花畑の少女と憂いの乙女
「アリアネが有能であるのは言を待たぬが、さりとて結局。あんなものを何人捉まえようと、何も変わらぬ。当然なる……」
ハイランダーの村について三日目。
明日にはレクスが出立するというその前の日の夜。
結局、皇太子の試練を妨害しようというもの四人は、その日の昼にリアの指揮の下。一網打尽にされ、今は牢屋代わりの倉の中に閉じ込められている。
「そう簡単で有るはずも無し、わかっていた話ではあるが、な」
そこまで期待していたわけでも無かったが。今回捕縛したもの達については、本当に政治絡みで皇太子を妨害しようとしたもの達。
彼女が期待した、人類とモンスター。双方を揺るがすもの。これには全く繋がらなかった。と言うことだ。
皆が寝静まった夜半、村の中央にある井戸にかかった屋根を支える梁に腰掛け。
井戸の横、タライに張った水を見下ろす少女。
彼女は身長一五センチ前後で、背中にはカゲロウのような薄い羽が生えていた。
「そろそろ。……来るであろうかしらん」
そう呟いて。あとは身じろぎもせず、じっとタライを見つめるパムリィだった。
突如タライの中から、――すう。女性のシルエットが伸び上がる。
「陸のよ。何故故、妾がここへ来ることを確信していたか」
その女性の背中にも羽があったが、それは鳥のようなシルエットで夜目にも白く鮮やか。
なんの前触れもなく、帝国本国最南端の大鹹湖にいるはずのサイレーン、ピューレブゥルが姿を現した。
「ほぉ、分体かや。本体ごと来るものと思っていたが」
「そう思いたれば水を増やせ。妾でなくば、この量にエイリアスを送り込むも至難の業なるぞ」
完全に姿を現した彼女は、ゆっくりとタライから足を抜く。
「井戸の中に出てくれば良い。なれば水はいくらであろうよ」
「身動きが取れぬわ! それがわかってここに水を準備していた癖になにを言う」
「我が積極的に会いたい、と言うわけでも無い故な」
そう言ってパムリィは、梁から落ちるように降りると井戸の縁に自然に降り立つ。
「……だがぬしはここに来る。そう思わばこそ、ここで水を張って待っておったのだが。やはり来たか」
「おのれは……」
「実はな。人間とモンスター、双方を知るもの。パムリィ・ファステロンとして、女としてのピューレブゥルの行動観察をしよう。と、考えておったのだ」
「妾を、……観察だと?」
「そう言えば聞こえも良いが、要は下世話な話なる。……懸想した女性がどう動くか、これに興味があったのだ」
「な、なんの話だ! 妾は……」
「我がお姉様、ルンカ・リンディは少々変わった性的嗜好を持つ故、もう一つモデルケースとしてはそぐわぬのでな」
何しろルカに関して言えば。男性と言えばお兄様、なので有りほかの選択肢がそもそも無い。
ターニャ自体がなにを思っているのかは考えるまでもないが、一方。
その言動は、パムリィにとっては難解に過ぎた。
その他のフィルネンコ事務所の女性陣は、男性には興味がないものばかり。
彼女の知的好奇心は、身内では全くもって満たされないのである。
「三〇〇才越え、人で言えばババァもババァ、大ババァではあるが。ぬしは必要以上に言動が人間くさい。条件に当てはまるように見えた。ならばこそ、行動をつぶさに観察してしてやろうと思うておった」
「おのれは妾をなんだと……」
パムリィを睨んでフルフルと震えるピューレブゥルを完全に無視し、パムリィはふわり、と舞い上がる。
「なりふり構わず行動を起こす、特にぬしなればほぼやりたい放題であろ? ――エイリアスで触りの無いものをこしらえて、レンクスティアへの同行を企てるのでは無いか、などと予想していたが」
「もう一度言うぞ? 良く聞け。おのれは妾をなんだと思うてあるか……!」
「うむ。人間の言葉で眼鏡違い、と言うのであったか。……つまらぬ話だ、単に無事を確認をし来ただけ、とはな」
「は? 何故それが……」
一瞬色を失ったピューレブゥルの顔が一転、真っ赤に染まる。
「見ればわかるわ。オチが付かない、と言うのであったな」
――無駄に歳を重ねおって、つまらんヤツめ。単純にレクスを心配して様子を見に来た。顔を見ただけでそれに気が付いたパムリィなのだった。
「む、無駄とはなんぞ! 口の利き方に気をつけよ!! 場合によっては……」
「落ち着け、人の言葉で言うところの言葉のあや、というものなる」
涼しい顔のパムリィは何ごとも無かったように、ピューレブゥルの鼻先まで流れていく。
「――レンクスティアの顔は見ていかぬのか?」
「……お、おのれより大事ないときけば充分。エイリアスでは姿を消すこともままならぬ。想いの程はともかくも、妾も女王ぞ。無様をさらすわけには行かぬ」
「女王か、面倒なものよの。――それでな? ぬしは行かぬと言ったが我は行くぞ。先だってレンクスティアの承認も取り付けてあるのだ」
「いや、まて。我らが同道してはあのものの試練の……」
「ヘシオトールに、ぬしへ伝えよと言づてたが聞いておらぬか? 此度の試練は中止なる。なればこの機会に空の王、キングスドラゴンのその姿。拝んでやろうではないか。と思うのだ」
このところのパムリィは専門家である。この仕事を持ってきたときにレクスの言った――ドラゴンの専門家も喧伝できる。この部分に引っ掛かっていた。
学者も駆除業者も、誰もみたことすら無い伝説のドラゴン。これに会えたなら自身の専門家としての価値が上がるのでは無いか。
これについては自分でも、――いかにも人間くさいせせこましい考えなる。などと思ってはいるものの、一概にその考えを否定出来ないで居る。
そして一方。妖精の女王にして陸棲モンスターの女王でもある彼女としては。
モンスターとしての人との関わり方、これを彼のキングスドラゴンに聞いてみたくもあった。
その思いの双方とも、直接会わねば叶わない。
そしてレクスの試練を邪魔することが無くなった以上は、胸を張って彼に同行ができるパムリィである。
「ふむ。エイリアス云々はそういうことであったか。おのれの持ち物に擬態せよ、と?」
「ターシニアは阿呆ではあるが、一方で専門家のトップでもある。エイリアスが自分やレンクスティアについておれば気が付く。……だが我の持ち物、と言うことにあればサイズのこともある、気が付くまい」
「気遣いは感謝するが、やはり妾は行かぬよ。あのものが無事に帰って来るを、ただ大鹹湖にて待っていよう」
「無事で無かった場合はなんとするつもりか?」
「相手が空のものであろうと知るものか、戦しかあるまい。何百年生きたか知らんが肉塊に変えてやるのみ、だ」
「なんとも苛烈な思考なる。陸のものをとやかく言えまいに……」
ピューレブゥルが片足をタライに入れると、その姿が急激に薄れていく。
「水のよ、……もう帰るのか?」
「おのれの帰ってのち、話がある」
「我は動けぬ。こちらへ来るなら」
「良かろうぞ。……考えておこう」
その声と共に、憂いの乙女、サイレーンの姿は消え失せる。
「……観察対象としては間違ってはいなかったな。なかなかに興味深い」
パムリィはそう呟くと、ターニャの部屋に置かれた自分のベッドへ向かって飛ぶのだった。