共依存
「あの、一体どう言う……」
「私だって先程いきなり聞いたのだ、知るわけが無い。とにかく」
リンクの執務室。
その中で待機していたオリファを始めとする、親衛第四の面々は部屋から出され、結構広い部屋の中はターニャとリンクの二人だけ。
自分の執務机についたリンクと、その横に所在なさげに立つターニャ。
「いずれ話はこうだ、皇帝陛下は皇太子殿下への皇位継承を予定よりも大幅に早めるとお決めになった。皇帝妃陛下もそれを聞いたのはつい昨日のこと」
「もしかして、皇帝陛下に何かが……」
「それは無い、今週私もお会いしたが元気なものだ。多分兄上の資質を見込んで早めに帝位を渡したい、くらいのものだろう」
「そんな軽いノリの人なの? 皇帝陛下って」
「まぁな。……どう見えていようが、陛下は兄上やリィファの父なのであるぞ? 勢いで物事を決めるのはままあることだ」
――はぁ。リンクはため息を一つ。
「でも、旦那はまだお妃を娶ってないのに……」
「過去に五度ほど婚姻前の即位は例がある。そこに問題はない」
リンクは、さらに深くため息を吐いてデスクの上、両の手を組むとそこに額を乗せターニャからは表情が読めなくなる。
「一番の大問題は。今すぐにでもキングスドラゴンとの謁見に望まねばならなくなった、と言うことだ」
キングスドラゴンへの謁見を済まさずに皇位に付いたものは、例外なく若くして落命。帝位を五年以上保持した例が無い。
リンクが、自分よりも兄の方が皇帝には相応しい。と思っているのはターニャも知っていた。
「とにかく、ドラゴンへの謁見を急がねばならないのだが」
合理主義者のリンクが、早世させるには惜しい人材である。と自身の兄について客観的にそう考えているのは、彼女にも想像に難くない。
「まぁ、なぁ。闇雲に西の山に昇ったところで会えるもんでも無いようだし」
「そうなのだろうな。……ピューレブゥル殿に合ったときの話は聞いている」
「パムも含めて、意味も無く面倒くせぇんだよなアイツ等」
リンクは顔を上げるとターニャを見やる。
「パムリィ殿は協力的であったと、これは兄上から直接伺ったが?」
「アイツは始めからフィルネンコ事務所に居たんだ。もっと簡単なやり様はいくらでもある」
ターニャは不機嫌な顔をすると、デスクの隅に腰を下ろすが。
リンクはとがめることもせず、口元に笑みを浮かべる。
「人間もモンスターも双方勝手にせよ。それが彼女の持論であるからな。自身から人間の為になにかをして下さる、などと言うこともそうあるまい。――リィファが居たら怒られるぞ?」
「……皇子は、怒らないのか?」
「人の目の無いところでくらい、気を抜かねば私だってやってられんよ。兄上やリィファとはそもそもモノが違うのだ」
「皇太子はともかく、ルカも?」
「アレなぞは特にそうだ。高貴な姫君の“役”を一週間やり続けようがボロなど出ない。そこは兄上の上を行くぞ」
「役って……」
「帝国の皇族など、思うほど良いものでも無いさ。明日の食事の心配がないだけ、それでも市井よりはよほどマシ、なのだろうがね」
リンクがそこまで話したところで、ドアにノック。
「誰か?」
「リンク兄様、ルケファスタです。遅くなりました」
「開いているから入れ」
ドアが開くと、先程より動きやすそうなドレスに着替えたルカが、エルを従えてドアから入ってくる。
「なんだルカ、着替えちゃったのか。さっきのドレス、似合ってたのに」
「……! そ、そんなことよりターニャ。年頃の淑女が、しかも代理人の制服を着たものが、そのはしたない格好は何ごとですか! 椅子が無いと言うわけで無し、今すぐ机から降りなさいっ!」
――ほら、やっぱり怒られた。リンクとターニャは顔を見合わせて微笑むと、リンクは顎をしゃくり、ターニャは机から降りた。
「雨が結構強く降り始めました。ターニャとわたくしが今日帰らないは、結果的には正解だったやも知れませんね」
「リィファ。雑談はかまわない、だがだったら尚のこと。先に用事を済ませてしまおう。話とはなんだ?」
「皇太子の試練、これにルゥパが自身も関わろうとしています」
土砂降りの中、今も親衛第六の誰かがフィルネンコ事務所へ馬を走らせているのだろう。
「できる範囲で留め置くことはしましたが、所詮は対処療法、そう長く誤魔化せるものでもないでしょう。……彼女と専門家であるロミ君、接点を作ったはお兄様。どうなさるおつもりなのです?」
「なぁルカ、姫のロミへの相談って……」
「恐らくは、十中八九キングスドラゴンの所在調査の依頼です。……具体的にはわかりませんし、皇帝妃陛下と協調するものでも無いようですが。それでもルゥパにも何かしら、皇太子の即位を急ぎたい考えがあるやに見えます」
――リィファ、お前も座れ。エルさん、お茶をお願いしても良いかな? リンクはそう言うと腕組みで背もたれに身体を預ける。
「まず一つ。ルゥパも皇家のものである以上、むしろこの件には、それなりに関わることが必要である。と私は思っている」
「あの子はまだ一二です! あまり必要以上の……」
そう言いながら、部屋の中程の壁際に置かれたデスクに収まったルカを見て以前、リンクの部屋に自分の机がある。と言っていたのをターニャは思い出す。
――ブラコンだなんだといっても、要は皇子に甘えてるだけじゃねぇか。
と思ったターニャだが、先程リンクに“皇族で居る”ことも大変なのだ。と言われたのを思い出して、口には出さなかった。
ここ数年、ルゥパ姫が必要以上に持ち上げられてしまって、なまじ優秀だったが故にかえって。リィファ姫は宮廷に居場所がなくなってしまった。
それも一緒に思いだしたからだ。
そしてそこは、言動全てを皇太子と比べられるリンクも同じことである。
「スライムとランタンフラワー。……共依存、ね。どっちがスライムなんだか」
「スライム……? どうしたか、ターニャ。なにか考えることが?」
「こっちの話だ、なんでもない。続けて良いよ、皇子」
ターニャは、基本的に宮廷から動けないんだから、皇子がランタンフラワーだな。と思った。
――暗い宮廷内、帝国の道を照らす存在。なんてな。
うん。ピッタリだな。と一人悦に入る。
「ならば良いが。――普段お前も言って居る通りに、アレももう一二だ。そろそろ政から逃げるわけにも行かないだろうし、ならば望み通りに関わってもらうさ。但し限定的に、ね」
「……宮廷からは出さない、と?」
リンクは目を瞑ると頷いてみせる。
「連絡係と情報の吟味役だ。外に出ている暇は無いだろう? どうもルゥパはモンスター関連の案件では、ターニャに仕事を丸投げして私が楽をしている。と思っている節があるが」
――私が普段どれだけ胃を痛めているか、幾ばくかでも思い知ってもらう。リンクはそう言って目を開けるとターニャの方をみる。
「……え! あたし? なんにも悪いことはしてない、……と。思う、んだけど」
「確かに。……この上悪気があるなどと言われては、たまったものではないよ」
「えぇまぁ、兄様の仰ることには合点がいきます」
「ちょっと待て。二人がかりでさ、なんなんだよ。その流れ! ――あー。その、良く降るな。昼間はああれだけ天気が良かったのに」
誤魔化すように窓の方をみるターニャ。
夕方から降り出した雨は、今や窓に叩き付けるように激しくなっていた。
「全くな。これほど降るとは思って居なかったが。これ以上は大水が出るのでは無いか?」
「今朝ほどは、天候予想士も雨が降ると言ってはいませんでしたが……。兄様」
「今度はなんだ?」
「窓から水が。すぐに修理の手配をした方がよろしいかと。……エル?」
「わかりました。確認して普請係の方に私からお話を……」
「皇子、窓から離れろ! エルも近づくな!!」
突如ターニャが水の染み出ている窓に身体を向けて抜刀し、叫ぶ。
「どうしたのか、ターニャ!」
「ウォータースライム! ……どうやって宮廷の結界を抜けた!! 皇子、もっと下がれ! エルは皇子を! ルカ、火だ! 松明で良い。持ってこいっ!!」
ターニャが指示を飛ばす間にも水の染みはみるみる大きくなり、粘性の高い液体様の物があっという間に窓下に山を作り、そのまま盛り上がっていく。
塊の中に口ができると、
「スライムとは失敬極まる、我は妖精ぞ」
塊はみるみる大きくなり人の形を取る。
「湖の貴婦人、だとっ!」
人類領域での目撃例はこれまでゼロ。
妖精の中でも希有の存在が、窓の前に現れようとしていた。