お妃様の召集
「なぁ、ファステリア卿。……知った顔が隣にあるのはありがたいが、いつまでこうしていたら良いんだ?」
「止めて下さいターニャ、普通にエルと呼んで下さい。そしていつまでか、などと私に聞かれても……」
「ターニャはわかって言ってるんだろうけどさ、それは真面目に私らには答えようが無いよ」
シュナイダー帝国宮廷の巨大な建物のさらに中央部。
豪奢なドアの前、白に青。宮廷騎士代理人の制服を着て、黒いベルトで腰の左に銀の剣を吊った女性三人が、背筋を伸ばして立っている。
そのうち、ズボンではなくスカートをはいた一人のみは、剣の形があからさまにおかしい。柄の部分まで含めて完全に包丁の形をしていた。
皇帝妃の部屋の前。
ターニャとエル、パリィの三人が並んで姿勢良く立っている。
「なにしろ。皇帝妃陛下が皇太子殿下を含め、お子様方全員を呼ばれるなど初めてのことです」
「皇太子殿下までお妃様から呼ばれた、ってんで姫が真っ青になってたもんね」
相手が誰であろうとほぼ気にしないルカなのではあるが、皇太子だけは苦手にしている。
そして状況によっては皇帝にさえくってかかる彼女なのであるが、母親でもある皇帝妃の話だけは聞き入れ、従う。
今。現状の立場も、基本的には自分で決めたものではあるものの。皇帝妃に意見をもとめ、彼女の“実家”である大公国に“留学”している。と言うことになっている。
「皇太子のことはともかく、そんなにおっかない人なのか? お妃様。あのルカがビビるなんてさ。綺麗でおしとやかな人に見えるんだが」
そもそもは婚約発表後に長い髪を切り落とし、魔法剣士として前線に立って直接戦果を上げて見せ、帝国臣民の度肝を抜いた彼女ではあるが。
一方で理想の妻や母親、と言う括りでも国民人気の高い彼女である。
「姫のお母さんなのに若く見えるし。美人で優しくてお上品で、スゴく良い人だよ」
「それ故、お怒りになると非常に恐ろしいのだ。とは殿下より伺ってはおりますが。我らが直接叱責を受けるほどお側に居ること自体、ありませんから。その辺はなんとも」
――そりゃそうだ。そう言ってターニャは姿勢を崩すと、延びをする。
ただ立っているなら、体力的には一日でも平気なターニャではあるが、廊下の真ん中で壁をみながら立つ。と言うのは結構な精神力を削られる仕事であった。
「な、お前達が居るんだからルカ……、じゃない、リィファ殿下はもちろん。もうルゥパ姫もレクスの旦那も、中にいるんだろ?」
「そうですね、いらっしゃったのはリンク殿下とターニャが一番最後でした」
「旦那の代理人の姿が見えないが……?」
ちなみに。宮廷騎士に取り上げられて日が浅く、まだ代理人を定めていないルゥパに関して言えば。
胸に【ⅵ】と彫り込まれた銀の記章。これを付けた青に白の制服が五分に一度、用もないのにターニャ達の前を素知らぬ顔で歩いて行く。
第六親衛騎士団、ルゥパの部下達がそれなりに心配をしている。と言う事である。
「皇太子殿下の代理人閣下は皆さん、三名とも本当の意味で殿下の代理人を全うされておりますので、お忙しいのかと」
「代理人に関しては一緒に来いって言われても、絶対。って付かないんだよね。私らは暇だからアレだけど」
「その、皇子はともかく。……フィルネンコ事務所だって暇じゃ無いだろうよ」
「でも忙しくも無いよね?」
「昨日出がけのあたりから、クリシャさんとロミさんは忙しそうでしたね」
「半分以上抜けたら忙しいに決まってんだろ!」
このところ順調に仕事の受注を増やしているフィルネンコ事務所であるが。
パムリィとメイド二人を含めても7名しか居ない。そこから所長を含む四名がいきなりお休み。
暇なわけが無いのである。
「私に関して言えば。……周りが言う程、忙しいわけでも無いのだけれどね。――リィファ殿下が珍しく宮廷にお帰りだ。とは聞いていたけれど、二人が制服姿と言うのも珍しい。……久しいですね。変わりはないですか? 二人共」
彼女等と同じ白に青、代理人の制服を着た20代前半と見える女性がエルとパリィの話に割って入ってくる。
「お久しぶりです。かえって二人共、元気になったくらいでして」
「ノボセリオーバ卿もお変わりないようで何よりです」
「メイド仕事をしていたと思ったら、急に宮廷から居なくなって。レクス殿下よりお話を聞くまで、結構心配しましたよ。――それでそちらが」
「あ、どうも。……その、リンク殿下の代理人、ターシニアです。ターニャで良いです」
「お初にお目にかかります。ドミナンティス男爵閣下。……私はレクス殿下の元、軍事担当の代理人としてお側付きを仰せつかっております、エレノア・ステシニーア・ノボセリオーバと申す者に御座います。同じく代理人でもあり、なれば気軽にレナ、と呼んで頂ければ幸いです」
レナは、そう言うとごく自然に胸に手を当て臣下の礼を取り、困ったターニャは、
――あの、ホント普通で良いですから。ただのモンスター駆除業者なんで。と言いながら、顔を上げるよう促す。
「……今はあなた方の雇い主でもあるのですよね? キチンと紹介してもらえないとご挨拶もできません、困りますよ」
「なんて言うか、ターニャです。……としか」
「すみませんノボセリオーバ卿。我ら二人にとっては、あまりにもターニャが隣にいるのが普通のことだったもので、つい」
「おぉこれはこれは。噂以上に見目麗しいご婦人では無いですか。……エル、僕にも閣下を紹介してくれませんかね?」
いつの間にかレナの隣に。長身の優しげな若者が立っている。
彼もまた、代理人の制服を着ていた。
「ご無沙汰をしております、フィッシャー卿。――ターニャ、こちらはレクス殿下の宮廷内務担当の代理人を務められておられます、モルゲニヒト・フィッシャー様です」
「このモルゲニヒト、閣下と直接お話ができるなどは思ってもみませんでした。女だてらに男爵家当主を務められ、可憐で繊細で優美。にも関わらず、飾らず驕らず、万人にお優しい。……閣下のことは、宮廷でもこのところ、よく噂になっていますよ?」
「いや、あの。可憐とかそういう事は全然なくて。……どうも、フィッシャー卿。ターニャです」
「卿などとはもったいない。同じく代理人同士では無いですか、僕のことはどうかモルゲンとお呼び下さい。――時にレナさん、スティーブの姿が見えませんが?」
「今週は上級貴族院と帝国最高議会の開催週です。殿下がお出ましになるほどの案件も無い故、むしろ彼は議場から動けないでしょうね」
「まぁ、戦担当のあなたがヒマなのは良いことですよ」
「帝国本国軍が出ていないから殿下の決済が要らない、と言うだけで、今も帝国王朝軍、一五,〇〇〇が四箇所で戦の最中です。そう言う物言いは……」
レナとモルゲンが話し合っているうちに、レクスにはもう一人。
スティーブン・ウォルター・チャールトンという政と経済を担当する代理人がいるのだ。とターニャはエルから説明を受ける。
「……しかし、皇太子を含め、皇子皇女を全員、突然に呼び寄せるなど、お妃様はなにをお考えになったものか」
「確かにお妃様は、普段はあまり力を誇示するようなことを好まない方なのですがね……。キミは親衛第六の子だね?」
モルゲンは、“偶然”通りかかった青い服の少女に声をかける。
「はっ! お声がけ頂き、光栄です! 自分は第六親衛騎士団副長代理、アメリア・ロックハートと言います!」
「そう堅くならなくて良い。ルゥパ殿下なら間もなく出てくるはずだから、ここに居ると良いよ」
「……ですが、フィッシャー卿」
「この男のそう言うのには裏付けがあるのです。皇太子殿下には、この後の予定があるのですよ。間もなく会談の予定時間も終了です」
レナがそう言う間にも、――バタン! と乱暴にドアが開いて、皇帝妃の部屋から赤いドレスを着た黒髪の少女が出てくる。
と、いきなりターニャと目が合う。
「む……? そなたが、フィルネンコ卿ですか?」
「そ、そうですが。……その」
「わたくしは第二皇女、オルパニータ=スコルティアです。宮廷としてもここ暫く、色々世話になっておるのだと聞き及びます。これよりも帝国のため、わたくし含めよしなに」
「お、オルパニータ殿下にお目通りかない、このフィルネンコ、至極の至りです」
エルに小突かれ、ターニャはとりあえず臣下の礼を取る。
ロミから、リンクが横に居ないときにはエルに従え。と口が酸っぱくなるほどに言い含められていたからだ。
「ふむ。そなたはリンク兄様の代理人でもあり。なればわたくしをルゥパと呼びしこと、許しましょう。――わたくしも実は、一度逢いたく思っていたところです」
――しかしなんと噂通りな。これは心配事の種が増えてしまった……。髪と瞳の色以外はルカにそっくりな彼女はそう呟くとあからさまに顔を曇らせる。
「その、えーと。……ルゥパ殿下?」
「こちらの話故、気になさらなくて結構です。――メル!」
「は! ここに控えております!」
「至急、フィルネンコ害獣駆除事務所のセンテルサイド卿に連絡を取りなさい! 急ぎ相談したき案件ができた、大至急です。今より誰ぞを走らせなさい!」
「自分以外は現状、執務室に控えておりますので、戻り次第直ちに選抜を」
「宜しい。今後のことも打ち合わせがしたい、わたくしもこのまま参ります。――では、代理人方。ご機嫌よろしゅう」
ターニャがなにか言いかけたのを遮ると、メルを従えたルゥパはドレスを翻して廊下をズンズンと歩いていく。
「ターニャ、今のルゥパ姫の話って……」
「あぁ、明らかにロミの名前が出てきたように思うんだが」
「ルゥパ殿下がロミさんを頼る……。ターニャ、モンスター絡みのなにか、なのでしょうか?」
「普通に考えりゃそうだろうが、お妃様と話をしてたんだよな? いったい何の……」
ターニャ達の会話は、再度開いたドアから出てきた青系のドレスを身に纏った人物に遮られた。
「ターニャ、予定は変更です。帰るのは明日の朝に、今宵は宮廷に泊まりなさい。……それとあとでお話があります。リンク兄様と共に兄様の執務室で控えていて下さい」
部屋から出てきたルカは、しかし多少機嫌が悪く見えた。
「……ルカ。じゃない、リィファ殿下。あんまり横暴じゃ無いか?」
「極力穏便に話をしています。ルゥパに先を超されて頭越しに動かれては……。あの子は莫迦では無い、面倒ですね。――パリィ。一度事務所へ戻り、ロミ君にルゥパの用事はわたくしの指示が出るまで、日程その他は一時保留するように伝えてきなさい」
「姫、それでロミ君には通じるの?」
「説明は帰ってからします。――間もなく、ルゥパの手のものが早馬を出しましょうからそれより先に。まずはそれだけ伝えなさい。ロミ君ならば、ルゥパの依頼をみればその時点で、わたくしの意図は察してくれます」
「了解、……んじゃ、行って来まーす!」
――全然穏便に見えないんだが。そう言ったターニャにルカは人差し指を突きつける。
「非常事態です。内容は後ほどリンク兄様にお聞きなさい。――エル、何をしているのです。行きますよ?」