空を往くもの
ターニャが腰に下げるのは証の剣である銀のレイピアではなく、実用的なスウォード。
彼女はそれを瞬時に抜刀、オリファも即座に立ち上がってサーベルを抜き放つ。
だがレクスは鷹揚に手を挙げその二人を制すると、そのまま間を抜けて前に出る。
「な、ちょ。……旦那!」
「良いのだ、ターニャ。――過日はすぐに居なくなってしまったので、もう会えぬものだとばかり思っていたが」
そう言いながら、自身が腰に下げた剣は外してオリファへと預ける。
「その、で、殿下……?」
「せっかくメッセンジャーとして来城したのだ。人間のしきたりにてらせば、茶の一杯、食事の一服も出してもてなすが作法というもの」
『別に人間でもない故な。作法などというものには興味がない』
ザン! 言葉とともに漆黒の槍が矢尻を天に向けたまま、地面に突き刺さる。
それを見てオリファはいったん剣をおさめ、さらにそれに倣ってターニャも剣を腰へと戻す。
「ならばこそ、是非こちらのもてなしを受けてもらいたかったものだな」
『またの機会があれば、そのときは少し考えようか」
甲冑の中、目にあたる部分が緑に輝くが。
「おっと!」
ターニャが素早く、レクスと龍騎士の中間に割ってはいる。
「……旦那、正面から目を見ちゃ駄目だぜ? そういう感じで暗示や催眠をかけるヤツもいるからな」
――何事も無く宮廷には入れた理由は、おそらくこれだぜ? 行き会った人すべてに暗示をかけていったのではないか。というのがターニャの考えだ。
人間ならば厳しいが、かなり高位のモンスター。と、いうことであれば人間の基準を当てはめるのもおかしい。
『事情の説明を簡略にしようと思っただけだが?』
そしてどうやらターニャの危惧は正解であったらしい。
「あんたは今、人類領域にいるんだぜ? それが理解できる頭がある以上、人間の流儀に従って言葉で話してもらおうか……!?」
「なるほど。お前が専門家、フィルネンコだな? ……話は聞いている」
「あんたこそ。……人間では無いようだが、だったら。あんたはいったいなんだ!?」
「竜騎士と名乗られましたが、騎士だというならどなたにお仕えしておられますか!」
微妙にかみ合わない問答に危機感を持ったのはターニャだけではなかった。
オリファも抜刀はしないまま、それでもターニャと並ぶ形で一歩。再度、レクスの前に出る。
「旦那、あたしが言うことでもないが、勇猛と蛮勇は違うものだぜ? 旦那はその辺の使い分け、しなくちゃいけない立場だろ!」
「竜騎士殿、ここはフィルネンコ卿のおっしゃる通り、人の作法に従っていただきたい。攻撃の意思がないなら兜を脱ぐのが常道。まして皇太子殿下の御前であります」
『竜騎士自体は人間とのやり取りのために作ったもの』
「作った、だと……!」
竜騎士はそのレクスの呟きに一つ頷くと、兜を脱いで見せる。
鎧の中には、……何も入っていなかった。
『人間も同じく、このようにして使役するのではなかったか?』
「な、彷徨う鎧……! ホントかよ!」
人為発生のモンスターとしてなら、確かに人間が使役することはある。
ターニャも先だって、国営第一ダンジョンで遭遇したばかりである。
『このままでは、こちらの姿が気になって話もままならぬだろう。そこな騎士よ。兜をつけてもよいか?』
「……た、ターニャ殿?」
「そうだな、話し辛いのは確かだから戻していい。ただしおかしな真似をするようなら……」
そう言いながらターニャは、思惑ありげに上着のポケットに手を突っ込んで見せる。
「その技術は人間のものだ。なら、当たり前だが“バラし方”だって知ってるぞ」
ターニャは、何も入っていないポケットをまさぐりながら。あえて口の端を釣り上げて、――にっ。と笑って見せる。
「言いたいことは、わかるよな?」
『ふむ。……聞いておこう』
「で? 中身は誰だ? 人間でした、なんて-んじゃねぇんだろうな?」
但し、ここまで思い通りに|彷徨う鎧≪ワンダリングメイル≫を制御する事例など、ターニャであっても聞いたことがない。
命令を与えて、それにある程度従いつつ自律的に行動する。
それが|人為的発生≪アーキテクト≫|の彷徨う鎧≪ワンダリングメイル≫なのであり。
完全に手足のように使い、操り人形のように意のままに動かす。となれば。
そんなものはもはや人間の技術ではない。
魔法やらという次元さえ超越することになる。
ターニャは気が付いていたが、背中に冷や汗を伝わせつつ、知らぬふりを決め込むことにしたのだった。
『我が直接出たのでは、人の子たちが大騒ぎになってしまう。それは望まぬからな』
「ほぉ、かほどのものが俺に会いに来てくれた、と。やはり先日、茶もふるまわずに帰したは失態であったな。――とはいえ、その姿では茶は飲めぬか」
さっき、虚勢を張っているだけだ。とターニャに言ったのと同一人物とは思えない、泰然とした態度でレクスは竜騎士を見やる。
「あなた様は一体……」
ターニャと、そしてオリファも。だいたい何者であるか、気が付いたのではあるが。名前を口に出すわけにはいかなかった。
二人には護衛の立場がある。自分で名前を口にしたら気圧される、という予感があったからだ。
『我はこの湖の主にして、空を往くものの王であるキングスドラゴンが忠実なるしもべ。リヴァイアサンの一柱である』
――リヴァイアサン。ターニャは言葉を失う。
水辺にすむドラゴンであるが、やはり括りは空のモンスター。
その破壊力は一撃で都市を灰燼に帰すとされる。
また、賢者のように穏やかであり思い悩んだ人を禅問答に巻き込み、完全にあきらめがつくまで、何日でも付き合ってくれるのだともいわれる。
いずれ目撃されるスパンは数年から数十年。
専門家を名乗る人間であっても目にしたことのないもののほうが多い。
帝国内の人類領域で最後に目撃されたのは十五年前。
この湖畔に餓死寸前の少年が迷い込み、その彼に食べられる草の種類や狩りの仕方を教えていた。という報告がある。
法国の僧兵たちが救出に際して話した時。
『人間個人に興味はないが、無意味に失われつつある命ならば拾いたくなるのでな。おのらが拾うというなら渡すが、せっかくだから殺さず、生かしてみてはどうか』
それだけ言うと頭だけ浮き上がっていたかのドラゴンは、牛二頭分はある頭を湖の中へと沈めた。
失われずに済んだ命。その少年は現聖騎士団の団長である。
法国上層部は、この件以来。この湖を聖地と定め、保護区指定の際もここが保護区の中心になった。
そしてリヴァイアサンは湖の主だと名乗った。彼らの判断は正しかったのだ。
出て来こそしなかったが、この湖にリヴァイアサンはずっと居たのである。
「改めて名乗らせてもらおう。俺が大シュナイダー帝国の皇太子、レンクスティア=ドルミラム・デカルロ・ド・シュナイダーだ」
『足労をかけた。シュナイダーの系譜を継ぐもの』
「先日はそちらこそたいした足労であったはず。――しかし、わざわざこんな手間をかけて、いったい何の用事であるか。そなたの様なものが人間を名指しで呼び出すなど、かなり珍しい事態ではないか。と、俺などは考えるのだが」
『他のものには聞かれたくなろうから、個別に話をしろ。との仰せであったからな。――そのものらは良いのか?』
「俺の“仕事”を手伝ってくれる仲間だ。秘密にする必要がそもそもない」
『なるほど、おのが良いならそれ以上は言わぬ』
龍騎士は湖を振り返る。いつの間にか巨大なドラゴンの顔が湖面に突き出していた。
『話とすれば、実に他愛のないことだ。……わたしに会うことが無くとも即位することを許そう。――我が主は我に対し、シュナイダーの皇太子にそを伝えよ、と言った』
「いや、……しかし。陸と水の女王から聞いている。かつての盟約が……」
『此度に限っては、なしで良い』
「どう言う。ことか」
『邪魔立てをするものがおる。意図しているつもりはないのだろうが、かつてないほど人類とモンスターのバランスが乱れている。多分に儀礼的な側面の色濃い盟約であるので、此度は気にせずとも良い』
「良くはあるまい。……それこそが蛮勇をふるい、万難を排して謁見する。そこにこそ意義があるのだろう?」
『意味も無く修練をさせようなどと言うつもりは毛頭ない、来る気があるかどうか。あくまで確かめたいのはそこだ』
――つまりドラゴンに会わずに即位したものは早逝する。これは迷信や偶然ではなくて、ドラゴン側が意図してやっているということか。
ターニャは口には出さずに考える。
――人間には干渉しないと言いながら、どうしてこうなる?
『呼んだが故に死んでしまったのでは元も子もない』
湖の上の巨大な目が瞬きをし、龍騎士は、突きたてた槍を握って持ち上げる。
「あんたにちょっと聞きたい。邪魔するヤツがいるって、なんなんだよ」
「詳細については“水の”が動いておるようだ。いずれおのらにも聞こえようぞ専門家」
ターニャは皇子が大鹹湖に呼ばれたのを思い出す。
サイレーンは人間に対して好意的だ。
自らが懸想した初代皇に似ている。と自分で言い切ったレクスに対して、なのかもしれないが。
「……パムリィは何もしてないのか」
三大勢力でも一番身近な存在であるが、彼女はあえて何かをしているようには見えない。
何某かの調べ物は配下に指示しているようではあるが、その結果は事務所の誰にも話してはいない。
『あれの立ち居振る舞いこそが、自身の立場を明確に示しておるだろう。人間と共存はしても根本でなれ合うつもりは毛頭ない、人がなすべきは人がせよ。とな』
「日頓ウチで飯食っておいて、……アイツは多少の役には立てよっ!」
「まぁまぁ、ターニャ殿……」
『われの話はこれにて終わりぬ。……次期皇帝よ』
「あぁ、聞いている」
『願わくは、人の子らが安心して暮らせる世界を構築してほしい。おのれなればその礎を作り上げるも可能であろう』
――モンスターは良いのか? 思わずそう返したレクスであったが。
『本来、われらが人間のことに手を入れている現状自体が間違いぞ。おのれはモンスターさえ視野に入れての政を行いそうであるからな。故に釘を刺したまでのこと』
「皇帝の息子として生まれただけの俺なのだぞ? 買いかぶられても困るのだが」
『それを言えるおのれであるから期待をするのだ……』
いつの間にか“竜騎士”の姿は消え、巨大なドラゴンの頭も静かに湖面に吸い込まれていく。
「あいつらはいつも一方的に喋っていなくなる。まったく。……しかし、遭わなくてもいい、か。どういう理屈なんだよ」
「理屈はともかく、俺は決めた」
「旦那ならそういうと思ったよ……」
――やっぱり皇子やルカとは、その辺。兄弟なんだよな、考え方がすごく似てる。ターニャは薄く笑みを浮かべて肩を落とす。
「殿下……! ターニャ殿、それでは」
「オリファさん、旦那に聞きなよ。……決めた、ってんだからさ」
「ふむ……。俺は可及的速やかに、西の山へ向かう準備をする」
「あ、やっぱり」
「殿下! 山のふもとまででさえ宮廷から1週間はかかります、公務はどうなさるおつもりです! それに危険なのだとたった今!」
「そのための代理人だ。それにそこはむしろ、ならばこそ。である。……フィルネンコ事務所には引き続き助力を願うぞ」
「構わんけれど、相手は空のもの。……はっきり言えばドラゴンだ。同じドラゴンとはいえ、龍騎兵隊の使役するような奴らとはわけが違う。護衛だと言われても身の安全なんか、今度こそ保障できない」
「専門家として引き続き助言を願うだけだ。ついてきてくれとも今回は言わん」
――皇子として、最初で最後の大冒険だ!
少年のような顔でそういうと、レクスは豪快に笑った。