お嬢様の正体
「スライムの弱点ってのは種類を問わず、火だ」
柄についた小さなボタンを更に押し込むと鍔の上の火勢が少し強くなる。
「だからこうやって、……焼き切るのさっ!」
ターニャが剣を横に振ると、刀身が一瞬炎に包まれ、振り切ったところで刀身の炎も消える。
「……え? ターニャ?」
ターニャが押し込んだボタンから指を放すと、剣の柄から火が消える。
いつの間にかルカの目の前一〇cmにターニャの姿があった。
「油も飛ばない、まだ使える。か。……いったいウチなんかになんの用事だ? 金ならねぇぞ、お嬢、さんっ!」
ターニャはルカの羽織った上着を、ばっ!とめくる。白いフリルをあしらった一目で高級と判るブラウスがあらわになり、襟元を飾る細いリボンが揺れ、ターニャはいつの間にか後ろに回り込んでいる。
「きゃあっ! 何をなさるんですのっ!」
上着ををかき合わせながら真っ赤になってルカが抗議の声を上げるが、ターニャは一向に意に介した様子は無い。
「上着だけだろ、それに女同士だ、気にすんな。細いのに結構おっぱいおっきいなぁ。――結構着やせしてんのな、おまえ。勿体ない」
「そ、……そ、そ、そう言うご趣味だったのですかっ?」
ルカは、上着のあわせを硬く握りしめ真っ赤な顔のまま横を向く。
「……おまえが可愛いってのは認めるし、おっぱいもおっきい。だが、そう言うご趣味はもちろんあたしには無い。……嫌いだとは言いながら当然、あたしだって女よりは男の方が好きだ」
言いながらターニャはごく自然に再度ルカの正面に回ると、片膝を付いてスライムスライサーを目の前に置き、右腕を胸の前に回して頭を垂れる。
「ターニャ、いったい……」
「改めまして。……わたくしめは兄上であらせられますリンク殿下の宮廷騎士代理人にして、帝国男爵位を預かりますフィルネンコ家が現当主、ターシニアにございます。知らぬ事とは言え非礼の数々、姫様にはどうか慈悲を持ってご容赦頂けますよう。……シュナイダー帝国皇家、ルケファスタ=アマルティア・デ・シュナイダー第一皇女殿下」
「え? わたくしはルカで……」
「お顔を何処かでお見かけした気がしたのです。――それにその、上着の下に忍ばせた宮廷騎士の証たる皇家の宝剣。数多の宮廷騎士様の中においても、現在ダガーの形でそれをお持ちあそばさるは、ルケファスタ姫ただお一人」
ターニャは彼女が腰の後ろに何かを忍ばせているのに気が付いて、面倒事になる前にと上着をめくったのだ。目の速いターニャは、高級な皮の鞘に包まれた金色に輝くダガーと、そしてその柄にリンクのレイピアにあしらわれたのと同じ、真っ赤なブローチがはめ込まれて居るのを見て取った。
宮廷騎士の身分証明とも言うべき金色に輝く証の剣。それには赤く彩られた国章を付けるのが習わしだが、一部の宮廷騎士のみは皇帝章を付ける。その一部とは、リンクを初めとする皇家の子息子女である。
ダガーはともかく、皇帝章の贋作など、どんなに酔狂であっても誰も作らない。つまりそれは本物である。とターニャは一目で結論づけた。
リンクの妹、つまり皇家の姫は二人。
そのうちオルパニィタ第二皇女は、皇帝妃の血を強く継ぎ、母親譲りの黒髪に黒い瞳。何より今年で一二歳である。
そしてもう一人、王家の血を良く受け継ぐプラチナブロンドに青い瞳のルケファスタ第一皇女。彼女はクリシャと同い年。
金のダガーと考え合わせれば、目の前のお嬢様は第一皇女以外にあり得ない。
ほんの数瞬の間ではあったが、ターニャが皇女殿下として認め頭を下げたのは、彼女なりに考えを巡らせた結果である。
「やれやれ。気にせず顔をお上げなさいフィルネンコ卿。……確かにその通り、わたくしはルケファスタです。たったそれだけのことで良く気が付いたものですね。それと、わたくしのことを皇女だとそう言うのならば。そなたはお兄様、リンク殿下の騎士でもあり。なれば、そなたにはわたくしを“リイファ”と呼びし事、許しましょう」
剣技があまりに拙いために宮廷騎士の役目を放りだし、事あるごとに宮廷を抜け出しては帝都を遊び回る、帝国始まって以来の放蕩姫リイファ。その噂は当然ターニャも耳にしている。
しかしダガーはいつでも取り出せる位置にあったし、今も一瞬、柄に手をやろうとして意思の力で止めてみせた。条件反射で切られてもおかしくない場面、指が動いただけで止めることが出来るなら、むしろそれは上手の証。
そして世間知らずのとぼけたお嬢様のふりをしているが、何しろあのリンクの妹である。きっと頭も相当に切れる。もしかすると今までの“家出”も、何か宮廷内での理由があったのかも知れない。
――放蕩姫の噂と、剣技が拙いは両方嘘だな。とターニャは思うが、当然そこは口には出さない。
そしてその放蕩姫が何故に自分のところへとやってきたのか。まるで思い当たる理由が無い。
「それと卿にはもう一つ。当然、無礼だなどとは申しませんから、話し方を今すぐ元にお戻しなさい。――だいたい、これではお話がいつまで経っても前に進まない。とご自分でお話していて思いませんこと?」
言いながら当人も宮廷の姫様から、ちょっと大袈裟なお嬢様言葉へと戻した。
「お申し出、ありがたく承ります。……なんてさ。ご挨拶以外、ロミが居てくれないと、丁寧な言葉なんてほぼ喋れないんだけど」
相変わらず自分の言葉では喋って居なかったターニャである。ちなみに自己紹介の宮廷騎士代理人のくだりは、先日改めてロミに作って貰った部分。
それに、貴族や皇族と会った時に多分、喋り方や態度が既に失礼だろうから、相手の名前がわかった時点で先ずは謝れ。とロミに言われて作って貰った定型文を、少し手直しして話しただけである。
皇家の宝剣の部分はアドリブだったが、ターニャとしては上手い言い回しでルカと会話が成立したので結構ご満悦なのであるが、そんな事はルカにはわからない。
「とんだ男爵殿ですこと。態度も当然先ほどまでと同じで良いですわ、お立ちなさいなターニャ。貴女は所長様で、わたくしは新人所員ですわよ」
そう言いながら乱れた服を直すリイファ。既に彼女の中ではターニャの返事は待たずに、“新人所員”の部分は確定してしまっているらしい。
「本当に、何しに来たんだ? おま……、お、皇女殿下様」
「わたくしが“ルカ”で居る以上はそこも従前に同じく、おまえで結構ですわ。……先ほども言った通り、ここには経理のお仕事をしに参りましたの。――経理会計のお仕事であれば、お給金は通常一月で一二〇〇程度が相場なのだと聞き及んでいます。お食事と寝所を提供して頂く以上、わたくしのお給金は三五〇前後と言う事になるのでしょうか?」
なんで自分の条件と給金までキチンと計算してあるんだよ、どんな姫様だ! と、突っ込みたくなるのを押さえつつターニャは低く呟く。
「……よそでやれ」




