殿下のご意向
「フィルネンコ所長、お待たせを致しました。総督がお会いになります。直接総督室へどうぞ」
そう言って、そのまま自分の前を歩く事務職員の服を見ながら。たいそう落ち着かない思いのターニャが後に続く。
通常、アポ無しで環境保全庁を訪れた場合。
散々待たされたあげくに、ロビーで五分だけ。ならまだ良い方で。
代理の人間が出てきてターニャの話を一方的に聞くだけ、などと言う対応もざらなのである。
かつてはターニャの父親と共に、モンスターの駆除に走り回った彼ではあるが。今や帝国本国全土の環境にかかること、その全ては彼の管轄下にある。
街道の石畳も、用水堀も。建前上とは言え彼の決済が必要なのだ。暇なわけがない。
ターニャが普段バカにするほど暇ではない彼なのであり、そこは十分に理解しているつもりの彼女であるから、実はその辺については不満に思ったことはない。
その彼が、なにも言わずに彼女に会う。と言うのである。
――ヤバい気がするな、これ。
「所長。総督が中でお待ちです。――どうぞ」
ターニャが不味いときに来てしまった気がする、帰ろうか。などと思って居るうちにも総督室へと通されてしまった。
「よう、変わりないようでなにより。わざわざご足労だな、四代目」
「ごきげんよう。本日も拝謁を賜り光栄です、総督閣下。…………あのさ」
上着を脱いで帯剣ベルトと共にコートかけにかけると、なにも言われる前にはソファに落ち着く。
「ん、なんだ?」
「おっさん、今日は暇なのか?」
「んなわけあるか! ……ちょうど、お前に使いを出そうと思ってたところでな」
――これは絶対に良くない話をふるつもりだ! ターニャは嫌みのひとつも出ない挨拶でそう結論づけた。
「うーん……。そんじゃま、あたしはそういうことで……」
総督は、腰を浮かし掛けたターニャに呆れたように声をかける。
「待てっ! 何をしに来たんだ、お前は……。そっちこそ忙しくはないんだろ? せっかくいれたんだ、お茶ぐらい飲んでいけ。先週、MRMの事務局からもらった高級品だぞ?」
「ん……、うちのとおんなじヤツだな、これ。シュレンドタウゼン法国の上級、だろ? 法国のお茶なら、特級よりもこっちのがあたしは好きだな。値段も特級の半分だし」
「わかるのかお前?」
「一応貴族様の端くれだし。多少は、な。適当にいれても良い味出るんだよ。特級だとその辺めんどくさいし、ルカがいれるんだったら特級よりも美味いくらいだ」
「意外な……。親子となると要らんところも似るんだな。――アイツも、お茶の銘柄にはうるさかったもんだよ」
「ん? そうなの? ……まぁ。父様については、おっさんの方がよほど良く知ってるだろうけどさ」
「まぁテルの……。おやじどのの話はお互い長くなる。――で? せっかく来たんだ、先ずはお前の用事を聞こうか、四代目。何があった」
ターニャはお茶を啜りながら、出がけにパムリィから聞いた話を総督に繰り返す。
「リビングドールの大量発生、な。……シュナイゼルの環境保全局から情報が来ていないが。女王パムリィが言うならそうなのだろう。こちらでも当たってみよう。済まんな、助かる」
「ソレについちゃ、あたしはなにも。……情報の出どころはパムだし」
――まさか妖精の女王が協力してくれるとはなぁ。総督は自分の分のお茶を飲み干すとカップを置く。
「しかし、なるほど。それでシュナイゼルか。……話が繋がったな」
「なんだよそれ? ……あたしに用事ってのはなんだ?」
「リンク殿下から、近々シュナイゼル公国を視察しにいきたいと連絡があった」
「は? 皇子はもう知ってんのかよ。……パムんとこに情報入ったの、さっきだぜ?」
「連絡の内容が本当にそうかは知らんがな。……ただ、帝国領内でモンスター絡みの何かがあれば、半日であの方のお耳に入る様になっているのは本当だ」
――はぁ。ターニャは呆れた顔でソファに沈む。
「もうMRMの範疇なんか、とっくの昔に超越してるだろ。それ」
「ほぼ殿下個人のネットワークだろうな。……で、お前だ」
「意味わかんねぇ。あのさ、おっさん……」
「まぁ聞け。その直後に宮廷の皇宮管理局からも連絡があった。――もう内容は言うまでもないな?」
「なるほど。……皇子を止めてくれ。ってか?」
「そういうことだ。……ならば俺の用事ももう、わかったのでは無いか?」
「代理人は主が危険に晒されるのを事前に防ぐのが義務。話はわかるが」
はぁ、ターニャはため息を一つ。
「ご当人は納得しねぇぞ、それ」
「それをお前から……」
「あー。無理無理無理! 今回はあたし如きが説得するなんざ、絶対無理だって」
ターニャは大袈裟に手を振ってみせる。
「そこを何とか。――だいたい、お前がダメなら他の誰が出来るというのだ」
「そんなのあたしは知らん、おっさんが勝手に探せ。――だいたいだ。こないだの国営第一の件で“除け者にされた”っつってさ。もちろん、怒鳴ったりはしねぇにしろ。あの人なりに相当怒ってたの、おっさんだって知ってんだろ?」
それを聞く総督も、うんうんと頷いている。
それくらいは当然、総督でもわかっていると言うことだ。
「自分のネットワークで入ってきた情報、しかも本国じゃないとは言え三公家のお膝元だぜ?」
――私のこの目で確かめる必要がある、貴女の頼みだろうが譲歩は出来ない!
「……なーんてさ。話を出す前から、なに言われるかなんて目に見えてる」
「まぁ、なあ」
宮廷内では一番のモンスター通を自称するリンクである。
絶対に折れないのは目に見えている。
「一応宮廷にもそうは言ったのだが、どうしても四代目に……」
ターニャが総督の言を遮る。
「うん、今聞いた。無理」
「お前なぁ、せめて話を……」
「皇子はああ見えて頑固な人だから、あたしなんかが余計な事すると、かえってこじれるぞ? ……皇太子殿下ならどうだろう」
「お、皇太子殿下。だと……? お前、真面目に言ってんのか?」
「そこまでおかしいか? ま、頼めたとしても説得は無理だな。多分」
一般的なイメージは冷徹で苛烈。何度か会ったことのある総督の中でもイメージはそうである。
但しターニャのイメージは一般的なそれとは多少違った。
そして先日の一件から、その“レクスの旦那”に対してもさえも。
個人的なコネクションが出来てしまったターニャである。
「あ!」
「なんだ? 今度はなにを思いついた」
「第二皇女、ルゥパ姫ならどうだ! 妹に対しては甘々だろ? あの人」
宮廷を離れたルカにも何くれと無く目を配り、見えないように気を使う彼である。
妹二人を可愛がっているのは、なにも宮廷に居るもので無くても知っている話だが。
「モンスター関連に関してはルゥパ殿下はダメだ。ヘタを打つとご自身までが現場への臨場を望まれるぞ」
「なんなんだよ、それ!」
ルゥパがロミと知り合いである事は知っているが、モンスター関連に自身の予算を全降りしている。とまでは知らないターニャである。
「もういいや、考えんのめんどくせぇ。……おっさん、この仕事。いくらだ?」
「俺が知るか! 帝国領内とは言え、シュナイダー帝国じゃない、シュナイゼルの案件だぞ。管轄外だ!」
「明日の朝一で、公国の組合には組合長から書簡を出して貰う。……おっさんも各方面への根回し、頼むぜ?」
「まて! なにを考えた?」
――簡単だ。ターニャは立ち上がると、帯剣ベルトを腰に巻く。
「どうせ、オリファさん達の同行も拒むんだろうし。だったら連れて行こうじゃないか」
「は? なにがどうなるとそうなる?」
「リビングドールだろ? あたしも見たこと無いが、直接命の危機に瀕する可能性が少ない。つまり、危なくないからあたしの弟子として、現場に出てもらう」
「おい、弟子ってお前……!」
ターニャが上着を羽織ると、振り返る。
「出張でモンスター退治すんだぜ? その後しばらく、おとなしく皇子として机に座って仕事をしててくれそう、なんてさ。思わないか?」
「……ガス抜き、な。――わかった。宮廷とシュナイゼルには俺の方からも話をしておこう。しかし、お前がそこまで気を廻すようになるとはなぁ」
「自然とそうなるさ。面倒臭い部下しかいないからな、ウチは」
そう言いながらターニャはドアを開け。――ではごきげんよう。と言葉だけ挨拶をすると総督室を出て行った。
「立場が人を作る、か。……いや。アイツの場合は、リーダーの資質、テルの血。だよな」
――お前の娘は、お前以上に立派になりそうだぜ? なぁ、テルよ。自分のデスクに戻った総督は、大きくため息を吐いて椅子に沈んだ。




