするような話では無い。
と言う考えのもと、一般常識はある! と自負するターニャはルカの口をふさいだ。
ターニャの一般常識が果たして何処までを網羅しているかは置いても、現皇太子が皇帝として即位するまで。最低それまではそのような話が、しかも皇位継承権第三位を持つルケファスタ姫の口からなど、絶対に出てはいけないのは事実である。
「おまえの兄上が今、陰で何言われてるか。知らねぇ訳じゃねぇだろ!?」
「……それは」
「皇子が皇子で無ければ、おまえもあたしも立ち位置変わるんだろうけどなぁ。正直出来る事はただ見てるだけ、なんだぜ。……あたしだけで無く、おまえも。な」
「ターニャ、貴女……」
「それにそう言う意味じゃおまえがあたしと一緒に居ることだって、リンク皇子にとっては良くないことなんだよ。本来は、な。……端から見たらリンク派が集まってなんか相談してるって風に見えんだろ?」
リンクとは今のところ直接の繋がりがないとは言え、ターニャは彼の代理人である。なので第三者の目の無いところでは出来る限り接点を持たないようしていた。ロミの助言もあるとはいえ、皇子の立場を気にする程度の常識はあるターニャである。
それなのにリイファ皇女と通じている、等と噂が立ったらそれこそ、誰からなにを言われるかわかったものではない。
「ま、そうは言ってもあたしだって別に皇位に興味があるで無し。おまえはルカお嬢様なんだろうし。――気持ちが収まるまで没落貴族の息女を預かったって事で、おまえ一人くらい此所に置いても悪くは無いが。……ソロヴァン、本当に使えるんだろうな? 無駄飯を食わせるつもりも余裕も無いぞ」
「あ、当たり前です! 出来もしないことを出来るなどと、帝国皇女たるこのリイファが口にするわけがありませんわ! 税金が専門なのも、お兄様のモンスターのレベルで本当です!」
――先日まで財務主計局局長代理でしたのよ? と、ちょっと高飛車お嬢様の顔に戻る。これは多少自慢であるらしい。
「ならそれで良いンだが。――ただ、あたしが皇族を誘拐した罪で帝都警護団や親衛騎士団に逮捕されるのは。……それは困るぞ。わかってんだろうな? その辺」
「……えぇと」
……やっぱり、誰にもなんにも言わないでそのまま宮廷を飛び出してきたんだな。コイツ。
そう思い至ったターニャは多少げんなりしながらそう言う。そうなら護衛も付いていない意味もわかるし、行く先が無いのも当然である。
一国の姫様、どころか帝国の皇女殿下を“放し飼い”にしておいて良いわけが無い。
それにお姫様であろうと無かろうと。
常識的に考えて年頃の女の子を、気に食わないからと言ってその辺に放り出して野宿させたりなどして良い訳がない。――それこそ一般常識、だよなぁ。
ぺちん。ターニャは自分の額に手をやる。
「……お母様に、皇帝妃陛下にお手紙を書きます」
「是非、そうしてくれ……」
「ターニャぁ! ただいまぁ! ……あれぇ? 居ないのぉ!?」
「お帰り、クリシャあ! ……裏だぁ!」
振り返って声を張り上げて答える。
「所員の方がお戻りですの? わ、わたくしの事はルンカ・リンディで……」
「あたしはどうでも良いけどさ。――ただ、多分一発でバレるぞ?」
「ターニャがなにも言わなければ誤魔化して見せますわ!」
二人の口裏合わせも済まないうちに、クリシャとロミが裏庭に入ってくる。
「あれ……? そのお姫様みたいな可愛い子、誰? お客さん?」
「……し、知り合いの妹なんだよ、うん」
知り合い。という表現も若干不敬ではあるものの、ルカはリンクの妹である以上は少なくてもターニャの知っている人の妹。と言う意味なら嘘では無い。
「そういえば宮廷から皇女様が家出したって街で噂になってるよ? でも実際、四六時中護衛も付いているんだし、お姫様が家出なんて出来ないよねぇ。私は平民で良かったわぁ」
「お、おぉ」
「そ、そうですわね……」
クリシャの正面。ターニャの横には多少困ったような顔をして、まんまと家出に成功したお姫様が立っているのだが。
「あ、噂と言えばもう一つ。帝都の西の方の村で人喰いスライムが出たって話、聞いたよ?」
「ん? 人食いなんてしばらく聞かなかったが。子供が怪我でもしたのか?」
「スライムの群れに村一つ潰されたって。……あくまで噂を聞いただけだから、被害自体はどれくらいかわかんないけどね」
最近は人里付近のモンスター駆除は徹底されている。人間側での立ち入り禁止のラインも明確に引かれモンスターと人、キチンと住み分けが出来ている状態である。
だから開拓団が襲われることがあっても、モンスター関連でいきなり既存集落が全滅する。等と言う被害はあまりない。先日のブラックアロゥの一件のように、突然前触れも無しに一〇人単位で犠牲が出る事自体が希なのである。
「群れで村を食い尽くす人喰いかぁ。……スライムだろ? まるで種類の見当が付かないぞ?」
「そうそう、そんでね。組合長さんからフィルネンコ事務所全員で、午後から来てくれって言われてるんだけど、それ絡みかな? スライムだし」
「スライムの専門家が言うことでもねぇが、スライムだったらそれこそ冒険者や怪物狩りでカタが付くだろぅよ。――前回の会合でも特になにも言われてないたけど、当番でも早まったんだろうか」
「“国営の現調”が来月だよ? ……組合長さんから直接聞いたわけじゃ無いから用事の内容までは知らないけど」
「全員、って事は組合の行事では無くて、何か仕事絡みだよな」
ナンバーワンリジェクタ、モンスター学の権威、貴族、皇族に顔の繋がる営業担当。フィルネンコ事務所は組合としても便利に使える駒が揃っているが、全員で来い、と言われる時はモンスター駆除の仕事である事がほとんどだ。
「ところでどうしたの? お父様の剣なんか持ち出して?」
「これは単に使えねぇなら捨てようかと思っただけだよ。まぁ、元からモノは良いし、まだ使えるから予備にして捨てない事にしたんだが」
「ターニャさん、忘れないうちに一ついいですか?」
「何だロミ?」
「ターニャさんがこないだ頼んでたもの、用意して置くから夕方取りに来いってショップの旦那さんが言っ、て……」
と、ここでルカの顔をまじまじと見たロミ。彼は青くなって片膝を付くと、クリシャにも慌てて同じ姿勢を取らせる。
「……え? わ、ちょ、ちょっとちょっと、なに? どーしたの?」
「ルケファスタ皇女殿下! 何故姫様がそのようなお姿で、このような場所にいらっしゃるんですか!?」
「ちょっとロミ! ……え? 待って待って、なに? この娘……っていうかお、お姫様って……、ターニャ、この人、って言うかこの方。本物のお姫様、ルケファスタ殿下なのっ?」
「ターニャさん、隣の方がどなただか、わかってるんですか!」
「あぁ、ゴメン。……あたしはそれ、さっきもうやった」
「……は?」
「な? ……バレただろ?」
「わたくし、彼にお目にかかったことが。あったかしら……?」
「ウチはA級だかんな、組合や保全庁を飛ばして宮廷から直接依頼が来ることだって普通にあんだよ」
――そしてウチの営業担当は優秀だから、顧客の顔は忘れねぇ。それだけだ。そう言ってターニャは地面に置いたスライムスライサーを拾った。




