立ち話
「いつにもまして浮かぬ顔だなオリファよ。実際はともかく、もう少し楽しそうに仕事が出来んのか?」
「アッシュ殿も人がお悪い。原因は知った上であえてそう仰る」
「知らぬば声がけをためらうわ。……それ程に深刻な顔だ、と言っているのだが。本当に大丈夫か? お前」
シュナイダー帝国本国のほぼ中心に位置する宮廷。
ここはリンク皇子の執務室前の廊下である。
各皇族の執務室、分けても皇子皇女については違う建物として居る時代もあったらしい。
今は内政自体にそこまで大きな問題がないので、フロアが分かれている程度。
その廊下でオリファが、皇太子お付きの親衛騎士、アストリゼルス・イルサムとばったり出くわしたところである。
「原因をご存じでしたら、尚のこと。からかうようなことはしないで頂きたいところですが……」
「それがいかんと言ってるんだよ。どうせ皇太子を初め、皇族方は何処かネジがたらんのだ。いっそ、楽しんでしまえば良かろうものを」
オリファの渋面の原因はもちろん彼の主。皇位継承権第二位、リンク皇子である。
来週から領土視察の予定なのであるが、大規模な護衛の随伴は拒んだ。
さすがにオリファを初めとする侍従達は抗議の声を上げ、今回は異例なことに皇帝にまで声が届いた。
但し。それに対する皇帝の答えは、
――好きにさせろ。
であった。
アッシュの言う、ネジが足りない。は。平素のこともあるのだが、今回は主にここにかかっている。
血筋がなにより重要な帝国の、皇位継承権二位をもつリンクを好きにさせろ。と言われたのである。
この際、開き直って面白がったらどうか。
と言うのは投げやりに見えて、至極真っ当な意見であった。
もっとも。
その日から今日まで侍従達は当人と、そして皇帝にまで。ずっと抗議をしているのだが双方まるで聞くつもりがない。
オリファの胃を蝕んでいる理由はこうである。
「いくら冗談とは言え、不敬でしょうに。……私にはそこまで割り切れませんよ」
「お前も承知の通り本当のことだが。――やれやれ、そのうち若くして胃を患うぞ。だいたい……」
「親衛騎士が廊下で立ち話とは呆れたことです。普段の居住まいでこそ騎士の品位が問われる。と、特にあなた方二人には、再々教えてきたと思っておりましたが」
「お、おババ様……!」
「シャル……」
廊下にはいつの間にか、彼ら二人と同じ青い制服を着た初老の女性が、左手を後ろに回し背筋を伸ばして立っていた。
彼らの制服と違う所があるとすれば、スカートであること。そして上着の襟や袖のパイピングが多いこと。
胸に提げた紐飾りは彼らと色は同じだが2本。
威圧感を放って二人を釘付けにする彼女は、しかし背丈はオリファの肩の辺りまでしかない。
「イルサム卿。なにか、お言いかな?」
「も、……もちろん、なにも申しておりません! アイシンガー卿!」
「結構です。以降も黙っておきなさい」
ガタイの良いアッシュを完全に言葉一つで固まらせた彼女は、オリファに向き直る。
「アブニーレル卿も公務中である。何度も言っています。公私の境目の付けられぬものは、真面目であろうが結局潰れますよ?」
「お、……お言葉、ありがたく」
彼女は皇帝とお妃の近衛である親衛第一騎士団長にして、オリファとアッシュの上司にあたる、親衛騎士総団長。シャルロッテ・アイシンガーである。
平民からの拾い上げであるこの二人は、彼女を師として数ヶ月。
彼女の自宅に住み込み、騎士としてのみならず、皇族に使えるものとして。
普段の立ち居振る舞いの細かいところまで、みっちりとしごかれた経緯がある。
おババ様。も別にバカにしているわけではなく、仕事を離れればむしろそう呼べ。と、当人から言われている。本当に孫のいる彼女である。
「なんの話なのかはオリファの顔に書いてあるが……。自分の責でもあるまいものを。なんでも自分の仕事にするなとは、あれ程言うてあると言うのに。この莫迦は」
「シャル、いえ総団長。お言葉ですが状況がどうであれ、殿下の御身をお守りするが我のお役目。殿下の動向に関わること、全ては我の責任です!」
「オリファ、だからお前は莫迦だと言うんだよ。アッシュを見てみよ、皇太子殿下などついぞ放りっぱなしではないか」
さすがに黙っていられなくなったアッシュが抗議の声を上げる。
「総団長、……まるで俺が仕事を放りだしているかのような」
「真面目なふりをしてサボるのは、上手いものよな」
「そう、見えているのですか!?」
「声が大きい! 品格を考えよと先程も言いましたが? ――見えるからそう言っているまで。殿下はあの様なご気性故、なにも言いませんでしょうが。だが、わたしの目までを誤魔化せるとは思わぬ事です」
「お、お言葉、ありがたく……」
「以降、黙っておいで」
「は、はは……!」
「……オリファ」
「はい」
「そもそも論だ。……殿下の御身をお守りするは親衛騎士のみの役目に非ず」
オリファは自身の師がなにを言いたいのか、即座に理解した。
「いや、……なにをお考えなのかはわかりましたが、問題が大きくなるだけなのでは?」
「なんでも自分の責にするなと、先程も言いましたが。聞いていましたか?」
「だからとて、ターニャ殿は素人です。いくら何でも要人警護などと」
リンクの動向に気を回すべきは、宮廷騎士代理人であるターニャも一緒だ。とそう言う話ではあるが。
ターニャ個人がそうだというわけでは無いにしろ、フィルネンコ事務所自体そもそも。粗雑で乱暴な事で知られる害獣駆除業者に名を連ねている。
要人警護にはむかない、と言うオリファの話ももっともではある。
「ターニャ様個人はそうでしょうが、今のフィルネンコ事務所なら。アリネスティア宗家の師範代がいらっしゃる。なんとなれば、“ファステロン侯”もおられます」
「ですが、要人警護は彼らの仕事ではなく……」
「だから莫迦だと言うのです。……彼らの仕事が近所にあれば良い」
そう言って後ろに回した左手をオリファへと突き出す。
その手には書類の束が掴まれていた。
「どうせリンク殿下のことです。代理人の同行も断られましょう。ですが近所に彼らがいて、あなたから手を借してくれと言うならばきっと。双方、否は無い」
「……ターニャ殿の仕事、ですか?」
シャルロッテは紙の束を手渡しながら頷く。
「既にMRMと保全庁にはわたしが手を回しました。あとで組合とフィルネンコ事務所へ。――それと、この件は殿下には内密にするのが良いでしょう」
紙の束を見て途方に暮れるオリファを尻目に、総団長は姿勢を正す。
「いつまでも廊下で立ち話などしないで解散なさい。――それとアッシュ。皇太子殿下がお探しでしたよ。至急執務室にお戻りなさい」
姿勢良くシャルロッテが歩き去り、アッシュが多少慌てていなくなり。
廊下には、紙の束に目を落とすオリファだけが残された。
「しかし、これを。ターニャ殿が素直に受けてくださるんだろうか……?」