帝国で最も短い導火線
数日後の朝。
アッシュがオルパニィタ姫の執務室前を偶然、通りがかると。
「ん、パリィ殿。か。……どうかされたかな?」
ドアの横に立って呆然と天井を見上げる、制服姿のパリィの姿があった。
「ルゥパ姫にサインをもらわなくちゃいけないんだけど、――パリィさんとは当面口をききませんっ! と言われて目の前で、――ばぁん! ってドアを閉められちゃって、どうしようかと……」
「はっはっは……。さすがは帝国最短の導火線、パリィ殿でもかなわんか」
「笑い事じゃないですよ! この書類を午前中に回さないと、今度はお嬢、じゃないリィファに怒られんだから」
もろもろの事後処理を押しつけられ。事務所に戻るのは明日になってしまった、事務処理向きとは言えないパリィである。
「で、姫が本日、導火線に火が付いた理由は?」
「リィファが夜明け前に、誰にも何も言わずに黙って城を出て行ったこと。あなたの立場なら知っていたはずだ! ……と、まぁ。それはもう、取り付くしまもないほどカンカンで」
「急ぐ仕事がありますので要件は明日以降、親衛第六の誰かに回しなさい。但し、わたくしだけがあなたに誠実である必要性、これを説明できるというなら入室を許しましょうがもしも。わたくしの得心がいかなかった場合。……わかっていますね?」
ドア越しのルゥパの言葉が今でも耳にこだまして、冷や汗のパリィである。
当然ルカが帰ること自体。ルゥパの言うように立場上、知っていたのではあるが。
すでにお妃様も内々には承認した。と本人も言っていたので、そこまで怒るとパリィは思っていなかった。
その部分がますます姫の怒りの火力を強めた。
ということは、しかしパリィ本人は気が付いていない。
「いかにも、な話だな……。書類のほうは俺のほうからリンク殿下にお話しをしておこう。それなら最悪、ルゥパ殿下のサインなしでも書類は回る。殿下は、午前中は執務室におられるから大丈夫」
レクスとオリファが戻るまで、自身の所属はリンク預かりの彼である。
「あぁ、アッシュ殿。やっと見つけました!」
少女の声に振り返るアッシュと同じ制服ではあるが、胸のプレートの刻印はⅣ。
目が合うとアリアネは、気を付けの姿勢を取る。
「副長“代行”に申し上げます!」
「な、なんだ? リア。急に改まって……」
「つい今しがた、リンク殿下が城外にお出になった由、大至急お伝えするように。と、代理より言伝を預かっておりました!」
「ちょっと待て! 何も聞いていないぞ!?」
「まぁ、いつものことでして。午後には帰られるそうです。――皇太子殿下のお側にあっては、あまりないことかもしれませんが。……その、放浪癖と言うか、なんと言いますか。さらにリンク殿下の場合。城外への出入りの自由がある程度、認められておりますので」
「あの山のような書類はどうした?」
「すべて目を通してサインはしておいた。サインをしていないものについては、内容を副長代行に午前中のうちに再度精査させよ、とのことでした」
彼の見立てでは午前中では終わらないほどの決済待ちの書類があったはず。
しかもサインをしない書類があって、それを再精査せよ。ということは、内容すべてに目を通しているのだ。
さすがにアッシュも舌を巻くしかない。
普段、レクスが――アレが次期皇帝ならば、少なくとも事務仕事はスムーズになろうな。などと言っているのが実感できた。
「殿下の執務室にデイブが残っております。なかなか使い道もないでしょうが、せいぜい雑用にでも使ってやってください。……では、私も所用があります故。失礼を……」
「待て待て、待ってくれ。リア! 急ぐ決済が上がった場合はどうするんだ!」
「通常は副長がご自身の判断で各大臣や皇太子殿下、状況によってはお妃様へとお話を上申しています。ないとは思いますが、もしあればアッシュ代行のお名前においてこれを執行すること自体は合法であると考えます。……では。急ぎますので、これにて」
軽く礼をすると、リアは今度こそ制服のスカートを揺らしながら、廊下の奥へと急ぎ足で消えていく。
「廊下は走らない、ね。――パリィ殿、その書類というのはもしや……」
「そ。お妃様宛。なるほどぉ。アッシュさんに渡せば良いんだね、気が楽になった!」
あまりにもキッチリし過ぎている。として、リンクもお妃も苦手にしているパリィである。
「俺が、お妃様に。……だと?」
そして人間的に彼女と近いアッシュもやはり、――お妃様は怖いお方。のイメージがある。普段でも皇太子の介在なしに直接の謁見など、したことはない。
「午前中には回しといてよね? んじゃ、そういうことで! よろしくぅ!!」
アッシュに封筒を押し付けると、パリィは脱兎のごとく走り去る。
「お待ちをパリィ殿! ――その、廊下を走ってはおばば様に……!」
彼の言には全く聞く耳を持たず、あっという間にパリィは姿を消し。廊下に取り残され封筒を抱えたまま、アッシュは肩を落とす。
現在、 “発作”を起こしている真最中。お付の親衛第六の面々でさえ控えの間に引きこもって“嵐”が過ぎるのを待っている。
そのルゥパ姫のご機嫌を取るか。
ルカの出城を内諾したと聞いてはいるが、本人がそう言っているだけ。
本当に納得したのかまではわからないお妃さまに、必要なはずのルゥパ姫のサインもない書類を持って、直接会うか。
――両方、嫌に決まってんだろうが! オリファ、普段のお前はなにをしているっ!
もちろん、なにも口には出せずに廊下で固まるアッシュであった。
次章予告
周囲の制止を振り切って、いきなり西の山へと向かうことを決めたレクス皇太子。
対処しきれるはずもなく、アッシュ以外の同行者はターニャとパムリィだけ。
一方リンクはオリファを従え、クリシャとともにエルフ、ヘシオトールの協力のもと
見えない魔導士の影と目的を追うのだった。
次章『西の山の主 ~皇太子殿下、西へ!~』
「皇子。……私だって一応女だからさ。気弱になるときだって、あるんだよ」