印象の悪い二人
「オリファの姿が見えないが……」
「日の入りまでもう少しあるんで、見回りをしてくる。ってさっき」
「……落ち着かんヤツだな」
「必要以上に真面目なんすよねぇ。オリファさんは、さ」
法国内、モンスター保護区の中の湖畔。
四頭立ての馬が引いてきた、ホテルの部屋に車輪をつけたような大きな馬車と、それに繋げて立てられた、その馬車に倍する大きさのテント。
さらにそこから伸びた布の屋根の下に設置されたテーブルと椅子。
「しかし。ターニャにお茶をいれて貰うというも、これはこれで驚きだな」
「お茶くらい、誰でもいれんじゃないすか?」
レクス皇太子とターニャが、そこで食後のお茶を飲んでいる。
ちなみに夕食の準備と朝食の下ごしらえまで終わると、同行したもの達は事情を知るものも含め、全て街へと引き返した。
なのでこのお茶は、珍しくターニャがいれたもの、なのである。
いくら何でも、皇太子殿下にお茶の準備をさせるわけにはいかない。と言う事情もあるが。
彼女個人としては、――この程度は誰でもするだろうよ。と多少、拗ねている。
このところ、自身のイメージがあまりにも極端に過ぎるのではないか。と用意をしている間に思い至った彼女である。
「オリファの居なくなったタイミングがな。……如何にもあなたにお茶の用意をさせようと……」
「旦那も深読みしすぎだよ……。あたしにゃそんなに似合わんですかね、たかがお茶いれるくらいのことがさ。――まぁお茶くらい飲んでいきゃ良いのに、ってのはあたしも思いますが」
きっとその場合、準備をするのはオリファだろう、と言うのは両名とも想像に難くないのであるが。
「なぁ、旦那」
「どうしたか?」
「このままトントン拍子で進むと“家督を継ぐ”のは、いつ頃になりそうなんすか?」
レクスのカップにおかわりを注ぎながらターニャ。
「さすがは代理人、その辺は気にするのだな。……確かにあなたのイメージは、幾分極端な形で刷り込まれている、か」
「その、……まぁ。ねぇ」
そこは単純に、興味本位で聞いたターニャである。
「三年までない、かなり急な話であるからな」
「でも二年以上はあるんだ……」
「考え方、だな。本来は三〇になったところで“引き継ぎ”をする予定だったのだ」
「“準備”とか、色々あるって話?」
「全力でも間違い無く二年はかかる。既に“実家”の事務方はてんやわんやであると聞いた」
人は居ないはずではあるが、まだ日暮れ前。
宮廷やら即位などと言う単語は、迂闊には出せない二人である。
「でも頭取も、なんだって急にそんなことを……」
なので皇帝も頭取呼ばわり。と言った具合である。
国の頭取なのではあるが、なんとも安っぽくはある。
「なにしろ。今は“家業”が、かつてないほどに安定しているからな。……早めに役目から離れ、回りと話し合いたいのだろう」
戦ばかりしている、と言う印象のシュナイダー帝国である。
事実、現状も四箇所で小競り合いの最中。
とは言え、侵攻戦や防衛戦ではなく、人死にも当然出るのではあるが。
それでも、限りなく規模の小さい小競り合いなのである。
大シュナイダー帝国とシュナイダー帝国王朝連合は、かつてないほど安定しているのである。
だからこそ皇帝の冠を外して、今のうちに各方面と顔を合わせて話をしておきたい。と言う皇帝の話はターニャはわかる気がした。
「状況はわかったけどさ。普通は結婚してからってことになるんじゃねぇの? “頭取”も結構非道い事言うよな」
「俺の嫁になりたいヤツ、か。それを探すのも大変であろうな。家督の委譲には間に合うまいよ」
「え? ……現状。嫁さんの候補が、居ない。とか?」
「候補は居るはずだが。……自発的になりたい、というものが居るか? と言うことではないのか? 今の話」
即位前から雷帝、などと言う字を頂く皇太子である。
女性の目から見て、好意的に見えるか。などとは聞くまでも無い。
但しターニャの目には逆に映った。
「あんまり女性は好きじゃない、か。……若旦那と一緒なのな、その辺」
「ヤツはともかく。あなたこそ、一般的にはそう思われて居るぞ」
「実際問題。現状のあたしは、男は好きも嫌いも無いんだけどさ。……それにどう思われようが、旦那ほど広範囲にダメージが及んだりはしないし」
レクスは俯いて頭をかく。
「……まぁ、確かに」
「なぁ、旦那。誰か気になる女って居ねぇんすか? ……旦那がその気になりゃ、大概のことは何とかなるんじゃねぇの?」
「それこそ嫌われるであろうよ。……しかも死ぬまで隣にいる建前だぞ? 俺の意向だけでどうこうしていい問題ではない」
少し恥ずかしそうに反論するレクスを見て。ターニャは、にっと笑ってみせる。
「でも否定はしない……。誰か居るっつーことっすか、どこの姫様かなぁ」
「な、――ターニャ! どう言う話の……」
「そっちの方が地なんだろ、旦那はさ。だったら普段からそうしていれば、基本的にはいい男なんだし。帝国一のお金持ちで、間もなく一番エラくなるってのも間違いない。その上、とっつきやすいときたら。伴侶としては最高だと思うんだが?」
「……おほん。その辺は俺にも事情はあるのだ、色々とな」
「わかるけどさぁ、でも。せめてその気になる姫様の前だけでも、地を出してみたらどうっすか?」
少し戸惑いの色を見せたあと、レクスはターニャから目をそらす。
「ふむ。――その方はな。明るく頭もよくその上器量よし。だが姫というわけではない。貴族ではあるのだが、下級貴族だ。……まぁ金は。確かに貴族としてみれば、あるとは言えんだろうが」
「へぇ。旦那でもそう言うお人と、お話しなさるときはあるんだね」
「俺がどう言う印象で見られているのか。いよいよ心配になってきたな。……市井の者どもとも、話すことくらいは普通にある。――その方は、女だてらに家業も家督も継いでいる方でな。そうであっても気さくで、俺に対しても物怖じせずに話しかけてきた」
「そう言うお人もあるんすか。……でも下級貴族、ってんならウチと同じ男爵か、それとも子爵。相手が旦那じゃ難しいっすね。」
――しかし問題はそこではない。レクスは椅子から立ち上がると、夕日を写して真っ赤に染まる湖へと数歩、踏み出す。
「確かにね。……正妻より側室が先に決まる、ってのもおかしな話だよね」
「そこは問題ですらない」
「え? どう言う……」
「我が弟、リンクは思えば俺には過ぎた弟であるのだ」
急になんの話を。と思ったターニャだが口を挟むのは止めた。
――何くれと無く、先に生まれただけの兄に気を使い、仕事は先回りを常にし。それでいて実務能力は人一倍。
――アレが長男として生まれなかったは、皇家、いや帝国全体にとって損失であるのだよ。
――せめて俺が皇帝の器たると見せるにはどうするか。
――そうだな、虚勢を張るくらいしか方法はない。
――事情があると言っただろう? そういうことなのだ。
――何しろリンクには返しきれないほどの借りがある。
――俺が先に生まれてしまったために、如何程のものをアレから奪ってしまったか。
ターニャはルカが、真逆の立場で同じ様な境遇であるのを思い出す。
――帝国の皇家、ね。見た目よりも大変そうだよな。とターニャは思った。
そこまで話してレクスはターニャに振り向く。
「だから。ここまで好き勝手にやっておいて、アレの懸想する人までを俺が奪うわけには、これは絶対にいかんのだ」
「え? 若旦那が、懸想、する、人?」
あまりに衝撃が大きすぎて、ターニャの頭には言葉の意味が入ってこない。
「好きな人、……居たんだ。皇子」
「あの堅物が、そこまで入れあげるのだ。ならばむしろ背中を押すが兄の役目だと、俺はそう思っている」
「……リンク皇子の、好きな、人」
「それこそ皇家の名前で無理やり押せ! と言いたいところだが。アレはやらんだろうことは、始めからわかりきっている。……だからもどかしいのだ」
夕日を背にしたレクス皇太子。
「だからリンクとその方がどうなろうが、俺は唯々見守るより他無いのだ。ダメであったから、なれば次は、……というわけにも行くまい」
――少なくても俺は、そんなことをしてはいけないと思っている。彼の表情はターニャからは見えない。
「この俺が。……あなたが二人居てくれたなら、などと。愚にも付かないことを考えてしまったくらいなのだ……」
「……え? あ、えっと。ちょっと待った、旦那! それはどう言う……」
「良いのだ。この話はこれで終いだ。愚痴に付き合ってもらってすまなかった」
「旦那、そうじゃなくってさ、あの……」
「旦那ぁ! ターニャ殿ぉ! ご無事ですかぁ!!」
珍しく顔色を無くしたオリファが、大声で二人の名前を呼ばわりながら走ってくる。
「こちらは何も無い、どうしたか?」
オリファは全力疾走から止まった直後であったが、レクスの前に片膝を付く。
「はぁ、はぁ、その、良か、った。……先日、はぁ、アッシュ殿から、伺った龍騎士を名乗るもの。っうく。聞いた、それと、寸分違わぬ鎧が、こちら、こちらの方へ、歩いて行くのが見え、て……」
気配を感じて振り向いたオリファの正面。
竜を模した兜に、黒く輝く槍。腰には尻尾のような金属の板の飾り。
全身黒で覆われた鎧の中から、男とも女とも取れるくぐもった声が響く。
『如何にも私がそうである。約束を違えなかったこと、嬉しく思う。足労の面倒をかけたな皇太子』




