中継地点
西の山は実はそこまで標高は高くない。約三日で頂上に到達する。
そして頂上までの道も、何がどうなっているものか、キチンと付いている。
そしてビバークできる場所までが。“ちょうど良い場所”にあるのだった。
そこそこ風がある為、ネックレスに“命綱”を付けたパムリィを肩に乗せ、手際よく荷物を解いて宿営の準備を始めるターニャ。
西の山に登り初めて二日目。
一行は既に八合目までやってきていた
「意外と、と言ってはまた怒られそうですが、毎度見事な手際ですな」
荷物が無くなって軽くなったのか、ここまで荷物を背負ってきたヤクが身震いをする。
「ま、この辺は仕事上ね。……パム、どうだ?」
「既に人類領域でない故、こんなものであろうな。……大丈夫だ、陸も水も。周辺に暴走している個体は無いようなる」
慣例通りなら、皇太子の試練にあたっては、小規模とは言え皇太子へのお付きは二〇名前後。
今回、レクス皇太子のお付きは異例にも、専門家ターニャと、自身の部下アッシュの二人だけ。
だからこそ自分の居る意味がある。と言うのがパムリィの論である。曰く。
――我がおれば、陸と水のモンスターは襲ってくることは無いぞ。
だから警戒すべきは野生動物と毒虫だけで良い。と彼女はそう言った。
「“空の”はきっと手を出してはこんだろうしな」
「水も……? いつの間にピューレブールと話を付けたんだ?」
「女王同士、相通づるものがあるのだ」
出発前。ターニャの問いにはそう言って、パムリィは話を煙に巻いた。
「なんだそりゃ?」
「女心は複雑であるのだよ、ぬしにはわかるまいが」
暴走状態でないのなら、水系のモンスター達は全力でレクスを護るだろう。
と言うのはパムリィには、ハイランダーの村で話す以前から。それこそ始めからわかっていたことだった。
「あたしも女だ、巫山戯んな!」
ダシにされたターニャだけが良い面の皮、なのであった。
「アッシュさんそっち、――旦那も悪いけどそこ、持って?」
「おぉ、すまぬ」
「これで良いですか?」
リジェクタは仕事柄、テント張りも仕事の範疇。
パムリィ以外のフィルネンコ事務所の面々。彼らにテント張りの基本を教え込んだのが。
アッシュが驚くようなスピードで、やや大きめのテントを設営するターニャなのである。
「むくつけき男二人と同衾などと、本当に申し訳無い」
「同衾たって、一緒の部屋って程度だし……。それに荷物増やすわけにもいかんですからね。その辺二人共紳士ですんで、気にしないで良いっす」
あまりに人数が少なすぎて、男女別のテントを用意出来なかった。
レクスが済まなそうにしているのはそこであったが。
しかし、ターニャ個人とすれば。ロミやリアンと二人で夜明かししたるすることもまま有るし、その中で仮眠したりも普通のこと。
なので、当初はあまり気にならな“かった”。
そう言われる度に、自分の寝言やいびき。色々意識してしまう彼女である。
「その。……アッシュさん、火を起こしてくれる? 旦那はヤカンに水を。夕食の準備、しましょ?」
「わかりました」
「そうだな、そうしよう」
テントの外。夜風に吹かれてターニャが座っている。
“お花摘み”等の都合もあるので、黙ってテントの見通し以上には行かない。と言う約束をレクスとさせられた上で、夕食後のターニャは自由に行動できることになっている。
「流石に山だな。……寒みぃや」
ターニャは上着の襟をかき合わせる。
「……寒くねぇのか、アイツは」
パムリィはヤクの角に命綱を繋いで、風に流されて浮き上がっては居るものの。どうやら眠っているようだった。
「一体。……あたしはドラゴンにあって、その後。どうしたいんだ」
レクスを一人で皇太子の試練に出すわけには行かない、位の気持ちで同道を申し出たターニャなのであるが、しかし。
その時は、その後のことなど。全く考えて無なかった。
その後のこと、と言うのは。
例えばレクスに聞こえない位置で、昨日アッシュとした話などである。
「私は無骨もの故、詳しくは知らんのですが。どうやら殿下のお妃候補に、その。……ターニャ殿のお名前が急浮上しているようなので、お耳に入れた方が良いかと」
「は? いったい何の……」
「詳しくは知らない、と前置きしましたよ? 殿下の皇帝ご即位までにフィルネンコ家を伯爵位とし、ご当主を宮廷に迎える。と言うことならどうだろう、などと……」
「いやいやいや! あたしは、その……!」
現状、レクスはパムリィと話をしており、こちらの声は耳に入っていない。
「存じております。レクス殿下ご自身も、大切なご友人であるとは常々仰って居るところ。ですが、お妃候補として今のところ殿下に見合うお方も、そうそうおられず。――その手の話は、本人の意思は勘案されないものですからな」
通常、皇子のお妃候補とすれば公家に連なる者か、もしくは良家のお嬢様。
さらに話がレクスであれば皇太子妃と言うことになる。当人の意思が介在する隙間など有りはしない。
「オリファは勿論知るところで無く、私もなかなかお話しする機会を得られず。噂話とは言え。ターニャ殿へのお話が遅れましたこと、申し訳無く……」
「あ、いや。まぁ。……あ、ありがとう、ございます」
今回、誰の手伝いも要らない。と言うレクスにあえて手を挙げ、――せめてあたしとアッシュさんは同行させてくれ! と言ったのはターニャである。
雷帝レクスの身を案じ、さらにはそれに意見が出来るレディ・フィルネンコ。
単純に一人じゃ危ないから。くらいの意味ではあったのだが、宮廷での注目度は俄然上がった。
男勝りの美人リジェクタ、そう言う意味で“有名人”であったのも悪かった。
雷帝レクスに物怖じせずに意見を具申する、美しき“じゃじゃ馬娘”。
現状、お妃候補の上位三位にいるのだ。と聞いて当人が一番驚いたのである。
「あたしが皇太子妃とか、なんの冗談だよ……」
ターニャはあわせた襟に、半分顔を埋めるようにする。
「リンク殿下と義理の姉弟……? ヤメヤメ! いまそんなことを考えてもしゃあ無いっ!」
ターニャは、――ぱっ、と立ち上がると山の上を見上げる。
「ドラゴンに会えれば、いまよりもっと仕事の割は良くなるさ。そしたらクリシャもロミも、良いものがいつも喰えるようになる。ルカに頼らなくても良いくらいに、人だって増やせる……」
暗い山の上は現状では何も見えない。――ふぅ。一つため息。
「……だけど、あたしはその後。どうしたい?」
男性やら結婚やら、その手の話題からはあえて全力で逃げ回り、ここまで来た彼女である。
「たぶんお妃様では無い、と思うんだ」
まるで吹き流しのように風に流され、命綱の金具を軸にクルクル回っているパムリィを見やる。
「なんでアレで寝れるんだよ……! ――まぁパムは良いとして」
パムリィの考えるところは一貫して一つ。
人間とモンスター。意味のない殺し合いはぜず、一番良い形での共生の形を模索すること。
今回もきっと同行したかった理由は、それに何某かの関わりがあるはずだ。
「皇太子殿下、いいや。今更であるな。……兄のことはあなたに全て任せる」
出発の日、宮廷正面。車寄せの脇。
ターニャは。リンクとほんの短い間、話したのを思い出す。
「皇子になんか、することがあるように聞こえたけど。今度は何する気なの?」
「あぁ、モンスター改変事件の首謀者。これをロミとクリシャに手伝ってもらって内定する」
「いや、皇子! ……だって!」
「まぁ待て、話は最後まで聞くものだ。……今回は流石にムリはしないし、直接前にも出ない、話が固まった時点で一度行動は停止。帝国最精鋭、皇帝軍を直接動かすことで皇帝陛下ともお話が付いている」
――それはともかく。そう言ってリンクは口の端に笑みを浮かべる。
「あなたが兄上に付いてくれるなら安心できる。かの人が皇太子である事は関係がない。とても優秀で世界にただ一人、私の大事な兄上なのだ。……頼むぞ」
「あ、うん」
「ふむ、もう時間か。――くれぐれも気をつけてくれよ? そして帰ってきたならもう少し、二人で話す時間を取っ……」
「殿下、会談中に失礼致します! 至急伝です!」
「かまわん、話は仕舞いだ。どうしたかっ! ――ターニャ、その件は一任する!」
話を切り上げたリンクは、――ばんっ! 皇太子を見送るための正装、真っ赤なマントを翻してターニャに背を向けた。
「もちろんだよ。あたしだってとっくの昔にわかってる、男だ。ってんなら、それは絶対皇子が良いよ。――やりたいことなんて、ハナから決まってる。皇子と、仕事なんか関係無い、どうでもいい話をしたいんだ! ……けど」
一瞬。風が吹き渡り、ターニャの髪の毛と上着が持ち上がる。
――大事な仕事の前に気持ちが乱れては。などと思ってみるものの、さらに意識は千々に乱れ、すっかり伸びて結んでいない髪が風に嬲られ、気持ちを表すようにバラバラに躍る。
「けどさ。話をする、ったって。――何があるのかは知らないけれど。まずは旦那と一緒に、ドラゴンにあった上で。生きて。帰んなくちゃいけなくて……」
ターニャは自身の腕で、自分を抱きしめるようにする。
「皇子。……私だって一応女だからさ。気弱になるときだって、あるんだよ」
次の日の朝。
ヤクとテントをそのままに、歩き始めてほんの二時間弱。
一行の目の前、突然上り道が途中で途切れたように見え、その上には空が広がる。
「ついにやってきたな、頂上へ……!」
「……旦那」
「しきたりでも一〇人前後、侍従が付いて行く。まして今回は正式の謁見でも無い。――このまま女王含め、四人で会おうでは無いか」
――空を総べるもの、キングスドラゴンに!
杖をアッシュに渡し、レクスは先頭に立って道を昇った。