帝国一の駆除業者
2016.9.18 サブタイトルに一字分、空白があったので削除しました。
『フィルネンコ害獣駆除事務所』。大層立派な看板に達筆な字でそう書かれた、古ぼけた建物。その看板の字は先々代の活躍を見た先代皇帝が、手ずから書いて当時のフィルネンコ家当主に下賜したもの。
「いい加減仕事しないと、来月には薪も買えなくなっちゃうよ……」
朝食の皿を並べつつ文句を言うのは、いかにもなチュニックに長いスカート、お下げ髪に眼鏡で歳より若干幼く見える少女。
とは言え、可愛らしい見た目を裏切り“歩くモンスター辞典”の異名を持ち、若干一六歳にして帝国においては騎士より重いとさえ言われる博士の称号を持つ、帝国アカデミーでモンスター学の授業を担当する程の才女、アクリシア・ポロゥ。
「クリシャ。誰がなんと言おうと、害虫駆除みたいな仕事は受けないぞ。何度でも言うが、ウチは代々続く正規の怪物駆除業者なんだからな」
「ターニャ、虫型だってモンスターはモンスターでしょ?」
――ハイハイ。と話を聞き流すターニャと呼ばれた女性。身長は態度も合わせて大きく見えるが一m六〇弱。
元々白い肌は小麦色に日焼けして、無造作に三つ編みされた金の髪は、座った椅子の背もたれとほぼ同じ長さ。何処までも清んだターコイズブルーの瞳、やや薄い唇にとがった顎が彼女の気性を表しているかのよう。
彼女の名はターシニア・フィルネンコ。
代々続く帝国内でも有名な怪物駆除業者、フィルネンコ害獣駆除事務所の、彼女は四代目に当たる。
「はいは一回! だいたいお父様の時代は10万以下の仕事は受けない、なんて決まりは無かったでしょ? ――ちょっと、聞いてるの? ターニャ! ……組合だってターニャが仕事受けてくれない、って困ってるんだよ」
1万あれば。一般の家庭が特に仕事もしないで二ヶ月以上余裕で暮らせる額であり、ターニャ達であればこのところは平均三千で一月を暮らしているくらい。
だから彼女の提示する最低一〇万は、五〇〇万の臣民を抱える帝国内でも八軒しかないA級指定の怪物駆除の専門家とは言え、破格の金額なのは間違いがない。
最近のターニャは依頼の金額のみで案件を判断し、だからといって特に贅沢な暮らしをするわけでも無い。
クリシャには、――大きな仕事で一回稼いで、あとはしばらく積極的にサボろう。と言う方針にしか見えない。
「冗談事で無く、このままなら再来月にはパンだって買えなくなるんだからね!」
「そら、困るわな。だが……」
胸元が大きく盛り上がった質素なシャツ、それを1枚羽織るだけでパンをかじるターニャは、少々経験値が足りないのを置いても、現状で帝国一を自他共に認める知識と腕前を持つ。
A級の怪物駆除業者は、政府に正式承認されると騎士の位を頂くのだがそれは当然当代限り。しかしフィルネンコ家はそのめざましい活躍から、彼女の祖父の時代に帝国から男爵の爵位を賜った。
その上、つい先日。モンスター絡みで有事の際には軍を動かせるように。と、皇族の近衛である親衛騎士団、その指揮官相当官の資格まで付与された。
彼女は帝国きってのリジェクタ。掲げる看板に嘘は無いのだ。
一般にはそろそろ結婚を考えるお年頃の一八歳、美人でプロポーションも抜群、しかも資産家とはいえないが、爵位まで付いてくるのだ。間違い無くお買い得物件である。
だが残念なことに普段の言動が玉に瑕。というよりはその部分に関して言えば完全に瑕疵物件。
それがターシニア・フィルネンコと言う女性であった。
「そんな時のために保険をかけてある。こんな時に備えてコイツを拾ってきたんだ。……ロミ、スライムはどうなってる?」
「人の事を犬みたいに言わないで下さいよ……。順調です、万事問題なし。今度の繁殖期で三世代目も問題なく増えるし、分裂する分も少なからずいると思います」
多少他の二人とは不釣り合いな、小綺麗な衣装に蝶ネクタイ、まだ表情にあどけなさを残した少年が文句の声を上げる。
彼はロミネイル=メサリアーレ・センテルサイド、一四歳。元アリネスティア伯爵家の長男であったが家の没落に伴い、いわゆるホームレスになったところをターニャに拾われた。
基本的には男爵の地位に有りながら、礼節やしきたりをまるで知らない彼女が、突然宮廷に呼ばれたりした時の指南役ではあるのだが、それだけで三度の食事にありつけるほど正式の用事など無かったし、ターニャももちろんそんなに甘くなかった。
現在は事務所の裏、納屋の二階で寝泊まりしている。意外にも刃物研ぎの才能があったため、ターニャの仕事用の武器を研ぎ。
更には彼女の、
「ヒマなんだから手間がかかっても構わないだろ?」
の一言で、ブルーグリーンに輝く美しい容姿と大人しい性格から、乱獲の憂き目に遭い一気に数を減らし、いまや絶滅危惧種となったドミネントスライムの人工繁殖にいそしんでいる。
たった四匹を預かった超希少種は、今や一八匹にまで増えていた。
アカデミーからそんな依頼が舞い込んだのは、フィルネンコ家本来の専門がスライム全般であるからだ。
「フィルネンコ事務所で助手として面倒見て貰う以上、スライムに詳しくなれたのは良かったですけれど。でも、それにしたってアイツ等、スライムのくせに手間がかかりすぎですよ」
「だからスライムのくせに絶滅間際まで追い詰められんだろ?」
――完璧に条件が揃わないと死ぬばっかりで増えないからな、ドミネントは。そう言いながらターニャは最後のパンのかけらを口に放り込み、カップの水で流し込む。
「でもロミ、次の繁殖で旨くいったら凄いことだよ? ドミネントの人工繁殖は増えるより死ぬ方が多いんだよ、しかも第三世代目なんて」
「クリシャも意地張らないで、はなっからあたしんトコに話を振れば良かったんだよ。あたしゃスライムについては国内ただ一人の専門家なんだぜ。――ふむ、第三世代を五、六匹と繁殖マニュアル持って行けばアカデミーから来月2万は入るな」
そしてこの仕事、アカデミーや学術院との窓口であるはずのクリシャが一度蹴ったはずだったのだが、いつの間にかターニャが組合経由で引き受けてきていた。
「だから話を持ってきたくなかったの! 普通に働こうよ!? ――私の知らないところで繁殖したスライムの放流事業にまで手を挙げてたでしょ? ドミネントなんか動作もゆっくりだし大人しいんだから、養殖出来て放流場所さえ決まれば、専門業者でなくても素人で十分でしょ?」
放流事業の手数料はほぼ、かかった経費分の実費精算。そう言う意味ではまるで儲からない。
クリシャにはターニャが仕事を選ぶ基準がわからない。
「あたしのライフワークだ、文句あるか!」
「そう言う人生における大事な仕事を僕に丸投げしてるのは良いんですか?」
「お前はただ、あたしの指示通りに繁殖計画を実行しているに過ぎない」
「スライムに関してはその通りなんでしょうけれど、でも……」
「そうだよ! ロミが帝国政府から持ってきた仕事まで全部蹴っちゃってさ」
そう言いながらお茶の入ったカップを三つ、クリシャが運んでくる。
元アリネスティア伯爵家の一家離散の原因は去年、父親が戦で死んで、部下への保証に全財産を使うよう遺言されていたため。
結果、ロミはほぼ着の身着のままで放り出されたあげく、未だに妹と母親の行方さえつかめずにいるのである。
当然父親がそう言う人物であるので、生前には人望が厚く人脈も広かった。
その長男であったロミも没落貴族とは言え、今だ政府筋には結構顔が広い。
この辺はターニャが彼をなにも言わずに拾ってきて、食事とベッドを与えた所以だろう。
スライム養殖は手慰み。
彼自身も、事実上政府に対する“営業担当”として拾われたのだ。という自負はある。
「まぁ、クリシャさん。組合を飛ばして仕事を取っちゃ、ホントは不味いことですし」
「ウチを指名して組合に仕事を頼む体になるんだから関係ないでしょ。A級の看板挙げてるんだよ? フィルネンコ事務所は。名指しで仕事が来てもおかしくないの!」
貴族の家や領地にモンスターが出た場合、その種類は何でも、有名所に直接駆除の依頼が来る。
と言うのはままある話ではある。
「はぐれモンスターの処理なんか、それこそ駆け出しの冒険者とか、賞金稼ぎに任せりゃ良いだろ。プロの業者の仕事じゃ無い」
――アイツ等だって生活があるんだ、日銭と実績稼ぎの邪魔しちゃ悪いだろうよ。
そう言いながらターニャは熱いお茶の入ったカップを手に取った。