一番恐ろしいモンスター
「んー。やっぱ、そうか……」
公園の中、林の入り口にあるベンチ。
ターニャが一人で俯いて、独り言を呟いてる。……様に見える。
『皇太子の試練、これを知った上で妨害を画策しているのは間違い無い』
「具体的に誰なのか、まではわかった?」
『……属に言う皇太子派の人間で有ることは間違い無い』
――サービスだ。アフターで明日にでも報告しよう。林の中からくぐもった声が答える。
「でもなんでだ? 旦那がトントン拍子でエラくなるのは、そいつらにとっては良いことなんじゃないか?」
『皆が皆、皇太子の人となりに引かれて推しているわけでは無い。特に今回の連中は人間性などはどうでも良い、と言う輩だ』
「まだわかんないな、あたしのレベルにあわせて話してくんねぇかな」
『短命で終わるレクス皇帝の、その次が誰になるか。連中は今頃、懸命に何通りも計算をしていることだろう』
皇太子の試練は本人の意向によって継続しているだけで、本来は不要。
その事実はターニャと本人のほか、数人しか知らない。
つまり即位してさえしまえば。よほどのことが無い限り極端に短期の皇位、と言うのはあり得ない。
計算するだけ無駄、なのではある。
『色々仕込むための時間が取れない、と言うことなのだろうな』
「人となりはどうでも良いんだ……」
『むしろそうした輩から見ると、現皇太子は即位後も厄介であろうよ』
――あぁ見えて良い人なんだけどなぁ、旦那も。そう言ってターニャはベンチの上で伸びをする。
「でも、そうなら次はリンク皇子、ってことにはならんのか?」
普通ならば、現皇位継承権二位のリンクが一位に昇格する。それだけで話は済みそうなものだが。
『皇帝を絶やさないためのシステム、その複雑さが穴になる。新皇帝即位から暫く、世継ぎ誕生までは継承権の序列が乱れる……。兄弟は基本、排除されるからな』
制度の設計は、ターニャが以前レクスに言った通り。即位した時点で妃と世継ぎがいる。と言うのを前提に成されている。
世継ぎもいないまま、流行病に倒れたり、暗殺される。と言うような自体は想定してない。
制度が固まった九世皇の御世では、二十歳を過ぎれば子供が複数居る。そのこと自体は普通だったのである。
もっとも。それで皇位継承がどうにかなることは無く、新皇帝は即座に決定、即位するのではあるが。
但し、どの時点で新皇帝が死去するか。紙に書き出して計算しないことには、宮廷内の専門家であっても、序列がすぐにはわからないほどに複雑なのである。
「ま、旦那を推してるとすれば、リンク皇子が即位する。なんてのは困るんだろうけどさ」
『儲かるか否か、判断基準はそれだけだ。厳格で知られるリンク皇子が即位しては何かと困る輩もあるだろう。それは苛烈でならす皇太子であっても然りだが』
「シンプルではあるなぁ」
『俺の信条では無いぞ』
「わかってるって。――ありがとよ。少ないが、三〇〇〇ほど乗せておいた」
ターニャは懐から封筒を引っ張り出すと、林の中の暗がりへと右手をいれる。
『ありがたいのは確かだが、具体的な情報も報告書もなしでさらに上乗せなどと。良いのか?』
「明らかにヤバい案件だからな。報告書なんかあったら、お互い致命傷になる可能性がある。……受けてくれて助かった」
『自分で言うのも何だが、この手の調査ならヴァーンの子飼いの方が良い仕事をすると思うぞ? ヤツらも所長からの仕事は断るまい』
帝国一の商家、ヴァーン商会。
パンからモンスターまで、おおよそ扱わないものは無い。
情報屋はヴァーン家が成り上がったきっかけの一つ、情報屋としてのヴァーン商会情報分析部門は、帝国でも屈指なのである。
帝国軍のエリート軍団である情報軍団、これに匹敵するとさえ言われるほどだ。
カバーしている範囲も帝国本国全土はもちろん、帝国王朝連合のほぼ全域に及び、政治関連の調査に関しては右に出るものは無い。
「あそこも事実上、ウチから見ると“身内”みたいなもんだからさ。できる限りリスクは減らしときたい。……それで三〇〇〇は安すぎる気もするが」
『むしろそれで三〇〇〇も乗るならありがたい』
「それにね。……なんだかんだ言って、ヴァーン家は宮廷に近すぎるんだよ。この手の調査にはさ、むかないだろ?」
ヴァーン家も純粋に商家の功績だけで子爵の爵位を賜った、と言うわけでは無い。
宮廷に何らかのパイプがあるのである。
『相変わらず世の中が良く見えているな。がさつもののフリなどしていなくても、良い様なものだとも思うが』
「そこはフリじゃ無いからね。……それに。なまじ頭の良いフリをして、害獣駆除以外の仕事を振られるとかさ。勘弁して欲しいなあたしは」
『世の中には、“人の姿をしたモンスター”が多いからな。所長に駆除を頼みたい向きも多いやもしれんぞ』
「ウチはスライムが専門だ。知性のあるモンスターなんかお呼びじゃないんでね」
ターニャは、――人の姿をしたモンスターが一番怖いんだよ。亡き父が良くそう言って居たのを思い出す。
当時、彼女の頭の中にはエルフやフェアリィが浮かんだのだが、今なら理解もできる。彼女の父は政治的圧力とも戦っていたのだと。
今のターニャの後ろにはルカやリンク、保全庁総督やリアンがいてくれるおかげで、その最も恐ろしいモンスターとは直接対峙を避けられているのだ。と言う自覚は最近の彼女にはあるのだった。
『実に所長らしいな。――む? ではこれで。……名前は明日、何らかの手段で知らせる』
多少慌てたような声に、――ありがとよ。ターニャが背もたれに身体を預けてそう呟くと、背後の気配は嘘のように消え失せる。
「おや? ターニャ殿。どうされました? こんなところで。帝都の中心、場所もお約束通りではあるでしょうが。とは言え、人気のないところにご婦人が一人では危ないですよ。もっと広場の真ん中に居て頂きたいところですが」
立派なお屋敷に務める若者、の様な格好をしたアッシュがターニャに声をかける。
――林の気配が慌てて消えた原因はこれか。ターニャは極力普通を装って、声の主に目を合わせる。
「お、アッシュさん。どーも。……事務所に居るとお嬢様と妖精が請求書の束を持って追いかけてくるんでね。ちょいと人の居ないトコで気分転換」
「はっはっは……、何かしらモンスターに追われてる居る様ですな」
「パムなんかはそのまま、モンスターで間違い無いんでしょうけどね。ウチのお嬢様はその純正モンスターに倍して恐いっすから。――約束より早かったね、旦那」
「よぉ、ターニャ。……なにしろモンスター、それもドラゴンと直接対峙するなどなかなか無い経験なのでな。俺であっても、多少なり落ち着かんところではある」
良いところの若旦那、と言った身なりの皇太子もアッシュに同行していた。
「人の姿をした化け物の退治と来れば、旦那や若旦那の十八番な様な気もするんすけどね」
「帝国旗にひるんでくれるモンスターがいるものか?」
「……場合によりけり、だろうね」
むしろそれをみせたが故に激高する。
当然そう言う輩は居るのである。――はぁ。ターニャは小さくため息を一つ。
「そっちの用事はともかく、あたしからも二人に頼みがあるんすよ」
「ご無理を承知で約束を取り付けたはこちら。我らで出来ることでしたら何なりと。――旦那様、よろしいですよね?」
「かまわん、午後は夕食まで空けてある。時間を余らすこともあるまい」
「じゃ。悪いけど、後で集金に行くんで用心棒をお願いします!」
「用心棒……?」
「はっはっは……! アッシュ、面白そうではないか!」
これだけガタイの良い二人が帯剣していれば、――素性は知らずとも誰も襲うどころか、近づこうと思わないよな。ターニャはそこは口に出さずに思った。
「ま、言葉はアレなんだけど。実際はただ突っ立ってるだけなんだけどね……」
「なにもせぬで良いのか? ふむ。……ならば我ら二人、用心棒には向いているかも知れぬなぁ? アッシュ」
「ターニャ殿に、誤解をされるのを承知で答えますが。……向いてますな」
「はっはっは……」
皇太子殿下を護衛に付けるリジェクタ、か。――なんなんだろうな、この状況。そう思うとターニャは少し可笑しくなって、口の端が緩んだ。