理詰めのモンスター
「ターニャ、なにごとですか? 彼のものはいったい……」
「ルカ、松明はもう良い。動くな。……あれは見た目もなにも、ほぼ人間の魔道士と思って良い。だから宮廷本殿の結界も抜けられる、人間は排除されないからな」
「アレが人間? ターニャには腐れスライム以外のなにに見えているのですか!」
ルカが言ううちにも盛り上がった粘液は縦に細長く伸びていき、先程喋った口の部分が、その盛り上がりの高い部分へと運ばれる。
その塊は徐々に人の姿を取りつつあった。
まだ口以外の無い頭、その口が再度開く。
「非道い話だな。スライムどころかロッテンスライムかえ、娘。……我はダァムデュラックのヴィヴィアン。ここは帝国皇族の居城に違いないか?」
透明な女性の形をなした塊は、頭をルカの方に向けそう言う。
「本当にスライムでは無いようでありますね。――ここが、シュナイダーの皇族が住まう宮廷本宮であることは請け合いましょう。わたくしは皇女ルケファスタ、こちらがリンケイディア皇子殿下です」
ドレス姿ではあるが形式上、腰に下げていた証の剣、金のダガーを――シュラン。抜き放ちながらルカが応じる。
透明な女性は徐々に不透明になり、ドレスを着た妙齢の女性へと姿を変えていく。
「貴様の姿形……、もしや、我が女王の言っていた専門家、ターシニアかえ?」
「あ、あたし? いや確かにそうだが。――我が女王? パム、じゃ無いよな。サイレーンのピューレブゥルのことか?」
「いかにも。我はピューレブゥル様の使者なるぞ。……パムリィ様が貴様の元に居るのよな。……宜しく伝えおいてくれ」
「パムに言づてを言いつかるんだ。あたしらを襲いに来た、ってぇわけでも無さそうだが」
ターニャは臨戦態勢を解くと、あえて姿勢を正して。――シュラ、パチン。こちらは銀に輝くレイピアを鞘に収める。
「わざわざこんなところで貴様らを襲って、我らになんの益があるものか」
何も無かった頭にはいつの間にか大きめのボンネットを被り、完全に名前通りの貴婦人の姿になったヴィヴィアンを名乗る湖の貴婦人。
彼女ははそのまま姿勢良く数歩前に出て、さっきまでリンクの収まっていたデスクに座る。
「帝国の皇子に伝言をせよ。と、そう言いつかってきた」
「なればこの場では私、と言うことだが」
心配そうな表情の表情のターニャに手を上げて見せ、リンクが一歩前に出る。
「では改めて。……ヴィヴィアン殿、で良いかな? 私が大シュナイダー帝国第二皇子、リンケイディア=バハナムである」
「ほぉ、皇子か。場所は間違ってはいなかったようだ」
「貴女が人の理に縛られぬものである故、文句を言われないでいる、と。そこは汲んで欲しい。人の決まりなら貴女の現れ方は完全にマナーに反する。そして人間の風俗というものには、貴女方ダァムデュラックは詳しいはずでありましたな?」
「詳しければこそだ、リンケイディア。帝国の宮廷内に迂闊に入り込めばドラゴン以外なら間違い無く駆逐されよう。我はどうしても皇子に伝言を伝えねばならぬ故な。人の理に照らして不細工な現れ方であるは、これも先刻承知の上」
「成るほど。たった一言、殿下に対し謝罪を口にする。それすら惜しみまするか……!」
「落ち着け、ルカ。……相手は人間じゃない」
ダガーを左手に持ち替え、“臨戦態勢”に入ったルカの肩に、ぽんと手を置き。――モンスターはだいたいこんなもんだ。パムが人間くさすぎなんだよ。
そう言いながらターニャは、ルカの前に割り込む。
「そしてあんたもちょっと待て、ヴィヴィアン。ピューレブゥルの言う皇子ってのは、旦那……。じゃない、皇太子殿下のことなんじゃないのか?」
サイレーンの彼女があったことのある皇族とすれば、初代皇の他は皇太子しかいない。
皇子、と表現するならば皇太子だろう。とターニャは思ったのだが。
「皇子としか聞いておらぬ。なればリンケイディアで良かろう。専門家、貴様にも今一度確認するが、そこなリンケイディアを名乗るものは皇子なのだな?」
「まぁ、そう聞かれれば間違い無くそうなんだが……」
「シュナイダーの皇子に告ぐ。二週間後の今日、使いを寄越す故先日の宿にて待たれたい。――以上だ」
そう言うと立上り、また窓の前へとヴィヴィアンが下がる。
「ちょっと待て! まだこっちにも話が……!」
ターニャの言は完全に無視され、貴婦人の姿はただの水たまりと化し、理を無視してその水たまりは窓枠へと這い上がり、そのまま窓の外へと吸い出されていく。
「次から何かあればフィルネンコ事務所に来る様に言え! 結界も開けてあるし、皇家に用事なら間違いなくあたしから伝えるっ!」
「伝え置こう」
最後に残った水に唇の形が浮かび上がり、そう言った次の瞬間に水たまりは跡形もなく、なくなった。
「なんなんですの、アレは!」
腰の鞘に、金のダガーを収めながらルカ。
「あたしになんだと言われても、モンスターだとしか」
ルカがターニャにくってかかる間にも、ドアにノックの音が鳴る。
「殿下、夜分遅くに失礼を致します! モルゲニヒト・フィッシャーです! 至急のご相談があるのですが、フィルネンコ閣下はまだご一緒でありましょうか?」
「何かあったのですか? ターニャはここに居る。開いているから、気にせず中へ」
優男のモルゲンが、ガタイの良いアッシュを引き連れて部屋へと入ってくる。
「あたしに用事って、何があったんすか?」
「つい今ほどのことです。龍騎士を名乗るものが皇太子殿下の執務室を訪ねてきまして……」
――リヴァイアサンから皇太子へに話したきことがある由、二週間後の今日、法国の湖へと参れ。場所は先日来た女の専門家が知っておる。
「それだけ言うとそのまま居なくなりまして」
「現在、殿下はレナ様にお任せし、私以外の親衛第三の総力を持って捜索中ですが何処に行ったのかは未だ……」
「いずれ中身はドラゴンの眷属……。探しても無理でしょうね、捜索は中止にして良いっすよ」
「全員に、結果によらずあと5分で殿下の執務室に戻るよう言ってありますが」
「……相変わらず察しが良いね、アッシュさんはさ」
「お褒め頂いた、と思って宜しいものでしょうか?」
「遠回しに仕事をしろと言われているのだ、もっとも僕には遠回しに言ってくれる人も無い。いつもストレートに怒られるが」
縮こまるアッシュと、むしろ胸を張るモルゲン。
「モルゲンさんの普段は知りませんが。アッシュさんの無駄なことをしない、と言うポリシーには憧れさえ感じるくらいですよ……」
ルカがなにも言わずにアッシュを睨むと、彼はさらに縮こまった。
「そうそう、閣下。一つお聞きしたいことがあるのです」
「さっきも言ったけど、普通にターニャで良いです。なんですか? モルゲンさん」
「宮廷は本宮と後宮、下宮に関してはモンスター避けの結界があったはず。先の龍騎士を名乗るものはいずれモンスターに連なる者。なれば、どうして……?」
「論理的破壊、ってヤツですよ」
「なんですか? それは」
「宮廷の結界、これは人間が通れてモンスターは通れない。――なら、モンスターと人間の中間くらいのヤツならどうっすか?」
「……それは屁理屈なのでは」
「魔導自体がそもそも良くわからない力なんだ。その魔導を使って張った力だからね。人間の域を超えて極端に頭が良ければ、術の論理自体をねじ曲げることも不可能じゃない」
「ちょっとお待ちなさいターニャ。頭が、良い。ですって? ……ではそんな危険なモンスターが二体も宮廷内に!?」
「そういうことに成るな。さっきのダァムデュラックだって、魔道士のなれの果てが始祖だって言う話もある。あぁ見えてあたしはもちろん、お前だってハナから頭じゃ敵わないぜ」
「あの、リィファ殿下。二体、とは?」
「その話も含めて、こっちもレクスの旦那にあって話さにゃならんことがある。と言うことなんですよ。――そうだろ? 皇子」
言いながらターニャが、リンクに振り返る。
「そういうことだ。皇太子殿下はまだ執務室にいらっしゃるのだな?」
「えぇまぁ、我らが戻るをお待ちでいらっしゃいますが」
「ならばこれからすぐに全員で伺う。行くぞ。――しかし。日付が、被ったか」
「どう言うことなのでしょうね、ターニャ」
「わざと、ってことじゃないと思うけどな。お互いある程度、こっちの事情を汲んでくれてんだろ?」
法国の保護区までは馬車で約二日。大鹹湖なら四日はかかる。
一応忙しい皇族を呼び出すのだ、と言うつもりはあるんだろうな。とターニャは考える。
――モンスターに気を使われてどうすんだよ……!
双方、二週間くらいあれば準備出来るだろう、と思ったのかね。とターニャはウンザリする。
「……なんで同じ日に来るんだよ」
ウンザリの原因は、主にそういうことなのだが。
「兄上の意向もあるだろうが、大鹹湖にはやはり私が行くことにしたい」
アッシュの開けたドアから、ゾロゾロと廊下へと出る。
「あぁ、そうなるのは避けらんねぇだろうな。旦那にはあたしが付いて行くことにする。むしろ今度こそ目立つ護衛はつけらんねぇ。ロミをつけるつもりだが、十分気をつけてくれ」
「済まんな。何かの理屈をつけて宮廷から直接、依頼は切る。済まないがこの件で頼れるのは貴女しか居ない」
「ターニャ、わたくしも大鹹湖へ行ってみたくおもいますが」
「お前の二週間後の予定は宮廷だ。具体的にはなにも知らないはずなのに、頭が回って腰も軽い。……現状で一番の問題、ルゥパ姫の頭を押さえておいてくれ。お前にしかできない、――宜しくお頼みもうします。だぜ? 殿下」
「で、殿下……? ドレスを着てここに居ろ、と?」
「別に宮廷騎士の制服着ててもそこは構わん」
「そう言う問題では……」
怒ったポーズで足を止めたルカを置いて、ターニャは考えながらどんどん廊下を進む。
「……両方、なにを伝えるつもりなんだ」