最近のお姉様はちょっと厳しい
大鹹湖組が出発する予定の前日。
宮廷本宮。皇女ルケファスタ=アマルティアの自室のテーブル。
部屋の主が大きめの人形を正面に抱いて、その髪の毛にブラシをかけている。
「当然に。自ら“動く”わけでも無し。そこまで乱れている、と言う感じでは無いですね。……リィファは安堵致しましたよ? ウェンディちゃん」
「お姉様が、宮廷に頻繁に帰ってきてきて下さるというは。これはルゥパ個人としても、とても嬉しく思います。……ですが今回ばかりは。なにか思惑あってのことなのでしょう?」
向かいに座って、お茶のカップを傾けなながらそう言うのは妹姫、ルゥパことオルパニィタ=スコルティア第二皇女である。
「少なくとも、そのお人形にブラシをかけ、お着替えをさせるためだけにお帰りになった。と言う訳でも無いでしょう。それはいくらルゥパであったとて、わかります」
ルカは、手入れと着替えの終わった人形を、自分の隣の椅子へと腰掛けさせ。――ふぅ。ため息を吐く。
「実を言えばそれも一つ、理由ではあるのですよ。先日はここへは就寝に帰るのみ。姿を見ることはあっても、手をかけてあげる時間がなかったですからね」
皇帝妃の話以来、リンクとレクス、そして自分の執務室の往復。
それだけに時間を費やしてしまった彼女である。
「確かに、何かとお忙しそうでしたが……」
「ウェンディちゃんに冷たくあしらわれた、などと思われても困りますからね」
ルカの念頭にあるのはもちろん、先日のリビングドールの一件だ。
自身でも、歩く人型と直接対峙している彼女である。
――リビングドール化の可能性は無ぇよ。
とターニャに言われようが、気になるのはものは仕方が無い。
「お人形が思うもなにも……」
「話さないし動かない。故に人がそれに気が付く事がないにしろ」
そう言ってルカは人形の金の髪をなぜる。
「主人が気持ちを預ければこそ、この子達も色々思うところがありましょう」
「思う、のですか? ……お人形、なのですよね?」
リビングドールなど頭の片隅にもないルゥパは、不思議そうに問う。
「結局のところ持ち主の心がどうであるか、と言うことに帰結しましょうが。――今週帰った理由、でしたね?」
お人形を抱きかかえたルカは、棚の上の“彼女”の定位置へと座らせ、
――埃は大丈夫でしょうが、息苦しかったりしないものでしょうか。
呟きながら、ガラスの填まった扉を閉める。
「皇太子殿下の件。既に事態は動いていますが、今のところフィルネンコ事務所よりあなたの依頼への回答は来ていませんね?」
「……は? いえ、はい。――ですが何故お姉様がそのことを」
「ロミ君に依頼を留保するよう要請したのは。このわたくしです」
「お姉様が何故彼を……」
「あなたが依頼をしたのがフィルネンコ害獣駆除事務所であったのが一つ、失敗でしたね」
「……失敗、ですか?」
「わたくしと、所長のフィルネンコ卿とは以前より懇意にしております。先日の件で初めてあった、と言うわけではありません」
懇意どころか、同じ職場で働いている彼女である。
「大公国へ経理と語学の履修のため無期限の留学。とお母様より聞いてはおりますが、お姉様は普段。本当は何処で、なにをなさっておいでなのですか?」
「お母様にお許しを頂いたので帝国内、いいえ。帝国王朝内で見聞を広めています」
スライム討伐になし崩しに巻き込れて馬車で丸二日、揺られ続け。お花畑では妖精とも話をし。先日はシュムガリア公国にまで足を伸ばした。
見聞はここ暫くで圧倒的に広まった。その部分に嘘はない。
「宮廷内の立ち居振る舞いをあなたに身につけてもらいたい、と言うことも宮廷を出た理由にはあります」
「お姉様が教えて下さっても……」
「わたくしも。是非にそうしたく思ってしまうところがあるので、あえて外に出ているのです。わたくしには、あなたに対して余計な口出しをする悪い癖がある」
――世界で一番可愛い妹ですもの。ルカは、それは口に出すのをこらえた。
「むしろそうして下さった方がルゥパは嬉しく……」
「それがいけないと言うのです、おたがいに。ね」
とにかくルゥパの世話を焼きたいルカなのであり、それは自分でも良くわかっていた。
「おほん。……あなたへ宛て、リンク兄様より伝言を預かっています。曰く、――皇太子殿下の件に関してはルゥパには積極的に関わってもらう。リィファもこれに最大限協力せよ。とのことです」
「……あの」
「あらましを説明しましょう。その上でどう関わるのが良いのか、二人でお話しすることとしましょうか」
皇太子の試練。
お伽噺の物語、と専門家のターニャさえ思って居たそれに、全力で取り組む皇太子。
しかも、陸と水のものには既に承認を得ているのだ。と聞いてルゥパの顔は青ざめ、目を見開く。
ロミにドラゴンの所在を確認させようとしていたのは事実だが、とは言え。
その事実を持って、二人の兄に揺さぶりをかける程度に考えていた彼女である。
「知らぬこととは言え、このルゥパはなんと言うことを……」
「あなたは望んでそうなったわけでは無いにしろ、皇位継承権第四位。その辺の話を知らされておらなかったこと自体は、あなたに瑕疵のあることではない」
――代々継承権三位までしか知らない話です。と言って、ルカはポットのお茶を注ぐ。
「だからとて、大兄様の動きを阻害するようなことがあっては困る。と言うのがあなたにこの事実を知らせ、あえて関わらせろ。とリンク兄様が仰られた理由でもあります」
「わたくしはただ……」
「ですがわたくしは、あなたがシュナイダーの皇女である。と実感して嬉しくもありました。――お母様のお話の後、即座に行動を起こし。かの優秀な兄二人を慌てさせ、あまつさえ、フィルネンコ卿はもとよりわたくしにまで、ルゥパの動きを止めよ。と指示を出さざるを得なくなった。……まさにシュナイダーが血の成せる業と言えましょう。その手腕、見事なり。です」
「しかしお姉様、そのような状況でいったい。このルゥパになにかができましょうか……」
「先程も言いました。既に状況は動いています。なので全ての情報がわたくしと、そしてあなたに集まるよう手を打ちました」
「お姉様のみではなく?」
「むしろあなたが情報の集積地そのもの、そしてその情報の吟味役です。アメリアをフィルネンコ事務所との連絡役に指名しておきました。否応なくあなたの元に情報が集まるは、これは確定」
思惑通りに、高圧的に冷たく聞こえているだろうか。
ルカは眼を細め、さらに声のトーンを落とす。
「フィルネンコ卿と知り合えたことで、わたくしもモンスターには多少詳しくなりました。情報精査のお手伝いくらいはできましょう。状況が収束した、と確認出来るまではそばにおります。あなたのしたいようにすることです。その手腕を存分に振るい、わたくしの目の前で実績を積み上げて見せなさい」
「なるほど。妖精の女王から聞いてはいたがなかなかに聡明なようであるな、皇女ルケファスタ」
いつの間にかルゥパの背後に薄着の女性の姿があった。
「ここを何処と心得る! 何ものであるか、名乗れっ!」
「我は風の精霊シルフィードである、敵対の意思は無い」
「またしても結界を無視するかっ、モンスター風情が! これも論理的破壊であるのですか!」
「我ら精霊は自然の理そのものでもある、故に結界は無効だ」
ある意味、究極の論理的破壊である。
整ってはいるが無表情なその顔は、ルゥパの頭越し。真っ直ぐにルカを見返す。
「お、お姉様。……精霊様が、わ、我らの目の前に」
「凜となさいませ、ルゥパ! ――自然の理が形を成したるが精霊なるもの。常人は見る機会が少ないだけで特段珍しいものではない! ……この程度でうろたえるなど、シュナイダーの、さらにはティアラの騎士たるお母様より、あなたが直接受け継いだ血筋はどうしましたかっ!」
立ち上がった次の瞬間。
テーブルを一足で乗り越え、いつの間にか金のダガーが左手にしたルカが、ドレス姿のままルゥパと女性の間へと入る。
「それに精霊というなら、大鹹湖のサイレーンとてそうであるでしょう。既に大兄様は、わたくしどもに先駆けて邂逅を果たしていらっしゃる! 何を恐るる必要があるものですか!」
左手にはダガー、右手に投げナイフを構えたルカが続ける。
「我ら兄妹四人は、目の前で何ごとがおころうとも!」
右手のナイフは既に投擲態勢、左手のダガーをさらに高く顔の前へと構え直す。――いかような場面であろうとも、泰然としてあらねば、姫様などと呼ばわってくれる臣民全てに。申し開きが立たぬのですっ!
「再度告ぐ。皇女ルケファスタ。こちらに敵対の意思は無い、我は風の精霊シルフィードにしてその長、エリアルと言う」
「ここはわたくし、ルケファスタが居室であります。宮廷本宮の結界内部は完全なる人類領域、されば人間の決まりに従うが道理にありましょう。まさに不遜千万なその言動、されどそなたはモンスターである故、そこは用向きによっては横を向いていないでもありません。……わたくしになに用でありますか、シルフィードのエリアル!」
「いや、妖精のに話を聞いてな。姉妹揃って聡明なのだとそう言うから、どうしても双方の顔が見たくなった。――なるほどクィーン=パムリィが気に入るわけだ」
「貴女方、精霊までもが妖精の女王の言に従う、と……?」
多少毒気を抜かれたルカの右手から、投げナイフが手品の様に消え。金のダガーは後ろのルゥパへと手渡す。
「一応陸の括りである故な。人間との決め事はアレの勤め、そこはそれに従うのみ」
精霊は風のシルフィードの他、炎、土、水。その中に空の括りのものは居ない。
ルカは、クリシャがそれを引き合いに出して、空のモンスター。と言う括りは比較的新しい概念なのではないか。と言う論文を書いていたのを思い出す。
羽を持ち、鳥のような姿をしていても属性は陸、と言うモンスターは結構多い。
「今回の女王はかのパムリィ、少なくとも莫迦では無い。そこは何よりなのだが」
「やはりアレの既知でありましたか。――パムリィはいったい。あの小さな身体にどれだけの権力を……」
ルカは完全に虚脱した顔で天を仰ぐ。
「モンスターを代表する、などともおこがましいがこのエリアル。人間とモンスター、双方が良き関係を構築することを切に願うものなり。それをルケファスタ皇女に伝えんと直接まかり越した次第。無礼の段は他に方法もない故、大目に見られたい」
再度姫の顔を“作り直した”ルカは、気持ちを立て直した。とは思えない速さで自然に答える。
「だいぶん買い被られたものでありますね。されどここは礼を言いましょう。……それで?」
「うむ。此度の話はそれだけだ。……幾分揉めている、と聞き及んだ故。な」
パムリィと話が合うのだから当然こうだろう、と思って今度は姫の顔のまま。ルカは内心ため息。
「精霊シルフィードに敵対の意思がないこと、理解しました。――以降、用事があるならフィルネンコ事務所に事前に話をされると良い。所長が予定他、万事上手く取り計らいましょう。……そなたらとて、毎度このようなことをしていては。人間に敵対視されても文句が言えますまい」
「フィルネンコ事務所。……現状、クィーン=パムリィの居するところであるな?」
「もう一つ、宮廷への窓口はこちらの第二皇女、オルパニィタ=スコルティアを指名することを進言しておきましょう。聡明にして柔軟、皇帝へも皇太子へも意見のできる強い心と絶大なる国民の支持を持つこの子なら。そなたらが人間へと相談を持ちかけると言うならば、まさに相応の相手でありましょう」
「皇女ルケファスタの言は心に留め置こう。今宵はこれにて」
振り向きドアの方へと歩いて行こうとするエリアルの姿は、一陣の風と共に虚空へと消える。
「お姉様。あの状況下で、何故そこまで泰然と……」
「言った通りです。シュナイダーの名は個人の思惑など遙かに超えて重いのです」
実際のところ、どうやらパムリィの知り合いらしい。と言うのがわかったところで八割方、緊張感の無くなったルカである。
「しかし、相手はモンスターですよ?」
――慣れました。と、ルカは涼しい顔で返す。
「ターニャと知り合いだとは先刻お話ししましたよ? 何度かお仕事の手伝いも致しました。……彼女の生業がなんであるのか、ロミ君と知り合いなのですから当然にあなたも知っていましょう」
相手が大きさ以外パムリィの同類、と言うのであれば。
揚げ足を取られない様に言葉選びを慎重にする。くらいの自衛策で良いのであるが、そんな事はルゥパは知らない。
「……それに交渉役にわたくしを指名などと」
ルゥパがまだ何かを言おうとしたところでノックがなる。
「そこもまさに先程、あのエリアルを名乗るものにお話しした通り。――どなたですか?」
「姫様方にはおくつろぎのところ恐縮です。親衛第六、アメリア・ロックハートです。ご報告を持って参りました」
「開いています、気にせず入りなさい。――どうしましたか?」
「リィファ姫、ルゥパ姫、両殿下に申し上げますっ! つい三時間ほど前、リンク殿下が予定を早めて女王パムリィ、センテルサイド卿、アッシュ副長を帯同し、大鹹湖へと移動を開始されました。フィルネンコ所長より、これを予行演習をかねて姫様方に報告してくるように。との仰せにより、ここにご報告申し上げる次第です!」
「……ルゥパ?」
「あ、はい。……報告は受領しました、メル。伝令ご苦労。大兄様出立の報も演習としてここへあげなさい。そしてその時は、ここに二時間で到着するのを目標とするよう命じます。馬だけなら三十分かからぬはず。効率が悪いですよ。至急伝の時だけ早くなる道理は無いと考えますし、そのための演習です」
「は、次回は時間を詰めるよう努力します」
「ではそのように。――それと。フィルネンコ事務所との緊急連絡用にハトを数羽、リンク兄様より借り受けております。さっそく一羽飛ばしましょうから、事務所へ戻ったら確認を。そして次回来るとき持ち帰りなさい」
いよいよ。わたくしの知る限り、一番面倒くさい仕事が始まりましたわね……。
ルカは窓の外へと目をやる。