食糞礼賛
偏食病という病が世界的な流行を見せたのはいつのことだろうか。
最初のうち、人々はその病気についてとても楽観的な視点で見守っていた。
『特定の食べ物しか受け付けなくなる病気か。成る程、それは大変な事だ。けれど、まあ、それだけの話だろう?』と他人事な調子で(実際、他人事には違いない)罹患した人々を見守っていた。
そもそも世の中には他に大変な難病を抱えている人々が大勢いる。そうした人達に支援の手が行き届かないのに偏食をしてしまうだけの病気なんてどうでもいいだろ、と多くの人が軽く考えていた。
実際、それは異常な病ではあるけれど、その症状自体は実に素朴な物だ。
偏食病に罹患すると、一つのカテゴリに属するモノしか食べられなくなる。例えば林檎に偏食傾向を示した偏食病患者は林檎しか口にする事ができない。他の食べ物を食べたところで、それは栄養にならなくなってしまう。偏食病によって変異した胃や腸、そして味蕾が他の食べ物を受け付けなくなってしまうのだ。
一度、偏食病に罹患したら最後、二度と他の食べ物を食べられない。それは確かに悲劇的な事ではあるけれど、逆に言えばそれだけの事ではある。それに偏食病にかかった人間は、偏食傾向を示す食べ物を殊の外美味しいと感じるようになっている。
偏食対象が好物となるのだ。
病気になったと言いながら、美味しそうに林檎を食べる人間を見て、同情する人間はそう多くはない。これが農業や畜産業の未発達であった中世辺りに流行したなら、偏食病は死に至るかもしれない恐ろしい病となったかもしれないが、飽食の時代と言われる現代において、特定の食べ物の供給がストップするという事はあまりなく、偏食病によって死ぬ人間が現れる事もなく、それは単なるおかしな奇病として、人々の間で静かに受け容れられていた。
だから、ある男――仮にSとしておこうか――が体調不良から病院に行って、検査の結果、偏食病であると通知されても、彼は驚きはしたものの、そこに悲劇の影は見られなかった。
「……偏食病ですか」
男はそう呟くと「困ったなぁ」と言いつつ頭を掻き毟った。「偏食病ってアレでしょう? 特定の食べ物しか食べられなくなる病気」
「はい。よくご存じで」
「NHKのドキュメンタリーで見ましたよ。林檎しか食べられなくなった女の人の話。家族は気を遣って色々とレシピを工夫しているけれど、女性は気にせず生の林檎をバリバリ食べる奴。なんというか、見ていてドキュメンタリーっていうよりはコメディでしたね」
Sが言うと医師は柔和な笑みを浮かべて「それは仕方がない話ですな。本人からすれば、一番美味しいのはそのままの林檎になるわけですから。偏食病はその名の通り、罹患者に強い偏食傾向を示す。偏食対象となる食べ物以外は一切受け付けなくなる反面、偏食対象を摂食する事に対して、強度の快感を報酬として与えられる形に脳が変異しているのです。そして報酬としての快感は偏食対象のオリジナルに近いほど、より多く支払われるようになっている。その点に留意しないと周囲の気づかいは単なる無理解になってしまいます」
「つまり、アレンジした料理よりも、生の林檎を喜ぶと?」
「はい。その通りです」
「なら、偏食家に色々と食べさせようとしても無駄って事ですか」
「全くの無駄ですな」
分厚い眼鏡を取り外し、白衣の袖で拭きながら医師は大いに頷いた。家族の気づかいを無駄と断じる医師の顔には、自分の職業に対する強い自負心と矜持のようなものが垣間見える。
「その場合、家族はどう接するべきだったんですかね」
「望むままに林檎を食べさせていれば、それでいいんですよ」
「いいんですか。同じモノばかり食べていて、問題ないんですか」
「ないですよ。そもそも偏食病という病は偏食変異ウイルスに感染して、変異を起こしてしまった状態で、肉体は一つの食料を食べ続けても維持できるように変異してしまっている。先の女性の例に上げれば、林檎を食べている限り、その女性の生命活動には何の影響も見られない。三百六十五日三食とも生の林檎を囓り続けたとしても精神的にも肉体的にも、何一つ問題はないんです」
「成る程」とSはホッとした顔で頷いた。
つまり、結局のところ、医師の説明を聞く限りでは、偏食病というのは大したことが無さそうだという事だ。確かに一つの食べ物しか食べられないというのは辛いものだが、それはあくまで他の食べ物を食べられるというのに、それが食べられないから辛いのであって、最初からその食べ物しか食べられないというのであれば、それはさして問題ない。
しかも、元々Sはたいして食にこだわる人間ではなかった。美味いモノを食べ歩く趣味なんて持っていなかったし、冷蔵庫に入れっぱなしで腐りかけていたハンバーグも平気で食ってしまうような男だ。知り合いから「飯食べようぜ。何が食べたい?」と聞かれる度に煩わしいとさえ思っていたのだから、ある意味で偏食病は渡りに船だ。一つの食べ物しか食べられないのであれば、献立を聞かれる心配もない。
だから、Sは気軽な気持ちで医師に尋ねた。
「それで先生。僕の偏食対象は何なんですか」
「それは調べてみないとわかりませんね。この病気はまだまだ未知の事が多い病気でして、そもそも感染経路も、どういう理屈で偏食病になるのかもわかっていない。ただ罹患した患者が激烈な偏食傾向を示すに至って、初めて『ああ、これは偏食病だ』とわかるような次第でありますから……」
「調べ方は?」
「それは至極単純ですね。結局のところ偏食病は味覚や味蕾が変異する病状ですから、スーパーなどに出向いていって、いい匂いがすると感じたモノを食べれば良いだけですよ」
「匂い、ですか」
「どんな生き物でも、まずは嗅覚によって喰える喰えないを分類しているわけですからね。犬なんて鼻が詰まると何を食べていいのかわからなくなって餓死をしてしまうほどですよ。だから、貴方の変異した鼻がいい匂いだと思ったものが偏食対象という事です。まあ、まずはスーパーにでも行ってみる事が肝要ですな。それで何もわからないようだったら、私どもにご連絡ください。変異した消化器を調べる事である程度の絞り込みが出来ますからね」
「消化器を調べるって、お腹を切り開くんですか!?」
「そこまでする必要はありませんよ。レントゲンで見るだけです。いや、今やっても宜しいんですけどね。腸の長さ、胃袋の状態、盲腸の発達具合、そうしたものを見るだけで、少なくとも草食性か肉食性か、それぐらいはわかるものですよ。ただ、レントゲンだってタダじゃない。それなりにお金がかかるものです。それに大抵の患者さんは、ちょっと店に入っただけですぐに自分の偏食対象を見つけてしまうものですからね。なんといっても好物ですから、それに関しては鼻が利くんですよ。カクテルパーティ効果は、なにも聴覚にだけあるものじゃない。嗅覚も興味があるものには鋭敏になるものです。まあ、兎も角、行ってみる事ですな」
そう語りながら、医師は看護婦に淹れて貰ったコーヒーを実に美味そうに啜っていた。だが、その匂いはSには耐えがたい悪臭に思えて、彼は不快そうに顔を顰める。
偏食病にかかったSにとって、コーヒーは濁った泥濘の汚水以外の何ものでもなかった。
Sはスーパーへ向かった。
その間、彼は終始しかめっ面になっていた。街の匂いが不快なのだ。偏食病と患った彼にとって、偏食対象となる物以外、肉体が食料として認めない。つまり、彼は肉体の素朴な作用によって、それ以外の食べ物の匂いを嫌うようになってしまっている。
「ああ、臭い、臭い、臭い、臭い。なんて臭いんだ」
呻くようにSは呟く。腐った食べ物の匂いを嗅ぐと嘔吐反射するように、彼は街角のラーメンだとかカレーだとかの匂いを嗅ぐ度に、強い吐き気を催していた。なんだい、あの脂の匂いは…… あんなに匂いが町中に蔓延していてよく苦情が出ないものだ。そうSは反射的に思ったが、だが、よくよく考えれてみれば、そうしたSの反応の方が異常なのだ。多くの日本人達はラーメンの匂いを嗅いで、美味しそうと思いこそすれ、臭いなんて思わない。そういえばとSは思い出した。外国を旅行するときに、その国の空港に降り立ってまず気になるのが匂いだった。韓国の空港に降り立てば、キムチの匂いが微かにするし、インドの空港に降り立てばカレーの匂いが漂ってくる。きっと外国人が日本の空港に降り立つと、醤油や味噌の匂いがするのだろう。しかも、Sを初めとする日本人は味噌の匂いに慣れ親しんでいて、それをいい匂いだと感じるが、外国人にとって味噌の匂いは悪臭だ。実際、味噌は発酵食品でなかなか独特な匂いがするし、腐敗臭も含んでいる。日本を外から見た場合、味噌汁は腐らせた豆の汁だ。ゲテモノ料理と変りはない。
結局、食べ物とはそういうモノなのだ。
自分が美味そうに食べている物も、他人から見れば異常なものでしかない。今ではアメリカナイズされた日本人も明治時代は、獣肉を食べる行為がゲテモノ扱いされていた。今では誰もが好物となった牛肉を食べるという行為が、荒くれ者達の度胸試しだった時代もあった。薬食いなどと言われて、精を付けるという目的で獣肉を食べていた時代である。その頃の日本人は獣肉を食べる時、台所では絶対に獣肉を調理さず、庭で焼き、一目に付かぬように食ったという。そんなゲテモノ料理が、いつの間にか受けいれられる。食とは、かなりいい加減なものである。
Sが鼻を摘まんでよろよろと歩いていると、隣を若い男二人連れが越していく。
「なあ、ラーメン食っていこうぜ。あそこの喜多方美味いんだよ」
「ラーメンねぇ。俺、昼にパスタだったんだが」
「ラーメンとパスタなら別物だろ?」
「いやいや、俺そんなに小麦粉ばかり食いたくねぇや。それよりカレー食おうぜカレー」
そんな二人のやり取りをSは死んだ魚の様な目で眺めていた。
やがて、揚げ物を売る肉屋、鮮魚を売る魚屋、パッケージされた食べ物を売る総菜屋を抜けて、Sは商店街外れにある大手スーパーへと辿りついた。その間、彼は様々な食べ物の匂いを嗅いだが一つとして食欲の沸く物はなかった。
Sはぐったりしていた。嫌な匂いを嗅ぎすぎて疲れていた。
だが、Sの目的はまだ何も達成されていない。
ようやく目的地に着いただけだ。
Sはスーパーに入って、様々な食品の匂いを嗅ぎ始めた。多種多様な植物やその種子、色々な動物の死骸、魚の死体、そうしたものを混ぜ合わせて作った練り物、死体の絞り汁、植物を砕いて固め焼いた物に揚げた物、食用鉱石、科学的に合成した粉末……
Sは吐きそうになった。
どれもSにとっては悪臭で、彼は嘔吐きそうになってしまう。だが、彼は吐き気を催しても、吐くことはできない。Sは偏食病は発症してから、何も食べていない。点滴で水分と栄養は取っていたから、元気はまだあるけれど、胃はからっぽだ。だから、吐けない。否、胃液ぐらいなら吐けるだろうか。
「臭い臭い臭い臭い……」
Sは夢遊病者のようにスーパーの中を歩き続け、自分にとっての偏食対象を探し続ける。だが、いい匂いがする事はなく、彼はただ悪臭に次ぐ悪臭をかぎ続ける事しかできなかった。これならば、医師の勧めなど無視をしてレントゲンで自身の変異した胃腸を調べ、あたりをつけた方がマシだった。ほんの数万払っただけで、この吐き気が取り払われるというのなら、それはそれで良かったのではないか。
とうとうSは我慢が出来なくなってしまった。あまりの気持ち悪さに胃袋が痙攣を起こし始めたのだ。吐くものがなくても胃袋は無理矢理嘔吐しようする。Sはしゃっくりをするように食肉売り場で咳き込み始めた。
「だ、大丈夫ですか。お客様、エッ? 気持ちが悪い…… そ、それではこちらへ」と、年若いスーパーの店員がSの腕をひっつかんでバックヤードに連行する。彼女の仕事は食料販売だ。店の中で嘔吐されては商売にならぬ。あっという間にSは売り場から連れ去られ、店員用のトイレに放り込まれる。
「ささ、気持ちが悪いのでしたら、ここで出してしまいましょう。こちらなら、幾ら吐かれても大丈夫ですからね。アア、でも、できるだけ便器の中に出して頂けるとありがたいです。それと救急車が必要でしょうか?」
汚いトイレだった。
真新しく綺麗に掃除の行き届いた客用トイレと違って、バックヤードのトイレは古くて汚かった。便器は古い和式だし、掃除も行き届いていないようだ。
けれど、そこに入った途端、Sの吐き気は治まった。本当に、それはピタリと止まってしまったのだ。
乗り物酔いをしてしまった人が、バスを降りて木陰のベンチに座り、木々や草花の匂いを嗅いで休んでいる間に吐き気が治まったように、Sの吐き気は止まっていた。
気分が良くなっていた。
空気がいいのだ。
Sは森林浴をする人のように、汚いトイレの中で大きく息を吸って、吐く。
それは無意識の行動だった。
「お、お客様……?」
そんなSの姿を見て、店員の少女はあっけに取られた。
それも当たり前の事だろう。さっきまで気持ち悪そうにしていた人間が、汚いトイレの中に入った途端、気持ちよさそうに深呼吸を始めたのだ。それを見て、薄気味悪いと思わない人間なんて、いない。
それはS本人も変わらなかった。
いや、S本人の受けた衝撃に比べれば、店員の少女の衝撃など実に些末なものだっただろう。少女の衝撃が拳で顔を殴られるぐらいだとしたら、Sの衝撃たるや、地面に突き刺さった鉄の杭に身体をがっしりと固定され、そこに十トンのダンプカーが突っ込んで来たような物なのだから。
汚らしいトイレの悪臭を、自分は芳香であると感じている。
それの意味するところを彼は認識し始めていた。トイレの中を漂う匂いから、Sの受け取った認識をはぎ取ってみれば、それは間違いなく人間の排泄物の匂いだった。Sの変異した感性は、肉体は――人間の排泄物を食べたがっている。
それは、あまりにもおぞましい事実だった。Sの偏食対象が、人間の排泄物であるという事だ。糞便、うんこ、クソ、大便。それを美味しそうだと身体が訴えている。暑い夏に瑞々しい果物を食べたがるように、寒い冬に暖かな鍋を所望するように、妊娠した時に酸っぱい食べ物を食べたがるように、空腹のSはうんこを食べたいと思っている。
「お、お客様……」
店員の少女が恐る恐る問いかけるが、Sが答える事はなかった。
なぜなら、人間の精神が十トンクラスの精神的ダンプカーの激突を受けて意識を保っていられる程、強靱な物でないからだ。排泄物を食べなくてはいけない。その事実を知ったとき、Sは立ったまま気を失ってしまった。
病院に帰って、Sは医師に点滴を熱望した。
そして、自分の身に起きている事を事細かに語り聞かせて、これから先、何も食べずに生きて行くと宣言をした。
だが、そんなSの決意に対し、医者は渋い顔をした。
「それは無理ってものですよ」
「む、無理。何が無理なんだ。じょ、冗談じゃない。ぼ、僕は、ひ、人のうんこなんて、食べて生きるつもりなんてない」
「いやいや、しかしね。常識的に考えてみてくださいよ。食事を食べたくないから、点滴を打ってくれって、いやね、拒食症みたいに食べられないというのなら医療行為として認められそうなものですが、ただ食べたくないっていうのでは、保険適応外になってしまいますよ。無駄に金を使う事になってしまいます。そいつはあまりお勧めできませんなぁ」
「じゃあ、貴方は僕にうんこを食えって言うんですか!」
「そうです。あのね、Sさん。貴方が普通の人だったら、食糞なんて全力で止めますよ。人が人の排泄物なんて食べたら病気になるだけですからね。けれど、貴方は偏食病の患者であって、その身体は食糞に特化されている。経口摂取する限りにおいて、大腸菌は貴方に悪さをする事が出来ないし、他の不安要素もない。なによりも、貴方も味覚が食糞にチューニングされている。糞便を美味しいと感じる。貴方は何の気兼ねもなく、健康的に大便を食べる事ができるのですよ」
「だ、だが、人のうんこを食べるなんて、そんな、最悪な……」
「いやいや、Sさん。そう仰るが、貴方はまだ運がいい方なんですよ。偏食病に罹患した人の中には、本当にどうしようもない偏食対象を持ってしまった悲劇的な人も少しですが居たのです。アコヤガイの分泌物、つまり真珠が偏食対象となった女性、人肉を喰えずに自殺した老紳士、女の涙が常食となった為に家庭崩壊をしてしまったサラリーマン、女性の胎盤を食べ続けるために助産婦となった幼い少女、そうした人達に比べれば、ハッキリ言って貴方はマシなんですよ。偏食対象が非常に高価というわけでもなく、非合法というわけでもない。ただ、少し常識というものが邪魔をしているだけで、何も問題はないのです。それに、なによりも――」
「な、なによりも?」
「偏食病というものは、パッシブなものではなく、アクティブなものなのです。特定の食べ物しか食べられないというほど、甘い話ではないのです。偏食対象がどうしようもなく食べたくなる。そういう話です。脳みそが要求するんですよ。どうしても食べたくなるんです。だから、食事をせずに栄養剤の点滴で生きて行こうとするのは、酸素ボンベがあるから海中で暮らせると言っているぐらい無理な話ですよ。ほら、そんなに苦しそうにお腹を押さえて。ずっと食べていなかったですからねぇ。お腹が空いているのではないですか。耐えがたいほどの空腹によって、食糞をしたいと考えている。そうでしょう。ですからね、Sさん。さっさと新しい食生活に慣れてしまった方が宜しいと、私は思いますよ。ところでSさん、自分の食事を入手するアテはあるのですか? 昭和の時代なら、それこそくみ取り式便所に行けば、糞便なんていくらでも手に入ったでしょうが、今は殆ど水洗ですからね。なんでしたら、私がお世話をして差し上げましょうか?」
Sは医師の話を聞きながら、しばらく考えていた。
否、考えていたというのは違う。耐えていた。医師の誘惑に乗るまいと彼は必死に耐えていたのだ。空腹感は耐えがたい物があり、なんでもいいから、何か食べたいと彼の肉体は切望し、けれど、その肉体は酷く偏食になっているから、ただ一つの物しか、人の排泄物しか要求しないのだ。あのスーパーのトイレで、どうして食事をしなかったのか、Sの肉体は、Sの意識を攻め立てる。あの店員の少女に「お前の排泄物を食べさせてくれ」と懇願するべきだったのではないかと、Sの本能はSの理性を攻める。
だが、待ってくれ。僕は人間なのだとSは必死に弁解するも、飢餓に狂った肉体による追求の前には歯が立たず、Sは医師の提案に十秒熟考の上、頷いた。
「決まりだ」
なぜか、医師は嬉しそうに言った。
かくして、彼の為の晩餐が執り行われる事が決定された。
Sが案内された部屋は、病的なまでに真っ白だった。高さは二メートルとやや天井が高く、広さは八畳程度だろうか、調度品は白いプラスチックのテーブルと椅子が四脚あるだけで、他には何も置かれていない。
シンプルな部屋だった。
その椅子に腰掛けて、Sは静かに待っている。
彼の前にはガスマスクをした医師のMが腕組みをして座っている。
「少し時間が掛かるようですね」
「それは仕方がないですな。自然な現象であるから、苦戦する事だってあるものですよ」
「苦戦ですか。という事は、これから来るのは事前に用意したものではないのですか?」
「ああ、勿論です。食べ物は採りたて、できたてが美味しいでしょう」
「ということは先生のでもない。じゃあ、誰の物なんですか?」
「君の世話をしてくれた看護士のEくん。わかりますか」
「はい。三つ編みをしている眼鏡の人ですよね」
「そうそう、彼女ですよ」
そう聞いて、Sは思わず喉を鳴らした。
Eは年若い、二十を半ば過ぎたくらいの美人の看護士だった。長く黒い髪を三つ編みにし、ラウンドフレームの眼鏡を掛けている。とても落ち着いた女性であるが、言葉の端々からは気の強さが垣間見える、芯の強そうな女性で、Sは密かに気に入っていた。
「彼女が……」
「うん。男尊女卑なんて場違いな批判をする輩も居るかもしれませんが、こういうものは女性に限るのですよ。Sさんは口噛みの酒というものをご存じですか? 発酵の原理すらよくわかっていない時代に作られていた、米を噛んで吐き出した物を原料にした酒ですよ。あれを作るのは、女性だけと決まっていましてね。建前上、女の霊力を云々なんて言うけれど、まあ、そんなのは俗信でしかない事は誰だってわかっている。これはもっと単純に、酒を飲むのは主に男であるから、男心に照らし合わせてみれば、どうせなら若い女の子が口に入れた物の方がいいってだけの話なのですよ。だから、Eくんにお願いしました。それとも、別の子がよかったですか?」
M医師の冗談めかした問いかけに、どう答えていいものかとSが悩んでいるち、ドアが三度鳴らされた。M医師が「どうぞ」と声を上げれば、M医師と同じようにガスマスクをしたE看護士が、ドームカバーで覆われた大皿を持って現れる。
その途端、なんとも言えない芳香が部屋の中に満たされた。
「Eくん、転ばないように気を付けてくれよ、転んだら大惨事だ」
「はい」
茶化すようにM医師は言う。対してEは生真面目そうに頷いた。
彼女は慎重に歩きながら、Sの方へ近づいてく。ドームカバーの被せられた大皿を高く掲げるように持ちながら、一歩一歩近づいてく。その度に、食欲をそそる芳香が一段と強くなっていく。やがて、EはSの前に大皿を置いた。その時、SはEを見た。看護服の上からでもわかる巨大な胸、細いくびれた腰つき、大きな尻。思わずSは喉を鳴らす。それは食欲の為なのか、あるいはEに対する性欲であるのか、Sには判別がつかなかった。ただ一つ間違いない事は、女性を見て喉を鳴らすなどという下品な行ないをしたという事だけだった。
「失礼」
紳士らしくSは謝罪して、密かにEの横顔を確認する。その表情はマスクに覆われて確認できなかったが、いつも通りに涼やかであるように思えた。恥じらいは見えない。
「どうぞ」とEがドームカバーを外した。
中から出てきたのは当然のように大便だった。しかもかなりの量が、大皿にどっぷりと乗せられている。できたてなのだろう。微妙に湯気が立っていて、Sは立ちのぼる芳香を思いっきり吸い込んだ。いい匂いだ。空腹だったところに、この暴力的な芳香。Sの胃袋は唸りを上げて、早く食わせろと催促する。
彼の隣では、Eが涼しい顔で立っている。M医師はカルテを取り出して、Sの様子を克明に記録し始めた。
ああ、Eくんちょっと、いい機会だ。ビデオも回してくれ、Sさん、それぐらいはいいででしょう? ああ、いいよいいよ。それよりも食べていいだろ。もう我慢が出来ないんだ。ははは、やはり人間、本能には勝てませんな。いいですよ、お腹も空いているでしょうし、どんどん食べてくださいよ。なあ、Eくん。君もそう思うだろ? はい、その為にお出ししたのですから。ははは、いや、うちの看護士は実に献身的な事ですなぁ。おやおや、凄い勢いだ。ははは、こりゃ不味い、食べかすがこっちに飛んできてしまう。Eくん、少し下がろうか……
いざ目の前にすると心理的な抵抗は一切なかった。
ただ、目の前に美味しそうな食べ物があると肉体の方が認識し、その認識の前に精神は呆気なく屈服する。
SはEの出したばかりの大便に、恐ろしい勢いでがっついた。
実際、大便というものは恐れずに口に入れてみれば、実に食べやすい食べ物なのだよ。
人間の胃腸の中でよく熟れてペースト状になっているので、小魚のように骨を通す事もない。とても柔らかいので噛んで顎が疲れる事もないし、消化にもいい。柔らかすぎて歯に付くが、それ後で、丁寧に歯磨きをすれば全部取れてしまう。胆汁が混ざっていて苦みがあるが、慣れてしまえば良いアクセントだ。匂いも、それを好むなら何も問題ない。大腸菌を初めとするばい菌を多量に含んでいるが、それはそれ。Sは人間の排泄物を偏食するために変異しているから、そうした病原体に対する抵抗力は完全なものが備わっている。食糞に関するあらゆる障害が取り除かれたなら、それは本当に理想的な食べ物と言えた。
問題は、ただ栄養面の問題だけだった。
うんことはすなわち、栄養を搾り取った絞りかす、そこに含まれる栄養やカロリーは多くはない。
人間が食べ物を食べた場合、その一割が糞となる。五キロ食べたら五百グラムの糞が出るのだが、そこから搾り取れるカロリーは、さして多くないのが現状だ。昔に比べて栄養価の高い食べ物を食べている現代人でも、その糞の栄養価は低いと言わざるえない。だから、食糞のみで生きる為にはかなり多くの糞を食べなくてはいけない。糞を主食とする昆虫、フンコロガシなどは身体の何倍もの糞をゆっくりと時間を掛けて食べる。
つまり、糞を主食とする事は、かなり多くの糞を食べる必要がある。量に対するカロリーに低さだ。その事をM医師は失念していた。Sに食べさせる糞の質に拘りすぎて、彼が大量の糞を必要としている事に気が付かなかった。
「おかわり!」とSが空になった皿を掲げて、M医師とE看護士に訴える。M医師は目でE看護士に命じるが、彼女が困惑した表情を浮かべた。ついさっき、彼女は出したばかりなのだ。Eは、もう出ないと首を振る。
「他に誰かいないのか?」
「Tさんが、ここのところ便秘をしていると言っていました」
「フム。なら、浣腸の一つでもして……いやいや、それでは便に浣腸液が混ざってしまう。いや、むしろ温水あたりなら問題なく……」
「なにをしている。早くしてくれ!」
Sは血走った目で叫び声を上げた。
その尋常ならざる雰囲気にM医師やE看護士は飛び上がって病院内を駆け巡った。真新しい大便を排泄してくれる人間を探しに、献便してもらいに走ったのだ。
それから、病院中の看護婦達は自力で排便し、あるいは浣腸によって排便を促されて、そうしてひり出た大便は次から次へとSのもとに運び込まれた。真っ白な部屋は食事中に飛び散った糞便によって黄土色に汚れ、その匂いは想像を絶する物となる。Sはそうした部屋の中で人糞をむさぼり食っていた。その様はセム族の主神バールが零落した姿である糞尿の王バァル・ゼブルの如く、血走った目で彼は次から次へと運ばれるうんこを腹に収めていく。経口摂取した看護婦達の糞便によって、まるで臨月の妊婦のように、あるいはオーストラリアのミツツボアリのように、その腹は大きく膨らませた頃になって、Sはついに満足した。
「ああ、お腹いっぱいだ……」
Sは汚れた口の周りをナプキンで綺麗に拭きながら、突き出た腹を、そして腹の中に詰まった看護婦達の大便を愛おしそうになで始めた。
そして、Sはいつの間にか、変異した自分自身を完全に受けいれている。かくして、Sは糞便を偏食する人生を送る事となった。
それによって、Sの生き方は大きく変わる事となる。それまでSは保険外交員をしていたが、その仕事は止めざるえなかった。日常的に糞便を主食とするSの体臭は、常人には耐え難いものとなって、人付き合いがなによりも大事な保険外交員の仕事は続ける事ができなかった。
代わりにSは、食糞屋という仕事を始めた。
それは全く新しい仕事であるから、保険外交員の仕事をしていた頃に比べて、随分と給料は減ってしまった。かつての二分の一という有様だ。今まで住んでいた家も売りに出し、郊外の廃工場を買い取って、そこを事務所兼住居にしてなんとかやっている。正直、かなり貧乏になった。自慢のゴルフセットも、オーディオセットも売ってしまった。Sにはもう身体一つしか残されていない。
けど、Sは辛くなかった。
むしろ、とても幸せだった。
なぜなら、大好きな糞便を毎日食べてられるからだ。
それでは、締めくくりとしてSの一日について語ってみよう。
Sが起きる時間は不定期だ。前日の仕事がいつに終わったのかによって、彼の寝る時間は大きく変わるからだ。朝から仕事は入っている事も合って、夜遅くに帰宅して、一時間か二時間ほど休んで一睡もせずにそのまま仕事に出る事もある。その一方で何も仕事がない所為で、昼過ぎまで寝ている事もある。食糞稼業は不規則だ。朝から仕事の日は、Sは起きて何も食べずに廃工場を出る。そうしないと仕事先で糞が喰えなくなるからだ。
食糞屋の仕事は糞を喰うことで、それが食べられませんという事になってしまったら、プロ失格の烙印を押される。だから仕事のある朝は、Sは飯を食べずに家を出る。
けれど、朝から仕事の無い日、Sは家で飯を食べる。そういう日、彼はちょっと特別な朝食にすると決めている。
「さあ、今日はどんなうんこを食べようか」
そんな感じで、Sはとても嬉しそうな微笑みを浮かべながら、事務所の冷蔵庫を開けるのだ。
冷蔵庫からは、なんとも形容し難い冷蔵された糞便の匂いが、むわっと押し寄せてくるのだけど、それは常人が嗅いだ場合であって、Sにとっては素晴らしい芳香だ。彼は素晴らしい笑顔のまま、糞便がぎゅうぎゅう詰めになっている冷蔵庫の中を物色する。
チルドにはラップに包んだ堅い便が入っている、牛乳などを入れるところには液状となった下痢便が麦茶などを入れる容器に入っている、調味料入れにはお試しにと農家で貰った兎の糞が小さな小瓶に入っている、その他の棚にはタッパーに入った普通の便、そこにはそれぞれ誰彼が何日に致した糞便であるか、しっかりと書き記されている。今は開ける必要はないが、野菜室や冷凍庫にもたっぷり糞便が詰まっているし、台所の食品棚にも瓶詰め糞便が並んでいる。
Sは鼻歌を歌いながら、二つのタッパーを取り出した。
片方は食糞先進国であるドイツより寄せた、一流の食糞家によって飼育された五歳児がひり出した最高級の大便だ。食事管理や体調管理がしっかりとされた健康な五歳の少女が出した多くのスカトロジストも愛好する食用糞便で、もう片方は自家製の糞便だ。
と言っても自家製糞便の方は、S自身の便ではない。
Sにとって不孝な事にS本人の大便をSは食べる事が出来ない。否、食べるだけならできる。できるのだが身にならない。
人の排泄物であるうんこから更に栄養素を搾り取ったうんこがSのうんこだ。その栄養価はゼロに近く、流石にSの本能もこれを食べても足しになると思わないらしく、全く味を感じないのだ。たとえるなら、蒟蒻や寒天を食べている気分とでも言えばいいのだろうか。触感は悪くないけど栄養にならなそうな感じ、そのような気分になってしまう。
だから、冷蔵庫から取り出した大便の片割れは、Sが飼っている少女の大便だ。
少し前、Sが仕事帰りにカブで走っていたところ、道ばたのゴミ捨て場に少女が捨ててあるのを発見した酷い陵辱をされていて生死の境を彷徨っていたが、不幸中の幸い、微かに息があったので、Sは拾って少女病院に運び込んだ。その後、少女は元気になったものの、それは誰かが養育しているわけでもない野良少女、このままでは保健所に連れて行かれて殺処分されてしまいそうだったので、Sが引き取って育てる事にした。
名は、仮にKとする。
Kは雑種の少女だった。日本古来の少女である大和撫子にフランス産のマリアンヌが混ざったような少女で、野良の時に酷い目に遭った所為か、最初のうちはSの事を酷く怖がっていた。
けれど、Sが人畜無害な人間とわかるとそれなりに懐くようになった。匂いもすぐに慣れたようだ。そもそも人間の感覚で、もっとも適応力の高いものが嗅覚だ。人はどんな匂いあろうと日常になった途端、それを簡単に無視してしまう。その証拠にワキガの人は自身の匂いで悶絶しないし、家族もそれを気にしない。匂いは日常となった時、無味無臭なものへと変わる。
SがKを飼う経緯は、だいたいそんなところである。
そして、せっかく少女を育てるのだから一流の糞便少女にしてみようと、Sはドイツを参考にして色々と試行錯誤をしている。それが自家製の糞便の正体だ。しかし、それはあまり成果は上がっていない。それぞれ指先でちょいと掬い取って味見をしてみるが、明らかにKの便は、ドイツの高級品に比べて、こくやまろやかさが違う。
「フムン。やはりドイツは味に深みがあるな。対するKの味はまだ薄っぺらい。やはり、もう少し飼料を工夫するべきなのか。それとも環境を改善するか?」
そうした事を呟きながら、Sは二種の大便を食べ比べる。
自身の食事が終わるとKの世話などをしてやってから、仕事があればそのまま出かけ、予定がなければ営業をする。まだ世間は食糞稼業に対する理解は少なく、そもそも食糞屋という仕事が存在している事すら知らない人が多すぎる。そうした人々に『うんこを食べて貰うサービスが存在する』という事を周知する。そうすると人によっては『ああ、ちょうどうんこを食べてくれる人を探していたんだよね』ということになって、仕事が舞い込んでくるのだ。
営業は主に電話を主体とする。飛び込みをするにはSの肉体は臭すぎるし、メールはスパム判定を喰らう。Sとしては『うんこを食べて貰いたい人、いつでも食糞屋Sに連絡をください!』と真面目に件名を書いているのだが、それは迷惑メール扱いを受ける。だから、食糞が必要とされいそうな企業などに電話をする。
上手く行くときは本当にあっさりと仕事が決まるが、駄目な時はとことん駄目だ。中にはSを狂人呼ばわりして「何を気持ち悪い事を言っているんだよ! 結局は、てめえが糞を食べたいだけじゃねぇのか!」と心ない言葉を浴びせかける者もいる。そういう時、流石のSも少し辛くなる。
Sは糞食らいだ。
けれど、他人の糞を食うという、他の人間にはできない事(ただし、ドイツ人は除く)をする事によって、Sは賃金を得ていた。ある時には多く出すぎた糞の処理、ある時は糞を食べる事での健康チェック、またある時はエンターティナ―として、食糞という個性によって社会に貢献している。そういう自負がSにはある。
だが、後ろ暗い部分が無いわけでもない。Sが仕事をしているとき、楽しんでいないかと言えば嘘になる。喜んで糞を食べている。それは間違いなく真実であり、ついでに言えば、そうしてSを非難する人々の見識や見解は、偏食病にかかる以前のSと何も変わりなく、その軽蔑や嫌悪感もハッキリ理解できてしまうので、Sは深く傷つくのだ。
傷ついたSは食欲をなくし、晩ご飯のうんこも残してしまう。すると、Kは心配そうにSを見上げる。
「パパさん、元気ないの? 今日のうちのうんち不味かった?」
「そんな事はないよ。少しだけ悲しい事があっただけさ」
すると、しばらくKはSのことを見上げていたが、何か決意した顔をするとテーブルの上に土足で駆け上がってパンツを脱ぐとSの前で踏ん張った。
「ど、どうしたんだ、K!?」
Sが止める間などなかった。Kは息んで踏ん張ると可愛らしい肛門が幾度か開いて閉じてを繰り返し、小さくガスが漏れる音と共に黄土色の物体が顔を覗かせる。それは間違いなくKのうんこだった。Sを元気づける為に『出したて』を食べさせてあげたい。そう思ったKが恥ずかしいのを我慢して、Sの眼前で糞を放りだしたのだ。
Sは、ただ感激した。
こんなにも献身的な行ないが存在するのだろうか。そう思うと彼は嬉しくて仕方がなかったのだが、尻から垂れていくKの健康的な便を見てはたと気が付く。このままではせっかくのご馳走がテーブルの上に投げ出されてしまうではないか。
食事に使っていた皿を使うのは駄目だ。そこにはKものではない食べ残しのうんこが載っかっている。ここれでKのうんこを受け止めたら、混ざって味が台無しになってしまう。
さりとても、Kの使っている皿を使う事は、はばかりだけにはばかれる。KはSと違って偏食病にかかっていない、普通の雑種の少女である。その内臓は変異しておらず大腸菌耐性を始めとする、うんこを食用にする場合の様々な耐性を持ち合わせていない。うんこを食えば病気になるし、なによりもうんこを食べたがる性質も持たない。そんな少女が愛用する食器でうんこを受け止めるのは、少しばかりマナーに反する。
ならば、落ちていく少女のうんこをSはどうするべきなのか。
「パ、パパさん!?」
Sは少女の肛門に直接しゃぶり付いた。その穴から出てくる糞便をそのまま食べてしまうならば食器も要らぬし、テーブルに落ちてうんこが汚れる事もない。赤ん坊が母の胸を吸うように、SはKの尻に吸い付いた。授乳ならぬ授糞である。
それにかかった時間は十分ぐらいの間だっただろうか。その間、Kはゆるゆると便を出し、Sは静かに糞を飲み下した。
やがて、Kの排便が終わると、Sは獣の親が子どもにするように舌を使ってKの尻穴を綺麗に拭いてやった。SはKから離れ、少女はテーブルの上に尻餅を付く。
「すまなかったね、K。心配を掛けてしまって。けど、お陰で元気が出たよ」
「う、ううん。パパさんが元気なら、あたいはそれでいいんだ」
そう言って、Kは少しはにかんだ。その顔が少しばかり上気しているのは、尻穴を吸われたからだけでなく、それ以外の別の理由があるのかもしれない――
だいたいそんな感じの日々をSは過ごしている。
つまり、糞を偏食する事は異様であるけれど、それ以外は何の変哲もない日常という事で、結局のところは人間なんて皆同じ、つまらない奴しか存在しないというごくありきたりな結論に帰結し、おかしなやつや風変わりな奴も見慣れぬだけに過ぎないという、ただそれだけの話でしかない。
肌が黒いとか白いとか。共産主義だ民主主義だとか。言葉が違うとか。信じている神が違うとか。そうした事に端を発する嫌悪感も、結局は見慣れぬという一点でしかなく、共産主義者が民主主義を批判する言葉も、民主主義が共産主義を非難する言葉も、全ては『あいつはうんこを食っている!』と非難しているだけ、差別的な感情なんてそういうもんだって話で、Sという男がKという少女のうんこを食べるのを非難するのと本質的には何も変わりなく――
つまり、これは一人の男が寛容に目覚めるだけの物語なんだ