リジェクタ組合帝都本部
「しかし、たいしたものだね。やはりルカさんは頭領の器だ」
「……? それはなんのお話ですの?」
害獣駆除業者組合帝都本部の応接室。
紙の山に埋もれて腕抜きをはめた姿のルカ。そしてその紙を整理するのは、上着を脱いで曲がった蝶ネクタイの組合長、ロジャー・ヴァーン。
「さっきの話ですよ。一日好きなことをしろ、事務所には出てくるな、仕事も禁止。……なんて。僕には言えないな」
「それを言ったのはターニャですわ。あの二人はターニャが言っても聞かないので、あえてわたくしから言ったまでです」
「やっておけば良かった、は無しだ! なんてね。言われれば確かにターニャの台詞ですが。それでルカさんがやりたいのが書類整理ってのは……」
「修正部分があるとわかっていて、そのままにはして置けませんわ。明日死ぬかも、などと言うなら尚更です。……ロジャーさんは付き合って下さらなくても」
「今日は日のあるうちは仕事が無いんで。――しかしまぁ、真面目というかなんと言うか。で、結局メイドさん達は今日は何を?」
「さて、今朝は事務所には来ませんでしたが……」
話しながらも手は止まらず、ルカは次々に書類を書き直していく。
この辺は喋らないと調子が出ない、と言うクリシャに鍛えられた部分である。
「そうは言いつつ自分は細かい残務整理に回る。――僕はやはり、ルカさんはボスの器だと思うけれど」
「配下にそう言いながら、自身はこんなことをしている。お恥ずかしい限りですわ」
――もっとも、半端のまま死んでしまっては気になって死にきれ無い。と言うのが本当のところですが。ルカは、そう言いながら、持ってきたソロヴァンを弾いて数字を書き直す。
「ふぅ。まぁ、ここまでやっておけばわたくしが死んでもわからない、などと言うことは無さそうですわね」
「ヤリ過ぎでしょ。正直ここまで書類が揃ってるチームは他にないですよ」
「過ぎるということは無いですわ。所長はどうあれ、わたくし個人は決まりがあるならそれを護らない、と言う選択肢がそもそもありません」
「ルカさんはそうでしょうね。――お茶が冷めちゃいましたが取り替えますか?」
「このまま頂きますわ、…………ふぅ。――先程の話、ロジャーさんは何かやりたいことは無いんですの?」
立場的には、フィルネンコ事務所とそう変わらない組合長である。
「まぁ、僕は最前線に立つことは無さそうですけどね。……けれどやりたいこと、ねぇ」
「今、こんなことをしているわたくしが言うのも、口幅ったいところではありますが。ロジャーさんは、わたくしどもよりよほど重圧のかかるお立場ですし」
「ふむ。……ではこれから。私めと軽く散策をしてお茶でも如何ですか? レディ」
「は? ……え? わたくし、ですの?」
「この部屋に、他に誰か居ますか?」
「……それはそうですが。わたくしなどと散策をしても楽しくは……」
「大丈夫です。楽しいかどうかは僕が決めます」
時刻は昼下がり。
実は組合には、朝から弁当持参でやってきていたルカである。
普段から昼食を外でとる組合長ではあるが、当然に昼食に誘われるわけは無かった。
「やっておけば良かったは無しだ! ってね。……たまにはターニャも良いことを言うものですね。――ルカさんのご承認は頂けた、と」
そう言いながら組合長はテーブルの鈴を鳴らす。
「組合長。御用でしょうか?」
事務服を着た女性がドアを開けかしこまる。
「フィルネンコの事務長と少々込み入った話がある。少し出かけてくる」
「お戻りは?」
「そうはかからない予定だが」
――今日は何かあったか? 組合長は上着を羽織ながら問う。
「冒険者協会の代表と一七時から会談予定です。三〇分前までお戻りを」
「わかった、後は任せる」
「ルカさんはこちらにお戻りになりましょうか」
「……わたくしは、その」
「たぶんそのまま帰ると思うが」
「では、お荷物はフィルネンコ事務所に届けるように手配しますが。宜しいでしょうか」
「悪いがそうしてくれ。――と、言うことで。参りましょうか」
昼下がりのカフェテラス。
「さて、こうして出て来たのは良いものの」
「……はい?」
「一般的に、女性をお誘いした場合。作法としてどうするのが正しいんでしょうね」
あまり人影は無く、二人はその中でもオープンテラスの一番端の席に陣取っていた。
「あの、エスコートして下さるのでは……?」
「あー、その、……僕は女性をお誘いしたことなどないものですから」
「なるほど」
ルカの頭の中には彼の“兄”であるリアンの姿が浮かぶ。
「いや、あの。何考えてるかわかる気がしますが、……兄貴の“アレ”とは一切関係ないですからねっ!」
「女性がお嫌いなのかと……」
「断じて明言しますが、女性は大好きですっ!」
「ちょ、……あの、公衆の面前で、そんな大声で……!」
真っ赤になったルカが組合長の袖を全力で引っ張る。
「あぁ、失礼。……なかなか女性とお知り合いになる機会がなくて。――それで漸く妙齢の美人と巡り会えたと思ったら」
組合長はここで。――すっ、と真面目な顔になると声をひそめる。
「まさかルケファスタ殿下であるとは。……僕はつくづく女性には縁がない」
「ろ、ロジャーさん、あなたは。――いつから気が付いて……」
「始めは欺されてましたよ……。ただ僕は仕事柄、宮廷に伺うこともある。殿下には以前二回ほど直接、拝謁させて頂いてお言葉を頂戴したこともあるんですよ」
ターニャが当初言っていた、――組合長に会わせるのも不味い。は、実にその通りだったのである。
「当然、組合長としてファステロン侯にお目にかかる前でしたがね」
「えぇ、わたくしもそれは覚えていましたが。では他の皆さんもお気づきでおられたり……」
「それはどうでしょう。……たぶん、僕以外の職員は。いいえ、兄でさえも気が付いて居ないでしょう。――口に出せない事情もあるのだろうし、だからこれは僕だけの秘密にしておきます」
「……口外しない上、事情の詮索もしない。卿の気遣いには感謝を。この上なくありがたい限りであります」
彼女は開き直って一時。ルカの顔で居ることを止める事にした。
「モンスター関連を知りたい、と言うところまではわかります。皇太子殿下やリンク殿下。お兄様方の役に立ちたい姫様なのでしょうから」
一方の組合長は態度が変わらない。
どうやらこれは、話しやすいようにわざとであるらしい。とはルカも気が付いたので、これはこのまま放置する。
「市井では、そのように喧伝されているのでありますか……」
“リイファ姫”の評判など、どうせろくな事は言われていまい。として気にしたことの無いルカである。
「此度の無期限留学も、皇太子殿下の即位を睨んで世界を知るため、自ら率先して行かれた。などと言われていますよ」
「大兄様のお役に立ちたくは思いますが、されどそこまで殊勝な人間でもあるでなし。――最近はルカで居る時が、一番素の自分に近いのでは、などと感ずるところなのです」
「そのルカさんが大真面目でモンスターを知りたい、と言うならフィルネンコ害獣駆除事務所を選んだのは正解ですよ。……でも」
「何か問題が?」
「おやじさん、テルさんが生きてさえ居たらもっと……」
「ターニャのお父様、ドミナンティス男爵家の二代目、テオドール・フィルネンコ殿。皆からの話を聞く限り、たいそう立派な方であったようでありますね?」
あのターニャでさえ、“父様”に関しては尊敬の念を隠さない。
「今まであったリジェクタでは間違い無くナンバーワン。ターニャも頑張っては居るが、おやじさんにはまだまだ届かない」
「あなたのような聡明な方がそこまで心酔するのです。よほど腕が立ったのでしょうね」
彼の、やたらに軽薄な言動は半分以上わざとである。とはだいぶ前にルカは見抜いている。
――初対面の時の、本来の僕は紳士なんですよ。は、きっと真実なのだろう。と彼女は会う度にそう思っている。今も考えは変わらないのだが、そこをルカに見せるつもりは今のところ無いようだった。
「かつてまだ我が父が商会の会頭であった頃。……長兄ウィリアムと僕は、父の知り合いだったテルさんの元に二年ほど修行に出されました」
「ヴァーン商会がリジェクタディビジョンを立ち上げる前の話。で、ありますね?」
「そうです」
「わたくしも肖像でしか見たことがありませんが、ターニャのお父様としても立派な方であったご様子。娘を溺愛する一方、リジェクタとしても超一流。とは話をする人、皆から聞き及ぶところです」
「僕も兄貴も、本当に良い方を師匠に持てて良かった」
組合長は椅子の背もたれに身体を預けると、向かい合ったルカの後ろ。さらに遠くを見つめるようにする。
「時にヴァーン卿」
「ロジャーで良いですよ、ルケファスタ皇女殿下。残念ながら家督はあの兄貴、僕は四男ですからね」
多少面白くなさそうな話しぶりで答えが返る。
「なればそなたも、わたくしをリィファと呼びしことを許しましょう。何より知り合い同士、いちいち敬称が付いては会話が鬱陶しい」
――おや? と言う顔で組合長はルカを見返す。
「リィファ姫が御自らそのような事を仰るのは珍しいと聞きますが?」
立ち居振る舞いや言動にはとても厳しいことで知られる第一皇女である。
「身分などはどうでも良ろしい。わたくしの友人として釣り合いが取れるか、その一点のみが大事な部分であるのです、ロジャー殿」
「姫の言の葉はありがたく……。それで、何かを聞きたかったのでは?」
「そうでした」
多少おずおずと、と言う感じで組合長に目を合わせるルカである。
「ロジャー殿。あなたのしたかったこと、それはなんであるのか聞きたく思います。今もこうしてわたくしのために、大事な時間を使わせてしまっています……」
「それは勿論、美しい女性と親しく話しながら散策し、お茶を飲むことです!」
「そうですか。わたくしも女性、という部分のみは該当しそうなものですが。――もしわたくしが、リィファで無く、ルカであっても誘っていただけたものでありますか?」
やや肩を落としながらそう言うルカに対して、組合長はむしろ胸を張って口元には笑みが浮かぶ。
「最初に言いましたよ、ルカさんがリィファ姫であって非常に残念であったと」
「……ならば、このわたくしも。簡単に死ぬるわけには参らなくなりましたね。何しろこのわたくしを女性としてみて頂ける、そのような方が居ると知れた。ここ暫くで一番の大発見です」
「むしろそう見ていない男がいるとも思えませんが。……僕も死ねなくなりましたね。――明日は久しぶりに剣を振ってみるかぁ」
「……? どうしたことなのでありましょう」
「リィファ姫にそれを言うならまさに不敬そのもの。けれど。ルカさんであれば親しくお話をできるやも知れない、そう言う可能性を見出すことができました! ……これは是が非でも生きのこる必要がある。死んでる場合じゃ無い!」
「わ、わたくしの……」
「いいんですよ、可能性でいいんです。まず今は、約束をして頂けませんか?」
「約束? わたくしと、ですか……?」
「まぁたいしたことでは。……全部終わって、ルカさんとして元の生活に戻れたら。そしたらまたここに座って、今度は僕とルカさんで、たわいも無い話をしましょう」
「特に拒みはしませんが、そんなことでよいのでありますか……?」
「……あとですることがある。今はそれでいいんですよ。むしろ僕には最高だ。――さて、遅くなるといけない。事務所までお送りしましょう」
促されて立ち上がったルカのプラチナブロンドの髪が、――ふわり。と風に舞う。
「ふふ……。本当に良いのでありますか? ――ロジャーさんは知ってのとおり。このルンカ・リンディ、しとやかでも優雅でもありませんでしてよ?」