純粋な人シリーズ最終章『救い』
これまでの報告書に目を通している間、裁判所の判決が一貫して保留になっていることに疑問を持った。
大抵の理由として、責任能力の有無で、保留になってはいるが、彼ら彼女らはきちんとした意志を持ち行動している。
それが異常な精神状態であっても、皆それぞれの現実を見ていたのだ。
話は横道にそれてしまうが、人間の目というのは、物体に反射した光を捉えて、目玉というセンサーを通して脳が見ているのだ。
つまり、異常体験も妄想も幻覚も幻聴も、全て体に搭載されたセンサーを通して感知している現実なのだ。
彼ら彼女らが見たり聞いたり感じていたことは、この現実と繋がっていて、その情報を元に行動をしているのだ。
これに責任を持たせるのは当然なのではないだろうか?
ただ、全ての事件に共通しているのは、事件発生まで、彼ら彼女らに救いの手を伸ばさなかったことである。
人が人を救えるのかと問われると、いつも感じることがある。
『それはアンタらが行動に移さない言い訳だろう?』
それを直接伝えたことはないが、関係者は『ことが隠せなくなった後』にしか助け船を出さなかった。
それは救いではない。
偽善だ。
あたかも自分たちは頑張っていたんだみたいな顔をしてここを訪れてはいるが、全ての事例に対してこういう感想を持ってしまう。
愛しているとかなんとか書いているが、それはただの自己アピールだ。
患者に対して向けられているものではない。
彼ら彼女らは不器用なりにも異常な言動を見せるという、『助けてくれ』のサインを出していたのに。
日報にそれだけを記述すると、カバンを持って席を立った。




