使途不明金
昼、少し前のフィルネンコ事務所。
自分のデスクで資料と書類の山に埋もれながら、珍しく静かに書き物をしているターニャと。
ペンを咥えて帳簿を睨んでソロヴァンの珠を弾くルカ。
今日は何故かこの二人が残っている。
パムリィも敷地内には居るはずだが、先程フェアリィが二人訪ねて来た。
今は自分が寝室にしているスライムの柵の、その上の棚にいるのだろう。
「なんであたしがこんな資料を作らなくちゃいけないんだ、うぅ。午後から持っていかなくちゃいけないのに調べ物に手間のかかる……。だいたい、こう言うのはエルが得意なのに」
エルは数字が絡まなければ、公式書類や参照資料の類は早く。わかりやすく作る。さらには字が綺麗。
元、騎士の娘ではあるが、官吏としても優秀な彼女である。
「そのエルを、あえてお使いに出したのは、それはどこのどなたでしたかしら?」
「いきなりこんな書類を作れって言うモンスター学会の方が悪い! いくら一〇枚程度のペ-パーだとはいえ、これを半日で作れるのはウチくらいだぞ!」
「だから頼まれたのでしょう? 半日で一五〇〇なんて破格の依頼ですもの」
「明日の会議で使うのに製作依頼かけ忘れただけじゃねぇか。なにもしなくたって二日で八〇〇は貰える仕事なんだよ。こんなの作れるのはBでも上の方以上だけ、帝都内でも一五もないからな」
「だいたい。急ぎの書類仕事が入ったのですから、だったらお買い物なぞ午後からでも良かったのではありません?」
「午後は午後で、あたしがこれ持って出かけるから、別に頼みたいことがあるんだ。それに市場に行くなら午前の方がモノが良い。――あの二人にも、たまにはおいしいものを食べさせてやりてぇじゃねぇか」
なにも言わずに、ターニャがエルに渡した買い物のリストには、今日の帰りにエルとパリィ。二人に持たせる分の食材も含まれている。
エルは、近所のアパートにパリィと二人で住んでいる。
お金がない、と言う訳では勿論無いが、普段生活は衣食住、全てが質素。
一番豪華な服は仕事用のメイド服、豪勢な食事は事務所の昼食。と言う二人である。
「まぁそこはなにも言いません。ターニャの気持ちは汲みますわ。……それにたまには書類も作っておかないと作り方、忘れますわよ」
元々、書類仕事は専門分野はクリシャ、公的な書類はロミが作っていた。そこに下書きさえあれば、両方とも一気に完成形まで持って行けるエルが加わった
このところはルカの言う通り。書類は最終確認とサイン、それ以外はほぼしていないターニャではある。
但し。仕事自体が以前よりだいぶ増えているので、そうでもしないと回らない。と言う事情も当然ある。
自分で直接作りたい報告書だってたまには有る、と言う話だ。
「大きなお世話だ!」
「そうそう、大きなお世話ついでにもう一つ、よろしいですか? “所長様”」
ソロヴァンの数字を数字をご破算にして、何ごとか書き込んだペンをペン立てに戻したルカがターニャと目を合わせる。
「な、……なんだよ。しばらくは勝手になにか買ったりしてないぞ」
既に彼女の話し方で、経費関連でなにか言われることを察したターニャは身構える。
「では先月の中盤、使途不明金が四五〇〇程でているのですが、わたくしの知らないところで、どんなおいしいものを、どなたとお食べになってきたのですか?」
所長の権限で毎月その程度は勝手に使って良い。と、ルカに言われる程度には、最近は儲けの出ているフィルネンコ事務所ではある。
貴族と高級料理店で食事をしながら打ち合わせを、などと言うことになれば当然一回で一、〇〇〇以上は簡単に飛ぶ。
ルカもその部分はケチっても仕方が無い、と半分諦めている。
こう言うことも、相手が貴族なら、――フィルネンコ事務所はわかっている、男爵とはいえさすがは貴族。と言われて宣伝になるからだ。
貴族からの直接指名の仕事はとても儲かる。と言う、下世話な話し込みの事ではある。
だが、一方でその場合、後日報告するように強く言われても居るターニャである。
所長と事務長。完全に事務長の方が強いのであった。
「はぁ、……まぁ確かに。お前に内緒にしたってしょうがないんだがな」
ターニャはデスクの引き出しから、それなりの厚さの報告書を取り出す。
「こう言うのは即金だろ、さすがにそこまでの手持ちなんかないから、事務所の金を使わざるを得なかったんだよ。個人的に気になってるだけだし、使った分は来月までには返す」
「はい……? まぁ。モノにもよりますわ。誰になにを調べさせたのですか?」
「……ロミの母様の動向」
「は? ロミ君の、お母様?」
――そう、今のところ内緒にしとけよ。そう言いながらターニャは立上り、報告書をルカに手渡す。
「どこにいらっしゃるのかは別にして。……ご存命ではあるのでしょうけれど」
ルカがそう言い切るには理由がある。
ロミの実家、アリネスティア伯爵センテルサイド家。そのセンテルサイド婦人であるロミの母親、ハルトジェンナ=シルヴ・デ・メサリアーレ・センテルサイド。
彼女は元シュムガリア公国の第二公女で宮廷騎士の経験もある。皇家に連なる血筋を持つのである。
当時、第一軍団第一分団長として、戦上手の上に剣の達人。として飛ぶ鳥を落とす勢いだったアリネスティア子爵家のセンテルサイド。
彼の活躍により、アリネスティアが伯爵家に格上げになってのち、そこに政略結婚の意味合いも有って輿入れした。
今や、アリネスティア伯爵の名は家銘凍結、センテルサイド家も一家の長を戦で失い、残された家族も離散の憂き目こそ見たが、そこは三公家の血筋である。
命の危機が迫れば全力で帝国本国が保護に回る。
なによりも皇家の血筋を重要視するに帝国にあっては、夫が重罪人であろうと皇帝に弓引くような反逆罪でもない限りは、彼女が殺されることはない。
当然、宮廷にもどれば第一皇女であるルカはその事は知っていた。
「妹さんも生きていらっしゃる。……良かったですわね」
あまりにも親等が遠くなるため、ロミとその妹には帝国の庇護の手は回らない。
それが故に。あえて帝都に残る選択をしたロミは死にかけて、ターニャに拾われたのではあるが。
「でも、どうしてロミ君に伝えないのです?」
報告書の日付を見返せば既に提出から二週間以上経っている。
「……どう伝えたもんかと思ってさ」
「どうもなにも、そのまま伝えたら良いでは無いですか。なにを迷っているのか、わたくしにはわかりかねるところですわ」
「ずいぶん前だ。どこからどう情報が回ったのかは知らないが、ロミに手紙が来た、もちろん差出人はロミの母様、内容は自分と妹が無事であることだ」
「いったい何の話を……」
「封蝋の印璽も筆跡も。ロミは間違い無く――お母様だ、といった。そこは間違い無い」
「ご存命である事は知っている、と。ならば尚のこと、これを見せてあげたらよろしいのでは?」
ルカは報告書をターニャに返す。
「だからさ、アイツは一人前になったらその時自分で探す。って言ってるんだよ」
ターニャは、はぁ。とため息を吐いて自分のデスクへと戻り、引き出しに報告書をしまうと、再びペンを持って書き物を始める。
「大きなお世話、って話でね。だからこそあたし個人の興味だ。っていったろ」
「なるほど。しかし、ロミ君に来た手紙。ここに居ることをどなたから聞いたのでしょうか? ――ふむ、リンク皇子ならやりそうですが」
「元からリンク皇子じゃ無いよな、と思ってはいたんだ……」
「何故ですの? 元から学友、知り合いではあったのですよ?」
「それでもだ。……家銘を失った公家の元姫様を、国が本気で隠すなら。消息なんか簡単に掴めるもんか?」
優秀で、部下や国民からの受けも良いリンクだが。宮廷内の立場は不安定だ。
「言いたい事はわかりますが、では。どなたがどうやってお母様へと、この場所をお知らせしたと考えておりますの?」
「良し、これで良い。ふぅ、意外と書類仕事。向きかも知れんな、あたし」
ターニャは書類を持つと立上り、封筒と封蝋、そして印璽を棚から取りだして応接デスクへと移動する。
「もう出来ましたの? もしかすると、エルにやらせるより自分でやった方が早いからそうしたのですか? ……それはそうと」
「あぁ、こないだレクス皇太子と一緒に出張したろ?」
「大兄様……。その、お、大兄様がなにか」
レクスの名前が出ただけで挙動が不審に成るルカである。
「喧伝されるほど無慈悲でも苛烈でもない。リンク皇子の兄様で間違い無い」
「……も」
「も?」
「もちろんそれは。大兄様は、まさに帝国を代表する次代の皇帝として、押しも押されもせぬ生まれついての雷帝。良くお世辞で言われるその言葉さえ、一切のウソがない。ピクシィも、サイレーンさえお認めになった大兄様の前では、全くお世辞の体を成さないとわたくし、良く存じあげておりますが」
いきなり立ち上がったルカは、冷や汗をかきながら一気にまくし立てる。
「おいおい。別に。レクスの旦那がここに居るでなし、少し落ち着けよ……。でな?」
「は、はいっ!」
「多少は慣れてやれよ、なんかそれはそれで旦那が不憫に思えてきたぜ……。とにかくだ。見た目はともかく、中身はあぁ言うお方だ。ならばロミの母様につなぎを取ったのは、立場的にも。それは旦那なんじゃないかな、と。こないだ思ったわけだ」
そう言いながら、書類を日にかざし。
インクの乾いたのを確かめたターニャはトントン。と角を揃えて封筒へと入れる。
「……先程の話、結局。どうなさるおつもりですの?」
「うーん、そこなんだよな。教えて良いもんかどうか。ここ二週間、ずっと考えてる。逢いに行くっつーのも、今となっては多少は不味いんだろうしなぁ」
蝋燭に火を付けたターニャは、緑のろうを炙って溶かす。
「なるほど、そういうことでしたのね。返済はしなくて良いです、経費として認めますわ」
――あとで領収書だけわたくしにくだされば結構です。そう言うと、立ち上がったままだったルカはそのままキッチンへと向かう。
「一段落付いたなら、ちょっと遅いですがお茶に致しましょう」
「あぁ」
ターニャは、ろうを垂らした封筒に印璽を押す。
「はい、できた。一五〇〇。おしまい!」
「かたづけて下さいな。なにせ大金のかかった書類、お茶を零したら大変ですわ」
――へいへい。自分のデスクに封筒を置きながらターニャはため息。
「……どうすっかな、ホント」