忘却
人がもっとも恐れることとは、人によって様々で、挙げればキリのないものだ。
誰かの恐れることは、誰かにとって幸福で……その逆もまたしかり。
一人の少年は、若くして最愛の人を失った。
まだまだこれからという時に、なんとも理不尽な不慮(ふりょ)の事故。
そんな彼の大切な人は、今ボクのすぐ隣で覇気(はき)の失った彼を見下ろしている。
『ねえ、カミサマ』
彼女は抑揚のない声と表情で、彼を見たままボクに問いかける。
『あの人の記憶から、わたしの記憶を……消して欲しいの』
それはつまり、キミのことを忘れさせて欲しいということかな?
楽しかった記憶も、悲しかった記憶も、むかつく記憶も、恥ずかしい記憶も。
すべて無かったことにして、キミという存在を、キミと共に過ごした時間を。
そう問い返すと、少女は『そう』と短く答えた。
キミは、悲しくならないのかい?
記憶が無くなれば彼はきっと新しい出会いをして、キミのことを知らないまま一生を過ごして行くんだよ。
『良いの、それで。いつまでもわたしに囚われて、悲しい刻(とき)を過ごして欲しくないから』
それは、彼を想う気持ちだった。
確かにそうだね。このままだと、彼はどうにかなってしまうかもしれないね。
でもね、彼にもお願いされているんだよ。
だから迷ってしまうね。
そう言うと、少女は至極不機嫌な顔でボクを睨みつけてきた。
うわ~怖いな、綺麗な顔が台無しだよ。
ねえ知っているかい? ヒトがもっとも恐れることは、忘却(ぼうきゃく)なんだよ。
誰一人としてその存在を忘れていくことが、何よりも恐ろしいことなんだよ。
彼は、キミを忘れることを恐れている。
キミとの思い出が消えてしまうことが、キミへの想いが消えてしまうことが、彼は何よりも恐れているんだ。
だけど少女は、驚いたり喜んだりという感情は見せなかった。
反対によりいっそう悲しい顔をして、いまだ感傷に浸っている彼を見下ろす。
『だから、苦しめちゃってるじゃん』
そうか、キミの恐れていることは、彼が苦しめ続けられることなんだね。
そんな二人の要望を叶えるものは、やっぱり忘却しかないのかもしれないね。
ボクはカミサマ。平等なカミサマ。
だからヒトの想いは難しい。
でもすべてを真っ白にしてしまえば、初めから無かったことにしてしまえば、誰も苦しむ必要はないのかもしれないね。
(2015.09.18)




